フラウに提供された部屋をあちこち調べてみたが、どの備品も僕が使うことができない等級に設定されていることが分かった。
これでは、飛び切り豪華なつくりの牢獄に閉じ込められているようなものだ。
フラウは僕以上にそのことに腹を立てていた。
「明日までだから」フラウは僕に宣言した。「明日、備品の購入のめどがついたら、ここから出る」
「光衣を送ってくれると彼らが約束したのか?」
この砦の連中がそんな気前のいい約束をするなんて。
「ええ。明日、担当士官に会わせてくれると約束したわ」
いったいどんな手段を使ったのだろう。僕はこの砦の士官たちはいろいろと言い逃れをして、その挙句に結局断ってくるのではないかと予想していた。
「たとえ、|穢《けが》れていても、私の血統には価値があると思う人がいるということよ」
遠回しな質問にフラウはいやそうに答えた。
「いまはまだ無理でもいずれ、という……」
「まさか、そんなことを約束したとか……」
僕は冒涜だと思った。僕もかなり熱狂的なフラウ信者だったようだ。
「まさか」フラウはぴしゃりと言い切った。
「ひょっとして、昨日であった変な男がらみだったりする?」
「…………」
渋い顔をしている。あのピカピカ光る派手な男なら、フラウの機嫌を損ねることをやりかねない。
「それはとにかく、この状況を何とかしないとね」
いやな思いを振り切るように、フラウは部屋をぐるりと眺めまわした。
「本当はこんなことをしたくはないのだけれど」
彼女は、装置という装置に光術をかけていく。
「何をしているんだい?」彼女の細い指が呪を重ね掛けしている様子を観察しながら僕は尋ねた。
「あなたが、この部屋のものを使えるようにしているの」
フラウは触ってみてと僕の手をパネルにあてた。
「明かりを消してみて」
「消す、呪だね」
僕は依然フラウに教えてもらった初歩的な呪を思い浮かべる。
あっけなく、明かりが消えた。
「これは一体どうやってこんなことができるんだ?」
「一時的に、私の光と代理権をこの装置に与えたの。しばらくの間は、誰でもこの部屋の装置を使うことができるわ」
助かった。
僕はあちこちの装置を試してみた。
「すごいな。こんなことができるなんて」
僕は明かりをつけたり消したりを繰り返す。
「そうでもないわよ。ただ、ちょっと特殊な呪だけれど」
フラウは肩をすくめた。
「本来はこういう風に使うことはないから。元々、装置にその機能を付与しておくための呪なの。ほら、小さい子供とかはまだ光術を使えないから」
僕はここでは幼児扱いをされているらしい。外見はお子様のフラウにそんなことを言われるなんて複雑だ。
次の日、食事を届けに来た例の士官は僕が部屋でくつろいでいるのを見て露骨に顔をしかめた。当たり前のように部屋を使っていることをおかしなことだと感じたようだった。
下層民が身分不相応な部屋に圧倒されて、なにもできずに憔悴しているとでも思っていたのだろうか。この程度の嫌がらせを一晩引きずるような繊細な心は軍学校から卒業するころにはなくなっている。
「そこにおいて下がってください。あとは私たちでやりますから」
食事をテーブルに並べようとする士官は眉を顰める。
「給仕は結構です。ありがとう」
「しかし、」
なにもできないでしょう、と僕のほうに目が向く。
「彼は有能な部下ですから」
とても冷たい言い方だった。
大きなベッドにちょこんと座った愛らしい子供の口から出たとは思えない。
今度はどうぞご自由にともいわれなかった。
無言で出ていく士官を僕はちょっと気の毒だと思った。
「いいのか? フラウ」
フラウに茶を継ぎながら、僕はきく。
「いいのよ。あちらこそ失礼でしょう、あんな言い方」
フラウは僕の入れた茶を一口飲んでから目を丸くした。
「あら、おいしい。アーク、どこで茶の入れ方を習ったの?」
「砦では僕はお茶くみだったからね。君の世話役ということで役を外れたけれど」
「ふうん」
僕は自分の分もコップに次ぐ。湯を沸かさなくても茶を適温に温める機械があるなんてすばらしい。砦にも一つ欲しいくらいだ。
