豚の矜持17 イベントカーク

俺には御使い様が憑いていた。

 御使い様はおとぎ話に出てくる精霊の分身だ。普通の精霊よりもずっと人に近くて、人と話をするという小さな精霊だ。

 ある日突然、御使い様は俺のところに降りてきた。

 友人のシャークは、アレは悪霊だといっていた。

 体を乗っ取って、勝手なことばかりする悪い霊だとさわいでいた。

 ―あたしはアリサというの。あなたは?

 シャークに憑いたのはばあさんだったようだけど、俺に憑いたのは若い女だった。

 それも、今まで俺の知らないタイプの女だ。俺と大して変わらない年だと名乗ったにも関わらず、俺よりもずっとものをしらなかった。

 ちょっとした盗みできゃぁきゃぁ頭の中で騒ぎ立てる。人を殴ったらやめさせようとするし、女と遊ぼうとすると…実力行使で邪魔した。

 神殿の坊主どもが使う“無垢な女”という言葉がこれほどあう女はいないだろう。

 彼女は“手癖の悪い”俺の行動を全く理解していないようだった。というよりも、そういう行為があることすら実感していなかったようだ。

 ―もう、信じられない。

 彼女は口癖のようにこう俺を非難する。

 ―暴力とか、泥棒とか、いけないことなんだよ。ヨウチエンジだって知ってることだよ。

 ヨウチエンジというものがなんなのか俺にはわからないが、なんだかとても馬鹿にされているような気がする。自分のほうが赤ん坊のような頭の中身のくせに、と俺は悔しくなる。

 あるとき気がついたら、俺は持ち金を全部乞食に与えていた。あいつが勝手に俺の体を乗っ取ってやっていたのだ。

 俺が乞食をぶん殴って金を取り戻すと、あいつは怒った。困っている人を助けて何が悪いの、という。

 アレは乞食という仕事をやっているだけで、本当に困っているわけでも金がないわけでもない。下手に金を与えると、いろいろやっかいなことになるのだということを教えてやるとショックを受けていた。

 そんなことで呆然とするほうに俺は衝撃を受けたよ。

 俺にとってのいつもことでも彼女にとっては初めて体験する出来事なのだ。

 そして俺にとっても初めてのことが続く。

 まず、ここら辺でかなり大物であるトールと知り合いになった。それからなんと豚公爵に出会い、彼の屋敷で働くことになった。

 豚公爵の家は今まで見たどんな家よりも大きく立派だった。さすがお貴族様、すごいぜ、とシャークと喜んだものだ。今まで腐りかけた家の中で暮らしていたことを思うと、ものすごい出世だ。

 おまけに住むための部屋と温かい食事まで提供してくれる。

 ものが盗まれるとか、思わないものかな?

 ―冗談でしょ。寝るところと食事を与えてくれたのよ。恩を感じないの?

 恩なんてこれっぽちも感じなかったが、御使い様が邪魔するので壺を売りに行くことはやめておいた。

 豚公爵は頭の中まで人ではなかった。外側も豚だから頭の中までおかしいのだろうか?

 天使様のいうには、豚の中にも御使い様が憑いているらしい。

 御使い様は精霊の使いだけあっていろいろなことを知っていた。げーむをぷれいしているので、これから先俺がどうなるのかも知っているのだという。

 ―あなたは死ぬ予定なの。

 御使い様はそう俺に告げた。

 冗談じゃない。なんで、俺が死ななきゃならないんだ。

 ―そうおもうでしょ、そう思うならわたしたちに協力して?

 御使い様たちの話を聞いていて頭の悪い俺にもだんだん事情がわかってきた。

 俺たち、ここにいる人たちは不幸な目に遭う運命が待っているようなのだ。馬車に轢かれたり、刺し殺されたり、ともかくろくな未来じゃない。

 最初は疑っていた俺が信じるようになったのはダークが馬車に轢かれてからだ。料理人のダークは馬車に轢かれるというのは最初からトール親方からいわれていたことだった。だけど、信じてなかったんだ。

