ナルサムは結局“幽霊”部隊を村の中に入れることはなかった。
彼は村の境界の外で訓練を行ったり、見回りをしたりしているようであった。
俺は時々キーツやディーに連れられて、その様子をうかがいにいった。
ナンバーズの訓練はとても規律正しかった。
一糸乱れぬ行動というのはこういうものをさすのだろう。激しい訓練のはずなのに、誰一人として不満を漏らさず、黙々と動く。
それは馬も同じだった。機械仕掛けの馬のように正確に、彼らは騎手の命令に従った。どんな複雑な陣形変化にも惑うことなくついていく。
新しい種類のナンバーズは強くなっていた。
上位種は俺達よりもずっと素早く、力があった。
騎兵種、歩兵種の相性をさっぴいても、彼らと一対一で勝つのは難しいと思う。
地力が違いすぎる。そう俺は感じていた。
俺は新しく教わった例の玉を使う戦い方を何度も何度も反復した。精霊を使うかなり特殊な戦い方だとキーツはいっていた。俺のように“見えて操れる”人限定の戦い方らしい。
ふわふわした玉を身にまとうのはなかなか難しかった。ずっと訓練はしているのだが、なかなか制御するに至らない。
精霊の制御という点ではサクヤのほうが遙かにうまかった。何しろ鼻歌一つであの玉が沸いてくるのだ。
「シーナ、もっと、ゆったりと。そんなに、いらいらしてたら、玉はこない」
サクヤが俺のほうにきれいに連なった玉を送って寄越す。
「くそ、この野郎」
俺が感情にまかせて枝を振り回すと、玉はどこかへ飛んでいった。
「どうやったら、うまくできるようになるんだろう」
俺はぼやく。
しかし、なぜ俺はこんなに熱心に訓練をしているのだろう。自分にも説明のつかない衝動に駆られて、俺は鍛錬をする。
「ごろーはどこー」
まただ。また邪魔者が現われた。
まじめに俺とサクヤが練習しているところへ俺の嫌いなガキどもが現われた。
チビどもは最近また俺の周りにも現われるようになっていた。
「今は訓練中だ。危ないから、来るな。がきんちょども」
そういっていつも追い返しているのに、こうしてゴローの居場所を聞きに来る。
それだけならまだいい。
「ねぇ、ねぇ、しーなはりーすと、なかがいいの?」
「仲よしなの? ねぇ、ねぇ」
あの祭りの日以来だ。
よくわからないが、このチビどもは俺とリースの関係を誤解していた。
どうすればそういう思考回路になるのかわからないが、ことあるごとにそうやって俺をからかいに来る。
大人をおちょくるのはやめよう。な。
「俺とリースはただの雇い主と雇われだ」
「しーな、ゆうれいなんだよね」
「ゆうれいのくせに、リースとつきあってる」
「つきあってねぇ」
「ねぇ、ちゅーしたことある」
「ない、ない。どこで誰がそんな根も葉もない噂を・・・」
そうやって俺が怒って彼らを追い回すまでが新たな日課となっていた。
「さくやー、ひめさまー、しーながわるい」
分が悪くなると、彼らはサクヤの後ろに隠れる。
「しーな、こわい」「こどもをいじめるわるい奴」
「シーナ、子供をいじめるのはよくない」
後ろに子供をかばったサクヤがまじめな顔をして注意する。
「いじめてない。あいつらが、勝手に絡んでくるだけだ」
俺は懸命に言い返す。
ほら、サクヤ、見てごらんよ。
あいつら、サクヤの見えていないところで俺のことを挑発してるよ。
リースは、あれからしばらく落ち込んでいたが、だいぶ元気になった。ナルサムのところへちょくちょく食料を持っていったり、話をしにいったりしているようだ。
「大丈夫かな」
あれからすぐに俺はディーにリースのことを相談したのだ。
「大丈夫よ。リースは強い子だから、すぐに立ち直るわ。ナルサムとの仲だってすぐに修復できるわよ。だいたい今回のことはあの子が悪いわけじゃないでしょ」
そうだ、おまえが悪い。リースと兄の仲を引き裂くような真似をしたのはこいつだ。村の人たちもナルサムには悪感情を持っていないようだった。
それなのになぜ、あんなに突き放したのだろう。
「仕方ないわ。クリアテス教とアルトフィデスの聖霊教会は相容れないから」
「どこがだ。どっちも同じ精霊信仰なんだろう」
「クリアテス派はそうだったわ。でもクリアテス教は違う。
彼らは、クリアテス教と名乗った時点でわたしたちとは違うのよ」
俺には全く違いがわからなかった。
「それに、わたしたちはナルサムが村に入るのは許可してるのよ。駄目っていってるのはあの兵隊だけじゃない」
「でも、あの兄貴、村によりつかないじゃないか。大丈夫かな」ディーはあまり心配していないようだった。
「そのうちにやってくるわよ。まぁ、みてなさい」
実際、心配する必要なかった。
