そして、マーガレットさんはいってしまった。
フライスビューネの外交官を名乗る男と一緒に去って行った。
わたしは見送りには行けなかった。
「手紙を書くわ」
最後にあったときマーガレットさんはいつものように艶っぽい笑顔を見せてくれた。
「あなたと会えてよかったわ。豚さん」
彼女はわたしの手を握った。何人もの男達を虜にしてきた手を話したくない衝動に駆られる。いかないでくれ、そういえれば、そういう勇気があれば…。
中身が男と知っていても、私よりも年上とわかっていても、彼女は魅力的だった。体調さえ万全なら、彼女の館に通って求愛したのは私だったかもしれない。
例の“友愛会”についての情報を真っ先に持ってきたのはダークだった。
「例の組織については厨房の連中の間でもかなり噂になってましてね。なんでもお茶会の仕組みを変えようとしているみたいなんです。お茶会に平民を入れるという案を無理矢理学園にのましたとか、なんとか」
無茶なことをしやがる…それが厨房の中の評価らしい。
「なんでも一部の高位貴族がごりおしたそうで。連中は“自由”“平等”とかいっているみたいですが、ただでさえ肩身の狭い平民たちにとっては貴族の派閥争いに強制的に参加させられるってことでみんな陰で文句言ってるみたいなんですよ」
表立っては素晴らしいことだと声高に話していても裏に回ると不満を漏らしている連中が多いという。
なるほど、今までは貴族の権力争いを頭の上の嵐だと思っていた人たちも貴族の派閥争いに巻き込まれるということか。どの貴族の派閥につくかを在学中から表明しないといけない。
「だれが、組織のとりまとめ役なんだ? 名前を知っているやつか?」トールは確かめる。
「それが、わからないんですよ。どうも攻略対象者ではないみたいなんです」
筆頭には攻略対象者の名前があがっている。ただ、言い出したのは別の人物らしい。名前を聞いたこともない平民出の秀才だという。
その名を聞いてトールは首を振った。
「わからないな。聞いたこともない名前だ」
「わたしのようにモブの“転生者”なのかもしれないです。ものすごく“転生者”くさい考え方なのに、名前を知らないとなるとその可能性があるかと」
「うちの娘は、どうしている? 何か噂になっていないかな?」
まぁ、平民たちのことはどうでもいい。学園での心配事はわたしのエリザベータだ。
「ああ、お嬢様ですね。エリザベータ様は、表向き賛成の連中からいろいろいわれてるみたいですね。彼女、反対派の筆頭みたいで」
順調に悪役令嬢として活躍しているようだ。わたしと同じく些細なことでも悪行として噂されているのだろう。
かわいそうなエリザベータ。
最近いろいろなことがあって庭師として学園に潜入できないのが残念だ。
そんな心が沈み込むような出来事があった日は畑仕事をするに限る。土に触れていると本当に安らぐのだ。土はわたしに力をくれる。できれば本物の豚のようにぬかるみで泥浴びをしたいほどだ。
畑にむかっていると、トールが木剣を片手に型の練習をしているところにいあわせた。彼が武術の訓練をしているところを見るのは初めてだった。多少剣術をかじったことのあるウィリアムの目から見て、なかなかの腕前だとわかる。
わたしに気がついたトールは照れ笑いをした。
「いい腕じゃないか。君が剣術を使えるとは思わなかった」
「一応これでも士官学校を目指していたからね」
トールは再び剣を構えた。
「ほら、向こうでよくある小説の中に運命を変えたい主人公が学校に入るのが定番だっただろう。俺もなんとかして軌道修正をしたいと思ってね。一時まじめに剣術の修行をしたこともあったんだよ」
そういって彼は真剣な顔をして剣を振る。
思い出した。ゲームの中ではトールは腕のいい元剣士という設定だったのだ。
シナリオ通りに行けば、いずれは主人公たちと対決することになる。
彼の強さは中ボスとしては規格外で攻略泣かせのキャラクターだった。なにしろ最強クラスの火魔法を使ってくるのだ。わたしも、何でたかが奴隷商人がこんな強力な魔法を…とその破綻した強さに嘆いた者の一人だった。
「なぁ、ということは、君も魔法も使えるのかな?たしか火魔法が得意だったね」
