豚の矜持5 ダイエット

あの外出以降、私は完全に頭がおかしい男と思われていた。

 本当に悪かったと思っている。ああいう口の利き方をしてはいけなかった。いくら豚で堕落していても、大貴族なのだ。下々の者に語りかけるときは、必ず召使いにやらせる。敬語などもってのほかだ。

 私の行動に周りも驚いたが、一番ショックを受けていたのはウィリアムだろう。何しろ彼の頭がおかしいと思われたのだ。同じ肉体の中にいるのだから、わたしがやりましたといってもいいわけにもならない。ここに人たちはジキルとハイドとか知らないだろうし。

 しばらく豚公爵は懸命にわたしとの間に壁を作ろうとしていた。

 危険人格へのお障り禁止。

 わたしも必死で謝ったよ。本当に悪いと思ったから。やがてウィリアムはおこることにもつかれたのだろうか、渋々許してくれたけれどね。 

 それはさておき、外出の後、豚公爵も早急に体重を減らさなければいけないということをようやく理解してくれた。娘の追っかけをしようにも今の体型ではどうしようもないということがやっと理解できたのだ。

 いつものたっぷりとした朝食をつつきながら、無理のないダイエットのメニューを考える。今の段階であまり激しいダイエットは無謀だろう。節食系のダイエットはリバウンドが怖い。特にいままで与えられるものはきれいに平らげてきた豚だ。いきなり量を減らしたら、体的にも精神的にも危険だ。

 そして、なにより、問題なのは・・・

 ちらりと横に控えている髭男を観察する。

 髭男は何事もなかったかのように振るまってきた。彼にとって天地がひっくり返るほど驚いたであろう出来事がまるでなかったかのように。

いつものように豚主を起こして、いつもどおり餌を与え、服を着替えさせ放置、そんな日課を崩さない。

 今も恭しく、しかし、距離を置いて豚のそばに控えている。

 いったい彼は誰に何を報告したのだろう。

 今ゴールドバーグ家の実権を握っているのはおそらく妻豚だ。豚を幽閉状態に追いやって何をやっているのかはわからないが、ゲームの内容から推測するに、ろくなことはしていないだろう。「華の学園」のなかで豚が行っていた様々な犯罪行為を肩代わりして行っている可能性がある。

 今回の豚の狂気に駆られた行動が彼らにどうとらえられたのか不明だ。あまり芳しくないものであったことは間違いない。豚本人が縮み上がるほど常軌を逸した行動をとってしまったからな。

 ではクラリスはどう思っているのだろうか。わたしは側に控えている侍女に目をやった。

 最初はがりがりにやせていて、どうなるかと思ったが、豚の食べ残しを始末しているうちにだいぶ丸くなってきた。とはいえ、豚に比べればまだまだ細い。

 あ、豚と比べては彼女に失礼か。

 仕事も完璧だ。今では家令の代わりに食事の支度を一人ですることもある。

 掃除も彼女がほとんど行っていた。

 豚公爵からするとこれはとてもおかしなことらしい。

 召使いの数が減っているんだよ。それも側付きのものが・・・豚はさも重大事のように考えている。召使いなど使ったことのないわたしの感覚からすると複数の召使いが付き従っていることが当たり前の豚の感覚のほうがおかしい。そんな意味もなく数がついていても仕方ないだろうと思うのだ。一人でできる仕事を複数人で行うというのははっきりいって非効率だ。

 平民はこれだから・・・

 豚はここのところ身分が下のものへの軽蔑を隠さなくなってきた。もちろんわたしは平民だから、軽蔑の対象だ。いらいらとわたしにたてついてくることがある。

 なんで、貴族でもないのに私にとりついてるんだっていわれてもなぁ。不敬だといわれても、どうしようもない。離れられるものならとっくに離れている。わたしのいたところには貴族なんてもういないんだ、と教えたら、それこそ意識が消えるくらい驚いていた。

 わたしからすれば豚のくせに高慢な男だけれど、ここの貴族というのは大なり小なり皆こういう意識を持っているらしい。

 最初の頃の感情というものが抜け落ちた、いつも寝ている状態の意識というのが異常だったのだろう。わたしという別の意識がはいったことで緩やかに死にかけていた豚としての人格がよみがえったということか。

 時々見える豚の記憶の中ではたくさんの召使い達がこの豚邸では働いていた。それに比べれば、今の召使いの数はほとんどいないに等しい。豚の貴族としての常識はここでの常識だ。彼がおかしいと思うのなら、今の事態はおかしいのだろう。

 豚の世話係を減らさなければいけないような、何かが起きているというのか。

 髭家令は相変わらずのポーカーフェイスを貫いているが、ウィリアムは微妙な変化を見抜いていた。前よりもやせて、表情が険しくなってきているような気がする。以前は豚の一挙手一投足を見張っているようなところがあったのに、時々明らかに他のことを考えているなとわかるときがある。

 何かがゴールドバーグ家で起こっている?

