夢を見ていた。
クリアテスの砦で他のナンバーズ達と一緒にいたことの夢を。
日常ではすっかり彼らの顔を忘れてしまっているのに、夢の中では一人一人が鮮明に思い出され、語りかけてくる。
おかしい。おれは、リースとコスの町にいたはずだ。それなのに、なぜ、また、ここに戻ってきているのだろう。
頭の中の焦点がぶれる。何かを考えようとしても、それがまとまらない。
誰かが泣いていた。監督官や、その下っ端達が俺達を慰み者にしている。
「クリアテスの連中にひどい目に遭わされたんだ。かわいそうに」
いや、そうではない。俺は見ていた。
ただただ、見ていた。
監督官の中にはひどいことを平気でする奴らがいた。何人もの“ナンバーズ”が彼らにいたぶられていた。反抗しない、便利な人形だったから。
ゴローが痛みにうめいていたときのことを思い出した。あのとき感じた憤りも。
あの連中は、俺たちからその感情すら奪っていた。奪っていることすら気がついていなかった。
命をすりつぶしていることさえも。
「シーナ、大丈夫かなぁ」
「ひどいことはしてないよぉ。ただ夢を見ているだけだから。
あ、呼びかけに反応している?」
「そうか、名前か。名前が鍵なのかもしれない。
リース君、君が彼に名前をつけたから、彼は・・・」
名前をつける? だれが、誰に? サクヤ・・・ごろ・・・
「ちがうよ。わたしは彼らに名前をつけていない。 シーナが彼らに名前をつけていた。サクヤもゴローも全部彼がつけた名前」
「彼がつけた?」
「彼の国の言葉だと、いってた。サクヤもゴローも・・・」
「彼の国の言葉? 本当か。そんなことをいっていたのか。それではシーナという名前は・・・」
しいな君。
シーナ。
誰かがしつこく俺の名前を呼んでいる。
「シーナ君、聞こえるか、君のことを教えてほしい」
君の名前はなんだ?
彼らは俺のことを3417と呼んだ。俺はただの数字になった。ただの数だ。いくらでも増えていく、ただの数字。
その前は? 君の本当の名前は・・・
俺の名前・・・名前は 椎名・・・
駄目だよ、話したら・・・急に目の前に誰かが現われた。
それはルール違反だ。彼らに君たちのことを話すことは許されていない。
警告します。警告します。これは重大な規約違反です。
メイド服を着た美少年がこちらを振り返ろうとしていた。
駄目だ。俺はもがく。いけない。
シーナ、シーナ、どうしたの。いきなり。ちょっと・・・
プレイヤーは向こうの世界のことを持ち込まない。そういう規約だよ。
恐ろしい笑顔がこちらに向こうとしている。
駄目だ。彼に気がつかれたら・・・
俺は・・・消されてしまう。
警告します。警告します。
君たちは、君たちの“過去”を話してはいけない。
手を伸ばしても、どんなにあがいても、泥のような暗闇にとらえられて・・・
シーナ君
シーナ
鈴が鳴った。
一回
二回
誰かが歌っている。
サクヤの声だろうか。
声が暗闇を光で照らす。古い祈りの言葉だ。
どこからともなく見慣れた光の球が浮いてきた。いくつもいくつも、滝を彩っていた虹色の光が、周りを取り囲む。
もう大丈夫。異界の神は去ったわ。 闇との間に年齢不詳の女性が立っていた。
お休みなさい。シーナ・・・
俺は目をつぶった。
光が、光の球が歌っている。
次に目を開けたら、昨日案内された部屋に寝ていた。
隣の寝台にゴローの姿はない。 昨夜の記憶はひどく曖昧だ。新入りだからといってあれだけの酒を飲ませるとは、パワハラというものではないだろうか。
俺は昨日案内された水飲み場に行って水を飲んだ。
そういえば、昨夜、リースはどうしただろうか。連絡もなく、キーツと町へ出かけてしまった。
「シーナ君」
どこか見覚えのある金髪の神官が俺のところに駆け寄ってきた。
