コルトが去ってからの生活はさんざんだった。
リース監督官の機嫌は日に日に悪くなり、俺たちはそのとばっちりを食らっていた。
「あー、どうしてこう融通が利かないの!」
リースは俺たちがせっせと植えた苗を見て地団駄をふんでいる。
「それ、作物でしょう。雑草じゃないのよ」
彼女は、何度言っても彼女の思い通りにならない俺たちに腹を立てていた。
俺たちの日課の大部分はうまくこなせていた。
朝起きて、村の見回りをして、お祈りをして、補給をとって、昼の見回りに行って、夜の見回りに行って、寝る。
コルトの組んだ日課の命令は完璧にこなせている、と思う。
問題はそれ以外の時間、リースが俺たちにそれ以外のことをやらせようと考えている時間だった。
最初彼女は俺たちがいかに使えるかを村の人に示そうと意気込んでいた。
だが、それは間違いだった。
彼女のやったことは、俺たちがいかに使い物にならないか、を村人に見せつけることになった。
今日は、村の畑の草抜きを命じられた。
「こうやってね、草を抜くの」
彼女は実演をやって見せた。
「わかる? 草を抜くの」
昨日、畑を耕せ、とだけ命令をして、数時間後に立ち尽くす俺たちと全く耕されていない畑を見るはめになった反省なのだろう。
今日は、ちゃんと作業のやりかたをみせてくれた。
「ね。簡単でしょ」
その結果、植えられた作物も含めてすべて抜き尽くされた畑を見て、彼女は髪をかきむしった。
「もう一度植え直して。こう」
植え直せと言われたから、ちゃんと植え直した。抜いた草、すべてをだ。
いや、俺はなんとなくわかっていた。この草、抜いちゃいけないんじゃないかな、とか、これ、植えたらいけないんじゃないかな、とか。
だけど、自分で動くことは禁止されている。命令以外のことをすることにはものすごく抵抗感があった。これはたぶん埋め込まれた呪の効果だ。それに、残りの二人がためらいもなく作業をしているのを見ると自分だけ別のことをするのもどうかな、と思ってしまった。
ただでさえイレギュラーとかいわれているのだ。目立つことは極力避けようと思っていた。
「あんたたち、最低」
いくらののしられても俺たちは痛くもかゆくもない。
「もういい。日課をこなしなさい」
リースは、とうとうそっぽを向いてしまった。
俺たちは村の外にある天幕に戻った。それから、日課である夜の見回りにでる。
村の人たちの目は相変わらず冷たい。いや、ポンコツぶりが判明して以来ますます居心地が悪くなっている。
俺たちが役立たずなんじゃないんだ。命令の仕方が間違っているんだ。農作業をやったことのない俺たちに、やりなさい、といわれてもやり方がわからないんだよ。
そんなことを考えている間にあっという間に祠のある林にたどり着く。
今日の祠はいちだんときれいだった。
はじめのころ、祠が光っているのを見て日の光の加減で見えているのだと思っていた。何度もここをたずねて、この祠自体が光を発しているのだと気がついた。
光の強さは日によって変わる。ほとんど光らないときもあれば、今日のようにたくさんの光が群れているときもある。
暗闇をてらす街灯の類いはここにはない。それでもくっきりと道が見えるほど明るい光の球がふわふわと浮いている。
じっとしているとまるでまとわりつくように俺のところによってくる。静電気で引きつけれているのだろうか、まるで子犬にまとわりつかれているような感じがする。
「おい、まてよ、サクヤ、ゴロー」
俺の相方達はさっさと先に進んでしまっていた。誰も見ていないとおもってついつい光の球と遊んでしまった。俺は慌てて後を追う。
村の広場のあたりで先を行く二人に追いついた。彼らは歩を止めて、じっと村の広場を見つめていた。
村の広場に一台の馬車が止まっていた。誰か訪問者が来たのだろうか。ここの村に馬車が来るのは俺たちが来て以来だった。
