都への旅は穏やかだった。
軍隊というよりもごろつきの集まりといった方がいい評議会軍だったけれど、片輪のわたしに手出しをするものは誰一人としていなかった。
意外だった。
わたしは一応悪の親玉ということになっているらしいからね。殴られたり、蹴られたり、食事を抜かれたりするんじゃないかと恐れていたんだ。そんなことは一回もなかった。暴力は論外だけど、ちゃんとまともなご飯を食べさせてもらっていたよ。庶民基準だけどね。
おそらくギュスターヴが陰でかばってくれたのではないかと思っている。
ダークの料理がこんなところで役に立つとは。彼のグルメな料理をギュスターブたちにも分けていたからな。善行を積むことは大切なのだな、とつくづく思ったよ。
善行といえば、通り道の村という村で“祭り”を請われるままに行った。
どこで噂が漏れたのか知らないけれど、豚公爵は“祭り”を執り行うことができるという話が広まっていたらしい。
腐っても公の身分を持っていたものだから、変なところで民に期待されるようだ。
もうこの道を通ることもないから出血大サービスだ。今まで以上のペースで“祭り”をやりまくった。
どこに行っても同じ質問を投げかけられた。
おまえは、本当に、ウィリアム・ゴールドバーグなのか?
わたしのことを一目見て豚公爵だと認めてくれたのはギュスターブくらいだった。
中には見たことのある顔の人物もいたけれど、みんな疑ってかかった。
偽物だろう。
影武者だろう。
そのたびに否定するのだけれど、そうすればするほど彼らはますます疑いを濃くしていく。なんども名乗りを上げるのに辟易してしまった。
しまいにはわたしを捕まえた当の評議会軍までが自分が連れているのは偽物なのではないかと言い出した。
今でもわたしが豚のままの方がよかったというのだろうか。豚の時はデブだとさんざんけなしていたよね。
ちょっと過激なダイエットに成功したことを喜んでくれてもいいのに。
王都に着いたらついたで、また長々と同じことを聞かれるのではないかと思っていた。ただ聞かれるだけならいいけれど、痛いのはごめんだ、とも思っていた。
「ウィリアム・ゴールドバーグだな」
しかし、予想は外れた。王都に着くといかめしい顔の近衛兵たちが待ち構えていた。彼らは本人確認すらせずにわたしを王立劇場に連れて行った。
そこで、裁判を行うのだという。
わたしは慌てた。これまでこれからのことについての心づもりはしていた。
でも、王都に入るやいなや運命の舞台へ引っ張っていかなくてもいいではないか?
アレはなるべく早くわたしを始末したいらしい。
しかし、豚を裁く場所が劇場だというのはふるっている。
今から行われるのは茶番劇だ。結末の決まった芝居に過ぎないからだ。その主役としてわたしは今まで生かされてきた。かなりの配役ミスだと思う。わたしは人前に立つのは嫌いだし、ずっと避けてきた。人を楽しませることはものすごく難しい。
でも、大根役者は大根役者なりに観客を楽しませなければいけないよね。
それが、わたしの最後の仕事になりそうだから。
劇場の中はこれでもかというほどの人が詰め込まれていた。彼らの注目を一身に浴びてわたしはひるんだ。
これほどまで注目を浴びたことは一度もなかった。人の視線が大波になって体を洗う。
いままで生きてきた中でこんなにたくさんの目があるところに立ったのは学芸会以来だった。
下を向いて、背をかがめて、小さくなって、人の視線を交わしたかった。今までそうして目立たないようにしてきた。
巨大なウィリアムの体はただでさえ悪目立ちをする。でも、わたしを見ないでくれ。そう念じて壁に張り付いていると、人は目をそらして無視をしてくれた。
今はそれでは駄目だ。
わたしは深呼吸する。
落ち着け。ここが正念場だ。なんのために幾晩も眠れない夜を過ごしてきたというのだ。
演技でもいい。胸を張って、貴族らしく歩け。どこまでも傲慢に。人を見下して。
わたしは、わたしにできることをやらなければならない。
わたしはゆっくりと歩き始めた。足が思うように動かないので、ゆっくり歩かざるを得なかった。わたしの歩みに会わせて人の視線が移動する。
