「ナルサム、この試合の結果がどうなっても、リースを連れて逃げろ」 俺はリースの兄にいった。
「ゴローもだ。リース監督官の命が俺達には最優先で守る物だ。これは正当防衛というやつだ。罪には問われない」それを罪に問おうとする奴がいるから今の状態があるんだがな。
「おまえ、勝算はあるのか?」 ナルサムがくらい声で答える。
「五分五分かな。勝てるかどうかはサクヤ次第かな?」
「?」サクヤは首をかしげた。
「ありったけの精霊を読んでくれ。歌姫様。こうなったら奥の手を使うしかない」
サクヤがあきれた顔をする。
「シーナ、本当に無謀。相変わらずむちゃくちゃ。でも・・・たぶん、それしかない」
サクヤは冷静だった。「まかせた。シーナ」
「逃げる準備をしておけ。後は頼んだ」
「おい、おまえら、技術官様が下でお待ちだぞ」
先ほどナルサムに殴り飛ばされた男がえらく大きな態度でこちらに近づいてきた。
「おい、姉ちゃん。かわいいナンバーズ達と別れの挨拶はすんだのか」
男は大胆にもリースの目の前に立って彼女を見下ろした。
リースの顔に血の気が戻ってくる。
「別れの挨拶なんかしてないわよ。祝杯を挙げる準備をしていたところよ」
男はリースの強気を鼻で笑った。
俺達が下に下りたときにはすでに日が落ちていた。
回廊が松明で照らされ、中庭は明るく照らされている。
相手は余裕綽々で待っていた。ゴロー達にぼろぼろにされたはずなのに、上機嫌だった。中には酒を飲んでいるものもいる。負けるはずのない勝負だと思っているのだろう。
話を聞いた他の人間も集まっていた。場の雰囲気はとても楽しそうで、とてもではないがこれから戦いが行われるようには思えない。
それに場の雰囲気は完全にアウェーだった。俺たちに同情する空気はみじんもない。
最弱の一桁ナンバーズ対三桁、という声を俺は拾った。
こいつら、俺がぼこぼこにされるのを楽しみにしているらしい。
血の流れる凶暴な見世物というわけだ。
中庭の中央には空き地が作られて、ロイスとその取り巻きが真ん中で何か話していた。俺達のほうにちらりと目をやると、うなずき合う。
ガチャガチャという鎧の音がして、相手のナンバーズが中庭に入場してきた。
大きい。
おまけに鎧を着て武装をしている。
兜こそ身につけていないものの、見た目は殻の固いカブトムシのようだ。
今の俺は鎧も身につけていないし、丸腰だ。それで対戦するというのはあまりにもあんまりだ。
「俺の駒だ」 男が鎧のナンバーズの胸をたたいた。「三桁の歩兵種だ。おまえの一桁のナンバーズとは格が違う」
鎧のナンバーズは、男の前にひざまずいた。
「主様、ご命令を」
「あちらのナンバーズと戦え」
「了解いたしました」
男はナンバーズの受け答えに満足したようだった。
「すごいだろう。俺のナンバーズは。会話も受け答えもできる、おまえのところのでくの坊のナンバーズとは行動能力が段違いなんだよ」
「・・・・・・あんた達を見てるから全然すごいとは思わないわね」
リースはぼそりという。
「そちらのナンバーズは、どの個体だ」
ロイスがリースにきく。
リースが俺と目を合わせてうなずいた。
「3417,命令するわ。あいつと戦いなさい」
「仰せのままに」
もったいぶってひざまずいて、両手でリースの手を取る。それからそれを額に当てるようにして押頂く。
アルトフィデスの騎士がやっていたのをまねているのだが、正しい作法なのだろうか。
ゆっくりと立ち上がると、周りの空気が変わっていた。
驚愕?
