豚の矜持23 マーガレットからの手紙

 一郎君へ

 これが君に送る最初で最後の手紙になると思う。

 本来なら、マーガレットからの報告書という形式で手紙を書くべきなのだろうが、あえて橘敬士から最後のメッセージを送りたい。

 昨日無事にフライスビューネについたことをまず報告したい。

 ここまでの旅は順調だった。マーガレットの婚約者は誠実で、なおかつできる男だ。きちんと恋人であるマーガレットの身を守りきった。君が心配していたようなことは何もおこらなかった。彼と、彼の家の力は信頼に値すると思う。

 国境での審査も驚くほどあっさりとしたものだった。役人から難癖をつけられることもなく、無事に未知の土地へ旅立つことができた。

 国で心配してきたことはいったい何だったんだと思うくらいだったよ。

 ひとまず、そう伝えておく。

 今のところ命の危険になるような事件は起きていない。

 フライスビューネは国よりもずっと自由な雰囲気のところで外国人も多い。偏見も少ない。街は豊かで活気がある。さすがは商人の国だ。異世界を味わいたいのなら、そちらよりもこちらの方が味わえると思うよ。

 そちらの様子はどうだろうか。

 もうすぐイベントの刻限が来る。すべてを君や翼君に押しつけてしまって本当に悪いと思っている。さぞや苦労をしていることだろう。

 それはわかっているんだ。わかっていた。

 だから、橘敬士としての本心は、君たちと最後まで一緒に戦いたいと思っていた。実は今もだ。

 だけど、すまない。俺は、彼女にこの体を帰そうと決意した。敬士としての意識をけして、マーガレットとして生きていこうと決意した。

 彼女と俺が出会ったのは、彼女がこの職業について間もない頃だった。

 俺の意識が彼女と絡み合ったのは、彼女が客と励んでいる最中だった。

 何が起こっているのか、わかったとたん、俺はむちゃくちゃ混乱した。なにしろ、俺にそっちの趣味はなかったからね。

 まぁ、それはともかくだ。

 マーガレットという少女は、(そのとき彼女はまだ十代だった、淫行条例違反とかいうなよ、ここにそんなものはないんだからな)ゲームの中の狂った裏社会の女帝というイメージとは違って、明るくさわやかな女の子だった。こういう職業で稼いでいることも、今の自分の貧しい環境もからりと笑い飛ばすような女だよ。

 実際落ち込んでいる俺をしきりと慰めてくれたのは彼女のほうだった。どうやったらこんな子があんな腐れビッチになってしまうのだろうと思えるくらいいい子なんだ。

 一郎君、君と会うまではかなり危ない時もあった。でも二人三脚で今の境遇をよいものにするように活動したよ。職業柄悪党どもの手筋は知っていたからね、なるべく逆手にとって相手を利用した。たちの悪いチンピラとの縁は切り、有力者の力を借り、少しずつ頭角を現していったんだ。

 はじめて、トールと出会ったときにそれまで彼のことを知らなかったふりをしたが、あれは嘘だ。

 トール・ラグナルの存在にはかなり前から気がついていた。同じ悪役同士、どこかで接点が生まれるだろうと予想していた。まさか、相手も自分と同じように物語の外から憑依されているとは思っていなかったけれどね。

 君は気がついていただろうか。

 もし君がただのトール・ラグナルでしかないのなら、刺し違えるくらいの覚悟はしていたんだ。俺の読みでは、マーガレットに豚公爵を紹介したのがトール・ラグナルだったからね。

 いや、あのとき刃傷沙汰を起こさなくて本当によかったと思っているよ。

 君や翼君、稜くん、姐さん、アリサちゃんとの交流は本当に楽しかった。

 みんな、いい奴で、思っていた登場人物とは全然違っていた。特に豚公爵、設定と違いすぎるだろう。突っ込みどころ満載だよ。

 マーガレットが今の彼と出会ったのはちょうど君と出会った頃だった。

 一郎君、君は完全にトールと意識が融合しているといっていたね。小さいときからずっと寄り添ってきたので、どこまでが本物のトール・ラグナルの意識かわからないと。

 俺の場合は違う。かなりの部分は融合しているようだけれど、明らかに二人の間には越えられない壁のようなものがある。だから、今こうして俺として手紙を書くことができる。

 マーガレットが女で、俺が男だからかもしれない。俺はいつになってもマーガレットが仕事をすることになじめないでいる。逆に、俺の中の男臭い部分をマーガレットは踏み込めないようだ。