卵投げの的にされるかと思っていたのだが、何も飛んでこなかった。
代わりにさざ波のようにささやきが広がっていく。
劇場の後ろのほうには平民たちが詰め込まれていた。みんな立ってこちらを見ている。椅子に座っているものなど一人もいない。というか、椅子がない。そして前の席には評議会軍の制服を着た人や、裕福そうな人たち。こちらにはちゃんと椅子が用意してあった。そして豪華な桟敷には王侯貴族。
なんだ、友愛を唱えていながら結局は何も変わっていないではないか。身分制は維持され、形だけの評議会が新しい特権階級として割り込みをはかる。そして、新しい体制ができたという記念として、豚が丸焼きにされるというわけだ。
平民席はごちゃごちゃしすぎて知っている顔を見つけることはできなかった。誰も彼もが伸び上がってこちらを見ようとする。ちらりと見覚えのある赤毛が見えたような気がしたが、すぐに人の頭に隠れてしまう。
その分、貴族席はゆったりと場所がとってあるだけ、こちらからも人の判別をつけることができた。
わたしは貴族席にいかめしい顔をしたままのブルーウィング公の姿を見つけた。
それから、ヘンリー・イエローリンク。それから、今まで一度も顔を合わせることができなかった残りの攻略対象者たち。聖女と言われる主人公。
それに、被告人席とおぼしきところに豚嫁とエリザベータ。
奇妙な感覚だった。これまで会うことが禁じられていた面子が全員この場にそろっている。もう今さらどうやってもシナリオを変えられないこの期に及んで。
ひな壇に並んでいる英雄たちの中にこのことを奇妙に思うものがいるだろうか。違和感をもつものがいるだろうか。
ゲームの登場人物の何人かと目が合ったような気がした。一様に驚きを隠せていない。
ああ、わたしのダイエットの成功を知らなかったんだな。
そうか、ここにいるもののほとんどは豚がこの場に現れると思っていたのだ。ゲームの絵面そのままの。一人で歩くこともできない醜悪な肉の塊が引きずられるようにしてこの場に登場することを期待していた。その豚を見世物としていじるつもりだったのか。まさか、ここに普通のなりをした男が現れると思っていなかったのだろう。
被告人が座らされるとおぼしき場所が異様に広くとってあったのには笑った。確かに豚人間には広いスペースが必要だよね。
わたしに用意されたのはエリザベータの隣に空いているおんぼろの木の椅子だった。前の体重だったら確実に壊れていた。椅子に座る前に、丁寧に国王陛下に一礼する。興行主には敬意を払わないとね。
わたしはあえてエリザベータのほうをみなかった。
…わたしの一番助けてほしいときに助けてくれなかったくせに…
雨の中で泣き叫ぶ彼女を思い出す。
あれは違う時間。夢の中の出来事だ。
わき上がってきた感傷を切り捨てる。
今日の彼女はいつもの氷の姫としての外形を取り戻していた。どこまでも、冷たく堅い氷の女。常に高見から人を見下ろす、孤高の存在。周りを利用し、国政を混乱させてきた悪役令嬢としての正しい姿なのかもしれない。
ならば、わたしも裏の悪役としての顔を見せるべきなのだろう。
裁判という名の演劇が始まった。
裁判官役の男が開廷と槌をならすと、舞台の幕が開く。
今から始まるのは、ただの出し物だ。すべてのシナリオは決まっている。
どうあがいても判決は変わらない。これは生け贄をそれらしく化粧するための儀式の一環に過ぎないのだから。
「被告人の名は、ウィリアム・ゴールドバーグで間違いないな?」
「わたしの名前は、ウィリアム・セシル・ファリア・エルサナス、ゴールドバーグ公・爵・だ」
正式名称を名乗ったら、客席がどよめいた。
何かわたしが悪魔です、と名乗ったような目で見られている。エリザベータも豚嫁もこちらを見ていたから何かよほど衝撃的なことをいったのだろうか。ただの名前をいっただけなのに。
それともなにか、むこうの名前を公表するべきだったか。攻略者達は驚くだろうか。その顔を見てやりたいと思ったがやめておいた。ただでさえ頭がおかしいと思われているのだ。変な真似をしたらすぐに退場になるに違いない。わざわざここまで来たのに、ここで退廷させられるのはごめんだ。
