傭兵の二人は優秀だった。 あっという間に魔獣の痕跡を見つけて追う体勢に入る。
「ここからは歩きだな」
最寄りの集落に馬車と馬を置かせてもらってから、俺たちは歩いての追跡に入る。
正直なにが獣の痕跡なのかわからない俺は、後ろを固めるルソの前を、ディーやヤスと歩いて行く。
この集団の中で一番役に立ったのはゴローだった。ゴローはキーツやルソが目を見張るほど獣を追うことになれていた。
一度、これが魔獣の痕跡だと教えられると、二度とその跡を見失うことはなかった。彼の一族は草原で狩りをする部族だというのもうなずける。
「ゴローはすごいな」 こういう任務が専門というキーツも絶賛したほどだ。 「きっとあんたは一流の狩人だったんだろうな」
「おれ、覚えてない・・・」ゴローは少し気恥ずかしげにつぶやく。「おれ、狩り、しらない」
「あまり彼に、そういうことを聞かないで」 小声でディーが注意をする。 「まだ完全に呪が断ち切れたわけじゃないのよ」
遠足気分で歩けたのも朝のうちだけだった。
「複数の足跡だ」キーツが声を潜めて告げる。「どんどん集まっている。これは、確かに群れだな。“王”がいるかもしれない」
「“王”?」
「中心になる個体だ。普通の魔獣よりも力が強く、賢い。そいつがいるとなると、やっかいだな」 キーツは今まで見せたことがない真剣な顔をしていた。 「リースちゃんやサクヤちゃんは引き返した方がいいかもしれない。
ここから先は慣れたものでないと、逆に包囲される可能性もある」
「安全に引き返すことができそうですか?」ヤスが真顔でたずねる。「そのほうがかえって危険ということはないですか」
キーツは返事をためらった。
「まて」
そのときゴローが鋭い声を出した。
「別の、きてる」
「別の?」
ゴローは、しばらくにらむように草むらの向こうを見たあと目を閉じた。 しばらくしてから目を開けると、ギロりと俺たちのほうに向く。
「間違いない。なんばーず」
「“幽霊”部隊か」
「うん、ナンバーズの気配」
「クリアテスの軍が来ているというのか」
キーツが舌打ちをした。
「奴らと鉢合わせをするのはまずいな。だが・・・いまさらか」
キーツは素早く思案を巡らす。
「ゴロー。彼らの位置はわかるか」
「わかる」
「あいつらが向かっているのは魔獣の群れの方角だな」
「そう」
「追うぞ」
「え?」
ぎょっとしたようにヤスがキーツを見た。
「引き返すのではなくて、追うのか?」
「ああ、どうやらあちらの狙いも魔獣の群れらしい。いい機会だ。彼らの戦い方を見物しようじゃないか」
俺たちは獣を追うのをやめて風下の高台を目指した。 小高い丘の上に這い上がって、下を見下ろす。
草の間に何かが動いている。 よく見ると、それは何百という数の人だった。
普通それだけの人が集えば、気配がするはずなのに彼らは人が集っているという気配はしなかった。
俺は背筋に虫が這い上がるような不快感をこらえた。
“幽霊”。なぜ俺たちがそう呼ばれているか。それがわかった。
俺もそのとき思った。これは死者の軍隊だと。
歩兵、弓兵、騎兵。きれいに隊列を組んで進んでいく彼らは俺たちの時よりも装備が立派で強そうだった。あれは俺たちの上位種といわれていたナンバーズ達なのだろう。
その後ろに監督官らしき人影と、それを守るさらに屈強なナンバーズ達。
腹のあたりに何かがとぐろを巻いているような感じがする。我知らず俺は拳を握りしめていた。
「シーナ、外套をかぶって」ディーがそっと俺に注意する。「万が一のことがある。あんた達がここにいることは知られたくない」
監督官の一団が、行進から外れ、まっすぐこちらに向かってきていた。 馬のような、鳥のような生き物が彼を運んでくる。
こちらがむこうに気がついたように、あちらもこちらに気がついたのだ。
ヤスやディーは緊張した。
監察官はローブを着た神官のような服を着た男だった。茶色い髪と黒い瞳、このあたり出よく見かける風体の親父だ。
男は、“幽霊”を数体引き連れていた。明らかに俺たちよりも上級感の漂う装備である。 男はふわりと馬と鳥の中間のような生き物から飛び降りると、俺達の前に立つ。
「わたしはクリアテス教団の神父ソーマだ。君たちはこんなところで何をしているのかな。答え如何によっては我が友愛会がお相手するが」
キーツとルソは腕組みをして男の前で胸を張った。
「俺達はアルトフィデス王国正神殿所属の傭兵騎士だ。このあたりを荒らしている魔獣を追ってここまで来た。あんたはクリアテス派の神父様か。君達こそ、ここで何をしているんだ」
