俺は反射的に馬を止める。
「あら? お客様? こんなところに馬車を止めるなんて、変ね」
ディーが荷馬車を止めて、降りた。
馬車の中をのぞき込もうとする。
「ディー、それはクリアテス派の馬車だ」
俺はディーを止めようとしたが遅かった。
「きゃ」
俺には見慣れた光景だった。
まっすぐに宙を見ている鎧を着た兵士。 男もいれば女も、背が高い者も、低い者もいる。 ただ一様に生気のないまるでただの置物であるかのような空気をまとっていた。
「おいおいおい」
同じく馬車から降りてきたキーツもディーの後ろから兵士を見て声を上げる。
「これ、“幽霊”じゃないか。一体全体どうしてこんなところに・・・」
もちろん馬車に乗せられている者達は答えない。
「待機中なんだ」
俺は彼らから目をそらした。
「馬車の中で待機するようにいわれている」
「ちょっと、あんたたち、何しにここに来ているの」
沈黙が帰ってきた。
「命令よ、答えなさい」
「無理だ。ディー。彼らは俺たちの質問に答えるように命令されていない」
「でも、あなたたちはわたしの命令に従ったわ」
「それは、リースが、監督官が、君の命令に従えと命令したからだ」 俺は背筋に走る寒気を押さえながら、幌を下ろした。
「だから、あんたの指示に従ったんだ」
「でも、シーナ、あんたは・・・」
言いかけてから、ディーはを潜めた。
「じゃぁ、彼らは今わたしたちのことには気がついているのね。気がついて、声も聞こえて、内容も理解しているけれど、命令されていないから答えない、そういうこと?」
「そうだ。そして、彼らは命令されたら今の俺たちの会話を監督官の報告する」 ディーが一瞬顔をゆがめた。
「いいわ、村にクリアテスの監督官が来ているのね。なんのために・・・」
「そういえば、三ヶ月後に俺たちの餌を届けに来るとコルト監督官が言っていた。 くそ、ちょうど期限じゃないか」
「ああ、あのゲロみたいなあれね。あんた、まさかあれをまだ飲みたいとかいう?」
「いらないよ。あんなまずい物・・・いや、それどころじゃないな」
「そうよ、あんた、こんなにべらべら話して勝手な行動していることがわかったら・・・」
「廃棄、っていわれそうだな」
「おいおい、廃棄って・・・」
キーツは俺の陰鬱な表情をみて言葉を吞んだ。
すっかり忘れていた。 まじめなコルト監督官のことだ。 実験の結果を確かめるのもかねて村にやってくることは十分予想できることだった。
村にいたはずのサクヤやゴローのことが気になったけれど、それよりもまず自分のことだ。
「とにかく俺はおとなしくしておくから。 あ、馬に乗っているのはまずいか。 俺は歩兵種だから馬には乗れないはずなんだ」
「荷台に乗っておけよ。って馬車は一杯か。とりあえず俺の隣に座っておけ」 俺は慌てて馬を馬車の後ろにつないでキーツの隣席にはい上がった。
「シーナ。黙っておくのよ。口をきいたら駄目よ」
「そうだ、俺の名前はシーナじゃない。 3417、数字で呼んでくれ」
「おい、そんなに急にいわれても数字が覚えられないよ。 女の子の名前は忘れないけど」
緊張で口の中が乾いた。
逃れられないとはわかっていたはずだ。
ここにいれば、いずれはこういうことになると知っていたはずなのに。
俺は黙ってキーツの隣に座っていた。
見慣れた村の広場へ続く道を初めて通るような気がしてくる。
うまくごまかされるだろうか。
コルトは有能な監督官だった。 配下のナンバーズ達の様子に気を配り、常に状態には気をつけていた。今はその観察力がやっかいだ。
広場では、馬車に気がついたリースが幾分青い顔をして待っていた。
「リース」
いつものようにディーが駆け寄る。
リースは不安を顔に浮かべたまま、友達を受け止めた。
「お久しぶり、元気にしてた?」