トールが魔法を使っているところをわたしは見たことがない。ここで日常見かける魔法といえば癒しの魔法くらいだろうか? あれはチートな力だ。ダークの怪我の時にそれを実感した。どう見ても助かりそうにない血まみれなダークの傷がみるみる癒えていくのを見た驚きは忘れられない。
「ああ。俺は火魔法が専門だよ。魔法をつかっているところを見たことがないって? そうだな、まぁ、見てな」
そういってトールはいつものたばこを取り出した。それを目の前にかざして眉根を寄せて集中する。ボッという軽い爆発音がしてたばこが火に包まれた。トールは慌ててたばこを落として手をはらう。指先をやけどをしたらしく、顔をしかめていた。
「見てわかるとおり、火力の調整が難しくてな。やり過ぎると大爆発するから普段は使わないな」
爆発させたことがあるのか…あるのか、トール。
「周りに影響を及ぼすような魔法が使えてうらやましいよ」
これは本当にうらやましい。ウィリアムも小さいときから魔法を使えるようになろうと努力してきたのだ。5大魔法の中でも使い道がないといわれている土魔法だが、防御面では優れている。父や兄は何度もその魔法で危機を切り抜けてきたと自慢していた。
ウィリアムはその基本さえ発動させることができなかった。かといって、他の魔法に適性があったかといえばそちらも皆無。魔法を教えに来た教師が何とかしようと試行錯誤したけれど、しまいにはさじを投げてしまった。
「おまえ、土魔法の適性があるんだよな」
「ああ、だけどわたしの魔法は使い物にならないよ」
「おまえが魔法を使えなくてもいいんだ…あのな、頼みたいことがある。少し魔力を譲ってもらえないだろうか」
「魔力を譲る? 何でそんなことをしないといけないんだ」
わたしはうろんな目でトールを見る。
この魔力を譲る行為はゲームの中では頻繁に行われていた行為だった。
エロ的な意味で。
ゲームの設定では近しい間柄の人間は互いの魔力を交換することができることになっていた。それは足りなくなった魔力を補ったり、合体魔法を発動したりできるのだが、「華学」の中では別の意味があった。
「君と魔力を交わしたい」これって、求愛の言葉だったんだよね。
……
何が悲しくってむさい男同士で魔力を交わし会うんだ?
トール、おまえにはあ“――――なんて趣味はなかったはず。
「だから、そういう意味じゃなくて、純粋にだな」
トールは慌てて手を振って否定した。
「そっちの世界の話じゃなくて、こっちの世界の話でなんだよ。あー。ウィリアムならわかるだろ」
わかるよ。元々こちらの世界では魔力を譲るという行為に恋愛感情はない。ただの力のやりとり、それだけだ。戦場で魔術師部隊がMPポーションのような感じで他の兵から魔力を分けてもらうのだ。
それが、ゲームの中ではどうしてああいう話になったんだろう。終盤に出てくる主人公側の最終兵器合体魔法をどうしてもおこないたかったからだろうか? あれは確かにすごい魔法だった。全回復、全復活、敵に大ダメージ、魔王への切り札なのだ。ゲーム中一回しか使えないという制約があるけどね。変なところでつかってしまうと、魔王戦が地獄の耐久戦にかわる。
「魔力を譲るねぇ。いいけど、譲った魔力を何に使うんだ? わたしの魔法は君の役には立たないと思う。わたしは土属性の魔法しか持っていないよ」
「確かにゲームの中の土魔法は弱くてくそみたいに役に立たないんだけどな。だけど、おまえの魔法は…」
「役に立たない?本当にそう思っておられるのか」
聞き慣れない声に驚いて振り返ると、庭師のじいさんがにらんでいた。
今までほとんど口も聞かず、ただ手真似で指示を出すだけの男が口を開いた。それだけでもびっくりだ。だが、それ以上に私を固まらせたのは庭師の放つものすごい威圧感だ。
男は鍬を前について両手を柄にのせている。ただそれだけなのに、わたしは塩をかけられたナメクジのような気分になった。
「当主であるあなたがそのようなことを言われるとは。本当に嘆かわしい」
「で、でも、じいさん…実際土魔法って使い道ないだろ」
庭師の迫力にトールも押されている。わたしならともかくあのトールに気迫で勝るとは、じじい、恐るべし。
