第17話 病院

僕は『かわいい子猫の館』に逃げ込んだ。

 あの男の恐怖に比べたら、僕の貞操を失うことなどたいしたことではなかった。

 道中、フラウが何か話しかけてきたけれど、頭の中がいっぱいでよく覚えていない。

 なぜ、彼はあそこにいたのだろう。

 ぐるぐると回る思考の罠に僕ははまっていた。

 あんな安っぽい芝居をして僕の前に現れた理由は?

 彼は、僕があそこにいることを知っていた。

 “僕”の冷静な思考を僕は何度も振り払う。

 そんなはずはない。彼が僕のことを知っているはずはない。

 僕ではない。たぶん、フラウが目的なのだ。

 フラウが追放された公女様だから? 追放されたのに、のこのこと砦に現れたから?

 でも……穏やかにフラウと話をする男の様子を思い出す。フラウの前では等級監督官であるというそぶりすら見せなかった。彼女を、さげすんだり、変に持ち上げたりしない、いい人だと何も知らなければ思ったかもしれない。

 それでは、やはり、僕が標的だったのか? 

「どうしちゃったの、アークちゃん? 砦に泊まるんじゃないの? それとも、あたしたちのことが、やはり、気になるのかしら?」

最初は、そんな軽口をたたいていたヴェル姐さんやヴァイス姐さんも、頭を抱えて部屋に閉じこもろうとする僕がおかしいことにすぐに気がついた。

「どうしちゃったの? 気分が悪いの?」

 肉の壁に取り囲まれて、でも、どこか僕は安心している。彼らがあの男との間に立ってくれているようで。でも、縮み上がった舌はなかなか動いてくれなかった。

「お熱でもあるのかしらん。あら、これは重症だわ」

 分厚い手を額に当てられても反応しない僕に、ヴェル姐さんはつぶやく。

「それが」フラウも困った顔をしている。「装備係の人と話をしていたら、おかしくなって。どうもその人と知り合いだったみたいで、ね」

「知り合い? あそこの装備係と?」

 いつものように真っ白に白粉を塗ったヴァイスさんが眉をひそめた。

「アークちゃん、そんないいお家の出だったの?」

「あ、あんな奴、知り合いじゃない。ぼくはしらない」

「でも、あの人たち、あなたのことをよく知っていたじゃない。学校にも推薦してくれたのでしょう? ひょっとして、親戚、だった? あまり仲の良くないおじさんとか、おばさんとか」

