豚の矜持14 イベント シャーク

彼は悪霊に取り憑かれていた。
 彼の中にはもう一人の人間がいて、そいつが勝手に彼の体を動かすのだ。

 初めて、そいつが現れたのは彼が仲間とお楽しみに励んでいるときだった。仲間が楽しんでいるのを見ながら、笑っていた。次は自分の番だと期待していたところだった。

「え、なに、これ……きゃぁ」
 いきなり、体をそいつに奪われた。そいつは初めて見るもののように周りを見たかと思うと、特大の悲鳴をあげた。彼の体を使ってだ。

 野太いだみ声の悲鳴が上がった。

「犯罪者よ。お巡りさーん」
「お、おい、シャーク、どうしたんだよ」
 にやけた笑いを浮かべた仲間が驚いて、こちらを振り向いた。

「いや」
 その顔を見た俺の体は後ろを向いて、走り出す。
「いや、犯罪者よ。痴漢よ。強姦魔よー」

 あっという間に彼は明るい表通りに飛び出していた。
「助けてー、犯罪よ」
 彼は自分の体を止めようとした。が、そいつに操られた体は一目散に通りを走っていく。

 早々に、トール・ガーグルにあえてよかったと思う。
 そのまま走っていたら本当に悪霊付き認定されて始末されていたかもしれない。

「あ、トール・ガーグル!」
 涙を浮かべて走っていた悪霊はこの街のちょっとした顔役をみていきなり名指ししたのだ。
 手下に集団リンチにされそうだった彼をトールは助けた。それから、娼館の女将マーガレット・デュロイのところへ連れて行った。

 彼がとうてい足を踏み入れることができない高級娼館に引きずり込まれて、事情を聞かれた。
 彼ではなく、悪霊のほうが・・・

 どうやら元は女らしいその悪霊はすすり泣きながら、身の上を語った。
 げーむ、センギョウシュフ、もぶ…訳のわからない言葉が自分の口から延々と垂れ流される。床に女座りをした自分がとりとめなく自分の知らないことを語り続けるのを聞くのは本当に恐ろしい体験だった。

 もっと恐ろしいのは、悪霊の話が延々と続いたことだ。
 あまりにも長い悪霊の語りに、彼は疲れ、しまいには飽きてしまった。
 聞いていても一分も理解できるところがなかった。お手上げだ。
 彼の意識が半分夢の世界に行ってもまだ悪霊はだらだらと話し続けていた。

 トールとマーガレットはこの悪霊に同情的で、同じことを繰り返す悪霊の話を辛抱強く聞いていた。
 街の大物と言われるだけあるな、と彼は感心した。半分寝ていたけれど。

 そのあと、鏡を見せられた彼の悪霊は体ごと卒倒した。
 思い切り頭を打って、気がついたとき頭がとても痛かった。

 意識が戻ったあと、初めておずおずと、悪霊が彼に挨拶をしてきた。

 ―えっと、もぶさん、こんにちは。わたしはサトウエリと申します。勝手にお体をお借りして申し訳ありません。

 悪霊はなんと40越えのばばあだった。鬼婆といったら思いっきり憤慨された。

 でも、ばあさんなんだから仕方がない。

 逆に彼の年齢を聞いた悪霊は驚いていた。

 ―え、そのなりで、うちの子と同い年?みえないわー

 トールたちは、彼と悪霊に、彼らが共に生きていかなければいけないことを丁寧に説明した。彼には全く納得がいかない話だが、居座っている悪霊が出て行く手段がないというのだからどうしようもなかった。

 彼に取り憑いた悪霊はとても口うるさかった。
 彼の行動の細かいところにまで口を出してきた。
 口ばかりではなくて時には体をのっとって、行動を規制してきた。

 ―だめよ。それをすると犯罪になるわ。
 ―だめよ、ちゃんと服を着なさい。
 ―ちゃんと働くか、勉強するかなさい。

 うるせぇ、これまで生きてきた中でこんなに人の行動に口を挟む生き物にあったことがない。

 ―あなたのお母さんがいたら、なんというかしら。

 母なんてたいそうなものはいなかった。彼を世話してくれたのは年上の兄弟たちで、彼もまた年下の兄弟の面倒を見た。血がつながっているのか、なんてわからない。子供同士で身を寄せ合って生きてきたのだ。

 それを知った悪霊は大層申し訳なく思ったようだ。ひたすら平謝りに謝る。

 ―ごめんなさい。そんな事情だとはわからなかったの。

 こんなに丁寧に謝ってくれる人を彼は知らなかった。初めての感覚が少しこそばゆい。

 こうした衝突を繰り返しながらも、少しずつ彼と悪霊は互いに慣れていった。

 やがて彼はトールの元でたむろするようになった。
 時々条件の合う仕事があれば働きに出る。暇なときはトールの近くで待機する。そんななかで、彼はもう一人の悪霊付きとであう。その男カークもまた、女の悪霊に憑かれていた。