「体は、体は大丈夫なのか」
やけになれなれしい。どこかで彼に会っただろうか。酒場の記憶を思い起こしてみたが、駄目だ。何も思い出せない。
「えっと、あなたは・・・」
「あ、ああ。わたしは神官のヤスという。覚えていないのか。そうか」
彼は何かを考え込むように視線を落とした。
「体の調子はどうだ。頭が痛かったり、吐き気がしたり、しないか?」
「頭が、重たいです。二日酔いかな?」
昨日は飲み過ぎた。飲まされすぎたというのが正確かもしれない。吐き気もする。なんだか体がふらつくのはまだ酒が残っているせいだろうか。
「そうか、二日酔いか」
神官は親切に俺が部屋に戻るのを手伝ってくれた。
「あ、そうだ、リース」
俺はリースのことを忘れていた。あいつのことだ。怒っているに違いない。食べ物の恨みは恐ろしいというからな。
「ああ、リースさん。彼女は、自分の部屋にいたよ。後で、よんでこよう」
何か食べられそうか、とヤス神官は親切に面倒を見てくれる。まだ、若い男なのに、気の利くことだ。
「そういえば、ゴロー」
そう、ゴローと俺は同室という話だった。彼のいるはずの寝台は空っぽできれいに布団がたたまれている。
「彼は今練兵場のほうにいるはずだ。体を動かすといって出て行った」
訓練か。俺も訓練に行かなければ。そう思ったが、なんだか体の調子が悪い。ひょっとして昨日食べたものに当たったのだろうか。ずいぶん吐いた覚えがある。
警告します・・・突然頭の一部に不快な感覚がよみがえる。
君たちのことを彼らに話すことは禁じられている・・・
吐き気がこみ上げてきた。あのメイド服を着た少年を思い出す。
なぜ、今、彼のことを思い出す? なぜ、こんなに体が冷えていくのだ?
俺は向こうでの記憶を無理矢理封じ込める。
怖い。考えることが怖い。考えることが危険だと体が警告してくる。 慌てた神官が壺を持ってきた。胃の中のものを吐こうとするが、ほとんど何も出てこない。
一体どうしたというのだろう。
こちらに来てからこんなに感情が揺れることはなかった。感情そのものがなくなっていたと思っていたのに。
今の俺は弱くなっている。不安があふれてきて、引くことも進むこともできない。なんで、こんなものがあふれ出してくるのか。 神官は心配そうに背中をさすってくれた。まるでリースが馬に語りかけるようにゆったりと、声をかけ続ける。
「落ち着いて。今日はゆっくり休むんだ。体調がまだ回復していないんだな」
サクヤと同じきれいな金の髪だと、おもった。前にも似たことを考えたことがある。
前にも・・・
なんだかんだいって俺はずいぶんつかれていたらしい。その日は一日寝て過ごした。
「俺は、ちょっと二日酔いしただけなんだから、そんなに心配しなくていいんだよ」
おまえにそんなに絡まれると気持ちが悪い、といったら殴られた。 だってそうだろう。ただの二日酔いなのだ。酒の飲み過ぎで、まるで重病人のような扱いを受けたら、居心地が悪くなる。
「お。元気になったみたいだね」色男のキーツは相変わらずこぎれいな格好で練兵場で剣を振るっていた。なんと、相手はゴローだ。
「しーな、げんきになった」 ゴローは近づいてくると、俺が小さい子のようになでる。 「ゴロー、おまえ急に・・・どうしたんだ」
なんだろう。この大男が、自分から話しかけてくることなどこれまでなかった。大きな俺の手足など握りつぶせそうな手でそっとなでてくるなんて、予想もしていなかった。
「ちょっと、ゴロー君の呪をいじってみたのよ」 ディーがにこにこ笑って近づいてきた。 「どう? だいぶ表情豊かになったでしょう」
「あんたたち、何もひどいことはしないといいながら、いろいろ実験しているじゃないか」
そういってから、俺はあれっと思う。 そんなことを彼女にいっていたかな?