 誰が予言なんて信じると思う?明日の天気もわからないのに、人の死を占うなんてできっこない。まじめにアリサたちの会話なんて聞いてなかったんだ。

 だから、ダークが馬車に轢かれたと聞いたときには本当に驚いた。血まみれの彼が運び込まれても俺は見ていることしかできなかった。俺の中の御使い様は大泣きさ。

 その頃からかな。御使い様と仲良くなったのは。

 御使い様は俺の知らないいろいろなことを話してくれた。ガッコウ、テレビ、げーむ。

 御使い様のいたところは今俺たちがいるところよりもずっと楽しいところらしい。

 ―ここもげーむを見てる限りでは魅力的な場所に思えたんだけどね。

 天使様はため息をついていた。

 ーこんなにくさくて汚いところだとは思ってなかったわ

 悪かったな。フケツな場所で。

 豚が、いや失礼、豚公爵がトール親方たちと出かけていったのはそれからしばらくしてからだった。俺とシャークは留守番として残された。

 というよりも、俺たちがここに残ることが肝心だった。俺たちの死が確定するいべんとを起こさないために王都にいなければいけないらしい。

 ―“村”に行くとシボウふらぐがたつのよ。

 御使い様は教えてくれた。

 しばらくは暇な日が続いた。

 ようやく怪我から回復したトールが作る食事はうまかったし、豚邸には酒の備蓄たっぷりあった。邸周りを掃除したり、畑を耕したりする仕事はあったが、遊ぶ時間もあったからね。全然退屈しなかった。

 シャークが時々家族に会いにいってたのも知ってる。時々送っていってたからな。

 あの日も彼が荷物を抱えていくのを見送ったんだ。

 ―ねぇ、あんたはいいの?家族に会いに行かなくて?

 御使い様は聞いた。

 ―俺はシャークとは違う。俺には一緒に育った“兄弟”も“親”もいないからな。

 親の思い出といえば怒鳴り声と振り上げられる拳しか思い浮かばない。そんなものがいたことすら記憶から消してしまいたいくらいだ。

 日が暮れて、夜になってもシャークは帰ってこなかった。

 その日は娼館にでもいっているのか、くらいにかんがえていた。あいつも女と遊ぶのは好きだったからな。

 次の日、空の馬車と、泣きわめくシャークの“兄弟”と、彼の遺体が帰ってきたときには、力が抜けて立てなくなった。頭が白くなるってああいう時のことを指すのかな。

 御使い様も俺と同じように呆然としてたんだろう。しばらく何も言わなかったよ。

 あいつは大切な“兄弟”をかばって、暴漢に刺されたらしい。トール親方がその場にいた女に繰り返しシャークの死んだときの状況を聞いていた。

 ―なんでよ。

 御使い様は憤って、また泣いた。

 ―そんなの、あり得ない。ここで起きるいべんとじゃないでしょ。これは。

 御使い様にも防げないいべんとがあるんだ。そのとき俺は初めて自分の死を感じた。

 ―次はあたしの番なのよ。あたしたちが殺されるの。

 なんでだよ。なんで、俺が死なないといけないんだよ。俺も一緒に泣いたよ。

 御使い様の記憶の中で俺は無様に命乞いをしながら死んでいた。

 裏切ってごめんなさい、もうしません、許して…

 俺は確かに悪いことをいっぱいしてきたよ。人をだましたり裏切ったりしてきた。御使い様が眉をひそめるようなひどいことをたくさんしてきた。だからといって、殴ったり蹴られたり、さんざん痛めつけられて死なないといけないのかな?

 おかしいだろ。

 やっぱり、コイツは御使い様じゃなくて、悪霊なんじゃないか。

 コイツが憑いてるから、俺は死なないといけないのかな?

 ―あたしがいてもいなくても、あんたは死ぬの。いなかったら、確実に死ぬわ。

 御使い様は泣きながらいう。

 ―これだけふらぐを折ってもシャークは殺されたわ。次はあたしたちの番よ。

 豚公爵やトール親方も御使い様を慰めた。でも、御使い様の気持ちは浮かばれない。

 ―みんな、死ぬのよ。

 そんなときに俺は彼女に出会った。赤毛の俺の女神・・・

 彼女は“村”から親方が連れて帰った赤毛の女の一人だった。

 正直に言おう。初めてそいつを見たとき俺は迷宮にすむという大鬼を連想した。

 女将が引き取りを拒否したというのもわかる。これは客がつかない。場末の立ちんぼの中でも滅多にいないほどの容姿だ。俺が親でも売れるのならさっさと売りに出すだろう。

 なんで、そんな女に惚れてしまったのかな。

 女を顔で判断するなんて最低と御使い様に言われたからかな?

