商人A。
華の学園をプレイしたものなら必ずお世話になっている少年キャラだ。
ゲームの進め方を教えてくれるチュートリアルキャラで、学園に戸惑う主人公と学園を見て回るお助けNPCだ。
物語の中ではなぜか購買の店員をつとめていて、いろいろなアイテムを主人公に売りつけていく。商売できるところなら、ダンジョンでも戦場でも現れる万能な商人なのだ。
その万能商人がなぜ、ここに・・・。
「彼も転生者なのか?」
わたしが小声でトールに尋ねると、彼はわからないという仕草をする。
彼が我々のような存在なのか、ちょっとみたところわからなかった。この作品の登場人物の中には、我々にとりつかれていないものも多いからだ。たとえば、わたしの娘のエリザベータ、そして今ここにいるクラリス。彼らはここがゲームに侵食された世界だとは思ってもいない。
「ようこそ、“村”にいらっしゃいました。ゴールドバーグ様。お待ちしておりました」
少年は極上の笑顔を浮かべる。「作業員の教育が行き届いておらず申し訳ありません。さあ、おまえたち、さっさと作業に戻れ」
男たちは少年に頭を下げて、おのおのの作業に戻っていったようだ。明らかに年下の少年に柄の悪い男たちは従っている。
「先ほどのご質問ですが、ウィリアム様、これは夜来花です。これを加工して、我々は商品を作っております。後ほど、その工程にもご案内しますね」
「夜来花?」
「はい、商品の主原料となる植物です。サンプルはすでにお渡ししていると思います」
少年は笑顔を絶やさない。
「あの、ここの土が弱っているようなのだが」豚が小さな声でつぶやく。
「夜来花は土の力を多く必要とする植物ですから。これから栽培を継続するためには、なるべく吸い取る力を少なくすることが今後の課題ですね」
工場を見学しましょうと促された。
工場見学なんて、小学校以来だよ。というか、なんで工場なんてものが存在するんだろう。
ファンタジー世界に工場? 世界観が全く違う。
工場まで歩くのには距離があるということで、私は馬車に戻る。
「なんだかきな臭い話になってきたな」トールがささやいた。
「ここは相手に話を合わせましょうよ」
マーガレットが異様に鋭い目を少年商人にむける。犯人を追う警察官の目だ。
領地の視察のつもりだったのだが、なんだか相手は違うものを視察に来たと思っているようだ。
わたしはまだ先ほどの葉っぱを持っていることに気がついた。
汚らわしいものを持っているような気がして、それを払い落とした。手先に液がついているようで何度も神経質にぬぐう。
「ものすごくいやな感じがする」
「ああ、俺もだ」トールとマーガレットも陰鬱な視線を交わす。
一人、きょとんとしているのはクラリスくらいか。
彼女はどのくらい私たちの状態を理解しているのだろう。ふと疑問に思う。
今のクラリスはゲームの中で死んだ魚のような目をしていた娘ではない。
穏やかであるが、感情を素直に表に表すごくごく普通の若い女だ。
わたしたちは彼女の前で一切の情報を隠していなかった。
トールは彼女がいずれ“転生者”として覚醒することがあるかもしれないといった。未知の存在に取り憑かれたときのために、あらかじめ慣らした方がいいのではないかというのが彼の意見だった。
私も最初はそうなるのではないかと思っていた。だが、今のところ彼女は何者かに憑依されたような行動はみせていない。もう”転生者”でも、そうでなくてもどちらでも構わない。今のわたしは彼女に頼りきりだ。
彼女が何も言わないことに甘えて、げーむとかしなりおとか、おそらく彼女の理解に及ばないような会話もたくさんしてきた。
聡い彼女のことだ。自分なりにわたしたちがどんなものであるのか、彼女なりに理解しているのかもしれない。
今のままであってほしいと思う。彼女はわたしたちを異形のものとして恐れたり、嫌悪したりする様子は見せなかった。豚公爵の貴族としては完全に気の触れた行動も、トールたちの不敬な処刑されても仕方のない不敬な言動も、ありのまま受け止めている感じだ。
もし、実は恐れていましたとか、逃げようと思っていましたとか、後に告白されたら、わたしの心はずたずたになりそうだ。ただでさえ、召使い達の裏切りにウィリアムの心は痛んでいる。わたしまでダメージを負ったらもう豚公爵は立ち直れないよ。
しかし、本当のところ、彼女の目にはわたしはどんな風に映っているのだろう。
わたしはひそかにクラリスの様子をうかがう。女性の目を気にするなんてオクタヴィアとの新婚時代以来だった。
偉い公爵様か、頭がおかしくなっている貴族か?それとも妄想に駆られた狂った男か?
