それからしばらくコルトはマフィの村に滞在した。
俺は彼を避けた。徹底的に、彼の姿を見かけたら逃げた。
「そんなに恐れなくてもいいのに・・・」 リースがあきれている。 「彼だってあなたを取って食いはしないわよ」
「呪縛が解けてることが、ばれたらどうするんだ? こんなにべらべらしゃべってたら不審に思われるだろう? これ以上おしゃべりするな、とか一生口を閉じとけとか命令されたら、どうするんだよ」
俺たち、ナンバーズは命令されない限りお話はしないことになっているのだ。
俺もリースがしゃべってもいいと命令したからこんなに話しているけれど、本来は無口なんだ。
「あんたの口をふさぐ方法があるんだったら、あたしが使ってみたいわ」
リースは鼻で笑う。
「そんなに俺の口をふさぎたいのなら命令すればいいじゃないか。話すな、とか、会話するな、とか」
「たぶん、無理よ。あんたの減らず口は止められないと思うの」
減らず口とか失礼だな。俺は憤慨する。
「本当のことをいうと、ディー達に止められているの。 あんたに変なことを命令するのは危険だって」
俺のどこが危険なのだろう。こんなに人畜無害なのに。
「ああ、おかしくなったことを覚えていないのね。 ともかく、あんたは変なの。自分でも変わってると思っているでしょ。 あたし達とは違うのよ、あんた」
確かに。俺は認めざるを得ない。
俺は、ここではない場所の記憶を持っている。 友達と学校に通い、勉強して、遊んで・・・。これまではその記憶は俺の陰とやらがこちらに引っ張ってきたものだと思っていた。
思おうとしてきた。 だが。
「ナンバーズなんかくそったれだな」 俺は毒づく。
「それ、あたしも思ってたところよ。なんであんた達を引き受けたんだろうって」
ともかく俺はコルトを避け続けた。
彼の世話はリースに任せて、なるべくディー達と一緒に過ごすようにした。
本当は被験者されかねないディーと行動を共にするのは怖いのだが、コルトに俺の状態がばれるよりはましだ。 俺はディーの護衛兼秘密の助力者として村の中をまわった。その間にコルト監督官は彼の兵隊を率いて、道の調査とやらに出かけていたようだ。
「コルト神父様、明日お帰りになるそうよ」
リースからそんな話を聞いて気を緩めていたのかもしれない。
俺が、コルト監督官と鉢合わせをしてしまったのは、遠出するというディーの馬の世話をしているときだった。
「3417?」
懐かしい声で呼ばれて俺は身をこわばらせた。
絶対に会いたくないと思っていた男が通路に立っていた。
本当は即座に逃亡を図りたいところだが、そんなことをすれば疑われてしまう。 俺は表情を殺して、コルトに向かい合う。
「3417、元気にしていたか?」
彼は昔のように俺の体調を探る眼をした。 以前は彼の観察力でずいぶん助けられたものだ。 今は、俺の呪の状態がすかし見られるのではないかと内心はらはらする。
「体調は良さそうだな。シーナ」
不意打ちだった。仲間内だけで通じるはずの名前を呼ばれて、俺は頭が白くなる。
どこで彼は俺の名前を知ったのだろう。 話をしているところを見られたのか、それとも・・・
「シーナ。そう名付けられたのだろう」
彼は俺のほおに手を伸ばしてきた。ごつごつした手が肌に触れる。
「よかったな、いい名前をもらって・・・」
くそう、リースの奴。 俺は誰が俺の名前をコルトに教えたかを確信する。 あいつ、ぺらぺらと話しやがって・・・。
コルトがそっと笑った。
感情が漏れてしまったかもしれない。 俺は努めて今聞いたことを忘れようとする。
ここでは何もおこらなかった。
平静になれ。
俺はリースに怒ってなどいない。俺は何も考えていない・・・
「心配していたんだ」 前の監督官は独り言のように話しかけてくる。「おまえはとても変わった個体だったから、ちゃんとうまくできるかどうか。 でも、よかったな。ずいぶんうまく適応しているみたいだ。 うちの中にまで入れてもらって、自分の部屋までもらっているみたいじゃないか」
彼はいつもこうやって俺に話しかけていた。
俺が一言も返さなくても、反応を見せなくても、まるで普通の人に話しているように。 他の監督官達は誰一人として話しかけてこなかった。俺たちはただの道具だったからだ。
「今のナンバーズのほうがずっと性能はいいはずなのに。 なぜかな、おまえ達のほうが俺にはあっている気がする。初期段階からずっと一緒に暮らしていたせいか」
彼はまるで子供の頭をなでるように俺の頭をなでてきた。背は俺のほうが高いというのに。
「また、様子を見に来るからな。それまで元気でいるんだぞ」
彼は俺の肩に手を置いて、それから後ろを向いて去って行った。
俺はしばらく彼を見送っていた。 ばれなかった、という安どの思いとともに、なぜかなごりおしい気持ちがわいてくる。
「ふーん、彼はここでの君のお父さんみたいなものなんだね」
そのとき、後ろから声をかけられて俺は慌てて振り向いた。
背後に気配はなかったはずだった。
今まで人がいなかったところに人がいる。
あまりにも驚いたので、感情を隠すことを忘れてしまった。
俺は彼のことはよく覚えていた。