馬車は先ほど到着したらしい。まだ馬がつながれたままで、馬車の周りに村人が集まっている最中だった。
「ディー」
子供達が馬車に駆け寄っている。俺たちの時とは違って、この馬車の主は歓迎されているらしい。
先ほどまで不機嫌そうだったリースも満面の笑みだ。
「ディー、久しぶり」
リースは馬車に駆け寄る。
「お久しぶり、リース」
馬車から現われたのは、奇妙な帽子をかぶり、杖を持った小柄な女性だった。帽子からたれさがる薄い布の隙間から黒っぽい髪がたれていた。黒い縁の眼鏡をかけている。
珍しい。
ここにきて眼鏡をかけている人を見たことがなかった
「ほんと、何ヶ月ぶりだろ。来るなら来ると手紙を書いてくれればよかったのに」
「ごめんねー 急に訪れて」
女性はリースと抱き合った。
「会いたかったよ」
村人も口々にこの女性に歓迎の挨拶をしていた。
「どうしたの? 神殿のお仕事が忙しいんじゃなかったの?」
「うん、そうなのだけどね。コサの町で噂を聞いて、ちょっと心配になったから来ちゃった」
「噂? なんだろ」
「うん、この村にね…」
いいかけて、女性は俺たちに気がついた。彼女の笑顔がさっと消えた。
「ああ、噂は本当だったんだ」
彼女の視線を追ってリースも俺たちを見る。
「あ、あれのことね。もう、コサの町で噂になってるんだ。あれがね、クリアテス派が貸してくれた、えーっと、“なんばーず”だよ」
「クリアテスの連中は何を考えてるんだろ」
ディーは道ばたに落ちた汚物を見るような目で俺たちを観察する。
「あんな、“幽霊”を送りつけたりして…ん????」
「どうしたの?」
「ううん? なんでもない」
ディーと名乗った女性はコサの町で暮らしている元村の住人だった。当然ほとんどの村人と顔見知りだ。何人もの人たちが親しげに彼女の側に寄ってくる。
中でも一番うれしそうな顔をしていたのは、俺たちのことを毛嫌いしているダムという男だ。
彼とその周りの人たちは嫌っているという表現がふさわしくないと思えるほどの態度を見せてくれる。
親の敵であるかのように俺たちのことを避け、陰湿な嫌がらせを仕掛けてくるのだ。罵倒やつばを吐かれるのはましなものだった。俺たちが口をきかないのを知っていて、リースの知らないところでだ。
俺たちは、盛り上がっている村人を背に、村の外に張ったままの天幕へ戻る。
その輪の中に俺たちの居場所はない。
見回りは順調だった。それで、良しとした。
そう思うしかない。
今日も村の異常はなかった。確認してまわれといわれている村の周りを囲んでいる石像や、祠もいつも通りだった。何かあったら真っ先にそこに異常が現われるらしい。
この村の住人が俺たちを呼んだのはその異常に対処するためだった。
リースがコルトに話していたことによると、このあたりで最近危険な生き物が出没するらしいのだ。それも普通の野生の生き物ではなく、悪魔の獣と呼ばれる凶悪な生き物が、である。並の獣の何倍もの力を持ち、頭もいい。家畜を襲い、時には人も喰ってしまう。
俗に魔獣と呼ばれている。
今のところ、魔獣の気配はない、と思う。村は平穏だ。
次の日、リースに俺だけディーというあの少女の護衛をしろと命じられた。
とりあえず、ついて歩けということだと解釈して、少女の後をつけ回した。
ディーは村のあちこちを巡って、村人と話をしている。そして、時々うちに入ってなにやらあやしい土人形のような物を外に持ち出しては呪文を唱えていた。それを村人達がとてもうれしそうに眺めている。
どうやらディーは神官の卵らしい。リースとも幼なじみで、この村の基準からすると超エリートの出世頭。
昨日は野暮ったい眼鏡をかけていたが、今日はその眼鏡をはずしていた。彼女は眼鏡をはずすと美人という典型例だった。
顔もかわいいし、スタイルもいいとなればちょっとしたこの村のアイドルのような物だ。
そんな彼女をちょっと離れたところからうかがう俺。これは公認のストーカーのようなものだろうか。