 ―え? ありさちゃん、ジョシコウセイなの?
 はしゃぐ彼についている悪霊。相手の悪霊もとても喜んでいた。

 ―同じような人がいたんですね。よかった。あたし、心細くて…

 二人は手を取って泣いている。故郷を同じくする二人が異郷で手を取り合う。悪霊たちからすると感動的な場面かもしれない。体の主である二人にはうんざりするような絵であったけれど。

 二人についている悪霊は悪霊同士、とても仲がよくなった。

 会えば体の主の意向を無視して、二人でかしましくおしゃべりをする。あまりにうるささに主である男たちは体の中に引きこもるしかない。

 彼らの会話を聞いていて分かったことがある。
 悪霊たちは自分たち宿主のことを前から知っていたこと。
 これから先におこる出来事を知っているということ。
 そして、その出来事が宿主の生死にかかわる事態であること。
 どうも悪霊たちはその事態を回避しようと努力しているらしい。

 ―なぁ、俺たちは死ぬのか?
 彼は悪霊に尋ねた。

 ―わからない。でも、トールは何らかの手を打たないと死ぬかも、といっている。

 彼女たちはシャークたちが生き延びられるよう最善の手を打つつもりらしい。
 彼もそのことについては反対する気はない。彼だって死にたくない。このことについては積極的に協力するつもりである。

 このころには最初よりもずっと悪霊の女と意思を交わすことがたやすくなっていた。あいかわらず、がみがみと彼の生活に口を出す悪霊だったが、体を勝手に乗っ取ることは少なくなってきていた。
 日常生活で体を使うのは彼で、特別な悪霊付きが集まっているときは彼女が体を使う。そういう分担が少しずつ定着してきていたのだ。

 豚公爵、ゴールドバーグ公爵が”仲間“になるころには、彼も悪霊も互いの存在になじんできていた。

 だが、それでも…

 ―女の子にやさしくしないとダメ。

 カークが女の子たちと遊ぼうとするたびに悪霊は口出しをしてくる。

 ―合意もないのに、勝手にそういうことするのも駄目よ。
 ―うるせぇんだよ、ばばあ。
 ―ばばあとは失礼な。そういうことを言っては駄目よ。妙齢の女性でもお姉さんと呼ぶのよ。確かにあなたは私の上の息子と同い年だけど、頭の中は空っぽみたいね。

 くそ婆が…
 40代はまだ老人ではないと言い張る悪霊に悪態をつきつつ、いつしかその小言にも慣れてきた自分に気がつく。

 ばばあががみがみ言うから、友達とのちょっとした楽しみにも罪悪感が伴うようになってきた。ゴールドバーグ邸の警備という仕事を与えられてから、ますます元の仲間との接触がなくなっていく。

 ーなぁ、どうして俺にそんなにかまうんだよ。
 彼は悪霊に聞いてみた。悪霊は何のことをいわれているのかわからないというような間を開けた。
 ―何でって、若い子が道を踏みはずそうとしているのよ。目の前で見ていたら当然止めるでしょ。
 ―そんなことしなくてもいい、俺の好きにさせてくれよ。

 小言を言うのが当たり前のようにいわれて、いつものように腹を立てようとした。変だな。逆に少し胸のあたりが暖かくなった。なんだろう、これは。

 お母さん…

 彼は母を知らない。だが、もし母というものがあったらこんな感じだったのだろうか?いつも自分のことを気にかけてくれる絶対的な存在。

「今日は私がお菓子を作りますね」
 彼を乗っ取った悪霊が調理人たちを押しのけて作っている。

 ―甘いもの好きでしょ。楽しみにしててね。
 自分の隠していた好みを指摘されてどきりとする。

 お母さん…

 小言を言われるのも悪くないかもしれない。
 ダークの女房が子供たちをしかりつけているのを見て、そんなことを思う。

 兄弟か。彼は一緒に育った弟分や妹分のことを思い出した。
 彼らはどうしているだろうか。
 ただ、身を寄せ合うだけの関係だった。生きるために集っていた子供たちだった。
 その小さな集団から巣立っていてもうだいぶたつ。今でも彼らは元気だろうか?