メイド服を着た大監督官とか呼ばれていた男。どう見ても少女にしか見えないけれど、彼にだけ男だと告げた美少年がそこにいた。
「お久しぶり。3417」
彼女は、いや、彼は、楽しそうだった。
「なんで、僕がここにいるのか不思議に思っている表情だよね。 ただの、視察、だよ。ただの」
彼は馬小屋の扉にもたれかかっていた。
ひらひらのフリルがついた短いスカートにエプロン。プリムの白が馬屋に場違いなほどまぶしい。
彼は前と同じように俺のことを上から下までじろじろと観察した。 すべてが見られているような気がした。 俺が、以前の俺の記憶を持っていることも、監督官達に植え付けられた呪に反発していることも。
「そんなに、おびえなくてもいいよ。ここには僕たちの他には誰もいない」
彼は俺をなだめるように手を振った。
「君とは前から一度話をしないといけないと思っていたんだよ。 この前は余計な連中がいたからろくに話ができなかったよね。 だから、そんなに警戒しなくてもいいよ。僕は彼らに告げ口をしたりしないから。
『なんだったら日本語で話そうか? 椎名君』」
その瞬間俺の頭はすべての情報を受け入れることを拒絶した。
自分がどこにいて、何をしているのか、すべてが消える。
『名乗るのは初めてだったよね。
初めまして。
僕は、システムのチュートリアルキャラクター、ルーシー・マーチャントです。 よろしくね』
彼はとても可愛らしい声で挨拶をした。
『僕の仕事は、プレイヤーの皆さんが円滑にここに溶け込めるようにお世話をすることです。 皆さんのお役に立つことが僕の願いです。何でもいってくださいね』
彼はおそらく決まり文句なのだろう、空疎な言葉をならべて、スカートの裾をつまんで膝を折って挨拶をする。
俺は呆然と彼が古い格式張った挨拶をするのを見るだけだった。
『今日はシステムからのメッセージを伝えに来ました。いいかな? 聞いてる?』
ルーシーと名乗った美少年は俺の前で手をひらひらさせた。
『用件というのは他でもない、君のクラスのことだよ。 実は重大なエラーが発生してね。 本来ならいるはずのないところにプレイヤーを送り込んでしまった。
君には大変申し訳ないことをした。 お詫びに運営からいくつかの特典が君に与えられることになりました。 クラスによるステータス上限の廃止、レベル上限の撤廃、クラスコントロールの撤廃、ペナルティーの緩和などです。 ほかにも特別な加護やスキルを追加しました』
彼の言葉は俺の頭の中をただただ流れていった。
目の前の少年が、いや、キャラクターが何を言っているのか俺にはさっぱりわからない。
『他の人には与えてある指揮権だけはどうしても付与することができなかった。 その代わりといってはなんだけど、彼らよりもずっと自由に行動できるからそれで勘弁してよね』
少年は返事が返ってくると思ったのか、言葉を切って俺の反応を見る。
『・・・何を言われているのか、わからない』
俺はかろうじてそれだけを言い返す。
『そうか。君はこの手のゲームになじみがなかったんだね。 やったことがない人にわかれというのは無理か。 プレイヤーの人選も課題の一つなんだよね。今後のゲームでは考慮するけど、ごめんね。君には適用されない。 まぁ、ほかの人もできていることだし。 おいおいシステムにも慣れると思うな』
『待てよ。 おまえが言っていることは、ここが、まるで、ゲームの中みたいだと、そういっているみたいじゃないか』
『みたいじゃなくて、ここは クリアテス戦記 のゲームを模した舞台だよ』
メイド服の少年は訂正した。
『ゲームに忠実に舞台を整えてみました。 君たち、プレイヤーが楽しめる場を作るためにね。 でも、ごめん。君に関しては、こちらの想定外だったんだ。そんな、ただの数あわせのモブの役なんて、面白くないよね。だから、いろいろ特典をつけたよ。 これからは楽しめると思う』
「楽しめるだって? 今まで死んでいったナンバーズ達はどうなるんだ。彼らは全然楽しいなんて思ってなかった」
少年は肩をすくめた。
「ごめんね。こちらの世界の現地人のことは救済の対象じゃないんだ。 あくまで僕たちの仕事はぷれいやーを楽しませることだからね」
そんな馬鹿な。
俺の周りにいた彼らは、それでは、なんのために。
怒りよりも、おぞましさが勝った。
俺の足下には無数の死体が埋まっている。 俺はその上に、彼らを踏みにじって立っている。 言葉が出なくなった俺に、少年は明るく挨拶をした。
『それでは、よいゲームライフを』 そして少年はまた、深く膝を折って挨拶をした。
『待てよ、もっと説明を・・・』
少年をつかもうとした手が空中でとまる。 今まで確かにそこにあったはずの白いフリルのブラウスが空気に溶けるように消えた。
俺は手のひらを開いて見た。何もない。
確かに今までそこに人がいたのに、少年が立っていたはずの床を見ても、壁を調べても、痕跡は何もなかった。
誰もここには、いなかったのだ。 気がついたときには俺は膝を抱いて震えていた。
なんだ? なんなんだ? 今のは・・・
俺はリースが呼びに来るまでずっとそこに座り込んでいた。