それも悪い方に驚いたときの顔をして周りの人が見ている。
「はは、馬鹿かよ。おまえ、何様のつもりなんだ」乾いた笑いがあがる。「アルトフィデスの騎士気取りかよ」
「子供の遊びじゃあるまいし、ナンバーズに何を教えてるんだ?」
いくつかの笑いが唱和した。なんだ、こちらを馬鹿にしているのか?
俺はそんな声にかまわず、ナルサムに近寄る。
「おまえの剣を貸してくれ。折れたら、ごめん」
「折るな。うちの家宝だ」
ナルサムはいやな顔をしたが、渋々剣を俺に渡す。
「俺が、勝っても負けても、リースを頼む」
俺はかろうじて聞こえる程度の大きさでささやいた。
その間にもヤジは続いていた。
「どうせおままごとていどにしか使えていないんだろうよ」
「下位種の、能力が低いやつしか与えられない監督官“見習い”だからなぁ」
「うるさい。あの子達はあんた達のナンバーズよりもずっとすごいんだから」リースが言い返している。
「そんなにすごいのなら、すごいところを見せてみろよ。人間と大差ない能力しかない一桁のナンバーズの、すごい能力をな」
俺がリースの横に立つと、リースは目を怒らせて俺に命令した。
「いいわ、シーナ。あいつらにあんたの力を見せてやりなさい」
「了解した。監督官《マスター》」
俺も、頭にきていたところだ。 こいつらに、俺の力を見せてやろう。
俺は一歩だけ前に出ると、ロイスの方を向いた。
「ところで、じいさん、質問があるんだが、いいかな」
「質問だってよ、質問・・・、・・・・・・」
リースを馬鹿にしていた続きでついつい俺に答えてしまった男は途中で言葉を詰まらせた。
あたりが静まりかえる。
「これが決闘だということは理解した。では、何をもって勝利と見なすんだ?」
息をせききって駆けつけたらしいコルトも沈黙にのまれた。
「わたしに聞いているのか?」
ロイスがしばらくして問い返した。
「ここにいるじじいはあんたくらいのものだろう。それとも、なんだ? 技術官様、とか呼んでほしかったのか?」
ああ、まずい。悪い癖が出てしまった。
リースの許可が出たのでついつい期待されてもいない能力をひけらかしてしまった。
だが、こうなったら止められない。
「なぜ、おまえが口をきいている?」
「俺の監督官《マスター》はわからないことは質問しろと命令した。だから、わからないことを聞いている。 老いぼれて耳が遠くなったのかもしれないから、もう一度きく。
何を持って勝利とする? 誰がそれを判断するんだ?」
「3417・・・やめなさい」
コルトのあえぐような制止の声を俺は無視した。
ロイスはしばらく答えなかった。 彼の激しい感情にサクヤが呼び出している精霊達が反応している。
どうせなら、この場で頭の血管が切れてくたばればいいのに、と本気で俺は思っていた。
「おまえ達のうちどちらが残るかで勝敗を決める」
「俺が彼を戦えない状態にしたら、それで勝敗が決まるのか? それともどちらかが死んだときに? 降伏するといったら、それは認められるのか」
矢継ぎ早に俺はロイスにたたみかける。
「こ、これは傑作だ。おまえが、俺のナンバーズに降伏するというのか?」
頭の悪い相手方が小さく笑った。
「おまえ、馬鹿か。俺が、あんた達に降伏するか尋ねてるんだよ。低脳野郎」
また、周りが静かになった。サクヤが小さく歌っている声が聞こえるほどの静けさだ。
“我は請う。我の盾となりて我が身を守り給え。我が剣となりて我が敵を打ち砕き給え”
「降伏などあり得ない。どちらかの死が確定するまで勝負は続く」
歯の間から声を絞り出すようにして、ロイスは答えた。
「死が確定ねぇ。了解だ」
俺はとびきりの笑みを浮かべてやった。
「あと、もう一つ確認しておくんだが、俺が勝ったらこちらの主張が聞き入れられたということで、3398と3456の処分はなし。 |リース監督官《マスターリース》のおとがめもなしということでいいんだな」