キーツは胸の記章を見せる。男はそれを改めて、一礼した。
「これは失礼した。こんなところで隣国の騎士殿と会うとは想定外だった。後ろの、方々は神官殿と護衛の兵か」 男の目がさっと俺たちを値踏みする。 「魔獣退治に来られたとか。ここは我々クリアテス教団の領域だ。魔獣退治も我々に任せてほしい」
『ソーマ、何者だ?』
突然のとこの胸のあたりから声が聞こえた。 神父は胸につけている小さなペンダントのようなものに話しかける。
『ああ、隣の国の騎士だよ。心配ない。魔獣を追ってここまで来たらしい』
『本当かな? 帝国のスパイが来たんじゃないのか?』
『記章はコスの神殿のものだった。まず間違いないと思う』
『魔獣とぶつかるよ』
突然女の声が割り込んできた。
『ソーマ、どうするの』
「一体何を唱えているのだ」キーツが目を細めた。
「いや、これは失礼した。今、下のものと連絡を取っているところだ。もうすぐ魔獣と接触する。これ以上の干渉は控えてくれ」
『ソーマ。どうするのさ』通信の相手はいらだっている。『イベントが始まってしまうよ』
「魔獣がきます」改まったよそ行きの口調でディーが報告する。
彼の指すほうを見ると黒い影がいくつも向こうの丘から現われていた。 遠目だが俺たちが退治した奴よりも大きいのがわかる。
「手を貸そうか。こちらはこれでも騎士級の能力を持った兵がいる。神父殿といえどもあの種類の魔獣は手こずるのではないか?」
「申し出はありがたい。だが、あの程度なら我々で十分対処できる」神父は眼下にいる自分の軍勢に目を落とした。
『ソーマ!』
『今回は僕抜きで頼む。サブクエストなんだから、君たちだけで充分人手は足りているだろう』
『えー。魔術師抜き? ちょっときついかな』
『ユキに頑張らせろよ。そもそも今回はユキのレベルアップが目的だろう。僕はもうファイアーランス覚えたし』
『はい、頑張ります』自信のなさそうな少女の声が聞こえる。
『じゃぁ、俺たちは行くよ、「前進」』
“幽霊”達は迫り来る黒い化け物に怖じ気づくこともなく静かに突進した。黒い影と“幽霊”の持つ武器の光が交差する。
え? 俺は目を疑った。戦っている双方の上に“数字”が見えた。
1000、980、922・・・双方の数字がみるみるうちに減っていく。減りは魔獣の数字のほうが早い。あっという間にゼロになって、そのとたん魔獣は黒い霧になる。
下で気のない歓声が上がる。クリアテス、万歳とかなんとか“幽霊”達が声を合わせて叫んでいる。
「すげ」
丘の上のみんなが下の戦闘を見ていた。誰も宙に浮かぶ数を見ているものはいない。
見えてないのか。俺は身震いした。
別の部隊がまた魔獣と接触した。また、数字が出て少しずつ減っていく。
ソーマと呼ばれている司祭も下の様子を注視していた。 彼だけは、俺と同じ上に浮かんでいる数字を見ている。眼の動きでそれがわかった。
騎馬と歩兵の動きはよかった。数字の減りも少ない。
だが、槍兵の動きがもたついていた。明らかに動き慣れていない動きだ。
それは司祭も気がついているようだった。
槍兵の数字が半分を切ったとき、司祭は舌打ちをした。
『ユキ、何やってるんだ』
彼はつぶやく。
『ショーヤ、ユキが危ない。カバーに入ってくれ』
『あたしが入るね。「スキル 風の加護」』
『さすが、アケミさん』
弾んだ声がペンダントから聞こえてきた。
「すまないが、仲間の支援に行かなければならない」
ソーマが何か話している。
「ここで失礼させていただく」
「ご武運を祈る。精霊のご加護がありますように」
「おい、“王”がでたぞ」
ルソが巨大な黒い影を指さす。エルカとキーツが険しい顔をした。
「大丈夫かな」
大丈夫ではない。ある幽霊兵の部隊が集中して狙われていた。数字がどんどん減っていく。300、250・・・一桁に。
0になるとそこから赤い数字に変わりその数字も減り始めた。
550、400・・・
かろうじて二桁で踏みとどまる。
そして、その数字が後ろに下がった。
ほかの、まだ残っている数字が“王”に攻撃を仕掛ける。14000、12900・・・
特に全然数の減っていない部隊の攻撃はすさまじく、“王”の上に出ている数字が一気に半減する。
そこで俺は理解した。これは命の数字だ。
おそらく、最初に減った数字は死んでしまった“ナンバーズ”の数。
そして魔物の上に出ている数字は魔物の体力を表しているのだ。
まるで、ゲームのように。
ゲームのように?