ほとんどの村の家をまわってから、彼女は祠のほうに向かう。俺はもちろん後を尾行していった。
ディーも俺に気がついているのだろうが、空気のように無視している。
祠の敷地に彼女が入ると、例の光の球がいくつもいくつも集まってきた。まるで巨大なシャボン玉発生器があるかのように後から後から沸いてくる。
彼女は祠の前に膝をついて、なにやら祈りの文句を唱え始める。唱えるに従って、祠から何かが流れ出していくのが感じられた。流れる水のような何かが俺の体の周りをすり抜けて、どこかへ流れていく。
何もないはずなのに、体が揺れているような気がした。ちょうど、船に乗って揺れているような感覚だ。船酔いのようなめまいを感じて、俺はふらりと体が揺れるのを止められなかった。
光の球は彼女だけでなく俺の周りにもよってきて、体にまとわりついた。羽虫が周りを飛び回るようなかすかな音がいくつも聞こえてくる。
祈りを済ませたらしい、ディーは立ち上がって、そこで初めて俺を見た。
そしてかすかに眉根を寄せる。
「あなた、ひょっとしてこれが見えているの?」
これというのはなんだろうか。この光の球のことを指しているのだろうか。
「ちょっとこっちに来てくれる?」
ディーが俺を呼んでいる。俺は戸惑った。ディーは監督官ではない。
だから、命令をすることはないはずだった。
でも、監督官以外の命令を聞いてはいけないという掟はなかった、と思う。従うべきか、従わざるべきか、俺が迷っている間にディーのほうから近づいてきた。
「昨日も感じたのだけど、あなた、とても変わっているわね」
そういって、彼女は俺の額に手をかざそうとした。俺は一二歩下がってそれをよける。
「動かないで。何もしないから」
俺と彼女の間にいくつもの玉が割り込んでこようとする。
ディースにもそれは見えていたのだろう。彼女はためらいながらゆっくり手を下ろした。
「あなたは、本当に“幽霊”なの?」
そうたずねてから、彼女は小さくああと声を上げた。
「そうか、話すことができないのね。大丈夫。彼を傷つけたりはしないから」
彼女はどうやら光の玉に話しかけているようだ。
彼女はもう一度手を伸ばした。今度は俺もよけなかった。ディーは集中するかのように目を閉じて、しばらくそのままの姿勢で立っていた。額のあたりがむずむずとする。
「いやな感じ」やがて、ディーはつぶやいて手を下ろした。
「ねぇ、あなた、こんな呪に縛られていて、苦しくないの? ・・・ああ、駄目なのね」
彼女はまとわりつく玉をそっと払いのけた。
「ここにいても仕方ないわ。村に戻りましょう」
俺は彼女の後について村に帰った。行きと違って、帰りにはふわふわした光の球が俺たちを追跡するかのように後ろに付き従っていた。
「あ、お帰り。ディー」村では、リースが待っていた。
「どうだった? 村の様子は?」
「問題ないわ。大丈夫だったわ」
ディーがそう告げるとリースはほっとしたように表情を緩める。
「ごめんね。今、人手が足りなくて。アルトフィデスの司祭様につい頼ってしまったわ」
リースは軽口をたたく。
「うん、それはいいの。それよりも、彼のことなんだけど」
「あ? 3417のこと? この子がどうしたの?」
ディーは息を呑んだ。
「リース、あんた、彼のこと番号で呼んでるの?」
「え? う、うん。だって、それが彼の名前だと、クリアテスの神父様がいってたから・・・」
「ちょっと、それ名前じゃないわよね。ただの番号じゃない」
「うん、そうだけど。彼らは道具だからそれでいいって」
「リース、ちょっと話があるわ」
ディーはリースの腕をとって家の方に歩いて行く。
「あ、ちょっと。リース待って。3417,帰って補給して休息」
途切れ途切れの命令に俺は自分の天幕に戻った。リースが何をディーから聞いたのかは知らない。だけど、その後リースの言葉が少しだけ優しくなった。