「アーク、新入りが来る。お前が面倒を見ろ」
クリフ隊長に呼び出されるときはろくな用ではない。それがここにきて真っ先に僕が学んだことだった。
この星の一族が治める帝国の、どん詰まりの、黒翼連中くらいしか興味を持たないようなド田舎に送られてくる不運な奴は、僕が最後なのではないかと思い始めていたころだった。
ようやく新しい犠牲者があらわれたのだ。
これは喜ばしいことかもしれない。
笑顔を浮かべるべきか、僕は悩む。うれしいと思いたくても、全然気持ちが沸き立たないのだ。
季節が一巡りするあいだ、僕は“新入り”だった。いくら光を持たない、黒い髪、黒い瞳の平民であっても、この扱いはひどすぎる。そう抗議しても誰も聞く者はいなかった。僕は延々と隊の者たちのために下働きをこなし、兵士として教育され、時には理不尽な暴力に耐えてきた。
新兵が来るということは、次の犠牲者が現れるということだ。これで僕は、下僕から解放される、はずだった。
「ここに送られてくるなんて、どんな不運な奴なんですか」
副官のライクが、自分のことは棚に上げて、隊長に尋ねる。
「知らん。ただ、ずいぶんと訳ありらしい」
隊長が声を潜める。
「なんと、女らしい」
ヒューッと副官が口笛を吹いた。
「それは、また。どういう意図なんでしょうか」
どんな騒ぎになっても知りませんよ、という含みを込めて副官はきく。
「知るか。いいか、アーク。お前が面倒を見るんだ。何かあったら、全部お前の責任だからな、わかったな。わかったからいけ」
それはつまり、その新兵の身に、何か不幸なことが起こったら、僕が罰を受けるということだ。
そして、それは絶対に起こる……
女……
男しかいない、この辺境の砦に女……
災いの予感しかしない。
ただ辺境としかどこの国からも呼ばれない人外の地の、さらに端にある哨戒所に派遣されるだけで、すべての不運を背負ったつもりでいたのに。女の面倒を見ろ、というのか……
僕はどうやって隊長の部屋を出たか覚えていない。
「アーク、大丈夫か? アーク」
副官のライク准尉が、さすがに哀れだと思ったのだろうか、部屋の外で壁に手をついている僕に声をかけてきた。
彼は直属の上司で、この砦に所属する数少ない事務方だ。つまり、隊長と一二を争うこの砦一番の知恵者ということになる。茶色の髪と薄い茶色の目を持つ彼は、どこかの商家の跡取りだったが、不祥事を起こしてここに送り込まれたという噂だった。僕のような黒髪黒目の下層の出自の者とはどこか違った雰囲気がある。
「大丈夫じゃないですよ。なんで、僕なんですか」
僕は嘆く。
「そんなこと言われてもな。お前が先任なのだし。さすがに、女を実務部隊に所属させるわけにはいかないだろ」
「どこにいようと、変わらないんじゃないですか?」
僕は、むっつりと兵士の面々を思い浮かべた。ここにいる限り、その新兵は実務部隊にいようが、後方部隊にいようが、危険なことには変わりはない。僕と准尉が盾になっても、女を守ることなどできないだろう。
すでに食堂は活気づいていた。女性が来るという話をどこからか聞きつけた連中は色めき立っている。僕がお守りについていようといまいと、かわいそうな女性の運命はすでに決まったようなものだった。そして、僕の運命も……
後輩が自殺したら、いったいどんな罪に問われるのだろう。
僕は軍規の書かれた分厚い本を繰ってみた。暇つぶしに僕はいつも軍規集を読んでいた。この砦で一番ましな本だったからだ。僕の読める本といえば、これか、聖なる書か。軍規のほうがましだ。
砦に一台だけ備え付けられた砂嵐の混じる光版では、華やかな光士たちのパレードが放映されていた。放映されているはずだ。正直、映像はほとんど見えない。何でもいと高き星の王子が光り輝く花嫁を娶ったとか。雑音交じりの音声が切れ切れに熱狂を伝えてくる。
こんな埃と泥しかない土地にそんな映像を流されても、誰も一眼すらしない。砂嵐の向こうに時折浮かぶ幻のような映像を見ていると目が痛くなる。
画面の中の兵士もここにいる男たちも同じ光の兵士のはずなのにこの差は何だ。きらめく星と深淵にうごめく怪物ほどの差があるように思える。
まぁ、それも、しかたがないことなのだろう。僕は食堂でたむろしている仲間を見て思う。あそこのパレードに参加しているような兵士たちは、僕たちのような黒い民一歩手前のようなものではなく、光衣をもつ等級の高い兵士たちなのだろうから。
それをどこかで納得しきれていないのは僕くらいのものだろう。それに、俺もその不満を表に出さないことに慣れている。
そんなことより、だ。僕は、無味乾燥な本に注意を戻す。
とにかく、逃げ道を探しておかなければいけない。やってもいない罪で、裁かれるのはごめんだ。この近くには重罪人を収監する墓場、黒の砦もある。あんなところに投げ込まれたら一生生きて出られない。
「アーク、お前、また、そんなものを見ているのか」
またしてもライクが声をかけてきた。
「こんなものの何が面白いんだ?」
彼は僕の手から本を取り上げて、眺めた。
「あたらしい読み物を見せてやろうか?」
「いいですよ。副長の読み物は僕の光板にははいりませんから」
容量不足というやつだ。僕の光板ではライク准尉の扱える光量は扱えないのだ。
「明日来る女のことが気になってるんだろ」ほかの兵士も寄ってきて、僕の耳元でささやいた。「大変だよな。訳アリの暴力女を押し付けられて」
「訳アリの暴力女? 本当ですか?」
「あたりまえだろう。平時にたった一人だけ送り込まれてくる奇特な女兵士だぞ。手におえないくらいのじゃじゃ馬に決まっている」
楽しそうに語る兵士に、周りが同意をする。考えるだけで、気がめいった。
「あー、……僕はもう寝ます」
面白そうな兵士たちに見送られながら、僕は自分の私室に戻った。
僕には私室を与えられていた。新入りなのに私室を与えられるなんてなんて贅沢なんだと最初は思った。
だが、今ならわかる。理由は簡単だった。この砦は住んでいる人の数より部屋の数のほうが多かったのだ。埃まみれの部屋をそのままにしておくよりも、人を住まわせておいたほうがいい。
この一角に住んでいるのは僕だけだ。つまり、僕がすべての部屋を見回れと言われているに等しい。毎日、寝る前に点検して回るのも結構な労力だった。新入りが来たらこの仕事を押し付けられると思っていたのに。
点検を終えてから、僕は床に入り目をつむった。
今日、向こうの“僕”は、何をしているだろうか。
昨日の“僕”はがんばって、一日5時間はスウガクの勉強をしないといけないと思っていた。明後日から始まる試験に備えての勉強だ。“僕”は“シンサクげーむ”の誘惑に耐えられただろうか。たぶん、無理だろうと思いながら、僕はいつもの夢に飛び込んだ。