季節外れの冷たい雨の降る日だった。
その日は早めに予定を切り上げて、駐屯地とかしている村で体を休めていた。
わたしはクラリスやすっかり護衛役にはまってしまったギュスターブと地図を眺めていた。祠巡りもそろそろこのあたりは周り尽くしていた。あと数日ですべての祠を回り終える。そうすれば、ここから動かなければならない。
わたしはどうするべきか迷っていた。
周辺では悪い噂が広まり始めていた。帝国が侵攻の用意をしているという噂だ。
わたしが軍を引き連れているのを見て、露骨に安心しましたといってくる村人までいる。人々は戦火が迫っているのを感じているのだ。
その気持ちはよくわかる。ここと帝国との間にはイエローリンク領がある。だが、そのイエローリンク領が帝国に寝返れば、このあたりは帝国との国境線となる。かつてイエローリンク領が帝国の支配下にあったときのことをこの土地のものたちは覚えているのだ。
それに引き替え領兵は…危機意識がまるでなかった。たるんでいる、という言葉がぴったりくる。あたりを見回って、あやしい人がいたら捕まえて、その程度のこともろくにやっていない。訓練などピクニックの延長だった。自警団の方がましだった。
これもわたしが引きこもり豚だったからだ。なぜ、先祖たちが無駄とも思える祠祭りを続けていたのか、わかる。こうして地方の生の姿を眺めるためだったのだろう。兵士を今さら鍛えるのには遅すぎた。ゲームのシナリオ通りに進めば、あと一月も立たずにこのあたりは戦場になる。
そういうことを考えると、王軍がここにいるというのはありがたかった。理由はどうであれ、まとまって動ける兵がいるというのは大きい。それもかなり精度の高い兵士たちだ。
移動するべきか、それとも理由をつけてここにとどまるべきか。
トールがやってきたのはそんな思いで悶々としていたときだった。
「あらぁ、お兄さん、ここは公爵様のお部屋よ。勝手に入ってはダメ」
夜の護衛と化しているマーガレットさんの“娘”の一人が、黒ずくめの外套を羽織ったトールを止めた。
「リリーか? 悪い、緊急の用だ」
トールは水のしたたる外套を脱いで、女に渡す。
後ろにリチャードが控えているのを見て、クラリスがさっと部屋を出た。
「どうした?いきなり」君は直接ここに来ないという話じゃなかったのか? という言葉を遮ってトールが話し始める。
「大変なことがおきている。暴動が起きた」
「暴動?」思いもかけない言葉を聞いて、わたしは用意しかけた杯を再び机に戻す。
「ああ、暴動だ。友愛会の連中にたきつけられたやつらが町で蜂起したんだ。奴らは友愛の名を叫んで、町中を荒らしまくっている」
「会談は?」
「会談? そんなもの中止だ。危なくって話し合いどころじゃない。だれが、こんなことを企んだのか、疑心暗鬼に駆られた連中が殺しを始めてる。それに乗じて帝国が動き始めた」
「いったい誰がそんなことを?暴動の原因はなんだ?」
「友愛思想にとりつかれた奴らを取り締まったんだ。暗殺を計画していたとかなんとかという理由で。その中の首謀者が殺されたらしい。それでくすぶっていた庶民の怒りに火がついた」
「取り締まりに出ていた兵士は? いたんだろ?」
「かなりの数の兵士が暴動に参加している、といえばわかるか?」
ふらんす革命…ここにはない地名がぽろりと口から漏れてしまった。
「…もどきだ。くそシナリオの用意したくそイベントというところかな」
「いったい誰が裏で糸を引いているんだ?」
「そんなのしるかよ。会談に出ていた貴族連中は皆関与を否定している。みんなで責任をなすりつけ合っている最中だ。そこに帝国の連中が兵を出したという情報が伝わってきた」
「そんな、イベントあったかな?」
「ないよ、ぜんぜんない。そもそも友愛会なる組織自体ゲームには存在してなかった。それなのに自由、平等、友愛と来て、ふらんす革命もどきだ。むちゃくちゃな展開をしているのに、俺たちの結末だけ帳尻を合わせてきやがる。くそゲーが」
トールはののしった。
こういう単語に慣れているクラリスやリチャードはともかく、ギュスターブやリリーといった部外者もいるのだけど。もうこうなったら取り繕っても仕方がないか。
「エリザベータは? 彼女はどうしている?」