 気になった彼はかつての“妹”や“弟”たちを訪ねていった。
 主のいない豚邸での仕事は暇だったのだ。

 悪霊もそのことについては異存がない。それどころか、積極的に後押しをしてくれた。
 ―弟や妹がいるのね。お土産なら任せておいて。

 悪霊は、主がいなくて開店休業状態の厨房でせっせとパンを焼いたりお菓子を作ったり。とても楽しそうだった。できあがった土産はようやく歩けるようになったダークも目を見張るほどおいしいものだった。

 弟や妹たちは久しぶりに見る兄貴を最初は警戒していた。喝上げされるか、悪事の手伝いをさせられるか、どうせろくなことはないと思っていたのだろう。しかし、いつも隠れて出てこない悪賢い奴らでも小麦の焼ける香りの魅力にはあらがえなかったようだ。

「兄ちゃん、これ、どうしたの?」
「最近ちょっとしたところで仕事を見つけてよぉ。こういうものが食える身分になったんだよ」

 正直気持ちがよかった。夢中で菓子をほおばるガキども。彼らの熱い視線が彼の作った菓子に注がれている。こんなに純粋な目を向けられたことが今までにあっただろうか。

 毒入りなのかな?やめられなくなる副作用付き?ひそひそささやくのが聞こえた。後ろのほうで若干胡散臭げに見ている奴らがいるが、彼は気にしないことにする。

「兄ちゃん、すげぇ」「おいしいよ、おいしい」
「また、今度つくって持ってくるわね」
 悪霊が慈愛に満ちた目で小さな子供たちを見つめて頭をなでた。

 次の時も、その次の時も、悪霊はますます張り切って料理を作っては持って行った。
 最初は裏があるのではないかと疑っていた連中もすっかり懐柔されている。

「本当に、あんた、シャークなの?」
 同じくらいの年頃の妹まで寄ってくるようになった。

「ああ、俺さ。見違えちゃったかな」わざと気取った上街の抑揚で答える。「今はさるお方のお屋敷にお仕えしているんだぜ。おまえみたいに糞溜めで暮らしている売女とはちがうんだよ」

 住んでいる場所が違うからな。何しろ彼が暮らしているのは公爵のお屋敷なのである。こんな掃きだめのような街とはわけが違うのだ。

「へー、このまえまでここらで反吐を吐いてたくせに、よくいうわ」
 そういいながらもどこか悔しそうな妹の顔に気持ちがすっとする。自分もそのあたりで花を売っているのに、彼が悪事に手を染めているとしつこく非難していた女だ。ちょっとかわいいからといって、彼のことを下に見ていた。くそ生意気な女だ。

 だが、彼がちょっと羽振りがよくなるとどうだ。今までは顔を見るなり、顔をしかめていて背を向けていたのにこうして話しかけてくる。

 ―話しかけてほしかったんだ…
 悪霊が余計なことをささやく。
 ―一緒に居たかったんだ…そう。
 かすかに笑う気配。

 このくそばばあが。
 背筋がこそばゆくなる。でも、悪い気はしない。
 悪霊の密やかな笑いにはとげがなく、どこか心地よかった。

 そして、今の兄弟たちとの関係も。
「おいしいよ。このスープ…」兄弟たちが鍋に殺到する。
「うまいだろ。俺の特製スープだぞ」本当は悪霊が作っているスープなのだが、彼は自慢した。

「シャークが料理ねぇ。本当に、まじめに厨房で働いてるんだ」
 妹もふうふうスープをすすりながら上目遣いで彼を見る。

「嘘なんかついてねぇよ。おまえ、俺のいってることを疑ってたのかよ」
「だってこれまでは仕事続いたことなんかなかったよね。たちの悪い連中とたむろしてさ」
「あ、あの連中と俺は違うぞ。俺はちゃんと“家族”を養ってるぞ」
 思わず出た言葉だった。“家族”・・・どこか気持ちが温かくなる小さな言葉。

 今まで多くの“弟”や“妹”と一緒に居てもこんな気持ちになることはなかった。彼らは生き延びるために必要な仲間であったが、それ以上でもそれ以下でもない。
 いや、小さいときは絆を信じていたときもあった。後にそれは消えてしまったけれど。
 再びその暖かさを思い出させてくれたのは、悪霊の垣間見せる感情と記憶だった。

 一人の娘が、生まれ、成長していく。
 優しい両親、兄弟、それに友人。がっこうに通って勉強をし、友達と街に遊びに行き、そして恋をして、子供をはぐくむ。
 彼よりもずっと裕福で、うらやましいくらい恵まれていて、普通だったらねたむところだろう。

