ゴールドバーグ公爵様」ルーシーはわたしにほほえみかけた。
相変わらずの美少女、いや、美少年ぶりである。
「なぜおまえがここにいる?」
わたしは精一杯威厳を込めて商人Aをにらんだ。
「なぜとおっしゃっても答えに困ります。僕はしがない一商人でして商売のためならどこへでも…」
「わたしがここにいるのを知って、きたのだろう。いいたいことがあるのなら、いえ」
「公爵様は、せっかちであられる」かすかなあざけりを感じてわたしは身を引き締めた。
「この前お話しした提案のことなのですけれど、検討されましたか」
「提案? なんの話だ」わたしはとぼけた。
「あなたの望む暮らしを提供させていただきます、という話ですよ」
ルーシーは営業マンが世間話をするときのような気楽な口調でわたしに話しかけた。
「見たところ、まだ、村周りを続けておられるようですね」
「わたしがやりたくてやっているだけだ。おまえの口出しするところではないだろう」
「困りましたね」ルーシーはかわいらしく小首をかしげた。「それでは、こちらからのサービス提供ができなくなってしまいます」
「さーびすというのは、どんな贅沢な暮らしでもさせてくれるというあれか? わたしの望むままの人生を送らせてくれるという」
「はい。もちろん、制限はございます。若返らせろとか別の人になりたいとかはさすがに無理ですね。しかし、今よりもずっと快適な生活を保障いたしますよ。富と名声、力をあなたに与えましょう。きけば、ずいぶん金策にもお困りの様子で」
どうして、おまえがそんなことを知っている。トールに託して売りさばいた地下室の食器のことが頭に浮かぶ。余計なお世話だよ。
「なぜ、そんな提案をする。なぜ“村”をまわることを禁じるのだ」
「禁じてなどおりません。ただ、今のままでは公爵様があまりにも不憫。せめて心安らかに暮らしていただけるようお手伝いしたいと、そう思いまして」
ルーシーは心底同情しているような口ぶりだった。
「他の方々と違って楽しんでおられないようでしたので、つい、僕たちといたしましても支援を・・・」
「他の方々? それは誰だ」
「他のお客様の個人情報を漏らすようなことはできかねます」
それまで疑念でしかなかったものが、確信に変わる。彼はこの世界のものではない。プレイヤーですらない。
「おまえは何者だ」
「僕の名前はルーシー・マーチャントです。このあたりを行商してまわっている商人で・・・」
「そうじゃない。ゲームのNPCがどうしてここの世界にいるんだ?」
「ゲームのえぬ・ぴ・しーでございますか? はてさて何のことだか」
ルーシー・マーチャントと名乗った商人Aはどこまでも無邪気な少女…中身は少年、に見えた。
「しらばっくれるな。おまえは「華の学園」に出てきたチュートリアルキャラクター商人Aだろう。なんで、ここにいる」
ルーシーは目を細めた。彼の笑みが大きくなる。
「ゴールドバーグ様、この世界にはお約束というものがございます。口にしていいことと悪いことというのがあるのですよ」
彼はちらりと不安そうにやりとりを見ているクラリスを見た。
「ただでさえ、あなたたちは掟を踏みにじって、秩序を壊そうとしている。今は僕たちがなんとかフォローしていますけれどいずれ対処できなくなってしまいますよ」
「秩序とはなんだ。ここの秩序を壊しているのはおまえ達だろう。おまえ達がここの世界の法則をねじ曲げて、無理矢理ゲームの世界に当てはめているんじゃないか。おまえ達が・・・」
「お静かに願います」ルーシーは指を口に当てた。「彼女に全部聞かれてしまいます。先ほどもお話ししたように、あなたたちの行動は道を外れています」
「道を外れているのは、おまえ達のほうだろう。たとえば、あの草だ。あんな変な草を植えて、わたしの領地を荒廃させようとしている。誰があの草を持ち出したんだ? 誰があれをアイテムに替えて販売していいといった?」
「草ですか。ああ、夜来花のことでございますね。あれを栽培し、それからアイテムを製造することを始めたのはゴールドバーグ公、あなたではありませんか。僕たちはただの商人、ご依頼に答えて、作物を植え、収穫し、加工して、出荷したまでです」
少年は不思議そうに、でも明るい表情を崩さずに話す。
「ここで作物の栽培を始めたのはあなたです、ゴールドバーグ公。
あなたが、庭からあの草を持ち出し、栽培し、加工したのです。あなたの許可のものとすべてが行われました
あなたが、あの草を植えそれを元に作った薬をばらまいたのです。そしてブランドブルグに売った。その罪がばれそうになったので、証拠を隠滅するために草ごと工場を焼き払い、その製法を帝国に売ろうとした。そして帝国の侵攻を許してしまう。そういうシナリオだったでしょう」
まるで本を読むように、独特の抑揚をつけてルーシーは言い切った。
「私にはそんなことはできない。私は薬を作ってもいないし、ばらまいてもいない。それに、わたしはそんなシナリオに従う気持ちは毛頭ない」
「別にいいんですよ。“あなた”が、やらなくても」
チュートリアルに出てくるキャラクターは有名声優のかわいい声のまま笑う。
「誰かがやったことでも、みんなが“あなた”がやったと思えばいい。みんながそう思えば、事実になるんですよ。シナリオがそうなっているんですから」
シナリオがそうなっている?