ディーはリースに抱きついて顔を埋める。ぎこちなくリースがディーの肩をたたいた。
「うん、み、みんな元気だよ」
リースの後ろにコルトが立っていた。
俺の元監督官はいつもの穏やかな表情で俺たちのことを見ていた。
どうしよう。
どうするべきか。
馬車から降りるべきか、それとも、乗っておく方がいいのか。
どちらが自然なのだろう。
「3417,馬車から馬を外して、馬を馬房に連れて行ってちょうだい。 あとはいつもの馬の世話をして」
リースの命令が俺の迷いを断ち切った。
ディーがリースの陰から伺うようにこちらを見ている。
俺は黙って、馬車から降りて馬の世話をした。
助かった。
完全にコルトの視線から外れてから、俺は大きく息をした。
自分でも思っていた以上に緊張していたのだ。 今の俺の状態が、ナンバーズとしてふさわしくないものであることはわかっている。 ナンバーズの盲目的に命令に従うという基準から逸脱してしまっているからだ。
そして、そんなナンバーズはいらない。
壊れたおもちゃが捨てられるように、俺もまた廃棄される。 そのことを考えると胃の腑がきゅっと縮まるような気がする。 そういう恐れが、俺の中に植え付けられた呪の本体なのかもしれなかった。
息を整えていると、馬が後ろからさっさと行けいうように鼻を寄せてきた。
無意識のうちに馬の鼻ずらをなでてやる。
リースのあの様子だと、サクヤとゴローはうまくごまかせたようだ。 俺と比較して彼らはまだナンバーズらしさを残している。 きっとうまく切り抜けられたのだろう。
俺は馬の世話をなるべくゆっくり丁寧に行った。
母屋にはまだコルトがいるのはわかっている。 俺は彼が早くこの場を立ち去ってくれることを祈っていた。 時間が長くなればなるほど誰かがぼろを出す可能性が高い。 その候補は俺か、リースかだ。
しかし、そんな望みは叶えられることもなく。
しばらくするとキーツが呼びに来た。
「おい、リースちゃんが呼んでる」
「コルトが帰ったのか?」
「いや。おまえの顔が見たいらしい」
「俺は見たくない」
「そんなのわかってる。親父の顔を眺めていても楽しくないからな」
そういう問題ではないだろう、キーツ。今は冗談を言っているときじゃないんだぞ。
「でも、行かないと困ったことになるんじゃないかな」
それもわかっている。命令されて逃げるなんていう行動をナンバーズはとらない。
俺は不承不承母屋に向かう。
部屋に入ると、いつもリースと食事をしている大きな部屋にコルトとディーが向き合って座っていた。 壁際にゴローとサクヤが彫刻のように立っている。そうか、あの二人の行動を真似すればいいのだ。
俺は黙って部屋に入ると二人の横に並んだ。並んで、なるべくコルト監督官のほうをみないように、正面をにらみつける。
「やぁ、やっとそろったね」
コルトは相変わらず穏やかな口調で俺たちに話しかける。
「元気なようだな。なによりだ」
コルトに向かい合って座っているディーは明後日の方を向いて茶を飲んでいた。キースはその隣に腰を下ろす。
サクヤとゴローはいつもの何も感情を浮かべていない顔つきだった。 最近だいぶ表情豊かになってきたとはいえ、まだまだ彼らはナンバーズとして通用する顔つきができる。
俺も懸命に表情を殺す。基地にいたころはいわれなくてもできていたことが、もうできなくなっている。
「リース殿、ありがとう。安心したよ。あなたが彼らをうまく使いこなしてくれて」
コルトは茶碗をかたりと机に置いた。
「実は旧ナンバーでここのような実験をしてみたのだけれど、なかなかうまくいかなくてね。 ほとんどのものが返品されてしまった。ひどいところでは、気味が悪いと村人に壊されてしまったところもある」
さらりと話しているが、かなりひどい話をしていないか?