「ち、違う、フラウ」

 フラウには話しておかなければならない。

 僕は彼女を守らなければならないという奇妙な使命感にかられた。彼女の警戒感のなさは危うかった。野獣の前でのんびりとくつろいでいる獲物のようだった。

 僕は最大限の努力をして言葉をひねり出す。

「あいつは、装備係なんかじゃない。あいつは、あいつらは……等級監督官だ」

「等級監督官?」フラウが首をかしげた。

「等級監督官!」

 飛びあがったのはヴェル姐さんのほうだった。飛び上がったときに椅子が変な音を立てた気がする。

「等級監督官って、あなた、どういうことなのよ!」

 吠えるような声で怒鳴られて、逆にフラウがびくりとする。

「あそこであった男は等級監督官だ。それも、たぶん、かなり上の地位だと思う」

「どうして、それがわかる?」ヴェル姐さんはすっかり野太い男の声に戻っていた。

「本当なんだろうな」

 言葉に詰まる。化粧の奥のヴェル姐さんの鋭い目が瞬いた。

 ヴェル姐さんは額に手を当てて上を向く。

「怖いわ、怖い。ああ、気が遠くなりそう」

 どこからどう見ても気絶しそうもない巨体にそんなことをいわれても説得力はない。

「ヴェル姐さん、しっかり」励ますヴァイス姐さんのほうはまだ裏声だ。「アークちゃん、どういうことなの?」

「等級監督官って、杖の使徒のことですよね。神殿所属の」

 フラウは困惑気味だ。

「そうよ、神殿の犬よ。アークちゃん、あんな奴らと知り合いなの? ああ怖い」

 大騒ぎをするヴェル姐さんを軽々と支えながら、ヴァイス姐さんが説明した。

「あのね、フラウちゃん。等級監督官はね、この辺りではとっても怖い存在なのよ。かつての彼らの仕事がなんだったのか、知っているでしょ」

「黒い民の選別と追放……でも、もうその仕事はなくなったはずですよね」

「今でも似たことをやっているわよ。追放じゃなくなったぶん、もっと、ひどいかもしれない」

「そうよ、そうなの。あいつら、怖いのよ」

 ヴェル姐さんが突然大きな顔を突き出して、力説する。

「あいつらはね、この町の隅々でずーっと見張ってるの。それで、ここぞという時に踏み込んでくるのよ。幸い、あたしたちのお店はまだやられたことはないけれど、それで消えた店はたくさんあるんだから」

 そういって、ヴェル姐さんは身震いをした。とたんに椅子が崩壊した。

「ねぇ、その人たちが等級監督官というのは間違いないの?」

 床を揺らすほどの勢いで倒れたヴェル姐さんを、ヴァイス姐さんは片手でひょいと起こしながら聞く。

 認めるのも嫌だったが、僕は無言でうなずいた。思い出してもおぞけがする。

「ということは、私が装備係だと思っていた人は神殿の人で……杖の使徒で。杖の使徒って軍とは全然関係がない人たちですよね。なぜ?」

「ここでは、軍も神殿も似たようなものよ。どちらもあたしたちのことを嫌っているのよ」

「なぜ神殿が? 私が、マダラだから? でも、どうして? わざわざアークにだけわかる方法を使ってきたのかしら? 昨日会った神殿の人は何も言っていなかった」

「まぁ、あいつらは、回りくどいやり方をするから」

 ヴァイスさんがわざとらしく寄りかかるヴェル姐さんの肩を叩く。

「ほんと、いやらしいやり方をするのよ。あー、なにかしら。ひょっとしてこれは私たちへの警告かしら? この最後に残った楽園もつぶそうという陰謀かしら? もう、混乱しちゃって。監督官と聞いたら、ぐずぐずしてられないわね。ちょっと失礼するわ」

 色を失ったヴェル姐さんは、赤い大量の布を揺らしながら部屋を出ていった。後には粉々になった椅子が残る。

「姐さん、あたしたちは関係ないと思うけど。ちょっと」

 ヴァイスさんが後ろから声をかけるも、聞こえていないようだ。

「とにかく、あの連中に絡まれたのなら、アークちゃんが縮み上がっていても不思議じゃないわよ。慰めてあげなさいね」

 ヴァイス姐さんは、廊下を揺らしながら歩いていくヴェル姐さんの後を追う前に投げキスをしていった。

 彼らがいなくなってから、ずいぶんこの部屋が騒がしかったのだと気が付いた。

「ごめんなさい。アーク、わたし、全然気が付いていなかったわ。あの人たちが偽の装備係だったなんて」

「こちらこそごめんね。僕は、あの人たちが怖くて、きちんと伝えられなかった」

 嘘のように言葉が出てきた。ヴェル姐さんが転んだ瞬間に、恐怖もどこかに飛んでいったみたいだ。

「彼らは偽物だったということよね。ということは、今日の話はすべて嘘ということかしら」

 フラウはそわそわと足を動かした。

「たぶん、装備のことは嘘じゃないと思う。ちゃんと用意はしてくれると思うよ。彼らにはそれだけの力はある。確認はしたほうがいいと思うけれどね」

 ようやく頭が回るようになってきた。ひどい気分だ。

 もう、振り払ったと思っていたのに古い過去の亡霊はまだ生きていた。最近は夢にも出てこなかったから、克服できたと思っていたのに。

 パニックがおさまると、別の恐怖が浮かび上がってくる。

「ちょっと出かけてくる」

「どこへ?」

「……病院に行ってくる」

 なぜ彼らは妹のことを口にしたのだろう。あの子に何かをするつもりなのだろうか。押さえられない不安が僕を突き動かす。

 あの子に何かがあったら。

 狂暴な衝動に駆られて、僕は猫の館を飛び出す。

 病院のある場所はわかっていた。毎月通っていた場所だから。

 フラウも黙ってついてきた。こんなところで一人にするのは危ない。僕はいつもの癖でついついフラウの手を取ってしまう。いつもなら、小さい子扱いしないで、といわれるところだけれど、今のフラウは何も言わない。