「当家の魔力はくだらない戦で使うような小手先の力ではない。目の先しか見えない阿呆どもがおとしめているが、元は神から賜った貴重な力なのだ。それを譲れだの、役に立たないだのと」
じいさんが怒っているのを初めて見た。いつもぶっきらぼうなのは全然おこっていなかったのだと、初めてわかった。怖い。本当に怖い。
小さいときに植物を踏んで怒られたときの記憶がよみがえってくる。
ずいぶん長い時間が過ぎたような気がした。
数秒間わたしたちを縮み上がらせてから、彼は背を向けて畑に戻っていった。
後に残されたわたしたちはその背中を見つめるしかなかった。
「な、なんだったんだろうな」「うん、なんだったのかな?」
あの庭師はいったい何者なのだろう。そのあたりのことを考えようとすると、薬で頭がぼけていたときの感覚がよみがえってくる。思考が霧に閉ざされていく、あの感覚だ。
おそらく、これはゲームのシナリオに消された何かに関係するものなのだろう。
忌々しいことにわたしはゲームのシステムにとらわれてしまっている。それはわたしがシナリオに沿って行動しているということであり、わたしが死ぬ運命が変わらないということでもある。
わたしは円卓会議で使っていたシナリオマップにおそらく元から存在していたのであろう出来事を書き加えていくことにした。元の世界とゲームの世界には明らかな齟齬がある。何らかに力でシナリオに沿った世界観に元の世界がゆがめられている。
霞がかかったように思い出せないものは元からここに存在していたものだろう。たとえば、マーガレットさんが向かっているフライスビューネ。華学の設定には全く出てこないにもかかわらずわたしたちの基本的な知識の中に存在した国だ。だが、マーガレットさんに指摘されるまでわたしの意識にはその国のことは全くのぼってこなかった。
認識できないものはないものと同じだ。わたしも、トールも、ここにいるみんなが、目隠しをされているのだ。しかも、それに気がついていない。気がついていても、何が隠されているのかわからない。
マーガレットさんはゲームに存在しなかった場所に行くことによってゲームのシナリオから抜け出そうとしている。
わたしはここから逃げ出せない以上この中でシナリオの盲点を突く方法を探さなければいけない。
たとえば、友愛会のこと。この秘密結社じみた組織は原作には全く登場しない。主人公たちが属している組織なのだから、ほのめかしくらいあってもいいはずなのに不自然だ。
そのあたりのことはクラリスの兄のチャールズが裏社会から情報を仕入れてきた。
やはりこの組織、裏で宗教国家クリアテスが糸を引いているらしい。布教活動の一環として「自由、平等、友愛」を唱えてきたクリアテスだが、異教徒だらけのこの国では恐ろしく受けが悪かった。だから最近は方針を変更して、宗教色を抜いた「自由、平等、友愛」を流行らせようとしているのだという。
「この考えは反ブランドブルグとも結びついていてな。昔からブランドブルグと関係の深いこの国の保守層と対立する新興勢力がひそかにおしている」
「なるほど」
エリザベータがゲームの主人公たちと対立した理由はわかった。
彼女の母親である豚嫁オクタヴィアはブランドブルグの皇族の血を引いている。だから絶対にブランドブルグから独立したクリアテスの肩入れをするわけにはいかないのだ。
ブルーウィング公がわざわざここに訪ねてきた理由もなんとなくわかる。ブルーウィングも保守系統の家系だ。その跡取りが反ブランドブルグの思想にかぶれたというのはかなり困った事態だ。派閥に対する裏切り行為と見なされる可能性がある。親であるブルーウィング公はかなり微妙な立場に立たされているのではないだろうか。
だからといってわたしに何かできるわけではない。
なにしろお飾りの公爵様なのだ。政治の派閥のことは何も知らないし、口を出そうにもつてがない。
「自由、平等、友愛ね。確かに学生が好みそうな思想だな。学生たちの間だけで流行っているのならそこまで気にする必要もないかな」
「それが、ここのところ、ちょっと様子が変わっている」ぶっきらぼうなチャールズが珍しく口を濁らせた。