「わからない。庭師たちがおっている。会議の行われるはずだった場所にいることは間違いない」トールは勝手に杯を手にとってなみなみと酒をついだ。
「時間がないんだ。何が起こっているのか、混乱していて把握できていない。ただ結末だけは見えている。俺たちの予想とそうは外れていないはずだ」
帝国は侵攻し、魔王が誕生する。そして、エリザベータは…
わたしは目を閉じた。
「俺はもう一度戻る。おまえは…どうする?」
トールがかすかに迷いながら、聞いてきた。
豚が修羅場に向かったからといって、何か変わるとはとうてい思えない。わたしは武術ができるわけでもない。人を掌握できる人脈もカリスマもない。あるのは、あやしいゲームの知識となんとかしなければという思い込みだけだ。
それでも、トールは真っ先にわたしにこの情報を知らせに来た。自分が現場を離れるというリスクを冒してまでだ。
「どうする? ウィル?」
「わたしも行く」即答した。
「誰が敵で、誰が味方かもよくわからない。危ない状態だが、それでも行くか?」
「行かないと、後悔する。わたしは、あまりにもいろいろなことをやらなさすぎた。やらなくて後悔するのはもうたくさんだ…すまない、本当にありがとう」
トールは凶悪な人相をふっとゆるめた。
「急いで準備しろ。すぐに出るぞ」
「待ってください、何が何だが」
もちろんギュスターブは止めに来る。
「「ギュスターブ殿」様」
クラリスと呼びかけがかぶった。
「ギュスターブ様、公爵様は予見者なのです」クラリスが一呼吸おいてから、言い直す。
「よ、見者?」
「はい。未来をある程度見通すことができる力をお持ちなのです」
「そ、それは」
ギュスターブがわたしとクラリスの顔を見比べる。彼なりに納得する言葉だったのだろうか。迷っているのがありありとわかる。
「ギュスターブ殿、お願いがある。この地を守ってほしいのだ」わたしは気を逃さず言葉を継ぐ。「近いうちにここを余所の軍が襲う。あなたがいれば、それを防ぐことができる、かもしれない」語尾が弱気になってしまう。「頼む。ここの人たちを守ってくれ」
彼はわたしの言葉を信じるだろうか? 頭のおかしい豚公爵のいうことだと一笑にふすだろうか?
「お願いします、ギュスターブ殿、あなただけが頼りなのだ」
どこかで聞いたことがあるような台詞だが、わたしも必死だ。
おねがい、聞いてくれ。美女ではなく豚の頼みだけど、お願いします。
ギュスターブは目に迷いを浮かべながらも不承不承にうなずいた。
「ありがとう」わたしはこのときばかりは理力の力に感謝した。
その間にもクラリスはわたしに外套をかけてくれる。
「急ぐぞ。時間がない」リリーがトールに新しい外套を渡していた。トールは机の上に置いてあった酒瓶をとって一気にあおる。「いいよなぁ、酒は。生き返る心地がする」
にやりと笑う顔は悪人の顔そのものだった。
しとしと降る雨の中、わたしたちは馬車に乗り込んだ。トールとリチャードは馬で先導する。
当然のようについてくるクラリスのあとからリリーまで馬車に乗り込んできた。
「君もついてくるのか?」
「姐さんから、あなたの護衛も頼まれているのよ」リリーはフフ、と笑ってしなだれかかる。「好色な公爵様はどこでも女を連れて歩く、そうでしょ」
評判通りならそうだ。だが、わたしはそんな趣味はないぞ。来ていただけるなら、拒みはしませんけど。
これからアレはどうイベントの整合性をあわせるつもりなのだろう。
誰がこの事態を引き起こしたにせよ、友愛会とその仲間たちがこれからの行く末の鍵を握るのだろう。彼らがこれからの事件を主導していく。これは間違いない。
まず、混乱に乗じて帝国が軍隊を送る。そしてなんらかの原因で魔王と呼ばれる存在が現れ、ゲームの主人公とその仲間たちがその脅威にたち向かう。
大けがをした誰かをいやそうとして、帝国軍が宝玉をつかって実験。失敗して魔王の魂がよみがえり、魔族が復活するとかいう流れだった。そのあたりのことは、何かの設定集に書かれていたと姐さんが言っていた。
ゲーム内では復活した魔王とその四天王が挨拶に現れ、なんて大変なことなんだと周りが右往左往するシーンしかなかった。
今、イベントはどこまで進んだことになっているのか?
エリザベータが黄色ちゃんにふられるイベントは終わっているのか?
彼女が“宝玉”を帝国に渡すところまで話は進んでしまっているのか?