怪我をしたダークの姿が、物言わぬ物体になって戻ってきたシャークやカークの姿が、わたしの頭によぎる。
「彼らが死んだのも単なるシナリオだというのか。シナリオ通り、その一言で彼らの人生が踏みにじられたというのか。おかしいだろう」
「おかしいって、そういうものでしょ。出番の終わった人たちは退場するのが筋です。いつまでも残っているなんてそちらのほうが変ですよね」
訳のわからないことに注文をつける子供をなだめるときのように優しくルーシーはいう。
「先ほどからあなたは僕たちが秩序を乱しているという。でも、あなたもプレイヤーなのですよ」
一瞬、わたしの頭が凍り付いた。
これはゲームではない。わたしの中のウィリアムが怒りの声を上げる。
だが、わたしはどうなのだ?
これをゲームだと思っていたのか。本当にこれがゲームだと信じていたのか。
目の前の少年はスカートの裾をつまんで大仰に一礼した。
「僕の役目はゲームにプレイヤーの皆さんがすんなりと溶け込んでいただくよう環境を整えることです」柔らかい声が響く。「システムアシストを行いますか?」
「円滑に進めるって…どこが円滑なんだ?こんなにゆがめられているじゃないか」
わたしはルーシーに詰め寄った。
「システムアシストを断るのですか? あなたが楽に遊べるようにと思っての申し出なのですけれど」
ルーシーは肩をすくめた。
「忠告しておきますね。あなたたちの行動は他のプレイヤーのプレイを邪魔する重要な妨害行動です。今のままの行動をとり続けるようならこちらとしても処置を執らないといけません。僕はそんなことはしたくない。皆さんに楽しんでいただきたいのです。あなたも含めて」
ルーシーは悲しげにそういった。
わたしは、プレイヤーなのか?
これはただのゲームなのか?
ゲームだったら何でこんなに胸が痛いんだろう。悲しいんだろう。目の前で失われた命に歯がみして、あがかないといけないんだろう。
「わたしがプレイヤーというのなら、未来を、結末を自由に選ばせろよ。姐さんやアリサははフラグを外しても、外しても、死んでいったんだぞ。死ぬエンドしかないゲームなんてくそゲーもいいところだろ」
「シナリオの出来不出来はこちらでは判断しかねます。それにこれはゲームですから。ちゃんとすべてがシナリオ通りに動いてるでしょ」
駄目だ。わたしは穴に落ちていくような感覚にとらわれる。
駄目だ。彼に、“これ”に、話は通じない。
まるでテレビを見ているかのようだ。けしてこちらを見ることのない司会者に向かって懸命に話しかけているようなものだった。
画面の向こうの“人”は笑ったり、はしゃいだりしている。でもこちらから何かを働きかけることなど、できない。向こうは好きなようにしゃべって、好きなように振る舞う。その向こうで画面を見ている人間のことなど少しも意識していない。
「あ、時間ですね」ふいにルーシーはポケットから懐中時計を取り出した。
「そろそろ彼女が来る時間ですよ。今日はとても正確ですね」
わたしとルーシーが話している横を一台の馬車が通り過ぎた。
紋章も何もついていない黒塗りの質素な馬車だった。
その開け放たれた窓から、銀の光が見えた。
風になびく銀色の髪。氷のように青ざめた、一度見たら忘れられない美しい横顔が目の前を通り過ぎる。
エリザベータ…わたしの娘。
「いいんですか? 彼女いってしまいますよ」商人Aはいたずらっぽく笑う。
「クラリス、馬車を出してくれ」
クラリスは、ゆっくり、まるで眠りから覚めたように瞬きをした。
「あ、ウィリアム様、どうかされましたか?」
再び命令を繰り返そうとして、わたしは言葉を飲んだ。まるで周りで止まっていた時間が一気に動き出した感覚、いや、実際に時間がたっていなかったのかもしれない。
あたりを慌てて見回したが、商人Aの姿はどこにも見当たらない。
エリザベータののった馬車はわたしの馬車の脇を通り抜けて“村”のほうへ向かっている。
「あの馬車を追ってくれ」わたしは馬車を指した。
「かしこまりました」クラリスは命じられるままに御者台に座った。
彼女は今の会話を聞いていなかったのだろうか。太った腹を馬車に押し込みながらわたしは思う。
あなたもプレイヤーなんです。
商人の言葉が胸に突き刺さるのと同時に黒い怒りがわいてきた。
これが、ゲームか? 遊びなのか?
遊びであっていいわけがない。
「あの馬車に、エリザベータが乗っている。追いつけるか?」
「エリザベータ様が?どうしてここに?」
彼女をマーガレットの身代わりにするわけにはいかない。小さい頃の娘の面影が頭をよぎる。なぜ、こんな理不尽なゲームにあの子が巻き込まれなければならないのだ。そんなことは間違っている。