 考えられることは悪役令嬢がらみの陰謀である。

 今は「華の学園」の序盤、出会いイベントが目白押しの頃だ。

 この頃悪役令嬢は何をしていたのだろう。いろいろな美青年たちと主人公ヒロインの出会いを見て嫉妬したり、主人公ヒロインに敵意を抱くきっかけがあったり。そういえばお茶会というものがあった。学校の中にあるどの派閥にはいるかを決めるお茶会の季節だ。これによって攻略できるキャラが絞られるという前半最重要のイベントだった。

 順当に行けば、王子の所属する「華の会」が無難な候補だ。攻略キャラのほぼ全員がここに属しているからだ。しかし、ここに属してしまうと宰相の息子との恋愛フラグがおられる。他の主要キャラクターの好感度が上がりすぎてしまうためだ。

 しかし、それが公爵家と何か関わり合いがあったかな?

 話の展開に全く関係のないぐふふな公爵邸でおこる鬼畜イベントしかなかったような・・・モブが意味もなくメイドを実験と称してひどい目にあわせる、とってつけたようなエロイベントだった。

「ウィリアム様、お茶をお注ぎしましょうか?」

 クラリスが暖かいお茶を空になりかけたカップに注ぐ。

「ありがとう」

 小さい声で礼を言うと、彼女はふわりとほほえんだ。彼女もようやく豚の小さな声を聞き取れるようになってきたのだ。

 最初の頃こそ恐怖と緊張でがちがちだった彼女もここのところ時々素の姿を見せるようになっていた。それでも家令がいるときは硬い態度を保とうとしているが、こうして二人きりの時はずいぶんとくつろいだ態度をとっている。

 だって、わたしは鬼畜な真似はしないからね。

 無茶な命令はしない、失敗しても文句は言わない、おとなしくって扱いやすい豚なんだよ。最近は着替えだってなるべく自分でやるように努力している。少しやせたからすこし着替えやすくなってきた。まだ靴下ははけないけどね。

 食事と着替えを終えると、このところ日課にしている散歩に出かけた。体が慣れてきたのか半日外を歩き回っても大丈夫だよ、半時もしないうちにへばっていた最初の頃から比べるとだいぶ進歩したよ。

 ゆっくりと足に負担をかけないよう、でも、できるだけ運動になるように歩く。じれったいが体を壊してしまったら元も子もない。

 建物の角を回るといろいろな道具のしまってある倉庫がある。

 いつも人気のないところなのだけど、今日は違った。

 その前に一人の少年が座り込んでいた。棒でなにか文字のようなものを書いては消し、書いては消し。時々袖で目のあたりをぬぐっているところを見ると泣いているのだろうか。

 庭で初めて見る召使だ。

「あー、君は厨房の子か」

 なるべく大きな声を出したつもりだが、少年は気が付かない。

「あのぉ・・・・」豚は少年に近づいた。

 豚の陰に入って初めて、少年は豚に気が付いたようだった。いきなり日の光をさえぎられて、何者かと顔を上げる。

「うわ」ウィリアムを見上げた少年はぽかんと口を開けた。「豚」

 あ、やっぱりそうなのね。やはり、豚といわれているのね。ちょっとへこんだ気分になる。

 その時バタンと後ろで大きな音がした。今までしまっていた厨房への扉が開いて料理人の帽子をかぶった男が顔を出している。

「お、おまえ、なんということを」

 男は慌てて少年に駆け寄った。

「も、申し訳ありません、ウィリアム様」

 男は豚公爵の前に来ると平身低頭少年の隣に並んで頭を下げる。

「この前ははいったばかりの小僧なのです。平にご容赦を…」

「え? ウィリアム様? この人、豚・・・」

「黙れ」男は慌てて少年の頭をつかんで額を地面に押し付けた。

「た、大変申し訳ありません」

「なんでだよぉ。豚を豚といって何がわる・・・」少年がまだ文句を言っている。

「うわぁ、なんでもない、なんでもない」

 隣で土下座している男ががんがんと少年の額を地面に打ち付けた。

「あのね、いいから」

 見ていていたたまれない。豚といわれても仕方がないよね。私は豚体型だから。本当のことだから。小さい子なのだから許してあげようよ。どうせ豚なんだし。ああ、自分で言って悲しくなってきた。