「静粛に、静粛に」裁判官が必死で呼びかける。
「それでは、ウィリアム・ゴールドバーグ。審問を始める」
結局ウィリアム・ゴールドバーグと呼ぶのなら、名前を聞くなよ。
長い証人尋問が始まった。あまりに長いので緊張のあまり震えていた体も平常運転を始める。
次から次へと証人が呼ばれ、わたしたち一家の犯罪を告発していった。
わたしはおおむね目を閉じたまま、身じろぎもしないでその告発をきいた。
予想通りの告発だった。違法な薬物を販売した罪。賄賂を送ったりもらったりした罪。外国と通じて情報を売った罪。人を殺すように命じた罪…出てくるわ、出てくるわ、犯罪のオンパレードだ。
証人達の語るわたしの犯罪は、それはそれはひどいものだった。
何人もの少女が、わたしの命令で豚邸に連れ込まれたと涙ながらに語った。兵隊に拘束され、豚の餌食にされたのだそうだ。あまりに迫真に迫る演技だったので、告発されているわたしも同情してしまいそうになったよ。
わたしの召使いと名乗る男の話も傑作だった。わたしは召使いには一日にパン一切れしか与えず、自分は豪勢な料理を見せびらかすように食べていたという。そして、ついつい食事に手を出してしまった少年を目の前で八つ裂きにして、犬の餌にしてしまった。ひどいな、鬼畜な所行だな。
わたしの犯した荒唐無稽な犯罪に対して、豚嫁とエリザベータの犯罪はだいぶ盛ってはあるものの突っ込みを入れたい気分にはならなかった。そんなことはやっていないと、豚嫁が懸命に抗議していたから、まず似たようなことをやっていたのだろう。
しまいに豚嫁は発狂して訳のわからないことを叫びはじめた。
ここに引き出された時点で弾劾されるのはわかっていただろうに。いまさら無実とか、そんなことはしてないとかいっても無駄なのだ。
自分の血筋をひけらかし、ブランドブルグが復讐に来ると脅したところで、王国のものが恐れおののいて釈放してくれるなんてあり得ないから。むしろ、心証が悪くなるだけだと思う。
彼女が口から泡を飛ばして抗議する姿をみて、客席からヤジが飛ぶ。ていのいい悪意のサンドバッグ状態だ。
「わたしはやってない、わたしではないわ。そうよ、この娘が悪いのよ。この娘と、この男が悪いの。ぜんぶ、ぜんぶ、ウィリアム・ゴールドバーグが仕組んだのです」
原作ではここで豚公爵が言い返して豚のつかみ合いという修羅場になる。こんな絵を依頼された絵師さんに同情するような場面だ。
今はエリザベータとわたしが全く反応しないので、豚嫁の独演会となっている。あまりにわめいて叫んで泡まで吹き始めたので兵士がやってきて彼女を連れ出した。観客達は大いにこの出し物を楽しんでいるようだ。
道化役者が出ていっても告発は続く。
よくもこれだけの証人をそろえた。わたしは彼らの努力に感嘆する。
ウィリアム・ゴールドバーグの命令で女を拉致してきました。
ウィリアム・ゴールドバーグの命令で商人を暗殺しました。
ウィリアム・ゴールドバーグが子供を虐待していました。
告発者のほとんどが知らない顔だったが、中には記憶にある顔もあった。かつてゴールドバーグ家に使えていた使用人、料理人、家令。
ここぞとばかりに大げさにわたしに指を突きつけたり、ののしったりするものもいる。
そんな連中は無視だ、無視。
今は、エリザベータの小間使いがあることないこと証言している。
この女はエリザベータが小さいときから世話をしていたものだったはずだ。エリザベータが体を硬くするのを感じて、わたしは内心の動揺を抑える。
信じていたものに裏切られるのはつらいものだ。
わたしにとって幸いだったのは、証人の中には親しくしていたものが誰一人いなかったことだった。旧ゴールドバーグ邸に最後まで残っていた人たちの姿はどこにもなかった。わたしは彼らが無理矢理証言させられるのではないかと恐れていた。無事に身を隠せたようでほっとする。
証人達の公演会もそろそろ終盤にさしかかっていた。今証言しているのは高位の貴族達だ。ここではエリザベータが一人で弾劾されていた。
わたしへの弾劾? 見たこともない貴族が戯言を述べていたようだが、なんの話だっただろう。わたしには貴族の知り合いはほとんどいないから、証人を集めるのにえらく苦労しただろう。同情するよ。