途中の休憩所でトールがこちらの馬車に乗り込んできた。
「俺の確認しているところでは、まだエリザベータのイベントは起きていない」
彼は冷えた体を酒で温めながら答える。
「それどころじゃない。おまえはショックを受けるだろうが、まぁ聞け。原作と違ってエリザベータが黄色ちゃんを誘惑するんじゃないんだ。黄色ちゃんが、エリザベータをおとしている状態らしい」
「なんだって!?」
わたしは瞬間黄色ちゃんことヘンリー・イエローリンクに殺意を抱いた。
「あのひよこやろうが、エリザベータに手を出した? あいつ、わたしのエリザベータになんということを」
頭が沸騰するほどの怒りに頭の血管がどうにかなりそうだ。そんなわたしにトールはあきれる。
「おいおい、落ち着けよ。おまえの愛しのエリザベータはもう乙女ってわけでもないんだから…いや、その」
「エリザベータを馬鹿にするな。馬鹿にしたらいくらおまえでも許さない!!」
「落ち着けって。そんなに暴れたら馬車がひっくり返るだろう。ともかく表面上二人は今恋人ということになっている」
「エリザベータ様は王子殿下と婚約されているはずでは?」
脳みそが沸騰しているわたしをのけ者にして、冷静なクラリスがたずねている。
「そこだよな。そこなんだけどな。おい、ウィル、ちゃんと聞いているか?」わたしが錯乱していないことを確認してから彼は話を続けた。「たぶん、王子も黄色野郎も二人とも転生者だと思う。俺たちと同じようにシナリオを知っている。俺の知っている限り王子は素知らぬふりをしている。だけど裏でヘンリーの野郎と手を組んでいるな。エリザベータがまともに動けないように手を打ってきた」
「エリザベータの思惑がわかって、それにのったふりをして。遊んでいるというのか…あの子を本気にさせて」
なんてクズ野郎だ。ゲームをやっていたときは一番純粋そうに見えた黄色ちゃんの無邪気な笑顔のスチルが邪悪な笑みを浮かべた悪魔のように目の前をちらつく。
「ウィリアム様、気を静めてください。あなたがそんな状態だと、事態は悪化するばかりです」クラリスがわたしの手をしっかりつかんでわたしを落ち着かせる。
しばらくして、わたしがつかれて背板にもたれかかったのを見てトールは大きなため息をついた。
「おまえ、エリザベータのことには、だけには反応するよな。いいんだけどな。だけど…彼女はおまえの血をひいていないんだぞ」いいにくそうに彼は付け足した。
「それでも、わたしは彼女を止めようと思う」わたしは自分の膝に目を落とした。「前から話していたとおりだ…止められる保証とかもういうなよ。でも、やらないといけない」
「そうだな」トールの柔らかい声が降りてくる。「止めなければ、いけないな」
わたしにできるだろうか?ざらざらとする不安と腹の奥からこみ上げてくる恐怖を抑えながら、わたしは自問する。できなければわたしはまた友を失う。
おそるおそるみあげたトールは黙って何か考え込んでいた。その落ち着きはシナリオから死亡宣告された者とは思えなかった。
「なぁ、また、ダークのパイが食べたいよな。あれと火酒はよくあうからな」
わたしは何か言わないといけない気がして、でも、恐ろしくて大切なことを伝えられなかった。
「おい、やめろよ。そういう台詞は死亡フラグだろ。俺はフラグを立てるのはごめんだ」
トールの口元に不敵な笑いがちらりと浮かんだ。ゲームの中ボスにふさわしい笑い方だ。そうして、わたしがその元締め…こんなにおびえて縮こまっているわたしが裏で糸をひいている悪人。
逆だろ。トールのほうが、いや、姐さんやアリサちゃん、敬士さんみんな、わたしなんかよりもよほど貫禄があった。一生懸命生きようとしていた。わたしは、どうしたらいいのだろう。ここでこんなことをしていていいのだろうか。まだ他にしなければいけないことがあるのではないか。何かを見落としているのでは、何か抜け道が、正解があるのではないか。
堂々巡りの問答が頭の中を回る。
「もう少しで町に着く」トールがふと顔を上げて、外を見た。「ここらで落ち合うことにしてたんだが…ああ、来たな」
誰かが雨の中水しぶきを上げて走ってきた。扉を開けると、あたりがぬれるのもおかまわず飛び込んでくる。フードの奥の顔は見たことがある顔だ。
「エリザベータ様が離宮に向かわれました」
わたしたちは顔を見合わせて、うなずいた。
いよいよイベントの開始だ。
「裏から抜けていきましょう」馬車をとばして無理矢理狭い道を抜けていく。
不気味にそびえる城の裏手に馬車を止めた。どこか見覚えのある場所だ。
この城はゲームの舞台になった城だったと思い出す。所々にあるなぜかここだけRPGパートの背景になっていた城だ。異様に部屋数だけ多い館とか、曲がりくねったダンジョン、迷路のような生け垣。終点に中ボスが待ち構えている面倒くさいダンジョンと化している城だ。
