「終わってみると、たいしたことなかったような気がするね」
自分の部屋の荷物をまとめながらリースはいつものように明るく朗らかだった。
俺は笑い返す気分にはならない。
「なぁ、リース。なんで、こんなに荷物が積まれているんだ?」
「え? そうかな」
リースがとぼける。
「来たときと変わらないと思うよ。うん」
俺は前にここに来たときの部屋の様子を思い浮かべた。 確か、寝台しか置いていない簡素な部屋だったはず。 それがなぜこんなに雑然とした荷物が積まれているんだ?
「荷物、増えてるよな」
「まぁ、そりゃ、少しはね」
リースは服をたたんで長持ちに詰める作業をしていた。
「サクヤの洋服も買ったからね。あとは、村のみんなへのお土産と、お餞別」
なにが、サクヤの洋服だ。半分はおまえの荷物だろう? 俺は何が入っているのかわからない包みを横目で見て、一番軽そうな荷物を抱えようとした。
重い・・・一体何を詰めているんだ。
「あ、それ、ディーの本だから、丁寧に扱ってね」
本のような重量物を重い木の箱に入れるなんて、何を考えているのだろう。
俺はよろよろと荷物を運び出す。 往復しても、往復しても、荷物運びが終わらない地獄の道行きだった。
「おい、馬車が一杯でこれ以上乗らないんだけど」
俺はついに音を上げた。
「まだお土産がたくさんあるのに、どうしよう」
リースは困った顔をする。
「あ、あとであたし達の荷馬車に乗せていくから、置いておいていいよ。 日持ちがするものは残しておいてね」
ディーが余計な助け船を出した。
「ディー、おまえも村に戻るのか?」
「戻って悪い? あたしの故郷なんだから、帰ってもいいでしょ」
いやだと思った感情を読まれたらしい。ディーはふくれた。
俺は、ディーをここのところ避けていた。彼女のお願いはろくなものではなかったからだ。一見まじめで虫も殺しそうにない神官様は実は自分の興味のためなら知り合いでも生け贄に捧げる“実験大好きっ子”だった。
俺に剣術を教えていたキーツは討伐の事後処理で忙しく、暇をしていた俺はよくその実験につきあわされた。
針でつつかれたり、血を抜かれたり、変な呪文を唱えられたり。
俺はすぐに、彼女が視界に入ったら逃げるようになったが、人のいいゴローはかなりひどいことをされていた。彼が今腕を包帯で吊っているのは、ディーの無茶な実験のせいだ。
サクヤはサクヤで、歌姫として聖歌の練習に引っ張り出されている。彼女の声と歌は素晴らしく、この神殿付きの音楽家達につきまとわれていた。今では熱烈なファンが彼女にはついていて、サクヤの荷物の大半がその信奉者達からの贈り物だ。
「君たちがここにとどまることができないのは残念だ」 ヤス神官がそうこぼしていた。
俺たちはマフィの村に帰らなければならなかった。
俺たちの体の中にはまだいろいろな呪が組み込まれている。
なかでも、基本呪と呼ばれていた呪は強力で、サクヤとゴローはふとした弾みにマフィの村に帰りたくてたまらなくなるのだという。このままマフィの村から長く離れていると悪影響が出るかもしれないと言われた。
俺は全然そんな気分にならないよ、というと、あんたは変なのよ、の一言で片付けられた。
俺一人ならばここにとどまることもできたと思うのだが、リースの側を離れるとディー達に何をされるかわからないという恐怖感がある。 身の危険を感じるのだ。
「リース」
「ディー」
いよいよ出発の日、女の子達二人組は永久の別れを惜しむかのように抱き合っている。
「手紙を書いてね」
「うん、必ず書くね」
まるで長い間離れることが確定しているみたいな別れ方だ。 十日もしないうちにディーは村に帰る予定だと聞いていた。予定が伸びたのだろうか?