ただの豚なのだろうか?
わたしの視線に気がついたクラリスはどうしたのですかと小さな笑みを返す。
目を落とすと丸く脂肪でふくれあがったわたしの指が見えた。
うん、豚だな。
自分で答えが出てしまった。
商人Aに連れて行かれた施設はあやしげな半地下の建物だった。
子供向けの特撮番組でありそうなコンクリート製の建物だ。表向きは廃工場、中に入るとあやしげな研究室、というあれである。
どうしてこんな建物がここに?
華の学園、ファンタジーものだったはずだ。魔法も出てきたよ。設定は剣と魔法の世界のはず…この工場はどう見ても異世界の産物だ。
幸いにも働いているのは、まともな格好をしたいかにも農民といった風情の人たちだった。
全身黒ずくめでタイツかぶっている怪人じゃなくてよかった。
「工場1です」
もう目が点になっているわたしたちに向けて、商人Aは重々しくつげた。
「ここで先ほどの草を加工して様々な薬に替えています」
あたりにはかいだことのあるなじみの香りが漂っている。そう、豚を廃人にしていた夜来内花の香りだ。
「やらないか…」
「いえ、そういうお誘いはちょっと」
商人Aにやんわりと断られてしまったよ。なんの誘いなのかは不明だけど。
倉庫にはみたことのある商品が山積みされていた。
商人Aが売っていたポーション、毒消し、麻痺回復剤・・・アレって麻薬の類いだったのか。
次に案内されたのは製品を開発しているところだった。
白衣を着たあやしげな集団がフラスコを片手に何かをしている。
「こちらは開発工場1です」
そこにも見慣れたパッケージが並ぶ。エクストラポーション、復活の薬、スキルアップ、体力アップ、魔力アップ・・・ゲームの中では馬鹿高い値段で販売されていた高級な薬だ。
「こちらはまだ人体実験がすんでおりません」
まさかとは思うけど、ダンジョンの中まで売りに来てたそれ、実験のためだったとかいう落ちじゃないだろうな。
みんな無言で工場見学を済ませた。思うところはいろいろあるのだが、誰も言葉にできない状態だ。
「以上で見学のコースは一通り終了しました」にこやかな笑顔で商人Aは締めくくった。
「何か質問はございますか?」
「あー、他に工場はあるのか?」
「残念ながら、ここのみでございます」
わざわざ、番号振ってたのに、一つだけ?
「薬の性能のことなんだけど…」
「それはこちらの商品説明のパンフレットに書いてあります。残念ながら村の外への持ち出しはできませんが、中では自由に閲覧できます」
「えっと、君の名は…」
「私の名前ですか?ルーシー・マーチャントと申します」
「ルーシーって、女の子?」
「いえいえ、わたしは男ですが、設定段階で女の方がいいという意見もあったらしく、名前は女性形になっております」
たしかに、男にしてはきれいな顔をしている。まてまて、なんだか不穏な単語が聞こえなかったか?