なにしろ、わたしとつきあいのある奇特な貴族はブルーウィング公くらいだ。彼ほどの地位のものをこんな退屈な演目に出演させることはできない。事実、公は上の桟敷席で眠そうに腕を組んで座っていた。
ヘンリー・イエローリンクやダニエル・レッドファングといった王子の取り巻き達が、いかにエリザベータが学園内で傲慢に振る舞い、下のものを虐げていたかを証言していく。
「…というわけで、わたしは、わたしは…王子、申し訳ありません」
学友と王子との裏切りと許しの芝居が続いている。わたしは無感動な目でその演目を見つめていた。
エリザベータは、平静を装い、しかし手は硬くスカートをつかんでいた。
抱きしめてやりたかった。慰めの言葉をかけてやりたかった。
ここまで、彼女をおとしめる必要があるのだろうか? まだ十代の少女だぞ。
わたしはこの先に何が起こるかを知っている。
悪役令嬢定番のイベント、婚約の破棄と断罪だ。
「ここで皆に告げたいことがある」王子が貴賓席から降りてきた。
「わたしはかつてここにいるエリザベータ・ゴールドバーグと婚約をしていた。聖なる誓いに基づいた精霊を仲立ちにした誓いだ。何人も正当な理由がない限りこの婚約を破棄できない。
だが、諸君も聞いてのとおり、この女はわたしたちの友情を壊し、多くの人を陥れ、好き放題に振る舞ってきた。それどころか、他国と通じこの国を混乱に陥れた容疑もかかっている。
わたしはこの女の犯した罪は婚約破棄の正当な理由に当たると判断する。
我が友よ、我が腹心達よ、わたしが婚約を破棄する正当な理由を持っているか、どうか判断してくれ」
「殿下は正しい判断を下されました」
「その女は殿下にふさわしくない」
口々に側近達が声を上げる。
「諸君、ありがとう。
では、わたしはここで正式にエリザベータ・ゴールドバーグとの婚約破棄を宣言する」
エリザベータが小さく身震いをした。彼女のしてきたことの唯一の免罪符が今奪われた。すでにゴールドバーグ家はなく、平民となった彼女の後ろ盾となるものは何もない。豚嫁の母国も彼女をすくうことはできない。
満足そうな王子とその取り巻きたちの姿にわたしは爆発しそうな感情を懸命に抑えつける。
今は駄目だ。まだ…
わたしは超然とした態度をとり続けた。不安と緊張で体がこわばってくる。
「それでは、審問も尽くされたところですし、どうでしょう、評議会の皆様、そろそろお開きにしたいのですが」裁判官が感動の舞台の裏で話しているのが聞こえる。
「それでは、被告人、なにか申し開きすることがあるか。あれば正々堂々と自らを弁護しなさい」
弁護士をつけてくれないのか…まぁ、いい。
このあとで豚公爵と豚嫁が無罪を叫ぶバージョンもあったな。わたしはその台詞を頭の中でさらう。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「わたしが、わたしがはなしてもいいのだろうか」
緊張と激情で声が枯れていた。その小さな声に、どこかで笑いが起こった。
「もちろんだとも。ゴールドバーグ。君には君を弁護する権利がある」
裁判官の嫌みなまでに優しい声にまた笑いがおこる。
「では」
わたしは深く息を吸い込んだ。これは芝居だ。わたしは、わたしの役を演じなければならない。
「ここでわたしに弁明の機会を与えてくれたことにここにお集まりの方々に感謝したい」
わたしは話し始めた。
「諸君達は、期待しているかもしれない。たとえば、わたしが、こういうことを」
声が小さいとか、聞こえないぞ、とかいうヤジが飛ぶ。
「わたしは無実だ、わたしはこんなことはしていない。証人は嘘をついている。全部、オクタヴィアとエリザベータがやったことだ」
わたしは原作の台詞をそっくり棒読みした。
「そう泣き叫んで、転げ回って、無様な姿をさらす。それを楽しみにしているのだろう?
…ゲスどもめが」
はっきりと言い切って裁判官のほうをみた。
「もう一度いってやる。
ここにいるものはみんな性根の腐ったゲス野郎だ。
抵抗できない、反論できないものをさらして、喜ぶクズどもだ。
ろくに証拠も集めずに裁判を開く?