「その、一般の兵士や町の人の間でも、この考え方が広まっている。ブランドブルグがこの国にいろいろと嫌がらせをしているとか、侵攻しようとしているという噂が流れているんだ。今年に入ってから空気が変わった。村が襲われて娘たちが奴隷として連れ去られたとか若者が強制的に連れて行かれたとかという噂が流れている。全部ブランドブルグの商人やそれに結託した大貴族が行っていると」
チャールズの顔色を見てわたしはため息をついた。
「その大貴族の筆頭にゴールドバーグの名前が挙がっているんだろう。違うか?」
これがシナリオの強制力というのならむちゃくちゃだ。わたしはなーんにもしていないよ。
何もしていないのに、どこから沸いたかもわからない悪評が降りかかってくる。どうせ赤ん坊から老婆まで誰でも女だったら連れて行く、とかそんな評判になってるんだろう。
もう慣れた、といいたいが、じわじわと傷が広がっていく感じがする。
身に覚えのないところから悪意にさらされるのってほんとうにつらいんだ。
「その噂を流しているのは誰だ?」
「…おそらくはクリアテスの息のかかったもの。それから新興勢力」
わたしはまたため息をついた。
「わたしは、どちらの側にも肩入れはしていないけれどね」
「だが、あなたの家は強硬なブランドブルグ支持派だ。あなたの妻は公然とブランドブルグとの関係を口にしているし、あなたの娘も学園で友愛会と対立している」
「なるほどね」
実のところゲームと関係のないところでわたしは追い詰められていたのかもしれない。ふと、そんなことを思う。この世界にはこの世界なりの流れがあって、その中でわたしは隣の国と深く関わり合いを持っていたかもしれない。そして、そちらに肩入れするあまりに他の派閥から恨みを買って殺される運命にあるのかもしれない。
だが、その一方でこうもおもう。わたしは大貴族の家に生まれた三男坊で、不満を言いながらも慎ましく暮らしていたかもしれない。この体も豚ではなく普通の大きさで、いやな奴だったかもしれないが、派閥争いとは関係なく市井で暮らしていたかもしれない。
そう、大好きな畑仕事をしながら妻や子供とくらす。そんな生活があったかもしれない。オクタヴィアのように気位の高い姫ではなく、もっと慎ましやかな女性。控えめだけれど、頼もしくわたしの足りないところを補ってくれる女性…。
ふと、側に控えているクラリスと目が合った。目を合わせると彼女は笑顔を浮かべる。
「なぁ、クラリス」
わたしは今まで聞いてみたかったが聞けなかった質問を彼女にぶつけていた。
「君たちは、わたしが、わたしたちがこんなことをしているのを見て、変だと思わないのか?こんな表をつくって、来るのか来ないのかわからない未来について延々と話し合うわたしやトールの様子を見て、その、気が違っているとか壊れているとか、思っていないのか?」
いつも不思議に思っていた。最初の頃はともかくクラリスやチャールズやそのほかの“転生者”としての記憶を持たないものたちはとても自然に振る舞っている。
わたしが彼らの立場だったら神殿に相談に行くだろう。向こうだったら精神科医に相談する状態だ。
生まれも身分も違う人たちが集まって、ああでもないこうでもないという話を繰り広げているのだ。たぶん「友愛会」よりも「自由・平等・友愛」を体現しているよ。ブルーウィング公が変な連中の巣窟になっていると表現したのはかなり婉曲な言い方だと思う。
彼らは当たり前のようにわたしたちをわたしたちとして受け入れてくれている。何故にそんなに寛大なのか、きくに聞けない質問だった。
「ウィリアム様は予見者ですよね」クラリスの答えは意外なものだった。
「予見者?予言者ではなくて?」
「はい、予見者。予見者です。ウィリアム様はご存じない?」
予言者は聞いたことがある。神殿にいる未来を占う神官だ。予見者という言葉は聞いたことがない。
「予見者は自分の未来を見通すことができる人だといわれています。ただし本人、あるいは近しい人におこる事柄に限られますけれど」
「わたしが、いや、私たちがその予見者だというのか」
「はい、私はそう考えていました。そうではないのですか」
少し不安そうにクラリスは尋ねる。
