豚の矜持24 決意

さく、さく、さく。

 鍬が土に振り下ろされる。

 さく、さく、さく。

 リズミカルに鍬が土を掘り起こす。

 土はいい。こうやって畑仕事をしていると、何も考えずにすむ。

 わたしはただひたすら土を掘り起こすのに、意識を集中していた。

 もうここを掘り起こすのは何度目だろう。最初は一日かかっても掘り起こせなかった畑は何度も何度も鍬を入れるのでふかふかになっていた。

 何を植えるわけでもない、ただ掘り起こすだけの作業だ。

 マーガレットさんが死んだ。

 その知らせが入ってからトールは姿を見せなくなった。

 わたしはわたしのことで頭がいっぱいで、彼に気遣いする余裕はなかった。

「ウィリアム様、お昼ご飯ですよ」

 クラリスがバスケットからサンドイッチを取り出した。ダークが作ってくれた特性のサンドイッチだった。だが、わたしには味がわからない。

 畑仕事をしていないと、どうしても娘のことを考えてしまう。

 ―わたしはあなたの娘ではありませんからー

 あのとき以来わたしとウィリアムは再び分離してしまった。彼とわたしの心が重なっていると思えるのは、こうして畑を耕しているときだけだ。

 向こうのファンの間では冗談として語られていた、エリザベータ様の父親は豚ではないという説。まさか、本当だったとは。

 絶対、親じゃないって。あの両親からエリザベータ様は生まれてないって。

 えー、でもそうなると、親子じゃなくなるじゃん。禁断の関係じゃなくなるなんて誰得よ。

 わたしも豚公爵がエリザベータ様の親であることはあり得ないと思っていた一人だ。

 全然似てないし、あんな親、単純にいやだし。

 わたしは通常版からはまったファンだからね。エロはあくまでフレイバーみたいなものということで。

 そんな第三者としてのわたしも、ウィリアムに本当にあなたの娘ですか? などと軽口をたたけなかった。彼は本当にエリザベータをかわいがっていた。薬で頭がぶっ飛んでいたときでも、娘のことは正気を保とうと努力していた。

 彼女の存在が彼の支えとなっていたから。彼の中にあるただ一つの光だったから。

 それを思うと本当に苦しくなる。どこか深いところでずっと傷がうずいているような気分になる。痛みが日常と化して、周りのすべてが曇ってしまう。

 あのとき狂ったように笑っていたエリザベータと呆然としたわたしは、トールたちに引き離された。御者台に乗っていたトールはすべてを聞いていたのだと思う。ウィリアムが狂気に走る前にトールは止めたのだ。

 ショックのあまりウィリアムからはじかれてしまったわたしは気がついてしまった。豚公爵が悪逆に走ることになった発端はここだということに。

 娘を愛しく思うウィリアムと、虐待を重ねる豚公爵が初めて重なった瞬間だった。

 もう、止められないのだろうか。

 わたしはトールから預かっている魔法玉を無意識のうちにいじっていた。これにわたしの魔力を込めてほしいと彼から頼まれていたのだ。

 魔法の使えないわたしの、これまた役に立たない土属性の魔力など役に立つのだろうかと思いつつ、わたしはそれを預かった。それでもいいと彼に懇願されたからだ。

「時々触るだけでいいんだ。身につけていたら、自然に魔力がたまっていく仕組みになっている…みたいだ」

 彼も魔道具のことはよくわかっていなかった。本当にそんな作用があるのか半信半疑だったが、最近これをいじるのが癖になっている。

 もうわたしは止められないのだろうか?

 マーガレットさんの死の知らせは、たとえこの舞台を降りてもわたしたちの死という結末は変わらないという証明だった。

「バナナの皮で、滑って転んだんだってさ」トールは伝えた。

「それで、川に落ちて溺死だそうだ」

 神々はお笑いの世界がお好きらしい。

 世間は“わたし”と“トール”が村を消滅させたことを知っていた。それがあやしい薬がらみであることもなぜか噂になっている。悪逆非道な豚公爵は“村”で危険な薬を作っていた。それが国にばれそうになったので証拠隠滅をするために、自領の民を虐殺したということになっているらしい。