これが貴様達のいう正当なる裁きなのか?
聖なる誓いだと。精霊の名においての裁きだと。おまえ達のやってるのは鬱憤晴らしだ。
単なる弱いものいじめだろう」
反応をうかがう。誰も何も言い返してこないので話を続けた。
「安心しろ。わたしはおまえ達を責めたりはしない。むしろ、その下劣な心をうれしく思う。なぜなら、わたしもそういう出し物が大好きだからな」
わたしは満面の笑顔を浮かべてやった。
「わたしは、弱いものいじめが好きだ。
力のないものが踏みにじられてなく姿を見ると楽しくなる。
もっと好きなのは、強いものが引きずり下ろされる瞬間だ。
今までお高くとまっていた連中が地べたを這うところを見ると胸がすっとする。
美しいものが汚され、醜い本性をさらすところを見るのが大好きだ。
おまえ達もそうなんだろう。かつて自分たちの上で支配していたものが落とされて、裁かれる。心がわくわくする見世物だよな。
特に自分たちには危害が及ばない、ゲ・ー・ム・と・し・て・観戦できるのならなおさら愉快だろう」
わたしはひな壇に座っている攻略対象者や主人公の顔を見つめながら話した。
「わたしもそういうのが好きだからわかる。
相手の行動を逆手にとって、はめたときの爽快感。
ループのようなイベントをこなし、罠をかいくぐったときのぞくぞくする快感。
はめられていると知らない相手が自分の手の内で踊ってくれたときの満足感。
自分たちは絶対に安全なところにいて、すべてがシナリオ通りに進むのなら、これほど楽しめるものはない。
おまえ達もそういうのが大好きなんだろう。
おめでとう。おまえ達もわたしの仲・間・というわけだ」
わたしは誰が“転生者”で、誰がそうでないかは知らない。だが、反応の一つ一つを見ているとなんとなく誰がプレイヤーで誰がそうでないかわかってくる。
今さらわかったところで生かす場もない、ただ自分の知りたい気持ちを満足させるだけのむなしい情報なのだけれど。
「残念ながら、おまえたちよりもわたしのほうが一枚上手だ。
今の証人の挙げた証拠はどれも嘘だ。妄想で作り上げたねつ造だ。あやしいと思うものを罪に陥れるための道具だろう。所詮こうなってほしいと思う願望を連ねただけだ。
わたしが誰かをだまして金を巻き上げた? 誰も見たものはいない。そういう話を聞いたというだけだ。
わたしが違法薬物を商人に販売させた。その契約書はどこにある?
何一つ具体的な証拠はない。いろいろ捜したがどうしても見つからなかった。そうだろう。
こんなでっちあげの証拠でわたしたちの何がわかるというのか。
わたしが女の尻を触った? 子供を殴った? そんなくだらない罪で、わたしを、ゴールドバーグ公爵を断罪するつもりなのか。ばかばかしい」
わたしは吐き捨てるようにいって、エリザベータを見下ろした。
「貴様達はさんざんこの女のことを責めていたな。
誘惑されて、裏切ったとか、恋人と引き裂かれたとか。
この女が、動乱のきっかけも戦争のきっかけもすべてを作ったような言い方をしていたな。淫売、毒婦、売国奴、人をたらし込む最悪の女狐。ゴールドバーグの権力を裏で振りかざす女帝。
おかしいだろう。
こんな小娘が。そんな大それたことを一人で考えてやったと思っているのか?」
わたしはエリザベータを冷たく見下ろした。
「これは確かに見目がいい。だから、道具としてはとても使い勝手がよかった。見事な働きをしただろう。こいつは。
コイツはわたしの傀儡だ。わたしのいうままに動き、いうままに語る中身が空っぽの人形だ。悪賢くて頭が回る氷の姫だって。聞いて笑える。ただ人形相手に踊っていただけだ。後ろで操っているのが誰かも知らずに。
こいつが無能でなければ、もっとうまくいったのだが。残念だよ。所詮頭の空っぽの飾りだったな。これに踊らされたおまえ達はとんだ道化者だな」
わたしは王子に笑いかけた。王子は顔色をなくす。