「サクヤさん、これをどうぞ」
サクヤはまた信奉者からなにかをもらっている。
「あ、それ、触ったら駄目だ。誘惑の首飾りだから」
無造作に箱から出された装飾品をヤスが慌ててひったくる。
熱烈なファンというのは怖いな。
帰りの馬車は俺の座っていた御者台にまで荷物が積まれていた。 仕方なく俺は馬に乗る。
「馬車の後についてくればいいから」 そう、リースは簡単そうにいう。
「俺は騎兵じゃないのに・・・」
まっすぐ背を伸ばして優雅に馬を操るサクヤを横目で見ながら、俺はいつもの文句をたれた。
途中で見た屋台の飴が食べたいとリースがわがままをいった以外は順調な旅だった。
緩やかな坂道をゆっくりと登っていく。
行きよりも帰りの道のほうが短く感じるというのは本当だ。
久しぶりに見るマフィの村は、出て行ったときと全く同じように見えた。
俺たちが前に野営していたところを通り過ぎ、村の入り口をくぐる。 俺たちが植えた作物がだいぶ大きくなっていた。誰かがまめに世話をしていてくれたらしい。
「帰ってきたよ」 リースが馬車の上でのびをする。「やっぱりふるさとはいいね」
「あ、リース姉ちゃん」
くそガキがリースに気がつくと歓声を上げて村へ知らせに行った。
「ねえちゃん、お土産は?」 「おもあげー」 「おみやげー」
その他のチビが馬車にまとわりついてくる。 巻き込まれるから離れていろ。
「いろいろ買ってきたよー」
「姉ちゃん、コサまで行ってきたんだよね。大聖堂はどうだった? きれいだった?」
「あたしも今度連れてって」
広場に着くと、大人達も馬車の周りによってくる。
「リース、おかえり」
「リースちゃん、お帰りなさい」
「無事戻ってこれたのね」
「討伐はうまくいった?」
もみくちゃにされているリースを尻目に俺は黙々と自分の馬を馬屋に連れて行く。
なんだろう。この村に入ったとたん、口が重くなる。 それまで浮き立っていた心が沈んで、義務とか責任を果たさなければいけないような、そんな気がしてきた。
これが、呪の効果なのだろうか。
ちがうな。俺は思い直す。 この村での経験が俺の心を沈み込ませているのだ。コサでは忘れかけていた俺たちが“幽霊”であること、そのことをこの村の空気が思い出させようとしている。
連れて帰った馬たちの世話を黙々と行う。
広場の人の波も引き、静かな村の空気が戻ってきた。
そろそろ夕方の見回りの時間だろうか。
「あ、シーナ。こんなところにいたんだ」
リースが馬小屋にいた俺のところへ小走りでやってくる。いつものように屈託のない笑顔を浮かべて。
「ねぇ、荷物を整理するのを手伝って。仕分けするのが大変なのよ」
「了解した」
俺は馬たちを馬房に戻す。
「ねぇ、シーナ。あんた・・・なんかいつもと様子が違う」
リースがためらいがちに草声をかけてきた。
「そうか?
いや、ちょっと見回りをどうしようかと考えていただけだ」
俺は言葉でごまかした。
「あ、それ、今日はいいよ」
リースがほっとしたように笑った。
「帰ってきたばかりでつかれてるでしょ。今日は早く休もう。
同じことさっきゴローにも言われたんだよ。やっぱり、強制が効いてるのかなぁ」
「もう少ししたら行く」
そういうと、リースはうなずいて母屋に帰っていく。
明日からまた同じことを繰り返すのか。朝、夕と見回りをして、体を鍛えて、村の仕事を手伝って・・・。
ただ黙々と魔獣と戦っていたナンバーズ達の姿が頭をよぎる。
それから・・・
あれは、本当に“日本語”だったのか。 何度も思い返すうちにわからなくなってくる。 故郷を思うあまりの幻聴のようなものだったのかもしれないと思う一方、確かに耳にしたと思い直す。
なぜ、彼らはここにいるのか。そして、あのゲームのような数字は、なんだ?