確かにその定義で行けば私たちは予見者だろう。自分や自分に近しい人の未来を見通しているのだから。本当はただゲームの内容を思い出しているだけなのだが。
「そうだね、そうかもしれない」だがわたしはクラリスを肯定する。ウィリアムとしてのわたしから見れば、確かにゲームの記憶は夢だ。
「わたしは何がこちらで起こっていて、何が起こっていないかわからなくなっているのかもしれない」
わたしのつぶやきを聞いて、なぜかクラリスはうれしそうな顔をする。
「大丈夫です。ちゃんとお助けします。わたしたちが、ちゃんとお助けしますから」
ね、と彼女の兄のほうを振り返る。暗殺者はとても困ったような顔をして不承不承うなずいた。
正直なところ、わたしはこれからどうしていいのかさっぱりわからなかった。マーガレット・デュロイという悪役が姿を消したのだ。ゲームの中で彼女はダンジョン近くの“村”をおそって大火事を起こすという役回りだった。その彼女が盗み出そうとしていたのは、とある強力な力を秘めたアイテムだった。美貌を保つためとかなんとか訳のわからない理由で彼女はそれを手に入れようとするのだが、ゲームの主人公に阻まれて炎の中で命を落とす。
後に彼女は豚公爵の手先であるトールにたきつけられたということがわかる。豚はブランドブルグ帝国様に差し出すためにそのアイテムを探していたのだった。どのみち取り上げられる物を必死で求めるなんてマーガレットはかわいそうだった、そんなしんみりとした感慨を抱かせるイベントの締めになっている。
自分の手を汚さずにひどいよね、豚公爵。
もちろん今のわたしはそんな命令を下してもいないし、帝国と手を結んでもいない。だいたい自分の領地にある”村“をどうして焼き討ちにしないといけないんだ。
“村”に潜入させているトールの部下からの報告でも、あやしい工場が建っている以外は普通の村だ。強力な“炎の宝玉”というアイテムも存在しない。今のところでは盗賊に襲われるような場所ではないのだ。
「このアイテムというのはなんなんだろうな?」
わたしもトールも“炎の宝玉”なるアイテムが実際に何であるのか知らなかった。もっともらしい名前がついているが、ゲームの中にはその形も効能も出てこないのだ。
こちらの世界にそれに当てはまるような物があるかといえば、存在しない。以前の“村”でのイベントでも“愛のかけら”なるアイテムを主人公たちが手に入れられるようにとわざわざ茶番劇を演じて見せたが、その効果があったのかどうか。
彼らが“アイテム”を手に入れた確証はない。憑依されていないクラリスやチャールズにそのあたりを確かめたのだが、そんな“アイテム”の存在は知らなかった。
「これも、ゲームとこことの乖離だな」
トールは新しく付け足した紙をいらいらと指でたたいた。
ゲームの設定に上がってこなかったがこの世界に存在する物や事象はあげれば膨大な量になっていた。
フライスビューネ、クリアテス、友愛会はこちらにあるがゲームには存在しない。
逆に、“愛のかけら”や“炎の宝玉”は古い伝承の本まで引っ張り出して探してみたが、存在を確認できなかった。“村”で大量生産されていたアイテムもとってつけたように最近になって現れた物だ。
世界を滅ぼすと言われる魔王もいない。魔人といわれる強大な力を行使する人は史書にも現れるのだが、“封印された魔族や魔王”は確認できなかった。
問題になるのはとってつけられたようにこちらにも存在している数々の物だった。“転生者”であるわたしやトールは当たり前のようにあるものとしてとらえていたが、実は元々なかったのではないかと疑われる物や場所だ。
“村”や”ダンジョン“は古い資料や地図上では見つけられなかった場所だ。書庫にある古いゴールドバーグ領の地図を見たときには何度も探した。
ゴールドバーグなる公爵の名前も存在しなかった。いつ誰が改名したのかそれすらわからない。いつのまにか私の一族の名前はゴールドバーグにされていた。
あれから足繁くゲームをしに訪れるようになったブルーウィング公にそれとなくそのあたりのことを聞いてみた。
「あなたの家はわたしの家と同じくらい古い家ですよ」
わたしの質問の意味を誤解したらしいブルーウィング公はいつものゆったりとした仕草で駒を指しながらいった。