「婚約破棄? 結構、結構。乙女だと思っていた淫売にだまされていたことにようやく気がついたのか。それともなんだ、たっぷり楽しんで飽きたあとなのか。新しい女でもできてつまみ食いをしたくなったのか。
エリザベータと遊ぶのは楽しかったか?」
挑発された王子は椅子を蹴って、立ち上がった。
わたしはそんな王子をせせら笑う。
「お父様」
エリザベータが何か言おうと口を動かした。
「お父様? おまえにそんな呼ばれかたをしたくない。
ひとときの感情におぼれるような無能は一族には必要ないのだよ。
思い上がるな。おまえは外見だけ美しいただの道具だ。ただの人形がちょっとうまく計画がいったからと偉そうな口を」
わたしはエリザベータのつばを吐いた。凍り付いていたエリザベータの瞳が揺れる。
「おまえはわたしの娘ではない。おまえのようなものは我が一族にふさわしくない。」
わたしはエリザベータからひな壇に並ぶお歴々のほうに目を向ける。
「こんなクズどもの考えたわたしのシナリオは三流以下だ。最悪の脚本だ。こんなものではおまえ達の低俗な欲求は満たせないよな。
おまえ達にわたしのシナリオを全部話してやる。すべてをだ。知りたいのだろう。ことの顛末を。話の裏にどんな伏線が引かれていて、どんなふうに決着したかを。
いいだろう。豚公爵の物語をすべて、語ってやる。おまえ達の見つけた貧弱な真実のかけらよりもずっと面白い筋だ。おまえたち、愚民が喜ぶエロスと暴力と陰謀、すべてが詰まった悪逆豚の話をしてやる」
わたしは延々と話した。
ゲームのシナリオを。
大げさな手振りと身振りで。民衆の興味と憤りを煽りながら。
エリザベータをつかって王子達を籠絡させようとしたこと、薬をつかって巨万の富を得たこと、領土の一部で違法な薬物を生成していたこと、ブランドブルグ帝国と交渉していたこと。
ゲームのシナリオに書かれていたことを全部話した。
辺境伯家を争わせて、漁夫の利を得ようとしたこと。魔王の復活に手を貸したこと。それから、王子の暗殺に手を貸そうとしたこと…これはファンブックの特典話だったような気がする、ともかく記憶にあるシナリオは全部、洗いざらいだ。
ルートや時系列がごちゃごちゃでたぶんおこってもいないイベントまで話してしまったが、まぁいい。
そろそろネタが尽きて、民衆がいかに阿呆で間抜けかとけなし始めたときに、ようやく待っていた声が上がった。
「豚を、つるせ」
細い、か弱い、震える声だった。
その声をきっかけにあちこちから怒りの声が上がる。
「豚を殺せ」
「丸焼きにしてしまえ」
「殺せ」「つるせ」「殺せ」
ありがとう。ダーク。声を上げてくれて。
これ以上演説を続けるのは苦しいところだった。ネタが尽きたんだよ。わたしはそっと友に感謝する。
誰かが腐った野菜を投げた。それをきっかけにものがあたりに飛び交い始めた。
紙くずやゴミくず。誰かの食べかけらしい食料。椅子も投げられたらしい。ものすごい音がしている。
そうだ、わたしを憎め。弾劾しろ。
悪意の矢が突き刺さるのをわたしは感じた。
わたしの後ろに座っていた取り澄ました金持ち達が動揺してきた。貴賓席に座っていた高位の貴族達がこぞって退場を始める。
すでに後ろのほうでは兵士と群衆がもみ合いになっていた。巻き込まれたもの達の悲鳴や怒声が交差する。
「つるせ、つるせ」「豚をつるせ」
「金持ちをつるせ」
「悪徳貴族を殺せ」
「自由と平等のために!」「革命万歳!」
わたしでは受け止めきれなかった悪意が上流階級に向けられる。
はは。この芝居は思わぬ結末を迎えそうだ。
何か重いものがわたしの頭に当たる。
わたしは被告人席の周りに巡らされている柵をつかんで耐えた。生暖かいものが首筋を伝ってしたたり落ちていく。
法廷を警備していた衛士達が慌てて、暴動を鎮めに駆け回り始めた。
これで満足なんだろう。名もないアレに呼びかける。シナリオ通りに動いてやったんだ。
これで満足しただろう。
すべてがたまらなく滑稽だった。
わたしは下を向いたまま笑った。