館の廊下を抜け、庭の迷路をくぐり抜ける。延々と歩かされる作りではなく、ちゃんとした建物だった。ここまで、“村”のように作り物だったらどうしようかと思っていた。
雨に濡れるのも気にせず、服を汚しながらわたしたちは奥の東屋にたどり着いた。
間に合ってくれ、エリザベータ。
わたしたちはここで彼女を説得しなければならない。彼女がいかに罠にかけられたか、これからどうなるのかを話さなければいけない。
彼女がわたしたちの話を聞いてくれるかどうかわからなかった。この前の態度からすると、拒絶される可能性が高い。それを思うと、胃袋がきりきりと痛くなる。
でも、やらなければ、彼女は裁きを受けることになる。
ここまでのエリザベータは学園内で気に入らない女の子をいじめる悪役令嬢だった。その程度なら放校される程度の罰則ですまされる。だけど、この事件を境として完全に王国を敵に回した振る舞いをとることになる。
帝国の側に付き主人公たちの動きを妨害する悪役としてかなりえぐい活動に身を落とすのだ。そして裁判の結果、よくて修道院送り、悪ければ豚と一緒に火あぶりにされる。
部屋の中は空っぽだった。
「まだ、なのか?それとも、もう終わってしまったのか?」
トールがあたりを素早く確認した。
暖炉には火が入れられ、部屋は暖められていた。季節外れの生花がそこかしこにきれいに飾り付けられている。机の上にはまだ手のつけられていない山盛りの菓子が用意されていた。
これから、お茶会でも始まりそうな雰囲気の部屋だ。
わたしたちの外套からしたたり落ちる雨滴が場違いだった。
「奥の部屋を確認してくるわね」リリーが扉を開けて、隣の部屋に身を滑り込ませた。
それと入れ替わるようにして誰かがわたしたちが通り抜けた表の扉から部屋にはいってくる。
忍ぶようにはいってきた人影はわたしたちの姿を確認して、すくんだように立ち止まる。
「エリザベータ」わたしはつぶやくように呼びかけた。
「お父様?」わたしの姿を確認した少女は青い瞳を見開いた。「どうしてここへ?」
そのとき、奥の扉の向こうで誰かが争うような音が聞こえた。扉は荒々しく開かれて、暴れるリリーを押さえつけた剣を佩いた騎士らしき男ともう一人が現れる。
「ヘンリー、これはいったいどういう…」抑えたなかに威嚇するような低い声が聞こえ、続く言葉がわたしたちを見て消える。
「これは、いったい? なぜ、あなたがここにおられるのか? ゴールドバーグ公爵?」
「ルイ殿?」
数日前に別れたルイ・イエローリンクが扉のところに立ち尽くしている。
「どうして、あなたがここに?」
それはわたしの聞きたいことだ。このイベントはエリザベータとヘンリー・イエローリンクとのイベントだったはずだ。ルイ・イエローリンクなど、ルの字も出てきていない。
「わたしは娘を…」
「わたしは弟と…」
公子との台詞がかぶった。
それぞれがそれぞれの立ち位置を確認するために視線を走らせた。その中で、エリザベータは氷の彫像のように固まっていた。
「エリザベータ、おまえは、いったい誰と会う予定で…」
わたしはそういいながら、エリザベータに近づく。
「それは、僕ですよ」背後からの声にわたしは驚いて振り返った。
いつの間にはいってきたのか、金髪の幼い印象を残した少年が立っていた。
「ヘンリー」
彼の姿を見たエリザベータはあからさまにほっとした様子で肩の力を抜く。
「大丈夫だよ、エリザベータ」
黄色ちゃんことヘンリー・イエローリンクが甘い声で彼女にささやきかけた。駆け寄って彼の胸に顔を埋めようとするエリザベータの姿にわたしの中の血が沸き立つ。
だが、ヘンリーは片手で軽くエリザベータを押しのける。
「まだだよ。君にはやることが、やらなければいけないことがあるだろう?」
エリザベータがおびえたように顔を上げた。ヘンリーは優しい笑顔でにっこりと彼女を促す。
「さぁ。僕のためだと思って…」
そういってわたしたちのほうにエリザベータの体を向けさせた。
エリザベータの顔は紙のように白くなっていた。小刻みに肩をふるわせて、深い湖のような目が泳いでいる。
「エリ? エリザベータ?」
わたしは極度の不安に駆られてエリザベータに呼びかけた。
彼女はぎゅっと目をつむった。それから、覚悟を決めたように大きく息を吸ってこちらに突進してくる。
「エリザベータ!」
彼女の手に光るものを見たわたしはとっさに彼女の進路をふさいだ。
柔らかな体がわたしの体と重なり合う。
おとうさま…
小さなエリザベータが走って来る光景が頭の中ではじけ、そして体を貫く痛みにわたしは悲鳴を上げた。
無様に後ろにひっくり返ったわたしの肉体に躓いてエリザベータが座り込む。
「ウィリアム様」
クラリスが悲鳴のような声を上げてわたしに駆け寄った。
鋭く舌打ちをする音が異様に響いた。
「何事ですか?」
タイミングよくヘンリーの後ろの扉が開いて、何人かの男が駆け込んできた。