「気にするな」公爵は小さな声で制止をする。「料理長は中にいるか?」

 声が小さくて聞こえない? 男はまだ少年とばたばたやり合っている。ウィリアムは咳払いをした。

「あ? 公爵様、何かご用でしょうか?」

 ようやくこちらのことを気がついた男ははたと動きを止めてこちらの口の動きを注視する。

「料理長に会いたいのだが」

 へ? というように二人がこちらを見上げたまま固まる。

「り、料理長でございますか?か、彼は向こうの邸宅のほうに・・・」

 なるほど、それではいつもここで料理を作っているのは誰なのだろう?

「私の料理を作っているものに会いたい」

 男は公爵に見下ろされて、ゴクリとつばを飲んだ。

「こ、こちらでございます」

 先ほど出てきた扉のところに案内される。中を覗くと一人の男が椅子に座って居眠りをしていた。なんだか不潔な男だ。こんな男の作っていた料理を食べていたのか・・・衛生基準法が・・・保健所が・・・わたしの頭の中で意味のない言葉がぐるぐるする。

 台所も立派な作りなのだけどなんだか不潔だ。絶対ゴキブリが大量に住み着いている。

 公爵が扉を通り抜けようとしたのだが、扉の脇につんである荷物が邪魔で通れない。

 いや、もうちょっとやせていたら通ったかもしれないね。現に先ほどの男は余裕で通っているよ。

「うわ、豚が詰まってるよ」

 後ろで少年が不規則発言を繰り返していたが、男もウィリアムも無視をした。

 若い男が寝ている男を起こす。

「なんだよ、昼までにはまだ時間が・・・」

 そこまでいっていってから、彼は扉を埋めている豚の巨体に気がついて言葉を飲んだ。

 豚も男の顔を見て気がついた。彼はこの男を知っている。ウィリアムが小さいときからこの屋敷につとめていた料理人だ。そのときはこんな不潔ななりはしていなかったよ。もうちょっとぱりっとしていて、男前だったよ。

「ぼ、坊ちゃん、いや、公爵様・・・」男は慌てて椅子から立ち上がる。「ど、どうしてこんなところに・・・」

 大貴族が厨房に足を運ぶなんてないことだからな。豚公爵は暗い思いをかみしめる。わたしという下層民の意識がなければ、ここを訪れるということを考えることもなかっただろう。