「大丈夫ですか?」

 やけになっていた俺はグラスを割って怪我をしたんだ。陰でこっそりと手当てをしようとしていたら、そこを彼女に見られてしまった。

 彼女はそっと手をさしのべて、俺の手当てをしてくれた。

 彼女の手は荒れてがさがさしていたけれど、とても形がきれいだった。それに暖かかった。

 触れられると、こちらの手にぬくもりが伝わってきた。ああ、生きている。そう感じられたんだ。

 周りは俺たちが恋人同士になったことをおおらかに認めてくれた。御使い様も含めてだ。

 初めてだった。こんなふうに女性とつきあう経験は。

 ―女性には優しくするのよ。手を上げるなんてもってのほか。

 御使い様もいろいろと忠告してくれた。

 ―なんであたしが、乙女のあたしがこんな下品な男に恋愛アドバイスをしないといけないのかしら。あたしだって、あたしだって…

 御使い様のいうとおりにすると女はとても喜んだ。俺は彼女の笑い声はとてもかわいいと思った。

 いつのまにか俺のほうが彼女に夢中になっていた。こんなに一人の女に入れあげたことはない。今までの女とは金でつながっているか、一夜限りの遊びだったからな。

 あまりにのぼせていたから、御使い様の指摘があるまで彼女の変化に気がつかなかった。

 ―ね、彼女最近変じゃない?時々だけど、泣きそうな顔をしてるときがあるでしょ。

 そうだろうか。俺は御使い様の助言に従って、彼女に贈り物は欠かしていない。好きだとことあるごとにいっている。“ろまんちっくなでーと”とやらにもいったよ。

 ―なんか、やましいことがある感じよねぇ。

 まさか、まさかだが浮気をしているのかもしれない。ふとそんなことが頭にのぼった。血が沸き立つような感じがして、すぐにでも彼女のところへ行きたくなった。

 行って、彼女の胸をつかんで、がたがたと揺さぶって……

 ―ちょ、ちょっと、落ち着きなさいよ。そんなことをしたら彼女怖がるわ。本当に去ってしまうわよ。嫌われてもいいの?

 天使様が止めた。

 ―様子を見て? 浮気とは限らないわ。あの顔だもの、そうそう浮気するとも思えないのよね。あんたみたいな物好きはそんなにいないから。

 彼女の柔らかい胸を他の男が触れるかと思うとむかむかした。だから、彼女の行動をなるべく見張るようにしたんだ。

 気をつけてみていると、彼女は時々邸にいないことがあった。どこに行っているのだろう?

 俺も仕事があっていつも跡をつけるわけにはいかない。

 ようやくその機会が巡ってきたのは豚公爵たちが冬の宴に行く日のことだった。

 この日は、俺たちのような下人にとっても祝日だ。

 用が終われば、好きにしてもいいといわれていた。

 タークたちが祝日用の特別な食事を用意するということで、みんなでお祝いの支度をしてたんだよ。はしゃぎ回るチビたちを蹴り飛ばしながら、準備をしていたら彼女のどこかへ行く後ろ姿が見えた。

