第15話 第一砦

 フラウは行かなければといっていたけれど、僕は砦に行きたくなかった。

 僕のように等級の低いものはゴミ扱いされるのが見えていたからだ。

 僕は、砦を仰ぎ見るこの黒の町で育った。その間に砦の中に入ったことは数えるくらいしかない。黒の町は大まかに分けて三つの区画でできている。砦、砦に住む帝国民が住む地域、それ以外、である。

 砦は文字通り黒の大地を守護する重要拠点だ。黒の砦という墓場に向かうときに通る最後の拠点でもある。帝国民が住む区画は、葬儀を執り行う神殿や葬式に参列する人たちが滞在する場所だ。そして残りは僕のような等級の低い光ることのできない者たちが集う町だ。僕たちは砦、上町、下町、と呼んでいる。姐さんたちが住んでいる西町や墓場への出入り口がある東町も、また下町に含まれる。ただ、僕の住んでいた壁の外に比べるとだいぶましな扱いだ。

 下町から上町への行くことは比較的簡単だ。だけど、軍事拠点でもある砦への出入りは僕らにはほぼ不可能だった。昨日のように嫌がらせを受けながら、等級の低いもの用の入り口から入るしかないのだ。

「昨日みたいにまた門前払いを食らいそうだね」

 僕は長い列をみてため息をつく。

「今日は、あちらから入るわよ」

 フラウは決然と内地人用の門を指した。

「……逮捕されないかな」

「されないわよ。階級レベルが高ければ、入れるのでしょう?」

 フラウは物陰で魔道具をはずす。彼女の黒い髪が徐々に色を失っていく。

「いいのか? フランカだということは秘密にしておきたいんじゃぁ……」

「でも、黒髪のままだとそれだけではじかれてしまうでしょう。どのみち、ここに来た時点でフランカ・レオンであることはわかってしまうのだから」

 彼女はまっすぐに高級将校用の入り口に向かう。僕はいつでも逃げ出せるように気を配りながら後をついていく。

 当たり前のように高飛車に誰何された。

「フランカ・レオン准将です。道を開けなさい」

 フラウは腕輪をかざした。

 その堂々とした態度に、門番は顔色をなくす。

 まるで、“インロウを振りかざしたコウモン様”だ。いつもは威張っている内地の兵士がおどおどするのは痛快だった。

「少々、お待ちください」

 中とのあわただしいやり取りが交わされて、門はあっさりと開かれた。

 フラウは当たり前のように軽い会釈をして、門の中に入る。

 僕が入ってもいいのだろうか。どこかで止められるだろうな、と思いながら、僕もフラウに続く。

 案の定だった。

 息を切らしながら現れた若い少尉の記章をつけた男がフランカに丁重に挨拶した後に、後ろの兵士に合図をした。兵士は僕とフラウの間を遮ぎる。

「それをつまみ出せ」

「何をするのです」

 フラウが抗議をする。

「それは、この砦に入る資格はない」

 金髪の士官はフラウの抗議などものともせずに僕を連れて行くように合図をした。

「お待ちなさい。彼は私の副官ですよ。勝手なことはやめていただきたい」

 小さなフラウにかばわれる僕の立場はどうなのだろう。僕の腕をつかもうとしていた兵士が手を引っ込めた。

「閣下にはふさわしい付き人を用意しましょう。それは許可を得ておりません」

 男は幼い子供にいいきかせるようにフラウに微笑む。

「彼は、13砦付き文官です。私の生活をずっと支えてくれていたのは彼です。新しい副官? いまさらでしょう」

 士官は押し黙った。どうしていいものか、測りかねているようだ。

「わかりました。お部屋にご案内いたします」

「部屋ですか?」

「はい、砦の中の宿舎です」

 目の前の金髪の男はフラウが当たり前のように砦にとどまると思っているらしい。

 まさか、昨晩、あんなところに泊まったとは考えてもいないのだろう。

「わたしがここに来ることを知っていたようですね」

 フラウは士官に確認する。

「フランカ様がこちらに立ち寄られるかもしれないとは、聞いておりました」

 隊長があらかじめ知らせを送っていたのか、他の誰かが報告したのか。幸いにも彼らは昨日僕たちがどこにいたかまでは聞かされていないらしい。

「そうですか」

 フラウはさらりといって、ここに来た要件と担当者について質問をする。

 さすがフラウだ。

 彼女自身の資質だろうか? それとも、訓練の成果なのだろうか?