 でも、わたしはちらりと豚の隠したがっている記憶をのぞいてしまった。

 幼い豚が厨房にこっそり忍び込む記憶だ。

 ・・・坊ちゃん、一つだけですよ・・・一つだけ・・・

「な、なにか、ご用ですか」

「いや、ちょっと相談があってな」豚公爵はぼそぼそと話す。「食事の内容を変えてほしい」

 豚公爵は言葉を選んで話す。前のようにわたしが前面に出て話すときちがいだとおもわれてしまうからだ。いや、今もすでにそう思われているのかもしれないけれど。

 そもそも公爵自ら厨房に降りていくなど狂気の沙汰だ。そう豚は思っている。娘のところに行くために必要な行動だと理性では納得していても、感情的な嫌悪感はぬぐえない。

「お、お気に召さない料理がございましたでしょうか・・・」

「いや」わたしはちょっと考える。「実は最近私は野菜というものに興味を持っていてね。最近野菜料理が流行っているらしいのだよ」

「は?」

 そんな話は聞いたことはない、と男たちは目で合図し合っている。

「野菜を使った料理を食べたい。その分肉や甘味は減らしてもかまわない」

「お、お野菜でございますね」料理人はがくがくとうなずいた。

「ち、ちょっと菜園を見て・・・」

「菜園があるのか?」私は思わず聞き返す。

「え、ええ。この裏に・・・ちょっとした野菜なら・・・」

「見に行きたい。案内しろ」

 料理人たちの目が怖い。絶対に正気を疑っている目だ。

「案内してくれ」有無を言わさず豚公爵が命令する。腐っても貴族。豚の態度はそれなりに堂々としている。豚だけど・・・

「こ、こちらでございます」料理人が壁に掛かっていた鍵をとって館の裏に案内する。

 今まであまり訪れたことがない道だ。道の幅が狭くて、豚の幅だと枝が引っかかってしまう。

 こんな奥に畑があったのだ。気がつかなかった。

 料理人は長い生け垣の一角にある鉄格子の扉を持ってきた鍵で開けた。鈍い音を立てて扉が開く。

 中は壁に囲まれた開けた空間になっていた。周りに植えられているのは香草だろうか。植物独特の香りが漂っている。

 その向こうにはきれいに畝が並んでいた。

 どこがちよっとした菜園なんだろう。小さな家庭菜園を思い描いていた私は畑を見回す。普通の農園の規模はあるぞ。幾種類かの野菜が植えられているのだろう開けた場所の向こうには何本もの木が植わっている。

「向こうは果樹園か?」

「はい、そうでございます」

 私は生えている草を取ってにおいをかいだ。以前プランターに植えていたものに少し香りが似ている。何に使うのかを料理人に確認しながらにおいをかいで回る。

「あの、お楽しみのところ申し訳ありません。そろそろ昼食の支度をする時間ですので・・・」

 ずいぶんと時間を使ってしまったらしい。料理人がおずおずときいてきた。

「ああ、そうか。時間をとらせて悪かったな」豚は鷹揚にうなずいた。「つきあってくれてありがとう」

「・・・・・・」

 微妙な空気が流れる。

「ああ、そうだ。ここの鍵は開けておいてくれないか。ここが気に入った」

 菜園の鍵を閉めようとする料理人を制すると、これまた変な沈黙だ。

「こ、公爵様がそうおっしゃるのなら・・・」

 それでも料理人はこちらの頼みを拒絶しなかった。

 拒絶したら処刑されるとでも思っているのだろうか。確かにゲーム版の豚ならやりかねないけど、ここにいるのは気のいい豚だ。今私が寄生しているこの体の主はそのくらいのことでは罰を与えたりはしない。そうだろう?

 久しぶりに楽しい散歩だった。豚も植物に対する新しい知識に興味を持っているようだ。今度はあの奥の果樹園に行ってみよう。ひょっとしたら、何か果物がなっているかもしれない。

 部屋に戻ると、クラリスが部屋を掃除して待っていた。

 わたしがいつもの椅子に腰掛けるのを手伝うと、おや、というように首をかしげる。

「どうした?」

「いえ、香草のにおいがしましたので・・・」

「ああ、先ほど菜園に行ってきたのだ。そのときに香りが服に移ったのだな」

 私はにおいをかいでみた。かすかな草のにおい・・・久しぶりにかぐ生のにおいだった。この部屋に漂う重くよどんだ空気とは違う新鮮な風のにおいがする。

 急に外の風が懐かしくなった。そういえば、ここの部屋は閉め切ったままだ。

「窓を開けてくれないか」

 こんないい天気なのに、部屋を閉め切っているなんて。

 窓を開けて風を入れよう。そう思ったのだが、クラリスは首を振る。

「窓には鍵がかかっております」

 おや、前は空いていたはずだが・・・そう私は思う。

「そうか?開けられないのか?ならば後で家令に鍵を外すようにいっておいてくれ」

次の日もよい天気だったので、菜園に行ってみた。

 昨日言いつけてあったとおり、鍵は開いていた。

 香りのいい香草の植えてあるところでにおいを楽しむ。

 豚公爵もわたしの気分が伝染しているのか、心を弾ませていた。

 それまで知識としての野菜は知っていても、実際に葉を茂らせたり実をつけたりしているところを見たことはなかったのだ。なんて偏った教育なんだとわたしは思ったけれど、教えられなかったのはウィリアムのせいではない。

 新しく作られた畝のところにいって、私はまじまじと土を観察する。

 わたしからの知識でそこに新しい作物を植え付けるのだと知って土に触れてみる。

 柔らかいな・・・土といえば練兵場や訓練施設の砂しか触ったことがなかったらしい。

 ここの土は暖かいな。泥みたいに冷たくない・・・どうやら、以前狩りの途中に沼にはまって大変なことになったようだ。豚を掘り出す羽目になった周りのものにわたしは同情した。