“僕”の感覚ではここは百年くらい昔の生活水準かと思っていたが、どうだろう。この部屋の機能は”僕”の家にある”機械”と同じような機能を持つものが多かった。ものによってはむしろ進んでいるのかもしれない。
腹ごしらえをしたら、いざ出陣。
おおげさではなく、前の魔人戦の時よりも気が引き締まった。後ろから殴られることを警戒しなければいけないのだ。
「私から離れないでね」フラウが小声で僕に警告する。
「なぁ、こんな早い時間からたずねて行って大丈夫なのか?」
まだ、始動していない砦の雰囲気に僕は聞く。
「大丈夫。昨日のうちに連絡を入れている」フラウが答えた。
「本当に補給士官がいるんだろうか。昨日の様子からすると、ここの奴らは平気で聞いてませんとか言いそうじゃないか?」
「アーク、忘れたの。私の階級権限はこの砦の司令官に次ぐのよ。人はともかく、機械は私の権限で動かすことができるの。光の呪を使って連絡を取ったからごまかせないわ」
それで昨夜遅くまで光板をいじっていたというわけか。
僕はその間にずっと記録映像を見ていた。フラウには内緒で、こっそりと。
記録映像の中のフランカは、今目の前にいる少女よりもずっと大人に見えた。星の妃候補としてふさわしいだけの光をまとい光翼を背負って、星の王子の隣で冷たい笑みを浮かべていた。その映像は美しい絵画のようだった。
フランカが星の妃候補としてお披露目されて、他の候補よりも抜きんでた存在として寵愛されて、そしてマダラであることを暴かれて堕ちていく。星の皇室を欺いていた悪として家族もろとも断罪される“映画”のようだった。
確かに目の前にいるフラウと同じ姿かたちをしているけれども、映像の中の彼女はもっと冷たい氷のような女にみえる。
冷たく見えるように、編集されているんだよ。“僕”の知識がささやく。
「ここの砦には神殿が隣接しているのね」
神殿のごてごてした建物は砦の中からでもよく見えた。砦と神殿は中でつながっていると聞いたことがある。秘密の抜け道でもあるのだろうか。
「神殿をこんなに近くでで見るのは久しぶり」フラウは懐かしいものを見るように目を細めた。「あとで、お祈りに行こうかしら」
「え? あんなところに行きたいのか?」
僕は思わず震えた。僕からすればあそこは“らすぼすの住むまおうじょう”みたいなものだ。フラウの気が変わることを僕は期待する。
「えっとね。この向こうが倉庫みたい」フラウは光板で位置を確認する。
「倉庫で会うのか?」
「ええ。倉庫に隣接した事務所で、という話なのだけれど」
フラウもすこし自信がないようだ。軽く頭をかしげる様子は外見相応で子供っぽい。
「お待ちしておりました。フランカ・レオン准将」
しかし、相手はちゃんと早めに待機していたようだ。ここでは珍しい女性の士官だった。
「補給部のシャンと申します。今日は、備品を見に来られたんですよね」
銀色の髪、銀色の目の若い女だった。外見は僕よりも年下に見える。とはいえ、内地の女性は見た目で実年齢は測れない。実は中身は老女ということだってあるかもしれない。
「朝早くからありがとうございます。早急に装備を見たいと思ったものですから」
「はいはい、用向きは聞いていますよ。ボクに任せてくださいね」
シャンはにこりと笑う。悪意も隠し事も何もない明るい笑いだった。フラウのことは知っているだろうに、なぜこんなに善意の笑いを浮かべられるのだろう。そんな警戒感も吹き飛ばすくらい、シャンの態度はおおらかだった。
「黒の大地でも使えるような光衣ですよねー。ちょっと、難しいかなぁ。あそこは本当に光術が使いにくいですからねぇ。これなんてどうですか?」
シャンはフラウを倉庫に案内する。
「あ、おつきの人もちゃんとついてきてくださいね」
彼女は明らかに等級が低いとわかる僕にも態度を変えなかった。
倉庫の中には大きな箱や小さな箱が積んであった。その合間にむき出しの兵器がいくつも無造作に置かれている。
「フランカ様にふさわしいのは、これかなぁ」