 王立学園の生徒たちがその陰謀に気がついて止めようとしたが、間に合わず、おのれ、極悪な豚め、今に悪事を暴いてやる、と息巻いているとかいないとか。

 その場にいないどころか外国にいたマーガレットさんも共犯者にされていた。

「どこをどう間違うとこういう噂になるのか」

 暗殺者という職業柄裏の社会の情報網も把握しているチャールズが申し訳なさそうにそう伝えた。クラリスはでっち上げだと怒っていたけれど、わたしは黙っていた。

 あの商人Aなら、そのくらいのことをやりそうだよな。なにしろ存在しない“村”が実在したのである。噂の一つや二つ、ねつ造することはたやすいだろう。

「豚、ちっちゃくなったね。もっと食べないと」

 “村”から連れて帰ってきた赤毛の幼女がせっせと給仕をする。

 連れて帰った当初は犬か猿なみの行動しかとれなかった少女もようやく人間の仕事というものができるようになっていた。

「アン! 豚ではありません、公爵様、とか、ご主人様、とおっしゃい」

 クラリスがうるさく注意をする。

「でも、豚は、豚。大豚でも子豚でも、豚は豚」

 ぶつぶつと小声でつぶやきながら赤毛の幼女は飲み物をコップに注いだ。そして、クラリスが見ていない隙を狙ってサンドイッチを自分のポケットにねじ込んだ。

「アン」

 サンドイッチの減ったことに気がついたクラリスは恐ろしい声で少女を呼んだ。

「ポケットの中のものを出しなさい」

「いいじゃないか、少しくら…い…」

 クラリスの一瞥でわたしの声が宙に消えた。

 少女は渋々しみだらけのお仕着せのポケットからつぶれた食べ物を取り出す。

「まだ、何か持っているわね。出しなさい」

 少女は口をへの字に曲げたが、のろのろとポケットの中からものをとりだした。

 サンドイッチ、パンの切れ端、キャンディーのかけら、ぐちゃぐちゃになった菓子の一部や何に使うのかわからないねじのようなもの、陶器の人形の頭…思いつく限りのがらくたが山と積まれていく。

「まだ、あるわよね」

 最後に裏返したポケットの隅から何かがころりと転がり落ちた。

「あ」

 見覚えのある光にわたしは手を伸ばした。

 緑色の小さな玉、きれいな天然石の玉だった。つなげて通せるように中央に穴が空いている。

「懐かしいな」わたしはその玉を手のひらの上に転がした。

 手のひらの向こうでアンが恨めしそうにその玉を見ている。

「これ、ほしいのか?」

 少女は間髪を入れずにうなずいた。

「それ、宝物。きらきらきれいな石」

「そうか」わたしは玉を指でさすった。「この石はもっとたくさんあったはずだ。どこにやったかな? たくさん、ほしいか」

 少女は何度も何度も勢いよくうなずいた。

「そうか、じゃぁ、探しに行こうか」

「ウィリアム様」クラリスが静止しようとしたが、わたしは少女の手を取った。

「大丈夫だ。ちゃんとある場所はわかる、と思う」ウィリアムがおぼろげな記憶を探っていた。「行こう、こちらだ」

 そこは二階の角にある部屋だった。日当たりがよく、この館の中で一二を争うほど明るい部屋だ。わたしはそこを「光の間」と呼んでいた。そこは光り輝く銀色の妖精が暮らす場所だったからだ。

 かつての子供部屋は今も昔の姿をとどめていた。寝台も洋服棚も本棚も小さな木馬も昔のままだ。わたしは棚を開けてみた。

 エリザベータが小さい頃わたしはこの部屋を訪れるのを楽しみにしていた。退屈な執務やつきあいの合間の息抜きだった。

 あ、おとうさま

 小さな娘の、小さな手が、こちらに差し出される。

「ああ、ここにあったな」

 わたしは記憶通りの場所から箱を取り出した。赤毛の少女は身を乗り出して箱をのぞき込む。

 きれいな紙でできた箱のふたを取ると、中には丸い天然石の玉がたくさん詰まっていた。それぞれが色や大きさできれいに分けられている。

「きれいだろう?これで娘が首飾りをつくって遊んでいたんだ」

 わたしは玉を光にすかしてみた。

「透ける石もあるけれど、透けない石もあるんだよ」

 エリはどの色が好きかな?

 そうたずねると娘は箱の中を迷うように指を滑らせた。

 どのいろもきれい。おとうさま、どのいろがすき?

 そうだな、わたしは、この青い石が好きかな。

 青い石は光を透してきらめいた。

 エリの目みたいだね。

 そう?