最初はリースと一緒に、それから単独でナルサムは村に戻ってくるようになった。管理官という仕事の手前、長居をすることはできないものの、ちょくちょくリースの家の周りで見かけることが多くなった。
俺はほっとした。
よかった。兄弟の中が決定的に壊れてしまったらどうしようかと思っていた。
俺は、なるべくナルサムのいるところには顔を出さないように気をつけていた。
何しろ、相手は監察官なのだ。俺達のことは箒かちり取りくらいにしか思っていない相手と顔を合わせてもろくなことにはならない。
遠くからちらりとしか会っていないから、彼が俺のことをろくに意識していないと思っていた。
だから待ち伏せされて、呼び止められたときには内心驚いた。
「おい、おまえがシーナというやつか?」
外でいきなり肩をつかまれた。
「ディーの腰巾着をしているという・・・」
「俺は、ディーの腰巾着なんかじゃない」
肩の手を払うと、仕方なくナルサムと向き合う。
リースの兄は、髪の色も目の色もリースとよく似ていた。
茶色の巻いた髪と薄い茶色の瞳はアルトフィデス王国の民の特徴なのだという。
少し小柄だががっちりとした体型はこの村の他の人たちと同じだった。
「おまえ、コスの傭兵なんだろう? リースに手を出すのはやめろ」
開口一番そういわれた。
「は?」
「だから、リースにつきまとうなといっている」
「・・・・・・」
俺は彼が冗談を言っているのではないかと耳を疑った。
残念ながら、ナルサムの目は真剣だったし、握りしめた拳はいつでも殴れる戦闘態勢をとっていた。
「あの子はおまえのような奴が手を出していい子じゃないんだ」
一体彼は何の噂を聞いたのだろう。
まさかあのチビどもの戯れ言を真に受けたのだろうか。
俺は慌ててその噂を否定する。
「何を聞いたのかは知らないが、俺とリースはそんな関係じゃないぞ。誤解だ・・・」
「だから、軽い気持ちで手を出すなといってる」
首元を掴まれた。
「いくら、アルトフィデス神殿が後ろについているからといって、図に乗るな。
あの子はこの村の長の血を引く子なんだ。
すでに許嫁もいる・・・」
イイナヅケ・・・言葉が頭の中で滑った。
「いいなづけ? 婚約者がいるのか? あいつ」
信じられない。あんな、洗濯板に、婚約者・・・
「だから、呼び捨てにするなと言ってるんだ」
ぎりぎりと首元を締められる。
抵抗しようかと思った瞬間、村人を攻撃してはいけませんという規制がかかった。
くそ、こんな時に呪の縛りが有効なのか。
俺は震える手で、ナルサムの腕をつかんで、そして・・・
「なにやってるの」
ディーの声だった。
ナルサムは舌打ちをして手を離す。
そして立ち去り際に俺に硬い拳をたたき込んだ。
思い切り後ろの壁にたたきつけられる。
壁に立てかけてあった作業道具ががたがたと音を立てて落ちた。
「警告したぞ。手を引けよ。このクソ野郎」
「ちょ」
ディーが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫? シーナ?」
痛いよ。痛い・・・本気で殴られた。
お父さんにも殴られたことがないのに・・・。
俺は鼻血をぬぐう。
ディーの後ろからついてきていたのだろう、キーツが素早く俺の傷をあらためる。
「おいおい、いったいなにをやらかしたんだよ」
「俺は何もしていない。相手が一方的に因縁をつけてきたんだ」
俺は自分でも傷の具合を確かめながら訴えた。
「あんたが“幽霊”だから?」ディーの声が冷たくなる。
「違う、違う。あいつは俺にリースから手を引けと、まぁ、そういってきた」
「はい?」
そうだよね、そういう反応をしますよね。普通。
「だから、手を出すなと言われたんだ」
「・・・・・・」
「何やってるんだか。これだから、色男は困るんだよ」
おまえには言われたくないよ、キーツさん。
「なんだか、あいつ、完全に誤解していた」俺は二人の手を借りて立ち上がりながら、訴えた。「なんでこんなことになるんだ?」
「そりゃ、まぁな」キーツがあごをしゃくる。「おまえ、リースと祭りで踊っただろう」
「ああ。それがどうした?」
「そりゃ、噂になるわ」とディー。
「あり得ないだろう。 俺とリースの関係は監督官《マスター》とナンバーズであって、そんな楽しい関係じゃないぞ」
「それはみんな知ってるわ。 でも、見たところ、あんたたち、そんなふうに見えないからね。そもそも」 ディーは俺に顔を近づけた。「あんたは“幽霊”には見えないから」
俺は訓練を繰り返している“幽霊”と自分を比べてみた。確かに。見えないだろう。
「・・・はぁ。あいつ、俺のことをコスの傭兵だと勘違いしていたな」