 病院は前と全然変わっていなかった。多くの着飾った男女が静かに順番を待っていた。

 本来ならば、僕らのような黒い民が入院できる施設ではない。ここは上の町に住む内地人や金持ちのための施設なのだ。そういう意味では、あのアハトという男がしたことは僕らにはもったいない温情だった。

 妹が入院している病棟は、病院の一番奥、人目に一番つきにくい場所だった。

 いつものように、裏口から建物の中に入る。

 妹のように治る見込みがない患者ばかり集められている建物の中は静かだった。僕の顔を知っている看護師に妹の部屋を聞く。

「あら、久しぶりね」看護師はとても驚いた。「休暇なの?」

「はい。久しぶりに町に来たので、妹の顔を見るためによりました」

 ここの人たちは、他の連中と違って黒い民だからといって露骨に態度を変えることはなかった。誰が、妹を入院させたかを、知っていたからかもしれない。

 妹の部屋は前と変わっていなかった。

 僕が突進するような勢いで扉を開けると、妹のエマは驚いたように顔を上げた。

 一年ぶりに見る妹は少しだけ成長していた。でも、透き通るような白い肌と黒い大きな目が前よりもめだっていた。

「おにいちゃん?」

 僕は妹のベッドに腰を下ろして、彼女を抱きしめた。よかった。ちゃんと、エマはここにいる。

 彼女の体からはかすかに消毒薬の匂いが漂う。

「会いたかった」

「おにいちゃん」

 力いっぱい抱きしめると、そのまま折れてしまいそうだ。抱き返す腕の力なさが出会えた喜びに影をさした。

「元気にしてた?」

 それでも、顔を合わせるときは笑顔を向ける。

「おにいちゃん、どうしたの? きょうはおやすみなの?」

「うん。休暇で町に来ることができたから」

 もう一度抱きしめる。

「えっと、あのひとは?」肩越しにエマは尋ねた。

 扉のところでフラウがこちらの様子をうかがっている。

「ああ、彼女。彼女は、フラウ。砦の仲間だ」僕はフラウを手招きした。

「今日は彼女と一緒に町に来たんだ。ちょっと用があってね」

「こんにちは、初めまして」

「おにいちゃんのともだち? おんなの子?」

 エマが目を丸くする。

「同じ砦に勤めてるんだよ」

「こんなにちいさいのに? おんなの子なのに?」エマは大きな目をさらに見張る。

「いいな。へいたいさんなんだ。おんなの子なのに」

「兵隊さん、なのに? いい?」そんなことはかけらも思っていなかったらしいフラウが聞き返す。

「うん」

 エマは枕元から本を取り出す。

「みて、光のえいゆうのものがたり。えいゆうの中にはおんなの人もいるんだよ」

 よく知られた古い神殿の物語だ。魔人と戦って、星の帝国を守った英雄たちの物語だ。彼らの子孫が、この帝国の主となったという。

「ほら、『この国を守るためにわたしの光をささげましょう、とせいじょはいいました。つえの導くままにわたしは道をすすみます。どうか、わたしたちを導いてください。そういって、せいじょはいのりました』 ね、女の人でしょ。このあと、たたかうんだよ」