 娘はうれしそうに笑う。

 わたしはこのちゃいろのいしがいいな。おとうさまのめとおなじよ

「あ、豚が目から汁を出してる」赤毛の少女が冷静に指摘した。

「豚、具合が悪いの?病気なの?待ってて?怖いおばさんを呼んでくるね」

 その日わたしは久しぶりに涙を流した。

 次の日、久しぶりにトールの顔を見た。

 彼はいつもと少しも変わらないように見えた。少しやせているような気もしたが、わたしのやせぶりに比べればたいしたことはないだろう。

 早速わたしたちはいつものように、何事もなかったかのように、会議を開いた。

 以前と比べてずいぶん静かになった集まりだった。

「残すイベントは限られている」トールがいやになるほど眺めてきたゲームシナリオの進行表を机の上に広げた。「帝国の侵攻と、魔王の復活。復活してしまえば、もう俺たちの出る幕はない」

 いったん魔王が復活してしまうと、あとは魔王討伐や帝国との戦いのほうへと話が進んでしまう。トールは復活前に死んでしまうし、豚公爵は最後の裁判の場面まで雲隠れをしてしまう。トールの見立てではここまでがわたしたちの関われる最後のラインということだった。

「要するに、魔王を復活させなきゃいいわけだね」

 いきなりとってつけたように現れた魔王という存在。文献を調べて見たが、これまでに魔王なる存在は確認されていない。魔法の暴走で古来の魔王を呼んでしまうという設定だったが果たしてどうやって整合性をつけるのか。

 架空の“村”や“ダンジョン”を作り出すくらいの存在なら、魔王の一人や二人作り出すのは簡単なのかもしれないのだが。

「今、君たちの記憶の中に魔王という存在はいるだろうか?」

 わたしはこちらの記憶しか持たないクラリスやチャールズにたずねた。

「化け物を支配して王国を滅ぼす、などという魔王は存在しない。だが、魔力が強くて周りを侵略するような王のことを魔王とか狂王とかいうけれど」

 ふむ、そのあたりのことはウィリアムの記憶とも合致する。

「おまえの話に出てくる“豚公爵”なんかが狂王に近いな」

 余分な話は聞かなかったことにした。

「えっと、魔王に認定されそうな領主といえば…」

「たぶん、コイツだろうな」トールが地図を持ってきて国境沿いをとんとんとたたいた。

「ここは王国とブランドブルグの間で長年にわたって帰属をもめている地域だ。おり悪く、王国派だった領主が死んで、二人の息子が残された。あとはお定まりの家督相続争いが始まっている。王党派の連中が仲を取り持とうとしているみたいなんだがうまくいってない。当然だがブランドブルグがちょっかいを出してきていて、ますます状況は読めなくなっているともっぱらの噂だ」

「で、侵攻が始まるというシナリオか」

 この地図は見たことがある。戦争イベントで使われる地域マップそのものだったからだ。最終的に魔王が君臨する場所がまさしく兄弟喧嘩が行われているところだった。

 兄弟のどちらかがゲームの魔王認定されるということか。

「で、わたしたちがどうするかなんだけど」わたしは考えていたことを話す。「こうなったらことごとく物語の逆をつこうと思うんだ。物語の中でわたしたちがブランドブルグ帝国についたのなら、王国側へ。魔王退治で逃げたのであれば、踏みとどまる。主人公側にも加勢する」

「それができればな」トールはたばこの煙をまき散らした。「今までそうしてやってきたけれど、うまくいってない」

 うまくいってない、か。これまで、シナリオ上で死を宣告されたものの誰一人として生き残れたものはいない。単純な一言に込められたトールの気持ちは重かった。

「わたしが公爵として動かせる手勢はどれほどいるだろうか?」わたしは庭師の師匠にきく。「妻の息のかかっていないものたちという意味なんだが」

「わしらは表の一族の味方をする」

「他のものたちは?たとえば兵士たちは?」

 庭師はこちらと目を合わせようとはしなかった。豚公爵、人望なさ過ぎだろ。わたしはこれまでの怠慢を悔いた。

「誰か、味方をしてくれる人はいないだろうか?」

「消極的な協力ならば、あるいは」庭師が渋々口にする。

「たとえば?」

「ブランドブルグに過度に肩入れをするな、とかその程度のほのめかしならば可能かと」

「それってどれくらいの意味があるのかな」

 沈黙を取りなすように、トールが慰めてくれた。

「仕方ないよ。庭師のじいさんたちだけでも味方してくれることをありがたいと思わないと。何しろ世間の豚公爵の評判ときたらひどいものだからな」

 女とみたら誰でもかれでも、館に引きずり込む、とか、そういう噂だったか?