 13砦にいたころにも感じていたが、フラウは人を使うのがうまい。自然に人の上に立ち、命令することに慣れている。現に、マダラであるフラウに悪意を持っているであろうこの士官からもうまく情報を引き出している。

「閣下」

 そうこうしているうちに連絡がいったのだろう。より、階級が上と思われる男たちが現れた。皆砦の外では見かけない派手な制服を着ている。内地から派遣された将校たちだろう。軍学校にいるときでも彼らの姿を見かけることはめったになかった。

「ようこそ、いらっしゃいました」

 一番階級が高い男が丁寧にあいさつをする。丁寧だが、まったく心がこもっていない儀礼だけの例だ。

 何をしに来た。彼らの本音がただ漏れの挨拶だ。

「出迎えありがとうございます」

 しかし、フラウは涼しい顔でその本音をかわす。淡々と今日訪ねてきた理由を伝える。

「用向きは承りました。閣下。すぐに手続きを始めます。しかし、その前に当砦の司令官バルマン少将がご挨拶をと申しております。こちらへ」

 僕が付いていこうとすると、無言の圧力がかかった。

 このゴミが、とでも思われているのだろう。

 僕とフラウは目を見かわす。

「アーク、先に部屋に行っていて」

 さすがのフラウも折れた。ここから先、僕の存在はフラウにとって不利になる。

「わかりました。准将」僕は敬礼をする。

 軍学校仕込みの敬礼だ。文句のつけようはないはずだ。

 目の端で、フラウの口がごめんね、というのを見ながら、僕は姿勢を崩さない。

 残された先ほどの将校は彫像のように固まっている僕をかすかに笑った。

 そのまま、物も言わずに歩いていく。

 僕も黙ってあとをついていった。廊下を抜け、階段を上り、あからさまに上質とわかる素材を使った建物の中を歩いていく。

 どうやら、フラウに用意された部屋は第一砦の中でもひときわ高い建物の最上階のようだった。

 物も言わずに僕を案内した士官はパネルに手をかざすと、豪華な扉を開ける。

 その先にも広い廊下が続いていた。足の長いじゅうたんが敷き詰められ、壁には美しい壁画が描いてあった。天井からは大きな煌めくシャンデリアが吊るされて、万華鏡のように光をまき散らしていた。かすかな音楽がどこからか流れてくる。花の匂いだろうか。かすかな香りが宙を漂っていた。

 僕には場違いな場所だった。

「どうぞ、ご自由に」

 廊下に立ってポカンとあたりを見回す僕の背後からそういわれた。

 僕が我に返って、後ろを振り向いた時には遅かった。

 豪華な扉が閉められる。途端に、すべての明かりが消えた。

 かすかな音楽も、香水のにおいも、何もかも暗闇に呑まれる。

 やられた。

 僕は自分のバカさ加減に腹が立った。

 扉があったところを叩いたが、反応はなかった。

 扉の鍵と思しきところに腕輪をかざしたり、フラウがしていたような起動印を描いたりしたが、開かなかった。

 当然だ。この部屋は僕の等級で使うようにできていないのだ。

 僕は暗闇の中で自分のうかつさに腹を立てた。

 13砦ではこの手の嫌がらせを受けることがなかったので、用心を怠っていたのだ。

 等級の足らないものを、等級の高い人でないと開かない場所に閉じ込める。初歩的な嫌がらせだった。軍学校ではしょっちゅう行われていた制裁の手段だ。

特に、等級の低い僕の組はいつも格好の標的にされていた。

身の程を知れ。それが、正当化の理由だった。

 油断していた。13砦の自由な空気が僕の警戒心を緩ませていた。

 ここが、こういう場所だとわかっていたのに。

 僕は扉を思い切り蹴った。

 外にいるだれかを喜ばせるだけだと知ってはいたが、そうでもしなければ気持ちのやり場がなかった。

 こうなったら、腹をくくるしかない。

 僕は壁を背にして座り込む。

 ひょっとしたら、僕が死ぬまでこの扉は開かないかもしれない。そんなことはないと理性ではわかっていても、暗闇を恐れる本能がささやく。

 いつまでも閉じ込められる恐怖と戦いながら、僕は目を閉じた。

 フラウはいつごろここにやってくるだろうか? それとも、別の部屋に案内されただろうか。僕がいないことに気が付くのにどれだけかかるだろう。

 僕は冷たい氷のようなメッセージを確かに受け取った。

 僕はここにいてはいけない。

 いや、こんなところ、誰がいてやるものか。

 僕は“僕”の記憶に手を伸ばす。

 今までそうしてきたように。

 学校にいたとき、夜、僕はいつも夢を見ていた。夢の向こうに広がる“自由”な世界だけが支えだった。

 そこは、理想郷ではない。でも、ここよりはましなどこかだった。

 僕と“僕”が重なる瞬間、僕は“僕”の記憶と知識を読み取ることができる。

 これは、“いじめ”というやつだよ。“僕”の知識がそう評価する。

 いじめはいけないんだ。そもそも、等級って何?