「暗殺だ!」
黄色ちゃんが後ろに首を回して叫ぶ。
「そこの女が、兄とわたしを狙っている」
彼の差した指はまっすぐエリザベータの方を向いていた。
「え? わ、わたしが…」
エリザベータの手から小さなナイフが落ちた。
「なんと、そんな極悪なことが」
「それは許されませんね」
男たちは訓練された動きでわたしたちのほうに近づこうとした。
男たちの放つ不気味な空気にわたしはおびえる。
男の無表情な目がわたしをとらえ、わたしは痛みをこらえてでも逃げようと体を動かした。
無理…逃げられない。間に合わない。男の懐から取り出された刃物が鈍く光って見えた。
男はにやりと笑う。
が、素早く割ってはいった、チャールズに阻まれる。
金属がはじかれる音が響いた。
「暗殺者だ、こいつら!」
返す短剣で相手ののどを切り裂きながら、チャールズが叫んだ。
飛び散った血がエリザベータの顔や服を汚した。彼女は呆然と服についた血しぶきを見つめる。
「ヘンリー、おまえ」
ルイのつぶやきは下がってくださいという騎士の怒声にかき消された。
「ウィル!」トールがわたしの側に飛んできて傷を確認する。
「痛い。痛いよ」
わたしはうめいてみせた。
「傷は浅いです」一瞥してクラリスが判断する。「内臓には届いてないはずです」
「よかったな。太っていて」
トールは立ち上がって戦いに加わった。
狭い部屋の中は乱戦状態だった。
ルイとヘンリー、それにわたしたち、それぞれの勢力が入り乱れている。その下でうめいている私とぼうぜんとしてあたりを見ているエリザベータ。
室内は混とんとしていた。
「え、エリ」私は痛む腹を気遣いながら娘の腕に手をかけて、こちらに引き寄せようとした。「危ないから、こちらに来なさい」
「どうして? どうしてなの?」
エリザベータは本当に久しぶりに、まっすぐ私の顔を見ていた。
「エリ、話を聞いてくれ。わたしは…」
「来ないでよ」
エリザベータが後ろに身を引いた。
「どうして、どうしてよ。私が…私がさしたのに」
「エリ、傷はたいしたことはない」私は脂汗を浮かべながら笑った。「ほら、なにしろ私は豚だから」
エリザベータは首を振った。
「なんでこんなことをする。ヘンリー!」
ルイ・イエローリンクが吠えるように叫んだ。
「なぜって、仕方ないでしょ」
護衛のものに守られるようにして部屋を出ていこうとしていたヘンリーが呼びかけに振り返った。「そういうシナリオだったんだから」
扉が閉まりかける直前に、はじかれたようにエリザベータが立ち上がる。
「まって、ヘンリー。待って」
わたしの指はドレスの裾をかすめる。
「まて、エリザベータ。いったらだめだ」
私は椅子の足にすがるようにして立ち上がった。ここで、彼女を見失うわけにはいかない。
「ウィリアム様!」
支えようとするクラリスの手は借りずに何とか自分の足でたてた。
私は行かなければいけない。ここで止めなければ、彼女は破滅する。これが最後の機会だ。切羽詰まった思いが痛みを超えた。
「リリー、公子の護衛を頼む」
わたしはうめく暗殺者にとどめの蹴りを入れている女に頼んだ。
「チャールズ!」
トールが暗殺者に目で合図を送った。チャールズはうなずくと、裏の扉を開ける。
「急いで出るぞ。追手が来る」
「公、あなたはどうされるのか?」
護衛の騎士に先導されたルイが問う。
「わたしはやらなければならないことがあります。お早く」
公子には無事に退場してもらわなければならない。早く立ち去るようにおつきの騎士に顎で合図をする。
「急いで!」
女が先導する。公子は深々と一礼すると扉の向こうに消えた。
「ウィリアム様」
「追うぞ。彼女を止めないと」
私は歯を食いしばって表の扉を開けた。痛みになど構っていられない。あんな小さなナイフではわたしの脂肪を貫けるもんか。
はやく、止めないと…彼女は最悪の選択をしてしまう。
ふらつく私をトールが支えた。
「クラリス、馬車を持ってこい。急げ」
トールの指示にクラリスが扉の向こうへ走り出る。
「くそ、こんな時に」
わたしは走れない自分に歯噛みする。せっかくダイエットをして動けるようになったのに、肝心なところでこのざまだ。
「手を貸す。確かこの裏に馬車が止められる。彼女がいくとしたらそちらだ」
「よく知ってるな」
わたしがもたれるとトールがよろめいた。ごめん、百官デブで。
「ここがゲームの舞台になるとわかっているからな。下調べはしてある」
複数の足音や叫びが四方で聞こえてくる。あれだけ静かだった館のお回りが騒然としていた。初めからそのつもりで謀っていたのだろう。あの腹黒黄色野郎。私のエリザベータを罠にかけるとはいい度胸だ。私は機会があったらあいつを殴ろうと心に決めた。
「イベントは、どうなったのかな?」
「わからん。スチルではあの部屋でイベントが起こるはずだった」
ひょっしたらイベント自体消えたのか?