「だいぶ上手に読めるようになったね」僕は本をぱらぱらとめくった。

「おにいちゃんのてがみを読みたいから、がんばったよ」

 エマは小さく笑う。

「ああ、そうだ。そんな頑張り屋のエマにお土産を持ってきたよ」僕は首から袋をはずす。

「これ、光の種が入っている。見て」

 僕は中からひとかけらを取り出す。

「ほら、きれいだろ」

「うん、きれい」

 エマはそっと砂粒のような種に触る。彼女もその種から光を取り出すことはできないけれど、それでもそっと触れている。

「これを全部、エマにあげるよ」

「いいの? 種はとてもたかいんだよ。おにいちゃん、つかうでしょ」

 妹は袋を押し返す。

「エマにお土産にするために持ってきたんだから、いいんだよ。ほら、前に種を使ったら体が楽になるような気がするっていってたよね」

 エマはうなずいた。

「ありがとう。おにいちゃん、たいせつにするね」

 しばらくたわいもない話をした。エマは砦の話を聞きたがった。僕は、適当に脚色をして面白おかしい話を続ける。砦にいる野生児の話をことさらエマは面白がった。

「サラちゃんっていうんだ」エマは感慨深げに名前を繰り返す。

「そうだよ。本当に野生児だから、とっても危険なんだ」

 お兄ちゃんなんかいつも引っかかれているんだぞ、と腕の古傷を見せる。偵察任務の時に藪に落ちてついた傷だ。

「でも、フラウさんのいうことは聞くんだよね。フラウさん、もうじゅうつかいだね」

「フラウ、でいいのよ。アークの仲間だから」

「うーん、でも、フラウ、はへいたいだから」エマは、僕の渡した袋の紐をいじった。

「あのね、あのね、げんきになったら、へいたいになりたいの」

「兵隊に?」とんでもない。内心僕はそう思う。

「うん、おにいちゃんみたいにがっこうに通って、へいたいになって、おたからをあさるの。からだが動くようになったら、できるでしょう?」

 フラウが僕の顔をちらりと見た。

「そうだなぁ、もっとたくさんちゃんとご飯を食べて、元気になったら、その時考えよう」

「サラちゃんとも遊べるよね」

「砦に配属されたらな」

「フラウさ、も待っていてくれる?」

「ええ。砦に来たら、一緒に遊びましょう」

 フラウが柔らかく笑う。

 そこへ看護師が現れて、僕らを部屋から連れ出した。

「またきてね」

「うん、まだ町にいるから遊びに行くよ」

 部屋から出て、そっと息を吐く。

「まだ、町にいるのですね」看護師が僕に確認をする。「それはよかった。先生がお話したいことがあるそうです。前から、あなたに会いたいと希望を出していたのですが、ようやく許可がおりましたので」

「許可?」

 僕は聞き返す。

「ええ。あの子のことは神殿の管轄になっていますから」

 僕の宿泊先をきいて、看護師は自分の仕事に戻った。

 あの店の名前を聞いても顔色一つ変えなかったところを見ると、どういう場所か知らなかったのかもしれない。

「かわいい妹さんね」

 フラウはエマのことを気に入ってくれたようだ。よかった。

 妹のように黒い髪、黒い目で光術が一切使えない子供は、ここではとても醜い子供だと評価される。

 でも、僕はとてもかわいい子供だと思っていた。

 そして、いつもそれを妹に伝えていた。兄としてのひいき目ではない、と思う。“僕”の評価も、フラウほどではないけれど、“普通にかわいい少女”なのだ。

「ほめてくれてありがとう。……小さい時から体が弱くてね。僕が学校にいる時からずっと入院していた」

 ほっとしていた。

 彼らはあの子に何もしていなかった。あの様子からして、何かされていたという感じはない。いつものあの子だった。そう、いつものエマだ。

 とても軽くなった、宙に浮いてしまいそうなほど、そんな心の声を塗りつぶす。

「そう」フラウはうつむく。「彼女、何の病気なの?」

「わからない。どんな薬も効かないときいた。だから、その場その場で対処するしかない」

「そう。よくなるといいわね。 明日もいくつもり?」

「時間が許せば。なるべく会おうと思っている。砦に戻ったらまた会えなくなるからね」

「そうよね、会える時に会っておかなければね」

 うらやましい……そう、フラウがつぶやいたような気がした。

 そういえば、フラウの家族はどうしているのだろう。

 昨日見た映像の中で、彼女の両親や兄弟たちが弾劾されていた。荘厳な神殿とおぼしき部屋で大勢の人に囲まれて、マダラである娘を星の妃候補として偽った罪で裁かれていた。

 どろどろとした裁判のはずなのに、現実感のない絵画のように美しい映像だった。

「フラウは……」そのことを聞こうとして僕は途中で気を変えた。

「なに?」

「うん、いや、時間があるかなって。時々、病院に付き合ってくれると嬉しいかなって。エマもきっとフラウに会いたがっているから」

 フラウの顔が明るくなった。

「いいわよ。喜んで」

「それから、買い物にも付き合ってほしいんだ。ほら、いろいろと頼まれているから」

「そうよね。みんな、好き勝手なものを頼んでいたものね。物資を持って帰る方法も考えないと」

 ああでもない、こうでもないと、頭をひねっているフラウはとても楽しそうだった。

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