 “僕”の穏やかな感情が僕の心にしみてくる。

 人は生まれながらに、平等に生きる権利を持ち……

 半分寝ながら聞いた授業の内容が浮かび上がる。温かい陽だまりの教室。昼ご飯後の一番眠い授業だった。

 どうしてだろう。前は、癒される感覚があったのに、今はその記憶が僕の心に突き刺さる。

 努力しても、無駄だった……仕方がない。……だから…

 だから?

 “僕”が当たり前だと思っていることが、ここでは当たり前ではない。

 僕はなぜ“僕”の心を持っているのだろう。僕が絶対に手に入れられないものを“僕”はあたりまえだと思っている。

 それが、無性に悔しい。

「アーク、そこで何をしているの?」

 突然の声に魔法が破られる。僕は、眠っていたのだろうか?

 フラウが少し上から見下ろしていた。疲れた空気を漂わせたフラウは、それでもまだ僕に声をかける余裕があった。

「なんで、明かりもつけずに、こんなところで?」

 不思議そうなフラウの後ろで、先ほどの士官がかすかに嗤うわらう

「どうぞ、ご自由に」

 丁寧にあいさつをして、彼は扉の向こうに消えた。

「アーク?」

 フラウは僕の視線を追って、そして僕を見た。

 表情がみるみる厳しくなる。

「そうだよ、ここでは僕は明かりをつけることができない」

 僕は立ち上がる。

「扉を開けることも、先に進むことも、僕にはできない」

 フラウが猛然と僕の後ろの扉を開けようとした。

「だめだ」

 僕は彼女を止める。

「なんで、よ。彼でしょう。明かりをつけずに、あなたを置き去りにしたのは」

「だめだ。フラウ。これはいつもの、ありふれたことなんだよ」

「いつもって、前にもあったというの?」

「よくあることなんだ。等級の低いものをわざと等級が高いゆるされていない場所に連れ込むことは」フラウの頭にしみこむようにゆっくりと話した。

「学校でも、軍隊でも、当たり前なんだ。みんな、やっていることなんだよ」

「でも、砦では、あそこではそんなことは一度も……」

「あそこはが光術を使えない。光術を使った施設もない。だから、誰もそんなことはしなかった。これは嫌がらせの定番なんだよ」

 フラウがぎゅっと唇を結んだ。

「私の、私の家ではそんなことはしなかったわ。学校でも等級の低い子はいたけれど、同じように扱われていたわ。そんなことがあったとしたら許さないと思う」

「君の家ではそうだったかもしれない。でも、ここは違うんだ。等級が低いといっても僕などとは比べ物にならない」

 フラウはしばらく黙った。

「だからといって、抗議もしなくて引き下がるの? あなたは私の同行者なのよ。それをこんな侮辱されて、…ああ」

 フラウは息を吐く。

「そうだよ。彼らはそのつもりだよ」

 ゆるやかに流れていた音楽が消えた。煌めく明かりが揺れて薄暗くなる。

「本当に耳障りな音楽」フラウはこぶしを握り締めている。

「ごめんね、フラウ。僕みたいな等級の低いものが連れで」

 僕は謝った。「ライク准尉くらい等級が高ければ、少しは扱いも違ったかもしれないね」

「なぜ、あなたが謝る必要があるの? 関係ないでしょう」

「こういう事態が起こりうることは事前に説明しておけばよかった。そうすれば、心の準備ができているから……」

「私がひどい扱いを受けるのはいいの。でも、関係ないアークが何でここまで馬鹿にされないといけないの? 違うでしょう」

「仕方ないよ。フラウ。僕の等級が低いから」

「仕方ない、仕方ないって」フラウは怒っていた。「アークはいつもそういう。でも、これは仕方がないことなの? 何も悪くないのに、嫌がらせされて」

 どうして、フラウはこんなに僕のことを悔しがるのだろう。僕はただの黒い民だ。こういう扱いを受けて当然なのだ。

 たとえ、“僕”の記憶がどんなに憤っていても。

「ありがとう、フラウ。でもね、僕は……」

「もう二度と、仕方がないって言わないで。私にできることがあれば、何でもする。ここにきてずっとアークは私のことを支えていてくれた。私の家族も民も見捨てたマダラな私を。何も言わなくても一緒にいてくれた。仕方がない、っていわれると、アークに突き放されるような気がするの。だから、お願い」

 お姫様からのお願い、か。供がそうするように僕の腰に抱き着いてきたフラウの頭を撫でてみる。ジーナが彼女の髪にこだわる理由が分かった。とても柔らかくて気持ちがいい。

「わかったよ。いわないよ。でも、ちょっとフラウは誤解していると思うよ。一緒にいるのは当たり前だろう。仲間なんだから。同じ砦の」

 仲間という表現はちょっと違うような気がする。

「そう、友達。友達だから」

「友達?」

「うん、ちょっと違うような気もするけれど、一番近い関係だと思う」

 かすかに、つぼみがゆるむようにフラウが笑った。

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