私がそう思おうとした時だった。
「ヘンリー、どうして?」
廊下の曲がり角で声がした。エリザベータの声だ。
「どうして?僕にはすべてわかっているんだよ」
冷たいヘンリー声が震えるエリザベータの声にかぶさる。
「君が、いろいろなことをたくらんでいたことはね」
「私は、私は何もしていないわ」
「僕を見くびらないでもらいたいね。すべてお見通しなんだよ。僕の後ろにいる精霊がすべてを教えてくれた」
すぐそこでイベントが進行していた。
「まずい、急げ」
トールが唇をかむ。
「ヘンリー、私は貴方のためにしたのよ。ヘンリー。あなたが、そうしろって。お願い。おいていかないで」
すすり泣きが聞こえる。
「離せよ、売女」
角を曲がると、ちょうどエリザベータが付きとばされたところだった。
「おい、この女を拘束しろ。僕と兄を殺そうとたくらんだ女だ」
なんてくそ野郎だ。
わたしは怒りの唸り声をあげて、ヘンリー・イエローリンクのほうに突進しようとした。
だが、距離があり過ぎた。
私の代わりに、滑るようにトールが進み出てエリザベータをとらえようとしている男を殴った。
そのすきにエリザベータはすすり泣きながら、そばの扉を乱暴に開けてその中に走りこむ。
「エリザベータ!」
わたしは扉の所まで急いで行って中をのぞいた。部屋から庭をのぞむ大きな窓が開け放たれている。
「行け、ウィル。こっちは任せとけ」
不審者につかみかかる男たちを簡単にひねりながら、トールが叫んだ。
「早く、彼女のところへ」
「すまない」
私は重い体を引きずるようにして窓のほうへ向かった。
「トール・ガーグル?なんで、ここで」
「さあな、邪魔はさせない」
陽気なトールの声が胸に突き刺さる。
すまない、ほんとうにすまない。
わたしは胸がいっぱいになる。
外の庭は真っ暗だった。雨はまだ激しくふっていた。ポーチで足を滑らせながら、私は暗闇に目を凝らす。
「エリザベータ! どこだ、エリザベータ!」
私は叫んだ。
「エリザベータ! どこにいるんだ! クラリス! クラリス!」
馬車はどこだろう。
わたしは頼りがいのある侍女を呼んだ。頼む。早く来てくれ。
闇の中に明かりが瞬いたかと思うと、小さな馬車の音が近づいてきた。無蓋の作業に使うような小さい馬車だった。
クラリスか?
目を凝らして見つめる。
よかった。クラリスだ。
忠実な侍女は御者台から飛び降りると、私のところへ走ってきた。
「ご無事でしたか?ウィリアム様」彼女が私の顔をのぞき込む。
その馬車の横をすり抜けるようにして一頭の馬が走り抜けようとしていた。馬車の明かりに乗っている人物の髪が反射して銀色に光って見えた。
「エリザベータ!」
わたしは声をかけたが、エリザベータは答えなかった。
「後を追います」
クラリスは私を馬車に押し込むと、御者台に駆け上がり、即座に手綱で馬をたたいた。
馬車は乱暴に揺れながら発進した。
もともと人を乗せるようにできていない馬車だ。荷台はひどく揺れた。わたしはそれでも指が白くなるほど馬車の枠をつかんで耐えた。
エリザベータ…彼女は泣いていた。
賢い彼女のことだ。自分がいいように利用されていたのがわかったはずだ。
これで彼女は主人公たちと完全に敵対する。
イベントを阻止できなかった。苦い後悔とそれでもまだ彼女を止められるかもしれないという気持ちが交差した。
彼女を止めなければいけない。
悪役令嬢のレールから降ろさないといけない。
彼女を処刑台に立たせるようなことはあってはならない。
氷のように凍てついた表情で処刑台に立つ少女と、日のさす庭ではにかむように笑っていた幼女が重なる。
あなたの娘でないと言い放った時のけたたましい笑い声が耳の中でこだまする。
わたしが彼女を追いこんでしまった。彼女が一番助けてほしいと思った時にそばにいなかった。
何もせずに今の事態になるまで手を打たなかった。
腹の傷が思い出したように痛んだが、それ以上に胸が痛い。
もうどうすることもできないのではないかという予感が肉の痛みよりも強く体にのしかかる。
頼む。誰か、彼女を救ってくれ。
神様、もし、この世界の神がいるのなら、彼女を助けてほしい。
エリザベータはまっすぐ山のほうに馬を走らせていた。ちょうど私たちがやってきた方角だ。ここからしばらく険しい山道が続く。雨が顔を打つ。
いったいどこに向かっているのだろうか。
わたしが身を乗り出した時だった。
背後で何かが光った。
稲光のような、それよりももっと明るい白い光が広がる。