「そ、それはよかったです」
リースの笑顔も引きつっている。
「見たところ、君は彼らを別々に動かしているようだね。彼らは集団で動くように設計されているのだが、不便はないかな」
「不便だなんて。むしろこの子達をまとめて動かす方が大変だと思います。 個別に動かすようになって、だいぶ楽になりましたから。 本当に助かっているんです。彼らが見回りをしてくれて」
「それはよかった」
コルトは心の底からほっとしているようだった。 よほど他の“実験”はひどい結末を迎えていたのだろう。 最初のころのリーズの切れっぷりを知っている俺には人ごとではなかった。
「それで神父様。お話というのは・・・」
「ああ、わたしがここに来た目的は二つ。 一つはこのナンバーズ達の様子を見に来ること。 もう一つはこの上にある帝国との“関”を見に行くことだ」
「アサの関ですか?」
リースは顔をしかめた。
「あそこへ通じる道は、ずっと前に閉鎖されています。わたしも通ったことはありません」
コルトは身を乗り出した。
「実は、ここだけの話だが、帝国が関のあたりに軍を集結させているらしい。 わたしたちはその噂が本当かどうか調べに行こうとおもっている」
「しかし、神父様。あそこの道はもう崩れて、とても人が通れるような状態でないと聞きました」 リーズは机の下で手を組み替えた。
「その、わたしたち、マフィの村人は協力できないかと」
「ああ、それは心配しないでほしい」 コルトは手を振った。 「わたしはそれ専用の兵種を連れてきている 。彼らはまだ実験中だが、今でている兵種の中でも最上位の兵種だ。 にんじゃとよばれている」
は? 忍者? 俺は動揺のあまり、思わずコルトを見つめてしまった。
「にんじゃ、ですか? 奇妙な名前ですね」
「そうだね、わたしも語源は知らない。 開発部の神官が古典にちなんで名付けたらしい。なんでも斥候専門の兵種を指す名前だとか」 しばらく“忍者”の話題が続けたあと、コルトは爆弾を落とした。
「それで、その調査を行う二三日こちらに滞在させてほしいのだ」
断れ、リース。
俺は瞬時にそう思う。
リースの眼が泳いだ。
「あ、ご協力したいのは山々なのですけど、神父様お一人ならいいのですが。 その、実はこの村でもゆうれ、“ナンバーズ”に対する風当たりはかなりきついのです。 その、ですから、にんじゃ、ですか? 彼らがこのあたりをうろうろするのは・・・」
「それは承知している。彼らを村の中に入れることはけしてしない 。彼らは外に天幕を張って生活させる予定だ。食事も数分用意している」
「し、神父様お一人なら・・・」
リースが言いかけたとき、ディーが机の下でリースの足を蹴った。
「も、申し訳ありません。この村には、その、クリアテス派のものはほとんどおらず、神父様の身の安全が・・・」
コルト監督官はちらりとディーに目をやる。
「わかった。こちらも過分の要求をしてしまったようだ。 わたしもあれらと一緒に村の外に滞在することにしよう。それで、いいだろうか」
「あー、お客人を・・・」
「あたしはいいわよ、リース」
ディーが恐ろしくにこやかな笑みを浮かべた。
「クリアテス教の神父様と同じ屋根の下で過ごしても。
でも、そちらがお困りじゃないかしら。 何しろクリアテス“教徒”は精霊の儀式を行うことを邪教として禁じたそうじゃない?」
え? そうなの? とリース。
「そちらこそ、誤解がおありのようだ。アルトフィデスの司祭殿。 わたしたちは伝統的な儀式を禁じているわけではないのです。 ただ、余計な儀式で箔をつけようとすることを禁じているだけですよ」
「大切な儀式を禁じたために、魔獣が大発生しているという話もお聞きしましたよ」
「それこそ根も葉もない噂に過ぎない。 魔獣の発生とわたしたちの教義の何の関係があるのだろう?」
俺は壁に掛かっている猿の彫刻になろうと思った。見ざる、聞かざる、いわざるだ。
「もうしわけない、リース殿、困らせてしまったようだ」 ここはコルトがひいた。
「わたしは外に泊まります。村の人たちに迷惑をかけないことを、聖なる書物の名にかけて誓いましょう」
「精霊にかけて誓わないのね」 ぼそりとディーがつぶやく。
「今日はこれで失礼する」 コルトはディーを無視して椅子から立ち上がった。
「今日は彼らの無事を確認できてよかった」彼は俺たちに向かってうなずく。 コルトが去ったのを確認してから、リースはディーにくってかかった。
「ちょっと、ディー。あの態度はないんじゃないわよ。 あれじゃぁ、マフィの村がクリアテス派の神父を追い出した形になるじゃない」
「ええ、そうよ。そのつもりだったわ」と、ディー。
「あのままだとあんた、あの神父に押し切られてその“幽霊”部隊まで抱え込む羽目になっていたと思うの。 それでいいの? 村の人が納得すると思う?」
「あー・・・う」 リースが頭を抱える。
「今残っている村の人はほとんどがアルトフィデス派の人よ。 曲がりなりにもクリアテス教の信者はあんただけよ。 《《あんただけ》》」ディーは強調した。
「この子達の時でさえ、大騒ぎになったのでしょう。 ダムおじさん達が“幽霊”らしい“幽霊”をみて、なんというと思うの。 余所の村で起きたことがここでも起きないとは限らないでしょ」
現にゴローちゃんが怪我をしたのよね。とディーはリースをさらに追い込む。
「・・・・・・」
リースは撃沈された。ぐうの音も出ない。
「しかし、これはまずいな。関へ抜ける道の調査なんてただ事じゃぁないよ」 と今まで黙っていたキーツが腕を組む。 「これは、コスに連絡を取った方がいいかもしれない」
ディーはうなずく。
「連絡するわ。あなたの考えていることが当たらなければいいけれど」