あれは、まるでゲームのHPのような表示だった。
これはゲームの世界なのか。
俺にはここが架空の世界だとはとても思えなかった。
確かに、術とか召喚とかどこの小説の世界かといいたくなるところはあるけれど、こうして手にする物、触る物、幻とは思えない。 怪我をすればいたいし、いやなことがあれば心は傷つく。 ナンバーズとして黙々とただ命令に従っていたときはまだ良かった。
もう俺は物ではない。
呪縛が解けたのはいいことだったのか、悪いことだったのか。
俺は心を取り戻してしまった。あのナンバーズの生活を送れと言われたら、おかしくなってしまう。
仮にクリアテス派のところに戻ったとしたら、俺は何をされるのだろう。 きっと、ディーの実験など比ではないくらいのひどい目にあわされる。それからの村の生活は前と大して違いがなかった。規則正しい生活が繰り返される。
変わったことといえば、食事が糧食ではなくなったことくらいだろうか。
コサの町では普通の食事を食べていたせいで俺は糧食が食べられなくなった。 あんなまずい物、無理矢理でなければ誰が口にしたいものか。 あの味を知っているリースも、命令してまで俺たちにあれを与えようとはしなかった。
そして、一時期気配を消していた奴らもまた復活していた。 また、あの子供達が俺達にまとわりつくようになったのだ。
「ごろー、あそぼー」 「ごろー」 「ごろー」
なぜか、ゴローは子供達に人気があった。体の大きさからすると俺よりもずっと怖いはずなのに、奴らはゴローに懐いている。ゴローもゴローだ。奴らのせいで半殺しの目にあったのを忘れたのだろうか。
俺はいまだに彼らとその親が大男にしたことを許してはいなかった。
でも、当の本人はすっかり子供達と和解をしているようだ。 離れていてもわかる優しい雰囲気で子供達と遊んでいる。 この光景を見たダムをはじめとする親たちが殴り込んできたら、返り討ちにしてやろうと最初は思っていた。しかし、いっこうに親たちがやってくる気配はなかった。
気分が落ち込んでいる俺にリースは用事を言いつけた。
「ねぇ、シーナ。ディーから手紙が来たの。明日こちらに向かって出発するって。それでね、彼女を迎えに行ってほしいのだけど」
「コサの町までか? この前は一人で戻ってきてたじゃないか」
「それがねぇ」 リースは困った顔をしている。 「また、魔獣の目撃情報があるの。 それで神殿付きの衛士達がまたそちらにかり出されているみたいで、護衛がほしいといってきてる」
護衛がほしいといっておきながら、また血を抜かれるのではないか。俺は警戒した。
「また、魔物か? そんなに魔獣ってでる物なのか? この前あいつらが退治したはずじゃないのか」
リースは首を振る。
「討伐が必要なほどの魔獣がでるのは十年に一回のはずなのよ。単体では一年で一頭くらいかな。それでもこの時期には見かけることもないはず、なんだけど」
橋のこちら側にある酒場で待っているという話を聞いて俺は渋々了承した。 本当はあまり気乗りしない話だった。
だが、ディーは村へのおみやげの残り半分を運んでくる予定なのだ。荷物に何かあったら、リースの機嫌が悪くなることは必須だ。それは俺の生活上好ましくない。
俺は仕方なくリースのうちにいる一番おとなしい馬に乗って出かけた。もう年をとって荷物を引けなくなった馬だが、他の若い馬のように暴れたりしない。俺には最高の馬だ。
「あら、シーナ」
待ち合わせの場所に着くと、ディーはのんびりと馬車に腰をかけて俺を待っていた。
「あんたが迎えなの? ご苦労様」
「やぁ、シーナ」
なぜかキーツもディーと一緒にいる。おまけに荷馬車が二台に増えている。
「キーツ、あんたはここで何をしてるんだ?」
「なにをって、ディーの護衛だよ。美しいご婦人を守るのが俺の仕事なんだ」
美しいご婦人がどこにいるのかはさておき、キーツが護衛についているのなら、俺が迎えに来なくてもよかったのでは。 俺の不満そうな顔を見てキーツは荷馬車のほうをさした。
「俺は護衛兼荷物持ち。何でも予想以上に荷物が増えたんだそうだ」
「何でも魔獣がまたでたんだって?」
「ああ」キーツはにやにや笑いを引っ込めた。「魔獣の”王“を倒してしばらくは静かになるかと思ったんだが、また目撃情報が入った。騎士団が奴らの渡川を押さえようと、対策に乗り出した。国境が騒がしくなっている」
そういってから彼は声を潜める。 なるほど、それでディーとキーツがマフィの村に派遣される訳か。
荷物を満載した荷馬車はゆっくりした速度で進んでいく。 俺の乗っている老いた馬ものんびりと道草を食いながら歩いて行った。
今日も大瀑布はきらきらと虹色の光り輝いていた。例の光の球が水面から浮かび上がり、風に漂って流れていく。
「あら、呼べるようになったの?」
俺が玉と遊んでいると、ディーが珍しそうにこちらを見ていう。
「練習中だ」
「前よりもだいぶうまくなってるみたいね。感心、感心。あ、そろそろマフィの村ね」
村の入り口で俺は思わず馬を止めた。
見慣れない、しかし、俺のよく知った型の馬車が止まっていた。
あまりによく知っている、クリアテス派の使う馬車だった。