「おい、何をしてるんだ」

 怒ったような声がふってきた。

 豚は驚いて、腕組みをして立つ男を見つめ返した。

「おまえだよ、おまえ。畑で何をしている」

 なにをって・・・

 豚が畑に穴を開けたことを知った声の主は慌てて穴のそばにひざまずく。

「おい、何で穴を開けるんだ。今からここに苗を植える予定なんだぞ」

 この男は私を公爵だと認識していないのだろうか。今までそんな乱暴な口をきかれたことになかったウィリアムはあっけにとられている。

「何の苗を植えるんだ?」代わりにわたしが聞いてみた。

「春芋だよ」そんな当たり前のことも知らないのか、そんな口調だ。

「おまえ、邪魔だ、どいた、どいた」男は公爵を押しのける。「さっさとここからでていってくれ。それとも何かな。手伝ってくれるとでもいうつもりか」

 何という無礼な口調・・・以前の豚公爵なら怒り狂っていたかもしれない。だが、庶民であるわたしに乗っ取られている豚は感覚まで平民に近づいていた。そして新しい苗を植えるという作業に興味を持っている。新しい出来事への期待が怒りを上回っていた。

「て、手伝ってもいいのか?」

 中年の男の太い眉毛がぴくぴくけいれんするように動いた。

「勝手にしろ」

 男は鼻を鳴らした。

「何をすればいいのかな?」

 男は顔をしかめながらも、丁寧に作業の様子を豚に見せる。ああ、こういう作業ならやったことがある。

 何もかも初めてのウィリアムには無理そうだったので、代わりにわたしが苗を植え付けるのを手伝った。しばらくすると豚も一緒に夢中で作業をしていた。

 久しぶりの土いじりだ。見た目だけ豪華な部屋に閉じこもっているよりずっと楽しい。

 作業はあっという間に終わってしまった。

「次に何をすればいいのだ?」私はわくわくしながら、次の作業をまつ。

「今日はこれで終わりだ」

 そうか、今日は終わりか。私はがっかりする。

「明日は何をするのだ?」

 男は口をへの字に曲げた。

「明日もここに来るつもりなのか」

「もちろんだ」

「それなら、もっと動きやすい格好をしてこい。その服では明日の作業は無理だ」

 渋々といった様子で男は豚に指示を出す。

 確かにこの格好は動きにくい。服に土がついて悲惨な有様だ。

 案の定、その話をすると部屋でまっていたクラリスに思い切りあきれられてしまった。

 しかしここはスーパー侍女。次の朝にはちゃんと特大サイズの作業着のようなものが用意されていた。どこかで見たカーテンの模様に似ているような気がするのだが、気にしないでおこう。

 こうして豚の園芸生活が始まった。

 わたしも楽しい。部屋の中に閉じ込められた生活にいかにストレスを感じていたか、今さらながらに実感する。ダイエットにもなるし、最高だ。

 晴れている日は毎日わたしは菜園に出かける。この畑を管理している男の指示に従って、ものを運んだり、ものを植えたり、様々な作業をこなす。

 最初は止めに入った家令もついにあきらめたらしい。クラリスもため息をつきながら、外着を何着も縫ってくれた。

 庭師の親父は最初からずっとぶっきらぼうで公爵を公爵とも思わない態度をとっていた。彼が何を考えているのか、それどころか本当に庭師なのかすらわからない。公爵の記憶をのぞいてもこの男の正体はわからない。ゲームにもこんな男は一切出てきていない。

 彼はいつも黙々と館の裏にある畑を耕して作物を植えている。

 そのほかのものといえば、豚は完全におかしくなったと思っているのだろう。前にも増して館から人気がなくなった。メイドたちは一人減り二人減り・・・ついに顔を見るのは部屋付きのクラリスだけになっている。

 ウィリアムはずいぶん落ち込んでいたが、わたしとしてはまわりを下手に探られるよりはずっと気が楽だ。どこかわからないところからこちらの行動を見られていると思うと、気味が悪い。

 気味が悪いなんて、失礼な。召使いがいることになれている豚公爵はそんなわたしに反発している。

 彼らは前から家に使えてきた忠実な召使い達なのに。その忠節に疑問を持つなんて。

 貴族にとっては召使いたちは便利な道具のようなもの、掃除機や洗濯機が生きて歩いているようなものだ。そう思うのも仕方がないのかもしれない。

 ただ彼らの忠節というものに関してわたしは疑問符をつけている。本当に忠実ならもっとダイエットに協力するよね。そもそもダイエットが必要になる前に食事制限をかけるくらいのことはするはずだよ。