わたしは振り返った。山の向こうに光の柱が立っていた。柱の周りを大きな図形のような、文字のようなものが円を描いて回っている。
わたしはそれが何か知っていた。
「クラリス、伏せろ」
文字がはじけた。光の柱が一気に膨張して刺すような光が思わず目を閉じさせる。
それから遅れてしばらくして、ものすごい突風が後ろからすべてのものを押し倒す勢いで押し寄せた。
私は馬車の上に伏せた。
そして、最後に耳を覆いたくなるような轟音。
風がやんでも、辺りはまだ明るかった。白い光の柱が徐々に薄くなりながら消えていこうとしていた。
「クラリス、けがはないか?」
私は御者台に伏せているクラリスに叫んだ。
クラリスも何かを叫び返しているがよく聞こえない。
彼女は、しきりに道の先をさしている。
エリザベータの乗っていたはずの馬がものすごい勢いで走っていくところだった。背中には誰ものせていない。
「エリザベータ」
私が飛び降りようとすると、クラリスが手でそれを止めた。
彼女は慎重におびえる馬をなだめながら道を進み、見つけた。
エリザベータが道に倒れている。
「エリザベータ。エリ」
わたしは傷が痛むのもかまわずに馬車から降りて彼女のもとへ走り寄った。後ろから明かりを片手にクラリスも駆け寄る。
彼女は頭を振りながら、起き上がろうともがいているところだった。
そしてわたしの姿を見るとものすごい目でにらみつけた。
「お父様。どうして」
「ああ、エリ、よかった。わたしがわかるんだね。頭を打ってないか?どこか痛いところはないか」
「どうして、こんなところにまで現れるの」彼女はぎゅっと土を握りしめた。「どうして余計なことをするの?せっかくうまくいっていたのに…ちゃんとヘンリーの言いつけ通りにできていたのに。お父様が、邪魔をするから」
「エリ。違うんだ。彼はね、彼は…」
「彼の言うとおりにできないから、嫌われてしまった。捨てられてしまった。それもこれもお父様が邪魔をしたせい。お父様が私のことを邪魔するから。せっかく私のことをわかってくれる人が現れたのに」
「エリ、それは違う。彼は初めからお前のことを」
土が飛んできた。砂が頬に当たる。私は口に入った土を吐き出した。
「この前の時だってそう。お母様に与えられた大切な仕事をこなせなかった。あれもお父様が邪魔をしたせい。いつも、いつも、いつも、お父様は私を邪魔する。いつも、いつも、いつも」彼女は言いながら何度も砂を投げてくる。小さな石も飛んできた。私は片手で顔をかばう。
「どうして、私の邪魔をするの?いつも、いつも、余計な時に現れて、大切な仕事を台無しにする。わたしはわたしのやりたいようにしたいのに、私の計画を台無しにして」
彼女は地面をたたいた。
「やめなさい、お前の手が傷ついてしまう」
わたしは彼女の手を握ろうとしたが、はねのけられる。
「やめてよ、触らないで。汚らわしい豚のくせに」私は息をのんだ。
「どうしてそんなに私にかまうの。わたしがゴールドバーグの跡取りだから? ゴールドバーグの名前を継ぐものだから? おあいにくさま、私には一滴もゴールドバーグの血なんか流れていない。私は貴方の娘じゃない。まだ、娘かもしれないという夢を見てるの? それともなに? 私の体が欲しいの? ほかの男たちと同じように。私を好き勝手したいの? 私は知っているのよ。お父様が豚のように毎日違う女の人を抱いていたのを。毎日、毎日、毎日、夜になったら女を呼んで、毎日、毎日よ。種なし豚のくせに盛るのだけは人一倍…」
乾いた音が響いた。
クラリスがエリザベータの前で手を挙げていた。
「ウィリアム様がどんな気持ちだったのか知らないくせに」
クラリスは低い声でエリザベータを威嚇した。
「どんな思いで、そういうことをさせられていたかも知らないくせに」
「クラリス、いいよ」
ありがとう、クラリス、君のおかげでわたしは冷静さを取り戻すことができた。わたしはゆっくりとエリザベータの前に膝をつく。
「エリ、わたしは確かにどうしようもなく醜い豚だ。人並みの頭もないし、行動力もない。どうしようもなく、役に立たないお荷物だ。
お前はそんなわたしがいやかもしれない。嫌いかもしれない。
だけど、わたしはお前のことを娘だと思っている。たとえ血がつながっていなくても、お前はわたしのただ一人の娘だ。
大事な宝物だ」
「そんなに大事なら、大事なら、どうして、助けてくれないの? 助けてくれなかったの?
私のことが大事?