同じくらい古いっていうけれど、資料にはブルーウィングという家もなかったよ…よほどそういってしまおうかとも思ったがわたしは黙っていた。貴族の家名はすべてゲーム準拠になっていたからね。予想はしていた。
ブルーウィング公が尋ねてくるのにはもちろん理由がある。
彼はわたしの夢の内容を知りたがっていた。
彼に内情を打ち明けるべきかどうかについてはトールと長い時間をかけて話し合った。
ブルーウィング公は一筋縄ではいかない人物だ。必要な情報を手に入れたら、はいさよならといいかねない人物だった。だから、わたしはのらりくらりと言をかわし、相手からの情報を得ようとしてきた。
その結果わかったことは彼と息子が恐ろしく不仲になっていて、息子のほうは親を避けているということ、豚嫁とエリザベータはブランドブルグの代理人のような立場におかれていることだ。
同じ敷地に住んでいるのに、他人から嫁の動静をきくというのもどうかと思う。でも、わたしと豚嫁はここ何年も視線すら交わしていない。どこかですれ違ってもわからないのではないかというくらい希薄な関係だ。
互いの召使い同士も反目し合っている。別邸の召使いはいまや心底わたしのことを軽蔑していて、公然とわたしのことを豚呼ばわりしていた。頭にきたクラリスが彼らを立ち入り禁止にしてしまった。今働いているのは、新たに雇い入れたシャークやカークの知り合い達だ。召使いとしての精度は落ちるが精神的にずっと楽になった。
あ、こちらの召使いも私のことを豚さんと呼ぶけどね。さん付きで呼んでくれるだけましなんだよ。
その日は寒かった。
二三日前に降った雪がようやく解けて、久々に土に触れるとわたしは楽しみにしていた。
「あ、あんなところに扉が開いてますね」
そうクラリスに言われて初めて気がついた。石造りの塀の間にめだたない門があった。いつもは生い茂るツタに隠されていて見えない門がなぜか今日は開いている。
まるで、秘密の花園みたいだ。
わたしはかすかな記憶を思い出す。扉を開けると、その向こうには秘密の庭園が広がっていて…どうなるんだったかな。ピクニックでおいしい料理を食べる話だったような、なかったような…
少し沸き立つ気持ちを胸に扉の内側を覗いてみた。扉の向こうにお花畑が広がっているかもしれない。
中を見て、とてもがっかりした。
葉を落とした果樹に囲まれるようにして、見覚えのある草が青々と生えていた。
他の植物が冬の眠りについているというのに、この草だけは青々と雪にもめげず生えている。
「夜来花じゃないか」
“村”で大量に栽培されていた草がここでも元気にはびこっていた。
やらないか?
この花を見ていると無性にブチブチと根元から引き抜きたくなってくる。生理的に受け付けないというか、なんというか…
変な感慨にふけっていると夜来花の向こう側から急ぎ足で庭師が近づいてきた。
「どうしてあなたがそれを知っているのか」いつになく強い口調で詰問される。
「夜来花のことか?それはもう、たくさん植えられていた…」
いきなり両腕を庭師に掴まれた。
「どこで、どこで、この草を見たのです?いったいどこで」
この前怒られたとき以来の庭師の長台詞だ。この前の時と変わらないくらいおこっているように見えた。いや、実力行使に出てくるところを見るとこの前以上だろうか。
「どこでって、“村”で、“村”で見たんだ。たくさん、きれいに並んで植えられていて、それで」
「なんということだ」庭師は顔色をなくした。「なんということだ」
「なんということだって、それは・・・」
「この花は持ち出されてはいけない花なのに。けして外に出てはならない災いを呼ぶ花だというのに」
「災いを呼ぶ花?」
「これをどこで見たというのです、ウィリアム様」
初めて彼が私の名前を呼んだ。巨体の私が揺れるくらい強い力だった。
「どこでって、“村”でだよ。“村”。わかるか?」
「いったい、その村というのは何村なんですか? “村”というだけではわからない!」
怒鳴り返されて、はっきりと認識した。
あそこの“村”には名前がない。
地図に載っていないはずだ。
あの場所はゲームのためだけに“作られた”“村”なのだから。