 今までゴールドバーグ家の人たちが公爵にしてきたことはけして公爵のためにならないことだったという事実は曲げられないよ。

 だいぶ外歩きにも慣れたところで、私は再び外出することにした。

 わたしはまだ無理だと感じていたが、ウィリアムは学園に忍び込む気満々だ。

 なんだろう、豚公爵のこういうことに執着するところにゲームの闇を感じるのだけど。

 そう、ウィリアムの頭の中は娘のことでいっぱいだ。彼女の様子を見るために学園に忍び込む。それが彼の思いの大部分を占めている。

 園芸が趣味の一つに加わったとはいえ、占める割合は一割か、多くて二割だ。ほとんどのことは娘、娘、娘・・・どう考えても好かれているとは思えない少女にここまで執着していたなんて・・・

 ストーカー・・・そんな言葉が私の頭をよぎる。

 何はともあれ何か行動をしなければいけないというのは確かだ。豚はいまひとつわたしの未来予想を信じていないが、ここがゲームの世界ならば残されている時間は少ない。

 わたしにもいったい豚公爵がどういう立ち位置にいるのかはよくわからない。悪役なのか、それとも閉じ込められている善意の人なのか。だが、どう考えてもまともな人として扱われていない。たとえていうなら、養豚場の豚、餌と寝るところだけ与えられて肥え太らされているのと同じ。いずれ屠殺される家畜だ。

 早く豚から人へと昇格しなければ・・・焦るわたしの気持ちを豚公爵は理解していないようだ。理解できないのではなく、理解したくないと思っている、そんな気がする。

 家令にまた馬車を用意するようにと命じると、彼はしばらく押し黙った。あきらかに、豚公爵を外に出したくないのだ。だが、主の名という建前上いうことを聞かなければならないはず、その葛藤が沈黙に現れている。

「申し訳ありません・・・明日は、従者が皆で払っておりまして、その、お嬢様のお茶会が別荘で催されることになっておりまして」

 そのイベントなら覚えている。街の外に建つ公爵家の別荘で催されるお茶会のイベントだ。

 だがそれは主人公ヒロインを陥れるための策略で・・・という序盤のメインイベントの一つだ。確か令嬢本人は学園にとどまっていてその策略を知らないとしらを切るという話だった。

「従者はいらぬ。そっと出かけたいのだ」

「実は、私も、用がございまして、その、オクタヴィア様から命じられました大事な用なのです」

「そうか」豚公爵は目を伏せる。「ならよい。クラリス、そなたついて参れ」

 髭家令が思わずまじまじと豚を見る。食器を片付けていたクラリスは思わず皿を落としそうになる。

「わ、わたくしが、でございますか」

 作中では豚の側について何でもこなしていた役柄だ。御者もこなしているスチルもあったぞ。

「よろしく頼む」

 有無を言わせず、話を打ち切る。こういうところは豚公爵の上から見る態度が役に立つ。わたしだったら延々と説得にかかって、また気違い扱いされるところだ。

 次の日豚公爵は意気揚々と前よりも地味で小型な馬車に乗り込んだ。お忍びのお出かけというわけだ。乗り物が小さくなったにもかかわらず前と変わらない感じがするのはダイエットが成功しつつあるためだろうか。

