豚の矜持11 暗殺者

 その日も怪しい村を歩き回ってわたしはくたびれていた。

 誰がこの村を作ったのか、だれが運営しているのか、手掛かりはない。
 この世界本来の住人であろう“村人”と外の世界の建物が奇妙に融合している。中の人は違和感なく過ごしているらしい。さりげなく尋ねてみたのだが、皆この状態を当たり前のように感じているようだ。

 この村を作った“豚”への感謝を述べるものまでいた。豚公爵は何も関わっていないんだけどね。本当は。

 そんなことを考えている間にうとうとと寝てしまったようだ。

「おい」
 不意に呼びかけられて目を開けると、灯りが消えて辺りは暗くなっていた。

 風が窓から部屋の中に吹き込んでいる。

「おい、おまえが豚公爵ウィリアム・ゴールドバーグか?」

 すごみのある男の声だった。
 窓際の影になっているところに誰かがいるようだ。低い圧力の聞いた声に胃のあたりがぎゅっと縮まる。

「だ、誰だ?」トールじゃないよね。
 
「おまえが豚公爵か?」
 男は影からこちらに近づいてくる。そのときにちらりと男の横顔に光が当たった。

 このシーン、みたことがある。わたしは全身が凍る思いがした。

 わたし、豚公爵を最後に滅多差しにして殺す暗殺者Aがそこにいた。

 なんで?何で彼がここにいるの?わたしは混乱した。
 彼の登場は最後の最後。豚の処刑が決まっていよいよ処刑されるという前日のことだ。それまでなんの振りもなく、いきなり出てきて刺し殺すという、豚を切り刻みたいがために作られたようなキャラクターだ。

 え? 今から処刑されるの? 
 今までみたのが邯鄲の夢で、実は処刑される前にみた幻影だったという話?

 焦るわたしは逃げようにも逃げられずに口をぱくぱくさせる。

「豚公爵、おまえ、俺の妹はどこにやった?」

「おまえの妹?」

 そんなやつ、しらない、と物語の豚は叫ぶ。叫ぶ予定でした。

 でも、ゲームをやっているわたしは妹が誰だかよく知っている。先ほどまで一緒にいた侍女のクラリスがこの男の妹なんだ。
 妹を陵辱されて、人格まで破壊されて、恨みに思っている暗殺者が自らの手で豚に天誅を下しにやってくる。

 でもね、わたし何もしてません。本当に何もしていないよ。
「あの、わたしは何もやっていないよ。手出しなんかしてないから」

 本当なんだ。信じてくれ。あんたが暗殺に来るってわかってるのに、地雷を踏みにいくほどわたしはマゾじゃないんだよ。

「おまえ、手出しをしたのか!」
 あ、やぶ蛇でした。

 男はわたしのない首元をつかむとぐいぐいと締め上げた。苦しい。くるしいよ。
 クラリス。助けてくれ。

 ばたばたとする音を聞きつけたのか隣室のクラリスが灯りを持って駆けつけてきた。

「ウィリアム様?」

「クラリス!」男はぱっと手を離した。

「に、兄さん?」クラリスは驚く。「なんでこんなところへ」

 男は滑るようにクラリスのほうへ移動した。

「おまえ、こんなところで…心配したんだぞ。誘拐されたと聞いて」
「誘拐?いったい何のことなのです?」
「ここに滞在している豚公爵が女を次々とさらっていると聞いてな。その中におまえの姿を見たというものがいたんだ。それで、心配になってここに乗り込んできたら」

 わたしが誘拐した?女たちをさらう?
 確かに女性を集めてくるようにとはいったよ。桃色の髪の。主人公に似た女の人を。
 そこで、物語と似たような状況を作り出して、主人公の誘拐と救出を演出しようとしてたんだよ。
 集めてきた女の人にはちゃんとお金を渡してあるんだよ。仕事として連れてきたんだ。さらってなんかいないよ。

「ああ、兄さん。それは誤解よ」クラリスが笑顔を見せた。「ウィリアム様はそんなひどいことをする方ではないわ。安心して。誰一人傷つけられた女性はいないわ」

「しかし、おまえに、コイツは手出しをしたと…」

「ああ、兄さん」クラリスは兄の耳元に口を寄せて何かをささやいた。
 それを聞いたとたん暗殺者はそれまで構えていた短刀をだらりと脇に落とす。

「そ、そうなのか。それは…なんとも…」
 殺気が消え、むしろ戸惑っているというか、こちらを気遣っているというか、気まずさがあたりを支配する。

「どうした、豚公爵!」
 そこへ物音を聞きつけたトールが駆け込んできた。
 寝台にいるわたしと、二人でたっている兄妹を交互に灯りで照らして状況を確認しようとする。