 声をかけようとしたがかけ損ねて、俺は跡を追った。

 彼女は足早に館の外に向かう。

 俺はトール親方から外に出るな、といわれていた。絶対にでるな、って。

 だけど、そのときは彼女のことで頭に血が上っていたんだ。

 彼女は館を抜けて、人目を忍ぶように大きな館の建ち並ぶ通りを歩いて行った。

 男と会うのなら、下町に行くのだとばかり思っていた。まさか、彼女の相手というのは貴族なのか。

 貴族ってのはゲスな人種だからね。身分の低い女なんかただの肉としか見ていない。まさかあんなことや、こんなことや…俺は怒りで思考がとまっていた。

 彼女はとある邸の裏門から中に入っていった。門番も何も言わない。きっと何度も同じことをしているのだろうとわかるほどの慣れた様子だ。

 俺は、もちろん、館の中に入った。生け垣を抜けて館に侵入する。

 天使様が必死で止める声が聞こえたが、俺の耳にはただの雑音だった。

 彼女は使用人入り口らしい場所から館の中に入る。

 俺は闇に紛れて近くまで忍び寄った。扉近くの窓に明かりがともる。

 窓枠から中を覗いてみると、正面に見える扉が開いて彼女がうつむいてはいっていくのが見えた。他の誰かが、それも複数、彼女を待ち構えている。

 俺から見える彼女の表情は硬く、とても色事がらみとは思えない。

 彼女は中にいる者と何か話しているようだ。

 御使い様が息をのむ。

 ―これは、駄目よ。これ、イベントよ。

 その切羽詰まった様子に俺の頭は冷めた。

 -これ、イベントなの。裏切りの二重スパイのイベント。

 御使い様の見た悪夢。豚公爵の二重スパイが断罪されるイベント、すなわち俺の死亡イベントだった。

 本来なら俺が彼女の代わりに中にいて報告をしているはずの場面だ。だが、俺は豚邸を一歩も出ない生活をしていた。だから…

 ―だから、彼女が身代わりにスパイ役をやらされているんだわ。

 頭に響く御使い様の声に泣きが入っている。

 俺たちはこのあと起こるであろうということをよく知っていた。金のために双方に雇われていた“しなりおの中の俺”は二重スパイであることがばれてしまう。そしてそのことが原因でリンチに遭って死ぬ。

 あんなクズ、死んで当然だよ。そう吐き捨てるように言われておしまいだ。

 あんなクズ、くず、くず、くず……

 俺はずっとそう呼ばれていた。ずっとずっとだ。

 そう呼ばなかったのは彼女だけだ。俺と同じように穀潰し扱いされていた彼女は俺のことをクズとは呼ばなかった。

 何も考えれなくなった頭の片隅だけが冷めていた。

 目の前で彼女の顔がゆがむ。言葉は聞き取れないが、何か激しい様子でせめられているみたいだ。

 物語の俺は一生懸命言い訳していた。知らないと言い張っていた。でも証拠を突きつけられて、逃げるように部屋を走り去って…それから。

 彼女が背を向ける。背を向けて扉を開けて廊下に走り出る。

 それを見送ってから、ゆっくりと二人の男が扉を開けて跡を追う。

 彼女のところへ走り寄ろうとする俺を御使い様が全力で止めた。体が動かなかった。

 ―いいの? いったら、あなたは死ぬのよ。

 でも、いかなければ、彼女が死ぬ。違うか?

 一瞬、黒い髪の少女が涙に濡れた目でこちらを見て唇をかむ姿が見えたような気がした。

 体が急に軽くなった。見えない手で押さえつけられていた体が急に自由になる。

 いきなさい。

 言葉にならない言葉が後押しをする。

 すぐに追いついた。彼女の腕をつかむ。いきなり現れた俺に彼女はとても驚いた顔をした。

「カーク? どうして、ここに?」

「走れ」

 俺は有無を言わさず彼女の腕を引っ張って走り始める。

 植え込みを抜け、無理矢理生け垣の隙間をくぐり抜け、暗い通りを豚邸に向かって走る。

 あと少しで、と思ったときに目の前に立ちふさがる男たちが現れた。

 俺は彼女を背にかばった。

「おまえ、どこに行く気だ?」

 男たちは俺のことを無視して話を進める。

「あっちの情報を流せとはいったが、こっちの情報を相手に流せとはいってなかったよな、この、裏切り者」

「裏切り者がどうなるか、わかってるんだろうな」

 イベントの中で俺は下町の顔役に頼まれて、豚たちの悪事を探るスパイだった。だけど、豚の金に目がくらんで、逆に情報を流してたんだ。それで、顔役に私刑される。

「裏切ってなんかいない」俺はイベントの台詞をそのまま帰す。「裏切ってなんかいないよ」

 彼女がぎゅっと俺の服をつかんだ。今回裏切ったのは後ろにいる女だ。

「部外者は黙ってろ」

「おまえらこそ、俺の女にいちゃもんつけるなよ」

「おまえの女?その醜女ドブスが?」男たちは俺たちをあざ笑う。

「どきな、兄ちゃん、痛い目には遭いたくないだろう」

 俺は不用意に近づいてきた男を殴り飛ばした。行く手をふさぐもう一人にも蹴りを入れ道を空ける。

「はしれ、カレン!!!」俺は女に叫んだ。「トールに伝えるんだ」

 女ははじかれたように走り出す。

 俺は彼女の手をつかもうとする男に足払いをかけてこけさせ、つかみかかってきた男に肘鉄を食らわせる。

 こちらも下町育ち、けんかには慣れている。久々に血が沸き返る思いがする。

「おまえ、俺たちをこけにしやがってただですむと思うなよ」

「それはこっちの台詞だ」

 不思議に怖い気持ちはしなかった。たとえこの先どうなろうとも、今の瞬間は、これは俺の、俺だけのイベントだ。

 俺は戦いに備えて、拳を握りしめた。

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