 向かい合うようにしてクラリスが不安げな様子を隠せずに乗り込む。さすがに御者は別のものをつけてくれた。この前とは違うもっと若い男だ。

 行き先?そんなものは一つしかない。

 馬車は学園の門のところを通り過ぎて、この前庭師たちが中に入っていた脇の門に向かう。

 前の時と同じくらいの時間に外から通う庭師たちがやってくるに違いない。そう考えて、早起きして朝ご飯も食べずにやってきたのだ。

 馬車の中で待つ間に、食べるはずだった朝食を少しつまむ。すこしといっても、豚のことだからかなりの量なのだけど。

「食べなさい」

 わたしはクラリスにサンドイッチを勧める。最近では相伴することが多くなったクラリスだが、ここでもそういわれると思っていなかったらしい。かすかに彼女は目をみはる。

 そうこうしているうちに、前のようにぞろぞろと庭師の一団がやってきた。

 わたしは意気揚々と庭師たちの前に進み出た。

 今日はちゃんと外仕事用の汚れてもいい格好をして、道具もそろえてきた。

「ごきげんよう」

 豚はこの一団を仕切っていると思われる親方に声をかける。庭師たちはこの前の頭がおかしい貴族がやってきたと気がついて、ざわざわと騒ぎ始めた。

「親方の許可は取れたかな?」

「・・・・・・」

「この前は失礼した。迷惑をかけてしまった・・・今回は前回のようなことにならないように、きちんと道具も用意してきたぞ」

「・・・・・・旦那・・・」親方がふうと大きく息を吐く。「申し訳ないが、それはできねぇ。部外者を入れるなといわれている」

「金か?金なら渡す」

「金の問題じゃぁねぇ。口入れ屋の元締めに止められた。元締めに逆らうと、今度俺たちに仕事が回ってこねえ」

「そうか・・・」豚は考える。「ならば、その元締めとやらの許可を得ればいいんだな」

「そ、そりゃあ、そうだが・・・」

「じゃぁ、その元締めとやらにあわせてくれ。会って許可を取ればいいのだろう。どこに住んでいると、いっていたかな」

 親方は首を振る。

「旦那、そりゃぁ、無理だ。元締めの居るところは旦那みたいにいい身分の方々が行っていい場所じゃねぇ・・・」

 やくざの親分みたいなものだろうか?そのあたりのことは豚公爵の知識にはない。ゲームの中に存在する豚はそういうあやしい輩とつるんでいたから、お知り合いの一人や二人いてもおかしくないのだが、私は知らない。

 話をつけに行ってみよう。豚公爵はすでに会いに行く気になっている。勇気があるというのか、無謀であるというのか、異様な行動力だ。別のところにそのエネルギーをつかった方がいいとおもう。

 さすがに一人で行かせるのはまずいと思ったのだろうか。親方がついてきてくれることになった。何度も大丈夫かと念を押されたよ。豚公爵は無邪気に大丈夫と答えているけど、わたしは不安だ。

 クラリスにその元締めがどんな人かという情報を聞き出してもらったが、ろくな情報はない。何でも下町の一部を仕切っているボスらしいことはわかった。

 彼女もなにか知っていることを期待したのだが、どうも生まれ育った地域が違うようだ。彼女も初めて足を踏み入れる地域だという。

 馬車は邸宅街を抜け、住宅街らしき区画を抜け、繁華街の裏手を抜け、都の外に通じる門のところでとまった。ここから先は歩きらしい。御者を残し、外套を着た頭からすっぽりかぶったクラリスと一緒に親方について行く。

 親方たちは実はこの街の外に住居を構えているらしい。そんな話を聞きながらいかにも治安が悪そうな区域に足を踏み入れる。

「旦那はここで待っておいてください」

 そう、言い残して親方は一軒の酒場のようなところにはいっていった。

 周りの目があからさまに冷たい。場違いなところに来た空気が半端ない。

 汚い水たまりにはまらないように気をつけながら、酒場の入り口から中を覗いてみる。

 食べ物のにおいと紫煙のにおいが入り交じったなんともいえない空気が漂う店の中には人相の悪い男や女がたむろっていた。

 うん、明らかに危険な地域だ。

 いつ身ぐるみはがされても仕方がないような雰囲気が漂っている。

「おまえが、ボスに会いたいっていう豚野郎か?」

 しばらくするとものすごくサイコパスな雰囲気をたたえた男が中からやってきた。

「きな。ボスがお会いになるそうだ」

 豚野郎といわれて、ウィリアムは憤ったが、わたしは彼が何か言い出すのを止めた。

 ここで逆らったら、バッドエンド直行。豚の丸焼きができてしまいそうだ。

 狭い店の扉をかろうじて通り抜け、腐った階段を踏み抜きそうになりながら二階に向かう。クラリスも黙ってついてきた。

 奥の部屋は薄暗い。その奥にある扉らしき板を男はたたいた。

「ボス、庭師の物まねがしたいというきちがい貴族が来ましたぜ」

「はいれ」

 野太い声が帰ってきた。

「はいんな」

 板を開けて男が促す。わたしは頑張って板をすり抜ける。

 向かい合わせになっている大きな机に男が一人ついていた。いかにも品のない顔をした不機嫌をまき散らしている中年の男だ。わたしはどこかで見たことのある顔だと思う。

 あ・・・

 顔を上げた男も、豚公爵を見て驚きの表情を浮かべる。

「豚公爵ぅ???」

「トール・ガーグル??」

 二つの声が交錯した。

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