「シーナ」 サクヤが踊るように優雅な足取りでディーこちらにやってきた。「回復してよかった。心配していた」
彼女の青い目が俺の様子を探るようにこちらに向けられる。
「・・・サクヤ、さんもどうしちゃったんでしょうねぇ」
ディーのほうを横目で見ると、彼女は手を振って何でもないと繰り返した。 どうせ、彼女の呪もいじったのだろう。
「無事に君たち4人がそろったところで、これからのことを説明したいんだが。いいかな、リースさん」
「いいわよ。今後の討伐の話ね」
「討伐では君たちは俺たち傭兵と組んで、行動することになっていた」 キーツは宙を見つめる。「ただ、君たちのように呼びかけに応じたクリアテス領の村はほとんどなくてね。今は主力の騎士団がやってくるのを待っている状態だ。それで、その間に、君たちの再訓練を行いたい」
「えー、クリアテスの神父様はこの子達はそこそこの能力があるといっていたわよ」
キーツは渋い顔をする。
「君たち、三人組はものすごく偏った訓練しか受けていない。
三人の動きを見てみたが、どれも教えられたのは同じ型だけ。集団の戦闘では役割以上のことをする必要はないのかもしれないけれど恐ろしくいびつなんだ。
それぞれの個性とか、得意分野を全く無視して訓練をしていただろう? せっかくの能力があるのだから、もっと有効的に使いたいんだ」
「つまり、別々の動きを訓練するということ?」
「その通り、リースさん。よくわかっているじゃないか」
「あの、あたしね」 リースがためらいがちに切り出す。「監督官として、命令を出す自信がないのよ。その、ゴローやサクヤのことだって、シーナのことだって、うまく指示できるか不安で」
「大丈夫よ、リース。あなたは最後の権限を握っておけばいいのよ。ある程度自由に動けと命じておいて、必要なときに彼らの手綱を引き戻せばいいだけ。彼らが暴走したときに止める役だと思えばいいんじゃないかしら」と、ディー。
「うん、それはそうなんだけど、それだけじゃなくて」 リースはもごもごと口を動かした。
そうして、俺たちは別々の訓練を受けることになった。
ゴローと俺はキーツと、サクヤはディーやリースといった女の子の集団だ。 実はキースさんが最後までサクヤの担当になろうと粘っていたのだが、危機感を感じたらしい女子達にもくろみを阻まれた。
「サクヤさん、かわいいよなぁ」
キーツは俺に剣を教えながら、ぶつぶつと不平を言う。
「それなのになんで俺は野郎の担当なんだ?」
「じゃぁ、おまえが弓を教えてやれよ」
俺は棒を振り回そうと努力している。俺たちは歩兵なんだ。槍兵ではないんだ。これは、どう考えても槍の扱いだよな・・・
サクヤは器用に弓を引いている。とても初めて弓を手にした人間とは思えない。馬の時もそうだった。同じ歩兵なのにどうしてこうも違うのだろう。
「彼女な、たぶんヤス様と同じ種族なのではないかという話になっていてね」
キーツはへたっている俺に水袋を渡す。
「彼の種族は弓を得意とする一族なのだそうだ。だから・・・」
「あ、あっちは?」
ゴローも器用に弓を扱っている。全く飛び道具に縁がないのは俺だけなのか?
「・・・彼の外観は南の民で、狩猟を得意とする・・・」
「・・・・・・」
俺は武道系を何もやってこなかったことを後悔する。一応剣道も、弓道も、あったんだよな。全く縁がなかったけれど。 いま、愚痴っていても仕方がない。
キーツ先生の厳しい指導の下に、俺は黙々と鍛錬に励んだ。