「最近では、豚公爵は贅沢三昧をしても湯水のように金を使っているというものも出てきているぜ。夜な夜な豪華な夜会を開いているとか。紙幣をたき付けにつかったとか、金貨で館へ続く道を舗装したとか」

 いったいどこの豚公爵がそんな贅沢三昧の生活をしているのだろう。遠くに赤子の泣きわめく声を聞きながら、わたしは感慨にふける。

 久しぶりにたずねてきたブルーウィング公も同じような感想を口にした。

 目の前をしつけのなっていない子供の一団が駆け抜けていったのを見た直後だから、仕方ないのかもしれない。

「いや、申し訳ない。熟練の召使いたちがいなくなってしまって」

 わたしは金切り声で子供たちをしかる母親の声をなるべく隠すようにぼそぼそと言葉を継いだ。ブルーウィング公が非難するように借り物の家令をにらんだ。

「いやはや、噂というものは、あてにならないものですな」

 そこだけ貴族の館らしいしつらいになっている部屋に入ると、ブルーウィング公はいつもの場所に悠然と腰掛けた。

「噂ですか?」

「ええ、王宮ではゴールドバーグ家の素晴らしい夜会についての噂で持ちきりだったのですがね」

 彼はぐるりと辺りを見回した。それはどこの邸のことなのだろう。わたしはゲーム盤に駒を並べることに集中することにした。

「実は、わたしの息子が学園から戻って参りましてね。あなたの家のことを非難しておりました」ブルーウィング公は駒をすすめた。「この、難局のおりに贅沢な夜会を開くなど、けしからんと。もっと民草に意識を向けた行動を貴族はとるべきであると」

「友愛会の思想ですか?」

「そのようですな。まったくもってけしからん考え方です」ブルーウィング公は駒を持ったまま首を振った。「ああいう考えは流行病のようなもので、若い頃には一度ははまるものなのでしょうが、昨今の流行は目に余るものがある」

「そんなに流行っているのですか?」わたしは盤に目をこらす。

「若い貴族の子弟だけではなく、商人や騎士までが口々に叫ぶようになっているのですよ。

 自由、平等、友愛と。なかには“革命”を唱えるものまでいる」

「“革命”?」わたしは思わずブルーウィング公の顔を見返した。なんとも不吉な言葉が出てきたものだ。

「そう“革命”です。社会の秩序を壊し、新しい社会を作る。おぞましい考え方だ」

「それを若者が唱えているというのですか?クリアテスの教えとはずいぶんかけ離れているような気がしますね」

「ほう、クリアテスの教えに詳しいのですかな?」

「いえいえ、わたしのほうでもいろいろ調べてみたのですよ」

 本来のクリアテスの教えの中には“革命”のような言葉はない。この言葉はわたしたちのような向こうの記憶を持つものには親しみがあるが、ここで暮らすものにはかなり異質な言葉のはずだ。

「その“革命”を唱える人たちが、我が家が贅沢な暮らしをしていると批判しているのですね。

 わたしたちが庶民から重税を搾り取って、それを遊びに費やしていると。ひょっとしてですが、わたしはそういう悪徳貴族の典型として噂されているのではないですか?」

 ほう、と息をついて公は椅子に深く腰掛けなおした。わたしはさらに手を進めた。

「ご子息がそのような考えにかぶれていることは、心痛むことです。ですが、ご心配なさらぬよう。友愛会の思想は風のようなものです。一時は強く吹きますが、やがては吹いたことさえ忘れ去られてしまうでしょう。それが、異質な風であればなおさらです」

 我々は存在するべきではないのだ。

 マーガレットさんの残した言葉が不意によみがえる。

 わたしは、たしかに、そうかもしれない。わたしは消える存在かもしれない。

 だが。

「この風はいずれやむと、そう見ておられるのですかな」

 駒が進められる。公はなかなかに渋い手を使ってきた。わたしはどうするべきか思案する。

「これからしばらくは異質な風が吹くでしょう。それはこれまで考えてもいなかった異常な現象を引き起こすかもしれません」

 たとえば、魔王という存在。たとえば、神に選ばれた聖なる乙女という存在。そして、それを補完するためにゆがめられた世界と人々が本来なら起こりえないことを起こす。

 すべてはゲームの世界を再現するために。

 だが、このゲームが終わったらどうなる?

 溶けるように消えていった幻の村を思い出す。

 おそらくアレにとってここがどうなろうと知ったことではない。アレが興味を持っているのはシナリオの行方だけだ。物語の結末さえ同じであればあとのことなど気にしていない。そもそも物語のあとがあることすら意識していないのではないか?

「それが、あなたの見た夢か?」

 公の口調にかすかな興奮が混じる。この男はわたしの予見を知りたがっていた。

「このまま行けばわたしの家は破滅する。破滅させるように風が吹いている。わたしはそれを受け入れるつもりはない。最期まであがくつもりです。ですが…」

「なるほど」老獪な貴族はわたしのおいた駒を見て、眉を上げた。

「そう来ましたか、なるほど」そういって彼はわたしの思ったところに駒を進めた。

「それで、どうするつもりですか?この盤だとおける位置は限られていると思いますよ」

 そう、わたしのとる手段は限られていた。

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