「するんじゃないか? ずっと俺達と一緒にいるし、普通に会話するし、見回りはサボるし」
「サボってない。ちゃんとやってるぞ。 それに、会話なら、ゴローとサクヤだって同じように話すじゃないか」
「あいつらが話すということ自体、あの男は驚いていたみたいだぞ。そもそも、おまえ達には自発的に話す機能は含まれていないとかなんとかいわれたと、リースがいっていた」
「変な呪文で縛られてるからだろ。腕輪の与える命令権とかいう奴で」
「それが、違うみたいなのよ」
ディーは伸び上がると、俺に額に手を当てて、何かを調べる仕草をした。俺は慌ててそれを払いのける。
「何するのよ、いきなり」
「いきなりはそっちだろ。俺は勝手に調べられるのはいやなんだ」
「そういうところがナンバーズらしくないのよね」
ディーは手を下ろして、実験をあきらめた。
祭りが終わってから、俺達は少しずつリースやディー以外の村人の仕事も引き受けるようになっていた。体力があって丈夫なら、人手が足らない村では引っ張りだこだったのだ。
俺達に対する恐れも薄れていた。
新しい“幽霊”は、村人の俺達への見方を相対的に好転させた。
あれに比べると、ずいぶんまし、といったところだろうか。
特に恐れを知らない井戸端会議の面子は情報収集もかねて俺にはなしかけてくることが多くなっていた。
こんな“事件”があればなおさらだった。
「ナルサムに殴られたんだって?」
祭りの服を貸してくれたアオイ・マーミさんがまだ痛むほおを押さえている俺に早速声をかけてくる。
「早いですね」
一体どこの誰が目撃していたのだろう。ディーやキーツが話したわけではないだろう。早すぎる。
「ナルサムに殴られるなんて、何かしたのかい?」
楽しい事件の香りにおばさんは満面の笑顔だ。
「ちょっとした誤解ですよ」
俺は、ただリースと俺がつきあっているのではないかと勘ぐられたと簡潔に話す。
「へえー」
おばさんの熱意が、あがる。まずい。この手のおばさん連中にとってこういういざござは至高の娯楽だった。
「それで、実際のところはどうなの? あんたとリースちゃんの関係は」
ない、ない、そんなものは一切ない。ここはリースの名誉のためにも完全に否定しなければ。
「あり得ないでしょう。彼女は監督官で、俺はナンバーズなんですよ。たとえていえば、主人と使用人のような関係で」
「主人と使用人の禁断の関係だね。この場合は女主人と男使用人だけど、悪くない。身分違いの燃え上がる情熱」
あのぉ、おばさん・・・・・・
「そ、それはそうと、ナルサム・・・さんがリース・・・さんに婚約者がいるという話をしていたのですが、本当ですか」
俺は話を切り替えるためにおばさん達の食いつきそうな話題を出してみた。
「リースちゃんの婚約者ね。気になるんだね。あんた」
間違った話題を投下してしまっただろうか。
「リースちゃんくらいの家柄になるとねぇ。婚約者の一人や二人、いるもんなんだよ」
そうなのか? 村長というのはいい家柄なのか。
「へぇ、そうなんですね。この村の人ですか」
「あの子の婚約者は隣村のトゥミだったんだけれど」おばさんの顔が暗くなる。「あそこはねぇ」
急に口が重くなった。
「そこの村と仲が悪くなったとか、で破談になったとか・・・」
恐る恐る俺は聞いてみたが、急に表情を曇らせたおばさんは何も答えなかった。
俺はこういうところに余所者と村人の差を感じる。
彼らには当たり前になっている事実を俺は知らない。
彼らには暗黙のいってはならない事実があって、そこに踏み込むと沈黙しか帰ってこない。
おばさんの家の用事を手早く済ませて、リースの家に戻ると、ダムとリースが難しい顔をして向かい合っているところに行き会わせた。
「・・・兄さんにはまだ黙っておいた方がいいかもしれない」
リースはダムに話していた。
「明日、この子達を連れて偵察に行ってみるわ。
本当はディーも一緒に行ければいいのだけれど、この村の守りも必要よね」
そういってから、リースは出て行こうとする俺を呼び止めた。
「シーナ、明日、隣の村に偵察に行くわよ。準備をしておいて」
「隣の村?」
先ほどのマーミおばさんの沈黙を思い出して俺は思わず聞き返す。
「ええ。隣の村・・・というよりもその跡地ね。なるべくちゃんとした装備を用意してほしいの。サクヤとゴローにもそう伝えておいて」
「きちんとした装備、というのは戦闘を前提とした装備ということだな」
「ええ」リースはふうと息を吐いた。「魔獣が出たという目撃情報があったの。よろしくね」
次の日、俺達は馬に乗って隣の村があった場所に向かった。