「あ、えっと、何が起こったんだ?」
「……」
「なんでもない。その、ちょっとした誤解があってね」
 わたしが手をひらひらさせる。

 マーガレットが部屋の灯りをともした。
 クラリスの兄はスチルに出てきたままの格好をしていた。黒い上下に赤いバンダナ、一目で筋肉だるまとわかる体格や鋭い目はそのままだ。

「あんたはひょっとして、クラリス嬢の兄?」

 もちろんトールとマーガレットも気がついた。

「よく知ってるな、トール・ガーグル」男は鼻で笑う。

「俺のことを知ってるのか?」
「ああ、口入れ屋として有名だからな。だが、あんたが奴隷売買も手がけていたとは知らなかったよ」
「奴隷売買?俺はそっち方面には手を染めていないんだがな」
 といってから、トールはあっと小さく声を上げた。

「まさか、まさかだけど、今回の計画、俺たちが人を誘拐していることになってる?」

「うん、そういうことになっているみたいだね。付け加えるとわたしがクラリスをさらったことになっているみたいなんだ」

「あああああああ。人身売買だけには手を染めないように気をつけてきたのに…」トールは本気で嘆く。「これじゃぁ、シナリオ通りになるじゃないか」

「兄さん、ちょっときて…」クラリスが暗殺者を隅に引っ張っていった。二人で何かを話している。やがて、話が終わったのか暗殺者はばつの悪そうな顔をして戻ってきた。そして頭を下げる。

「誤解していたようだ。許してほしい。いきなり踏み込んで悪かった」謝ろうとする男の足をクラリスがふんだ。

「公爵様の御前ですよ。頭が高い」
「そんなこといわれてもだな、俺はどうすればいいのかわからん」
「申し訳ありません。公爵様、とこうやって膝をついて謝るのよ」

「いい、やめてくれ。わびは受け取った。許す」
 わたしは慌てて土下座をやめさせる。

 そう、なます切りにされないだけ、ありがたい。この場でスプラッターにされたらどうしようかと思っていたのだ。

 男はおりかけていた膝を伸ばしてまじまじとわたしの顔を見た。
「なんだか安っぽい貴族様だな。本当にこれが公爵なのか?」
 再び言い争いになる兄妹。

 どうせ安っぽい偽物貴族ですよ。わたしの世界には貴族なんていなかったんだ。ウィリアムは黙っているし…こういうときのための偉そうな公爵様なんじゃないの?

 とおもったら、同じようにウィリアムも後ろ向きな思考にはいっている。
 どうせわたしは豚公爵だよ…公爵といっても実権のないお飾りとしても役に立たないただのデブだよ…

「俺の名前はチャールズだ」
 ようやく兄弟喧嘩が落ち着いた暗殺者は名を名乗る。
「わたしの兄なんです」クラリスが恥ずかしそうに言う。「父親は違いますけど」

「今回のことは俺のミスだ。命を救ってもらったお礼といってはなんだが、協力できることは協力したい」
 あれ?命なんて救った覚えはないんだが…なに? これはひょっとして仲間になるフラグなのだろうか?

 暗殺者が豚の仲間になるルートなんてなかったはずだ。そもそも暗殺者自身最後にちょろりと現れるだけで本編の中にはいちども出てこなかったはずなんだけど?

 なにかのバグか?

「公爵様、兄はこう見えても一流の仕事人なんです」クラリスがこそりと耳打ちをする。「いろいろとお役に立てると思います」
「そ、そうか」

「仕事人、ってあんた…」
トールはどん引きしている。琴糸で首を絞めたり、かんざしでぐさりと刺したりするんだろうか?怖いな。

「トール、せっかくの申し出だから、友好を暖めたらどうだろうか? なんだかとても有能そうだし、マーガレットもそう思うだろ」
 手駒が少ないのは認める…ウィリアムが中でぶつぶつ怒っている。だからといってこんな無礼な男を臣下にするのはちょっといやだな。私を殺しに来たんだぞ。

 ふと思った。よれよれになる前の豚公爵はどんな人たちにかしずかれ、どんな友人がいたのだろう。ひょっとして、ボッチ…。

 ぼっち? ぼっちとはなんだ? 友人? そんなものが必要なのか? 淡々とした豚の感想が返ってきた。

 想像通りぼっちだったよ。あたったことを喜んでいいのか、悲しむべきなのか。

 彼の感覚では取り巻きや親しい人はいたが、友人といえる人間はいなかったようだ。しかも、そのことに関してなんとも思っていない…貴族ってそんなもんなのか?

 そんなことを考えている間に、トールと暗殺者は親交を深めあうことにしたようだ。

 いいよ、仲良くなるのは。暗殺者と仲良くなったら、八つ裂きエンドは遠ざかりそうだからね。

 でも、ここで酒を酌み交わすことはやめてくれ。
 仮にも、公爵の前なんだから。ね。
 ここは酒場じゃないんだよ。

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