 姐さんやアリサがもっと長く生きてくれていれば、そのあたりのことを聞けたのだけれどね。彼らは早々に退場してしまった。残念だよ。マーガレットは姐さんやアリサちゃんに好意を抱いていた。同じ女子仲間での会話が楽しかったみたいだ。俺からすれば、たわいもないことをごちゃごちゃと、と思っていたんだが。

 話がそれたね。

 それまでも何回か“彼”には会っていた。彼も同業者だったからね。公式のルートで紹介されたんだ。最初はもちろん仕事上の関係だった。俺も、フライスビューネという物語に出てこない国の情報は欲しかったので、積極的に接触することを進めたよ。

 いつからかな?二人の関係がただの仕事上のつきあいでなくなったのは。

 マーガレットは、仕事と色はきっちりと区別をつける女だった。よく女は感情におぼれるというけれども、彼女の場合、仕事は仕事ではっきり割り切っていた。だから、俺もなんとかそういう行為をただの仕事と思えるようになったのだけどね。彼との関係を除いては、だ。

 相手を惚れさせることはあっても自分が恋することなど考えてもいなかったから、最初はマーガレットも戸惑っていた。どこかで自分はそういった色恋と無縁の女だと思っていたようだ。彼女にとってはこれが初恋だったんだな。この年になるまで一人の人にここまで執着したことはなかったんだ。

 彼女がどんどん恋におぼれていくのをみながら、俺は自分の存在はなんなんだろうと思い始めた。少女のように恋に夢中なマーガレット・デュロイと、物語の中の悪役女将のマーガレット。それに、君たちと一緒に死に神と戦っているマーガレット。いろいろなマーガレットがいるけれど、どれが本当のマーガレットなんだろう。

 前は、敬士という存在もまたマーガレットの一部だと思っていたが、こちらに来て思った。俺という意識はバグのようなものだと。

 本来の機能を阻害してあらぬ方向にねじ曲げてしまう存在なんじゃないかな、と。

 “華の学園”という毒におかされていない国の存在がそれを見せてくれた。

 前にもこの世界が本来のあり方からねじ曲げられている可能性について話したと思う。

 でも、今は確信をしている。

 俺たちは、ここに存在してはいけない。

 外から見た国がどんなふうに見えていると思う? 独立騒ぎを起こした領主よりもさらにおかしいと思われているんだぞ。こちらになかったいろいろな概念を無理矢理当てはめているから歪みもするよな。その歪みの最たるものが“学園”の存在であり、“アイテム”の存在であり、俺たちの存在なんだよ。

 ここで生きていくものに、俺たちは有害だ。

 だから、俺は消えることを選択した。

 もちろん、マーガレットは俺のことを覚えている。俺の記憶も、向こうで何をしていたかも。だけど、もう俺が彼女の体を使うことはない。橘敬士という人格は存在していない。ここにはいない。

 これは一種の自殺かな。

 最後までつきあえなくて悪かった。姐さんやアリサちゃんを死なせたこと、残された一郎君や翼君を助けることがもうできないこと、本当に心残りだ。

 でも、もうこれでおしまいにすると決めた。

 ほんとうに、すまない。言葉を尽くして謝っておくよ。

 あと、どれだけの時間が残されているのかわからない。俺に憑依された彼女は消されるかもしれない。この場所で長生きをするかもしれない。

 だが、その時間をマーガレットという女性は生きていく。

 彼女は強い女性だ。フライスビューネでも立派にやっていけると思う。

 君たちの戦いが実を結ぶことを祈っている。

                                橘 敬士

 追伸 マーガレットの娘達があとのことは引き継いでくれる。連絡を取ってくれ。もし、許されるなれば、君たちもこちらに渡ってくるといい。手配はしてある。それから、例のものはちゃんと送っておいたよ。活用してくれるとうれしい。

 *

 拝啓 トール・ラグナル殿

 突然のお便り失礼します。

 私はフライスビューネ正神殿の下女マルグリットと申します。

 このたびは大変残念なお知らせをお届けしなければなりません。

 先日国境を流れる川で女性の溺死体が発見されました。

 その持ち物から、その女性がマーガレット・デュロイという名前であることがわかりました。

 先日の増水のおり、誤って川に転落したものと推測されます。

 彼女は、複数の手紙を所持していました。

 そのうちの一通があなた宛のものであったため、正神殿を通じてこうして送らせていただく次第です。

 おそらく彼女はあなたにとってかけがえのない女性だったに違いありません。謹んで哀悼の意を表します。

 なお彼女の遺体は荼毘に付され、親族の方が引取りにこられました。

 彼女の魂が神々の御許に無事たどり着かんことを。

                         敬具

                   正神殿巫女長マルグリット

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