「設定段階で女?」
「せっていだんかい、などといいましたでしょうか?」ルーシーはとぼける。「私が生まれた生誕時のことです」
“見学”を終えて“村”に一軒しかない宿に入ったときには暗くなっていた。
宿は田舎町にふさわしくないほどの高級宿だった。商人Aによると、ここには高貴な方々もいらっしゃることがあるので、この仕様なのだという。
よく掃除の行き届いた床、きれいに洗濯されている寝具、いいにおいのする香草があちらこちらに置かれていた。まるで高級ホテルのようだとわたしは思う。
用意されている食事も辺境とは思えない質のもので、美食家の豚公爵の舌も充分満足した。それに風呂がある。旅の間は入れないものと考えていた風呂、それも豚の入れる特大サイズだ。
普通の人なら三人くらいは入れるぞ、と思いながら、ゆっくり湯につかる。
湯から上がると清潔な服が用意されていた。どうやってわたしの大きさに合った服を用意することができたのだろう。いつも特注しているのに。
すっかりリラックスした気分になったが、これではいけない。これからのことを話し合わなければいけないのだ。
トールは計画に備えて、指示を出してくると出かけ、部屋の中はマーガレットとクラリスだけである。
「今日のこと、どう思った?」
わたしは早速きいてみた。
「あり得ないものをみてしまった感じね」マーガレットさんはこめかみを押さえた。「なんていったらいいのかしら、世界のずれを目の当たりにした感じがするわ。アレはあってはいけないものよね」
「わたしもそう思う。アレは私の知らないものだ。昔からゴールドバーグ家は薬草の開発をしてきた。だから、私も何度か薬を作っている部屋をみたことはある。だが、アレは異質だ。あんなもの、昔はなかった」
わたしは醜くふくれあがった指を閉じたり開いたりした。
あれはなんだ?
その質問にわたしも答えられない。
外見的にはわたしの世界にある工場に似ている。ここではない、ゲームの外側の世界。
コンクリートの建築物? 田舎の一族でやっているような工場?
ただ一つわかる。アレはここにあってはいけないものだ。
「クラリス、君はアレをみてどう思った?」
ふと思いついて部屋の隅に静かに控えている侍女に声をかけた。
「わたしですか?」クラリスは長いまつげをぱちぱちさせる。
「あの建物ですか。ずいぶん変わった建物でしたね。今までに見たことがない建築物でした。アレはウィリアム様がお建てになったものではないのですね」
そう、だれがアレを立てるように命じたのだろう?ここはゴールドバーグの土地、ゴールドバーグの一族の誰かでなければあのようなものは建てられなかったはず。
やはりあやしいのは妻のオクタヴィアなのか。それとも配下の者たちの家の誰かなのだろうか。
香をつかって、ウィリアムを幽閉しようとしていたものたちである。誰が違法な建築物を建てていてもおかしくない。
配下の者に今後のことを指示して戻ってきたトールも同じ意見だった。
「絶対あやしいゲームの干渉がはいってるよな」彼はこぼす。「しかし、まさかここでゲームのアイテムを作っているとは思わなかったよ。あのラベルをみたか?ゲームの回復系アイテムのパッケージそのままだろ。それにあの工場、どう見てもこの時代にあってはいけないものだよな。豚公爵、おまえ、このことを知らなかったんだろ」
「知らない。そもそもこの“村”があることすら知らなかったよ。ダンジョンや宿泊施設も含めて、まさにゲームのための”村“だよな。わたしの知らないところでなにかが進んでいるみたいだ」
「たぶん、これは推測だが、豚公爵はこういう計画に反対しそうだったんだろうな。だから先手を打って豚が物語に介入できないような状態に追い込んだ」
トールは机の上に飾るようにおかれていた高価な葉巻を断りもなく吸っている。
「実にいやらしい手口だな」
「それはそうと、計画のほうはどうなってる?」わたしはウィリアムの気持ちが落ち込んでいくのを感じて話題を転換した。
「ああ。部下に命じて何人か女性を集めてくるように話しておいた。桃色の髪の女、赤毛でも可。数日中には何人か集められるだろう」
「ひどい扱いはなしだぞ。ちゃんと宿を手配しておいたんだろうな」
「そんなことしないって。本当に生け贄の儀式に捧げるわけじゃあない。数日身柄を借りるだけだとちゃんと話しておいた。金も払う。短期のアルバイトみたいなものだ」
わたしは少しだけほっとする。ここは合法的に物事を進めなければいけない。私たちはけして物語の中に出てきたような悪人ではないのだ。
それから表向きは穏やかな日が過ぎていった。
豚公爵は“村”を見学したり、秋の遠足のある迷宮を遠目に眺めたり、のんびりとした休日を過ごした。
外歩きを続けたおかげか、長い間歩いても疲れにくくなってきた。膝の痛みも軽くなった。ようやく一般人の領域に戻ってきた気がする。体型は相変わらず豚だけどね。
だから、そのときまですっかり油断していた。誰かが自分たちに害意を抱いているなんてこれっぽちも想像していなかったのだ。