シャンは奥のほうから頑丈そうな箱を取り出してきた。
箱の中には腕輪や首飾り、それにベルトが入っている。
「これは、いいものですね」
フラウの言葉に熱意がこもる。
「でしょう。女性にはとても人気のある光衣なのですよ。見栄えもいいですしね」
つけてみます?というシャンの言葉にフラウは光衣を身に着けていく。
「光衣は、鎧みたいな形をしていると思っていたよ」
僕の言葉にシャンがうなずく。
「等級の低い光衣は鎧の形ね。だんだん、軽く、身に着けていても違和感がない形になっているのですよ。要は、呪が刻まれていればいいわけ」
なるほど昔の呪は大きく刻んでいたけれど、今の呪は小さくなっているということか。
「うーん、細かいことを言うと刻んである呪の大きさじゃないんだよね。光への変換とか認証とかそっちのほうがなかなかうまくいかなくて……あ、フランカ様、どうですか? しっくりきますか?」
フラウの体が光って見えた。淡い光が波のようにフラウの体から立ち上り、フラウが腕をふるとそれに合わせて光が動く。
「剣を使ってみますかぁ?」
シャンが他の箱から剣を取り出す。フラウがその剣を握ると、刀身から光の靄のようなものが立ち上った。一回、二回、剣をふって、フラウは首をふる。
「あまり近接攻撃は得意でないの。それに、この光衣は黒の大地の|等級《レベル》制限にかかりそうね」
シャンはそれではと他の箱を出してくる。
「もっと低い|等級《レベル》の使える光衣はないかしら」フラウが困ったように首をふる。
「低い|等級《レベル》ですか? 100とか、150とか? 黒の大地仕様だと、そうですね。光衣ではないですが、こんなところかな」
シャンは大きな銃のような武器を取り出してきた。
「これは、単発式です。姫君が使われたという固定砲の進化版。これならば、砦の隊長クラスの等級なら使えるかなぁ」
フラウが目を細めた。
「一般の兵士が使えるような兵器はないのですか? 緊急脱出用のものではなく」
「ないですよ」
はっきりとシャンはいいきった。
「あの土地は光術が使えないでしょ。等級が低い兵士が使える武器はないなぁ」
僕とフラウは顔を見合わせる。
「例えば、他の形式の武器はないかしら。固定砲式のものとか。代わりになるものはないのですか?」
「ああいうものを使っていたのは大昔でしょう? 新しく作り直したほうが早いくらいですよ」
「仕方ないですね。どれとどれだったら使えそうですか?」
「えっと、ボクのおすすめはですねぇ」
シャンは張り切って装備の棚を歩き回る。こんなに大量の武器があるのに、僕らの砦では一つも使うことができないなんて。僕は無造作に積まれた光衣が入っている箱の数を数えた。
「これとか、ダメなんですか?」
僕はフラウに見せてもらった簡易式の光衣の型番を見つける。これなら使えるかな、と事前に話していたものだ。
「ああ。それですか。それは黒の砦専用の光衣ですから、ダメです」
「墓場専用?」
「ええ。墓守専用です。一般の兵士には許されていないものですねぇ」
結局、隊長とライクが使えるいかつい銃と、フラウが着る光衣くらいしか使えるものがなかった。あとは倉庫の奥で眠っていた固定式の砲台がおまけについてきたくらいだろうか。
「これを砦まで持って帰ってもいいでしょうか?」
「フランカ様の光衣はともかく、他のものは無理でしょ。持ち運びできませんよぉ」
上司に決済をとってきますね、とシャンは離れていく。その後ろ姿を見ながら、フラウは押し殺していたため息を吐いた。
「だめだったわ。みんなの武器を手に入れられるかと思ったのに。どうしよう」
「フラウの光衣が手に入っただけ、よかったじゃないか。あれを使えば、フラウが負けることはないだろう?」
「一対一だとね。問題はこの前のように複数の魔人が現れたときよ。いくら光術でも同時に戦うことはできないから」
「そのときは、ジーナさんたちに連絡をして……」
「シィー」フラウが警告した。
シャンが上司らしい初老の男と戻ってくる。
その男の顔を見て、僕は凍り付いた。
