今日も息が白くなるほど冷え込んでいた。
「だから、この馬は後ろに立つと蹴ってくるんだ」
俺は、馬に蹴られて足を押さえて悶絶しているナンバー11993ことクミちゃんの足を手当てしながら、ため息をついた。
二桁ナンバーズのクミちゃんは痛みに顔をしかめている以外感情らしきものを見せていない。
でも俺にはわかった。
「何か質問したいことがあったらいえと命令されているだろう。文句があるなら、いってみろよ」
「ほうきをとりにいけといわれた」クミちゃんはぼそりといった。「はやく、と」
「それはいいんだ。でも、周りに気を遣わないと危ないだろう。この馬は蹴る。後ろに回ったら危ない」
クミちゃんはそれを聞いても無表情だったが、内心反発しているのだろう。
そんなことをいわれても・・・と。
俺がそうだったからよくわかる。
俺は妹ほどの幼い外見のナンバーズを手当てしながらいう。
「何事もないときに優先するのは自分の安全。臨機応変に、自分の頭で考えて行動する、と命令されただろう、ナルサム監督官に」
クミちゃんは無言で自分の傷を眺めていた。
「おい、何か言いたいことがあればいってもいいといわれているだろう。いえよ」
「おまえ、監督官でない。おまえからめいれいされるの、ふかい」
うわぁ、かわいくねぇ。
俺はリースが味わった苦しみを今味わっていた。
ナンバーズを使えるようにするのにどれほど苦労するか。
最初のころ当たり散らしていたリースと同じく、俺も怒りを発散したい。
だが、俺は辛抱強く、彼らに仕事を教えた。教えているところだ。
ディーの預かったナルサムの騎兵は、結局マフィの村にとどまることになった。
いきなり、33人と30頭が増えたのだ。
クリアテス教からの糧食が途絶えた今、彼らの食費だけでも頭がいたい。
なんとしてでも、彼らに自分の食べる分は稼いでもらわなければならない。
だが、自立して動けるようになるまでは時間がかかていた。
今、進行形で大変なのだ。
俺達のように勝手に行動できる種は特殊だったらしい。彼らの学習はサクヤやゴローよりもずっと進みが遅かった。
おまけにディーが、世話を放棄してたせいで彼らは弱っていた。
そしてその後の関までの無理な行軍だ。
まずは彼らの回復につとめなければならなかった。
ナンバーズの管理は意外に気を遣うものなのだ。適当に扱ってなんとかなる物ではない。俺達を衰弱させなかったコルトやリースは恐ろしく優秀な監督官だったのだ。
「シーナ」
そこへクロエがやってきた。
彼も俺達とともにこの村にやってきていた。
腕輪を帝国軍に奪われて、今さらクリアテス教の元へも帰れず、かといってそのまま放置するのも俺の良心がいたんだ。
帝国軍に引き渡したら、処刑されそうな雰囲気だったからな。
必然的に彼も俺と一緒に行動することになったのだ。
「馬の世話が終わったぞ」
「あ、クロエ監督官」
しかし、クミちゃんはうれしそうに顔をほころばせる。
「クミちゃん、どうした。足を怪我してしまったのか」
髭を剃って髪をきれいに整えたクロエは実は結構いい男だった。おまけに、立場が立場だけに獣の本性は隠している。ちょっと見には世話好きのお兄さんなのだ。
だから、彼は人望を集めていた。
「シーナがせっきょうする。ひとけたなのに、なまいき」
おまえが生意気なんだよ。俺は憤る。
どうも上位種は下位種に対する優越感を持っているらしい。
きっと監督官達が互いに自慢し合っていたのだろう。自分が持っているのは二桁だとか、三桁だとか。
ナンバーズ達はやはり俺達と同じようにじっと監督官達のことを観察していたのだ。
もう少し、話せるようになったらそのあたりのことを聞き出すつもりだと、ディーはいっていた。
「どうも、あなたたちと少し作りが違うようなのよね」その話をしたときにディーがいっていた。「あなたたちよりもずっとかけられている呪は緩やかなのに拘束は強いのよね。面白いでしょ」
どこが面白いのかさっぱりわからない。
俺としては早く俺を縛っている変な呪を解いてほしいのだ。
そう訴えたが、ディーは首を振る。