 でも、悪霊の見せてくれる映像はもはや彼のものでもあった。彼と悪霊はどこかで一つに結びついている。悪霊の記憶は彼のものであり、彼の記憶は悪霊のものではあった。

 彼の当たり前だと思っていた子供時代を悲惨なものとして悲しんでくれたのは悪霊の心だった。無意識のうちに求めていた愛情を悪霊の暖かい記憶が与えてくれる。
 彼のつらい思いをそっと受け止め慰めてくれる優しい見えない手・・・それは母としての悪霊の記憶だった。

 お母さん…

 大丈夫。彼の中の悪霊が保証する。わたしが、豚公爵に話せば、きっと彼は“妹”や“弟”を守ってくれる。
 きっと彼の話を聞いてこの子たちを支援してくれる。

 彼は、子供たちがおいしそうにスープを飲んでいるところを満足して眺める。

 この子たちは豚公爵の力で彼よりもずっといい生活を送ることができるだろう。
 栄養のある食事をとり、快適な住まいで暮らし、彼の受けられなかった教育を受けて、スラムを抜け出すことができるだろう。
 彼のようにクズどもとつるむことなく、まっとうな職につくだろう。

 こんな気持ちになるのは生まれて初めてだった。自分の幸せではなく他人の幸せを望むなんて、今までの彼の生き方からすると信じられないほどの転換だ。

「またきてくれる?」子供たちが彼にきく。
「もちろんさ。もっとおいしいものを作ってやるよ」
 彼は胸を張る。

「今度はいつ来るの?」
「そうだな、また暇を見て、来週にでも」

 その頃には豚公爵やトールも村から帰ってきているだろう。帰ったら早速、計画を話さないといけない。

 彼は帰り道の馬車の中で計画について、妹に話した。話し始めるとなかなかやめられない。妹もあきれたような顔をしながらも、話につきあってくれている。

「あんた、本当に変わったわね。女の子をいじめていたのが嘘みたい」
 馬車を道ばたに止めて別れるときに、彼女は小首をかしげていった。

「俺は変わったんだよ。生まれ変わったんだ」

 彼は薄暗い灯りに照らされた女の顔を見てにやりと笑った。初めて妹の顔に浮かんだ賞賛の表情が彼の心を浮き立たせる。
 彼女の目に映っているであろうかっこいい自分が誇らしかった。

 ひょっとしたら、ひょっとしたら、彼女も彼のことを兄弟ではなく一人の男としてみてくれるかもしれない。あわい希望が浮かぶ。

「じゃぁな」彼は彼女の赤い巻き毛にそっと触れて、別れの挨拶をした。
「またね」彼女が安っぽいショールを巻き付けてから、そっと手を上げた。

 そうだ、彼女を身請けするのも計画に入れよう。トールに相談したらきっといい考えを出してくれる。この計画は彼女には秘密にしておこう。自由になったことを知った彼女がどんな顔をするか、想像するだけで体が熱くなった。

 楽しい気分で無蓋の馬車を走らせようとしたとき、背後で鋭い悲鳴が上がった。

「エリン?」
 先ほど別れたばかりの妹の顔が頭をよぎる。

「エリン!」彼は馬車から飛び降りて、声のする方に走った。

 妹が黒い服を着た男ともみ合っていた。男、ではない。男たちだ。
 闇に隠れる真っ黒い外套を着た男たちを見たとき、何かが頭の中で警告した。

「おまえたち、何をする気だ」彼は妹をかばうように、男につかみかかった。

 妹の恐怖に駆られた表情と、悪霊の感じた恐怖がリンクした。

「シャーク、来たら駄目」
 ―駄目よ、これは、いべんと・・・

 腹が熱くなる。それが痛みだとわかるのはしばらくしてからだった。
「あ・・・」

 今度は背中が熱くなった。息を吸おうとしたが代わりに熱いものが口からあふれる。

 ―そんな、こんなところで…
 激しい痛みに立っていることができなかった。足がふらついて、道に崩れ落ちる。

「いやぁ」妹の叫びが頭の上の方から響いてきた。

 痛い、痛い、痛い・・・のたうち回ろうとしたが、その力も抜けていく。

 複数の足音が交差する。誰かが何か、さけんでいる。
 妹の手だろうか。柔らかいものが必死で彼の手をつかもうとする。

「くそ、逃げられたか」「お嬢さん、大丈夫ですか?」
「こいつは?」
 誰かが灯りで彼の顔を照らした。

「あ、これ、奴らの一味だろ。このモブ顔は見たことがある。ほら、あのスチルの」
「ああ、アレね」
 無遠慮に体を仰向けにされる。

「何するの。あんたたち」その体を誰かが必死でかばった。
「ねぇ、シャーク。目を開けてよ。シャーク!」
「え? 知り合いなの? おかしいなぁ」戸惑ったような声が遠ざかっていく。
 ごめん、エリン。最後まで…心配を…