「・・・そういうことになる」
「精霊の名にかけて、誓うんだな」
「・・・おまえごとき“陰”が、精霊の名をかざすか・・・」
「俺ごときで悪いんだが、俺は、決闘の作法も何も覚えていないんでね。あんた達がご丁寧に俺達の記憶をけしてくれたから・・・」
こういうことはきちんと確認しておかないと。後でそんなこといっていないというのが悪人の常だから。
ここにいる他の人達もみんなが今や証人となっている。
おれはようやく、決闘の相手に向かい合う。
周りにはサクヤが呼び出してくれた光の球で一杯だった。この精霊を呼び出しにくい土地でよくここまで精霊を集めてくれた。俺はサクヤに感謝する。
「あんたには何の恨みもないのだが、こちらも命がかかっている。すまない。全力で行かせてもらう」
俺は相手のナンバーズの顔をのぞき込むようにして小声でわびる。 驚いたことに、相手のナンバーズがかすかにうなずいた。
俺は黙って立っている相手側のナンバーズに、刀礼をした。 コサの戦士達は試合う前に必ずこの仕草をしていたのだが、またおままごとといわれるのだろうか。
それから、神経を集中して聖句を心の中で唱えた。
“我らが祈りを聞き入れたまえ。我ら、弱きものを守り、救い給え・・・”
光の球が集まってくる。それが見える目を持っているものも観客の中にいたようだ。 何人かが驚きの声を上げた。
「そいつを一撃で殺すな。なぶり殺しにしてしまえ」
後ろから相手の監督官が叫んだ。
馬鹿な指示を・・・
体が軽かった。まるで空気に溶け込んだようにすべての抵抗がなくなっていた。
向こうから剣を振りかぶる相手の動きが引き延ばされているように見える。 すべては俺に力を貸してくれた精霊が教えてくれたことだ。
攻撃をかわして、剣を支点にして飛ぶ。 羽が生えたように体が地面から浮上がる。
軽業師のように相手の体に飛び乗る。
それと同時に隠し持っていた短剣を抜いて、鎧のない首元にたたきつけた。
そのまま、再び飛んで地面に下りる。
普段だったら絶対にできない動きが今の俺にはできる。 どんなあり得ない動きでも、ここにいるすべての精霊の力が俺に可能にさせる。
一瞬だけ。
周りで見ていた人達にも何が起こったのかわかっていなかっただろう。
相手も何が何だかわかっていなかったに違いない。
ごめん。俺は相手に謝った。本当にすまない。
男の体はしばらくそのままだった。
俺が無造作に自分の剣を手に取ったときにようやく思い出したようにかしいで、どっと倒れた。
俺は相手の首元に剣を突きつけた。
「どうする? 首を落とせば満足か?」
俺は、ロイスにきいた。
「いいだろう。・・・いいだろう」
技術官は見るものがぞっとするような顔色になっていた。
「おまえ達の主張を認めよう。 そこの二体と監督官の処分は取り消そう。
・・・だが、3417、おまえは別だ」
彼はぎらぎらと血走った目で俺をにらむ。
「おまえは公然と監督官を侮辱した。“陰”には許されていないことだ。 おまえは“陰”に課された服従の掟を踏みにじり、我らの顔に泥を塗った」
技術官は自らの手にはめた腕輪に手を当てた。
「3417,“陰”から出たものは“陰”にかえるがいい」
俺は反論しようとして息ができないのに気がついた。 手足が冷えていく。いや、熱くなっているのか。 すべての細胞がばらばらに引き裂かれるような感覚に俺は悲鳴を上げる。
「駄目、シーナ!」
目の端でリースの腕輪が赤く光っているのが見えた。 俺の前に立つ技術官の腕輪も同じように明滅している。
目の前が真っ赤に染まった。全身の血が血管を破って荒れ狂い、体が膨張して崩れていく。
「やめなさい。それを止めなさい」
誰かの命令が、崩れていく俺の最後の意識の中でこだまする。
俺の魂と体が引き裂かれた。