嘘つき。肝心な時は見放しておいて。私のことを振り向きもしないで。
放っておいてほしい時に手を出してくる。どうしてよ」
エリザベータは泣いていた。涙と雨がまじりあってほほを流れていく。
わたしは覚悟を決めた。エリザベータに本当のことを話そう。わたしの知るすべてを。わたしたちがここをゲームの世界だと思っていること、ゲームのシナリオに沿って動かそうとしていること、そのシナリオでは彼女が悪役として登場し、死ぬことになっていること。
今の彼女には悪役令嬢以外の道は選べない。選べないように強制されている。鋳型にはめられて、がちがちに固められている。そして、その型にはめられていることすら気がついていない。
彼女は知る必要がある。自分に他の道があることを。他の道を選ぶことができるということを。
「お前が助けを求めていた時に手を貸すことができなかった。それは本当にすまなかった。
許してほしいといっても許してくれないだろうね。それでもかまわない。
ここ最近のわたしの行動も、怪しく思えるのはわかっている。みんながわたしの頭のおかしいといっていることも知っている。
でも、エリ、わたしがこういうことをするのは理由があるんだ。話だけでも聞いてほしい。
たぶん、お前は荒唐無稽なほら話だと思うかもしれない。妄想だというだろう。
だけど、知ることはとても大切なことなんだ。
とにかくいちどわたしの話を聞いてほしい。
頼む。このままだとお前は破滅してしまう。その道を進むように誘導されて追い立てられているんだ。気がつかないうちに。
今ならまだ逃れられる。まだ、別の道に進む可能性が残されている。
エリ、わたしは大切なお前が傷つけられるところをこれ以上見たくないんだ」
エリザベータの暗い目が私を見つめていた。
「エリ、頼む。一度だけでいい。わたしの話を聞いてくれ」
わたしはエリザベータの暗闇をのぞき込んだ。
「そんなことをして何になるの? 気違いの言い訳は聞きたくないわ」
「そうだね、気が狂っているように思えるかもしれない。私自身、そう感じているのだから。
気狂い豚、そう世間では噂されているらしいな。そう見られるのもしかたないな、気が狂ったようなことしかしていないのだから。
これもわたしが必死で考えて行動した結果なんだ。
破滅を逃れるために。
エリ、わたしは未来に何が起こるのかを知っている…わたしは予見者とかいうものなんだ」
「予見者?」
「そう、ここでは呼んでいるらしいね。未来を見ることができる人。そういう意味だときいた。
だけど本当は少し違う。
わたしは君たちのことを…」
世界が凍り付いた。
雨が宙で止まった。エリザベータの零れ落ちそうな涙も盛り上がったまま固まる。
わたしの言葉も消えた。
声が出なかった。それどころか体が動かない。
動かないのではない。まるで時間が止められているかのように、いや、実際に時間は止められていた。
世界は色が消えていた。すべてのものがまるで絵の中のように、固まっている。
わたしはただそこに張り付けられた観察者だった。
「困るんだよね。そういうことをされては」
声だけが聞こえてきた。
ルーシー・マーチャント…チュートリアルNPCの凍るような声だけが聞こえてきた。
「内部の住人に、重要なキャラに、ソレを話すのはルール違反だよ。わかってる? せっかくのシナリオがぐちゃぐちゃになってしまうじゃないか」
ルーシーは私の背後からゆっくりと回りこんで、エリザベータの前に立った。
まるで彼の周りにだけ色が戻ってきているように、そこだけ正常に時間が流れていた。
わたしは動こうとした。声を出そうとした。
だが、ウィリアム・ゴールドバーグもほかの登場人物と同じようにただの置物だった。わたしの触ることのできないガラスケースの中の展示品だった。
ルーシーは彫像のように固まったエリザベータのほほをつついて、涙をぬぐう。
「君のお友達といい、君といい、どうして余計なことばかりしてくれるかな? せっかくみんなで楽しんでいたのに台無しだよ」
彼はため息をついた。
「プレイヤーが抵抗勢力と結託してシナリオをゆがめるなんて想定外だ。バグに近い大惨事だよ。これから管理者に報告して対策をとらないと…」
ルーシーはぶつぶつと言いながら、頭をかいた。
「ああ、それから、君、今回のこと、アカウントの剥奪もあり得るくらいの違反行為だから。それなりのペナルティを科させてもらうよ」
死んだ魚のような目でルーシーはわたしを見ていた。
外見は人の形をしていたが、これは人ではない。
泣いても、わめいても、言い訳しても、許しを請うても、
コレに何を言っても無駄だ。
絶望がじわじわと意識をおかしていく。
「あ、処分が決まったみたいだね」
ルーシーはかわいらしく小首をかしげた。
「介入できるぎりぎりの限度か。うん、うん、了解」
どこからか電波を受信したらしいチュートリアルキャラクターはゲームの中で見せる明るい笑いをわたしに向けた。
「それでは、よいゲームライフをお楽しみください」
暗転・・・
時間が高速で巻き戻っていく。
エリザベータがわたしに毒づき、
わたしはエリザベータのところにたどり着き、
エリザベータが馬から落ち、
爆風が吹きぬけ、
山の向こうに白い光が立っていた。
わたしはクラリスに警告しようとした。だが、体がしびれたように動かない。
白い光が視界いっぱいに広がって、
爆風が馬車を翻弄した。
馬が高くいなないて、暴れる。
クラリスが慌てて馬を押さえようとするが、抑えきれない。
小さな無蓋の馬車は大きく揺れた。
わたしは、馬車の枠をつかみ損ね、馬車から放り出される。
わたしの体は宙に浮いていた。あるべき、わたしの体を支えるはずの大地はなかった。
崖だ。
わたしは落ちている。
前方に馬を飛ばして駆け抜けるエリザベータの姿がちらりとかすめる。
エリザベータ…
叫びは音にもならなかった。