なぜ、彼がここにいるのだろう。
全身の血が冷えるような気がした。
悲鳴、低い声、床に垂れてくる赤い雫……悪夢を思い出す。
彼の姿は僕を何年も前に引き戻した。
なぜ、彼がここにいるのだろう。等級監督官の彼が。
僕の頭はその事実を受け止められない。
どうか、かれがこちらをみませんように。きがつきませんように。
あの時と同じく僕は心の中で唱えていた。
どうか、どうか……
「……お会いできて光栄です。フランカ・レオン准将。私はアハトと申します。元とはいえ星の妃候補にお目にかかれるとは」
彼はフラウの小さな手を取って口づけをした。
「その称号は、もう意味のないものですわ、アハト……殿?」
「ただのアハトで結構です。このような老いぼれに称号など不要です」
ぼくはただのくろいたみだ。ごみのようなそんざいだ。だから、こちらを、みないで。
僕は懸命に息を殺した。
そうすれば、みつからなくてすむ。こわいひとたちに。
隠れていなさい。声を出してはいけない。
そういわれた。だから、ぼくは小さくなっていた。
おおきなつくえのうしろ。
たいせつなものをかくすばしょだよって。ここならみつからないよって。
でも、今この倉庫の中には隠れるところなどなかった。
ぼくはただ立っているだけだった。
「これだけのものを送るのにはいささか時間がかかりますな。そちらの砦に行くという行商に委託することになると思います。それとも、そちらで輸送手段を用意できますか?」
「それは、心当たりに当たってからお返事してよろしいでしょうか?」
「それはもう。いつでも送れるように用意はしておきましょう」
「この将校用の武器ですけれどもう少し数を増やすことができますか? 予備の武器も用意しておきたいのですが」
「そうですね」
フラウは目の前の男がどんな男かわかっているのだろうか。白髪交じりの黒い頭の男はあの時と同じように穏やかな笑顔を浮かべていた。
「アーク、ちょっと、確認したいのだけれど……アーク?」
フラウに声をかけられても反応できなかった。
名前を呼ばないで。気が付かれてしまう。
「アーク? 君は……ああ」
男がこちらに注意を向けるのが分かった。僕は床を見つめる。
きっと、覚えていない。小さい、黒い民の子供だ。覚えているはずがない……
「ああ、アーク。大きくなったな。坊や」
私のことを覚えているかな。老人は旧知の人に出会った親しさをにじませて、僕に尋ねた。
「アーク、アハト殿と知り合いだったの? アーク?」
僕は答えられなかった。
ぼくはこんなひとはしらない。あったことはない。
「昔、彼を、初等軍学校に入れるときに手伝いをしたのですよ。あの時はまだ、そう、ちょうど今のあなたくらいの年恰好でしたな」
「まぁ、そうだったのですか」
「こんなに大きくなっているとは。びっくりしました。子供の成長というものは早いものですな」
彼は再びフラウのほうを向くと、装備の話を続ける。
現実感のない会話が続いていた。
兵器の話、装備の話、そんな空気のような話題が僕を素通りしていった。
彼は、なぜ、ここにいるのだろう。
等級監督官の彼が、なぜ、装備係などと偽ってここにいるのだろう。
「それではよろしくお願いします」
「こちらこそ。今日は、お会いできて光栄でした」
儀礼的なあいさつが交わされる。
「それでは、坊や、元気でな」
僕は答えない。
彼は後ろを振り向きかけて、何かを思い出したように立ち止まる。
「そういえば、坊やには妹さんがいなかったかな?」
妹? 思いもしなかった人物の名前を挙げられて、僕は男の顔を見た。
彼は笑っていた。
「そうだ。体の弱い、小さな女の子だ。たしか、病院に入院させたはず」
なにがいいたい。不安がふくれあがる。
「妹さんなら、まだ、入院しているのよね。そうよね、アーク。アーク?」
「そうでしたか、早く良くなるといいですな」
顔見知りのおじさんが、ちょっとした知り合いの話を世間話でしているように、軽い調子で。
僕はフラウが声をかけるまで、男の姿を見送っていた。