 みんな…ごめんね。わたしは…

 *

「それで、この人たちをどうするんだ?」
 イベントは終わった。あれから何もなく学園の生徒たちは学園に帰っていった。
 わたしたちも結局茶番劇以上の出来事は起こらず、視察を終えてゴールドバーグ邸に帰ろうと思ったのだが。

「うーん、説明不足だったかな」
 トールがあごをさすった。

 目の前に、三人の女性が座っていた。イベントを演出するために雇った赤毛の女性たちだ。
 雇った女性たちのほとんどは、残りの金を受け取って自分の村に帰っていった。ただ宿泊所で寝泊まりするだけでお金がもらえるおいしいバイトのはずだった。少なくともわたしたちはそのつもりだったのだが。

「帰れない、といわれても、ねぇ」

 わたしは困ってしまった。女性たちのうちの何人かは、帰る場所がないと宿泊所になっていた民家に居座っているのである。

「マーガレットさん、マーガレットさんのお店で働くという選択肢はないかな」
「あのね、わたしの店で働いている子たちはそれなりに選りすぐりなの」マーガレットさんはため息をついた。
「彼女はちょっと年がね」と老女を指さし、
「この子は年が足らないし」と幼女を指さし、
「彼女は、ちょっと基準から外れているかしら」と年だけは要件を満たしている娘を指さした。

「どうするんだ?」
 助けてほしいと、トールに目で訴えた。
 トールはさっと視線をそらす。
「おかしいなぁ、短期の仕事だといって雇ったはずなんだが」

「赤毛の女をよこせ、という話でした」ぽつりぽつりと若い女が話す。「赤毛だったらどんな容姿でもかまわないって。あたしなんか嫁にほしいという男はいないから・・・」

「・・・送っていってあげるから。金も渡すから、帰ってくれないだろうか」
「帰るところなどないよ」老婆がふうとため息をつく。

「トール、君が雇った女でしょ、なんとかしてよ」影でこそりと耳打ちをする。
「そんなこといわれてもな、俺だってどうしようもないよ。チビとばばあとブサイクだろ。売ろうにも売れん」
「売るなんて、なんてことを。人身売買は犯罪よ」ぴしゃりとマーガレットはいう。
「犯罪よって、おまえのところの娘たちだって何人かは、そういう身分の・・・」
「人聞きの悪い。うちはちゃんと雇用関係を結んでいるの。そのあたりのことはちゃんとしているのよ。女の子たちの教育だってちゃんとしてるし」
「建前はそうでも、実質は・・・」
「トール、わたしをなめないでもらいたいわね。だてに警察に勤めてたわけじゃない。グレイゾーンはよく知ってるのよ」
 ・・・敬士さん、あっちではいったいどこの部署に属していたんですか?まさかあちらの方々専門の部署?

 問題なのは彼らの処遇だ。たぶん、彼らを帰してもそこで暮らすことはできないだろう。よくてもう一度どこかに売られるか、そのまま放置されるかだ。家に帰すことは彼らに死ねといっているのと同じことだ。

 わたしには死ぬことがわかっていながら帰れという覚悟も冷酷さもなかった。それはウィリアムも同じだ。

 トールとマーガレットさんが期待に満ちた目でこちらを見る。
 こちらを見て、わたしにいわせようとしている。
 いいたくない、いいたくないけど、いわなければいけない。

「し、しかたないな。うちで雇うか・・・人手たりてないしね」
「そう、そうだよな、そう来なくては」トールがわざとらしい笑みを浮かべる。「おまえたち、豚、じゃなくて、ゴールドバーグ公爵が雇ってくださるそうだ。ありがたく思えよ」

 はっきり言って役に立たないメンツだ。どう見ても即戦力にはならないし、無駄飯食いもいいところだろう。
 でもしかたないよね。飢え死にさせると後々までたたられそうだよね。
 くさっても公爵家、貧民の一人や二人の食事代くらいは出せるのだ。うん、出せると思う。

 いざというときは二階に飾ってある壺を売ろう、そんなことを思いながら王都に戻る。

 帰り道も順調だった。天気にも恵まれ大過もなくイベントが終わったと我々は思っていた。
 そのときまでは。

 家に帰ると待ち構えていたようにカークが飛び出してきた。

 自慢のとさか頭はばらばらで顔は涙でくしゃくしゃだった。

「何があった」トールが訪ねると、カークは真っ赤に腫らした目をこちらに向けた。
「あのね、姐さんが、姐さんが、死んだの。刺されて、殺されちゃったの」

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