「あんたは無理。あの呪は根本的なところを縛っている。というか、あれがないとあんたはここにいられない。それに・・・」
彼女は言いよどんだ。
「あんた呪われてるし」
「は? 俺が?」
「う、うん。あんたは自分では気がついていないのだろうけど、違うの」
変な呪いと効いて俺はルーシー・マーチャントのことを思い出した。
あいつのいっていたぷれいやーの特典のことだろうか。
実のところをいうと、彼はつい先日俺の元にやってきていた。
どこから現われたのか定かではない。
俺は彼のことをもう人だとは思っていない。あれは、神と呼ばれるようなものの一種なのだろう。そのくらいの力を持っていそうだ。
ルーシーはいつものようににっこりと笑って俺に向かって手を振った。
「ずいぶん、大変だったみたいだね」彼は楽しそうだった。「この前は、ここの“神”にあったみたいだね。どうだった?」
「何のことをいっている」
俺が不機嫌に腕を組むと、彼はクスリと笑った。
「あれを、神、と呼ぶのは不満かい? 僕たちみたいに人型のほうがわかりやすいかな」
「あの結界を、神と呼ぶのか? あれはむしろ・・・・・・」
なんなのだろう。もっと無機質なものを感じた。俺達の世界でいう機械やプログラムのようなもの。何者かが何かの目的のために作り出したもののようだった。
「人は、神がすきだよね」彼は歌うように指を折って数え上げた。「身近なものを神に祭ったり、自然現象を神にたとえたり、そうそう、君たちのところでは科学なる人の作り出した法則を神としているんだっけ?
自分たちの理解の及ばないものを恐れ敬う。人の業だよ。
中にはね。あまりにも“神”のことが好きすぎて、自らの力で呼ぼうとするものもいる」
「あれが、神を呼ぼうとした装置だというのか?」
「さぁね」
かれは目を細めて笑った。
「あれは夢の欠片だ。昔の、昔の、人の夢の後だよ」
「俺にしてみれば、おまえ達こそ俺達の運命をゆがめる悪神だ。
おまえ達は、俺達をここに呼んで何がしたいんだ?」
俺は奴に詰め寄る。
「いやね、僕たちも困っているんだ。今回のことではいろいろ不備が多くてね。
君みたいに不満を持っているプレイヤーも多くて。
本来ならそろそろゲームは終わって、サポート終了なんだけどね。
君たちには特別にフォローが入るから」
そんな無茶苦茶なことを、もっと説明しろ、と俺が言おうとしたとき、彼はちらりと服のポケットから時計を取り出した。
ここでは見たこともない金色の懐中時計だった。
「あ、ごめん。時間だ。もういかなきゃ」
彼はくるりとスカートをひらめかせて、まわった。
「それじゃぁ、またね。よいゲームライフを」
二度目だったので、もう驚かなかった。
煙のように消えた彼の残した気配にああ、やはりと、むなしくなった。
俺の言葉は彼らに届かない。たとえ、ナンバーズという枷から逃れても、彼らの操り人形ということに変わりがないのか。
「ああ、こんなところでサボってる」
リースが俺達のところに来て脅すように手を振り上げた。
「クミちゃんばかりにかまってないで、他の子の面倒も見てちょうだい。
また、井戸の水をあふれさせてるよ」
「うわ」
俺は慌てた。
そういえば、水をくむように命令しておいたのだった。
あれから延々と水くみをしていたとしたら・・・・・・
「やめさせておいたから、安心して」
リースはとんとんと足で地面をたたいた。
「他の子の面倒もあるから、よろしくね」
最後の言葉は脅しに近かった。
俺は慌てて他のナンバーズの世話に向かった。
このままの生活がいつまで続くかわからない。
クリアテス教は、関を無理矢理占拠した帝国が関を壊そうとしたと糾弾し、自由、平等、友愛を謡って外部にも信者を増やしている。
関を占拠したアルトフィデスは帝国と手を結んで、クリアテス教と対峙している。
そして、このあたりはアルトフィデスに組み込まれようとしていた。
先が見えない状態だ。
ただ、今は、今だけはこの日常を大切にしたい。馬小屋から出て空を見上げると、大きな鳥が弧を描いて飛んでいた。
少なくとも、今の俺はその鳥のことをうらやましいとは思わなかった。