これはゲームなのか。 俺たちはゲームの中にいるのか。
“ナンバーズ”すなわち数字。
俺は先ほど0になった数字のことを思い出す。
濃い血のにおい。踏みつぶされた仲間達の体。人形のように宙を見つめている眼。 硝子玉のようになった表面に俺たちの姿が映し出されている。
200から3へ。
部隊は全滅しました・・・
「シーナ、どうしたの?」
俺の異常に気がついたリースがしゃがみ込んだ俺の側で膝をついた。
「しーな?」
俺は胃の中のものがせり上がってくるのを感じた。吐き気がする。耐えられない。 俺は草むらに吐瀉物をまき散らした。
「え? シーナさん、吐いたの?」
俺はコサの町の酒場でからかわれていた。
あれから俺たちはすぐに引き上げた。それこそ、一目散に、あとも見ずに。
あいつらはやばい・・・それがみんなの意見だった。
彼らが再びこちらに関心を向ける前に去る。もうそれしか考えていなかった。
「あれは、吐くって・・・」 キーツが女の子にちょっかいをだしながらも、そうかばってくれた。 「俺ですら気分が悪くなったくらいだ。初陣の新人には耐えられないだろうよ」
「あんなに静かな戦場初めてだったな。薄気味悪い」ルソも酒をあおっている。
「あいつら、淡々と死んでいくんだ。未練もみせずに。まるで、本物の人形みたいに言われるままに魔獣に突っ込んでいくんだぜ」
俺達はぼろぼろに負けて戻った部隊のようだった。一応これでも遠征無事帰還を祝った宴会のはずなのだが。
「・・・聞きたいことがあるんだけど」
俺は疑問に思っていたことを酒の力を借りてたずねる。
「あの監督官が言っていた“さぶくえすと”とか“れべる”ってなんだろう」
「監督官が言っていた? 何のことだ?」
ルソは不思議そうに目を丸くする。
「“ふぁいあーらんす”、とか、“かぜのかご”、とかそういう名前の術はあるのかな」
「ふぁいあらん??? かぜのうかごー??? なんだ? それ?」キーツも不思議そうだ。
「あの監督官が話してただろう? 通信装置みたいなペンダントで、互いに・・・」
「シーナ。何のことをいっているのかわからない」キーツの笑顔が引っ込んだ。
「互いに話していた? 確かにあいつは何かの呪を唱えていたけれど、なぁ」
キーツはルソに確認を求めた。
「ああ、確かに何か一人でつぶやいていたけれど、誰とも話していなかったぞ」
「うそだろ・・・」
今度は俺がほおけたように繰り返す番だった。
「確かにあいつは話してた。呪なんかじゃない。あれは」
そこまで言ってから俺は口を閉ざす。
あれは、“日本語”だ。
テーブルの下で握りしめた拳が震える。
なぜ、なぜこんなことに。一度封印していた混乱がまた戻ってくる。
心の底に押し込めていた思いがあふれ出す。なんで俺はここにいるんだ。こんな、なにもない、クソみたいな場所に。
なぜ、俺が殺されなければならない。ただの道具として。ちり紙のようにポイ捨てされるただの玩具として。
「しーな、シーナ」
リースが呼びかけている。
彼らにははなせない。 彼らにはこのことは話せない。
話さない。
忍び寄る黒い影を俺は懸命に振り払う。
これ以上踏み込むわけには・・・
不意に歌が天から降ってきた。 それまでくらいと思っていた世界に差し込む光のように音が俺の心に穴を開ける。
誰かが歌っていた。
サクヤ?
俺はその声に心をさらわれた。
俺だけではない。 その場にいた人たちが、それまでしていたことの手を止めて、歌声に耳を傾けている。
彼女は光のことを歌っていた。 この世の始まりにあったと言われる原初の光の歌だった。
言葉は何を言っているのかわからなかったが、周りを漂う光の球がそれを教えてくれた。彼女が歌うと、何もなかったところから間欠泉のように精霊の光が沸いてくる。
「歌姫・・・」ヤス神官がつぶやく。
彼女が歌い終わると酒場は拍手に包まれた。
誰もがあの光の球を見たわけではないようだ。 だが、それでもそこにいた人は皆感じていた。 慰めと励まし、人が人として立つために必要な力を。
ありがとう、サクヤ。
彼女は俺のために歌ってくれたのだ。そう、俺は思うことにした。