第12話 黒の町

荷馬車は何事もなく第7砦についた。

 森に囲まれていた僕らの砦と違って、こちらのほうは村が隣接した砦だった。開墾もかなり進んでいて、周りには畑が広がっている。

 僕らはとても丁重に第七砦の司令官に出迎えられた。ほとんどの仕事をさぼることしか考えていないクリフ隊長と違って、ここの司令官は真面目に任務をこなしているようだった。

「ようこそ、第七砦へ。フランカ・レオン准将。私はこの砦を預かるベルトルト・ルース中佐です」

「准将??? フラウってそんなに階級が高かったの?」慌てる僕の足をフラウが踏みつける。

「わざわざのお出迎え、ありがとうございます。今の私は訓練中の身。ただフラウとのみおよびください」

「事情は存じ上げております。ただ、元とはいえ星の妃の候補であった方。このような砦にお立ち寄りいただけるとは恐縮の極みです」

 そういって、ぴっしりと軍服を着こなした男は小さなフラウの手をとって、貴人に対する礼をした。

 しかし、僕は驚いている。星の妃候補って、ものすごく高い地位だ。おとぎ話の中の登場人物だ。目の前の小さな子供がそんな地位にいただなんて。僕の知っていたフラウが別の人物のように感じる。

 そんな僕の混乱はさておいて、司令官は自ら、フラウと僕を客室に案内する。

 砦の空気には司令官の人柄が反映されるのだろう。13砦と違ってここは誰もが礼儀正しく、僕らの身分を露骨に詮索するものはいなかった。

「こちらの部屋をお使いください、従者は隣の部屋に」

 あれ、僕はフラウの召使にされている。教育係ではなかったのか。

 僕に与えられた部屋は、砦と大差ない部屋だった。殺風景な机と椅子と寝台が一つ。窓からは村の畑で農作業をしている兵士だか農夫だかの姿が見える。砦のつくりも似ているような気がした。ただ、こちらのほうがずいぶん小ぶりな感じがする。

 村としての発展具合はこちらのほうが上だった。ここから見る森の端はだいぶ距離があった。僕は昨日“僕”のやっていた“村づくりゲーム”を思い出す。13砦がれべる1だとすると、こちらはれべる2の砦だ。

「アーク、あのね、ここの隊長さんが夕食をご一緒しませんかって」

 僕が窓の外を見ていると、フラウがやってきた。

「食事を? いったいどういうことだろう」

「お食事の誘いよ。たぶん、公式の。挨拶と顔合わせも兼ねた食事会かしら」

 当たり前のようにフラウは13砦では開催されそうもない会食の話をする。

「フラウって、本当に高い等級だったんだね」

 僕はもらす。

「もう、今は違うって。今はただのフラウだっていってるでしょう……ねぇ、アーク、等級や元の身分のことを黙ってたこと、怒ってるの?」ためらいがちにフラウがきく。

「悪気があったわけじゃないの。あの状況では、気がとがめて。秘密にしておいたほうがいいと思ったの。みんな、ただでさえ私のことをよく思っていないのはわかってたから。もし、私がフランカだとわかったら、みんな、いなくなってしまうでしょう」

「たしかに、最初に君の身分を聞いていたら、対応が違ったかもしれないね」僕は認める。

「でも、たぶん君が考えていたようなことにはならなかったと思うよ。僕たちのような辺境の兵士にとっては、内地での身分なんて意味はないからね。隊長だって、ライク准将だって、あそこにくるまでなにをしていたのか、誰も知らないよ。そういった出自については触れないのが暗黙の規則だから」

 噂はある。たとえば、隊長は酒と女で借金を作って飛ばされたとか、ラーズ曹長は上司の幼い娘に手を出したとか、そんな感じの。

「ここも似たような感じかな。ここの隊長は、クリフ隊長よりはまともそうだけど、過去の話は避けたほうがいいと思う」

「わかったわ。ねぇ、アーク」何か聞きかけて、フラウは口を閉ざす。「えっと、体を清めておいたほうがいいと思うの。それでね」

「あ、わかった。ちょっと風呂の場所を聞いてくるよ。フラウは部屋の中にいて。僕はフラウ付きの従者だからね」

 僕は勢いよく椅子から立ち上がると、この砦の兵士を探しに行く。

「風呂ですか?」

 廊下で見つけた砦の兵士はむっつりと風呂の位置を教えてくれた。

「あの、僕の連れは女の子なんですけれど、女の子の」

「公女殿下は後程こちらからご案内いたします」僕の緊張を感じ取ったのか、兵士は言葉を足す。「ご心配なく。彼女のことを知っているのは閣下とその周りの者のみですから」

 どうやら、彼はここの隊長の副官だったようだ。

 思ったとおり、この砦は僕らの砦の小型版だった。風呂のつくりも似ていて、僕は迷うことなくたどり着くことができた。

 まだ時間が早かったらしく、蒸気はたかれていなかった。間に合わせになるが、水で体を清め汗と埃を流す。僕が身支度をしたころにようやく当番の兵隊が現れた。なんとなく、顔を合わせづらく僕は物陰に身を潜めてやり過ごす。

「今日、親父の客が来たらしいな」当番兵たちはのんびりと僕らのことを話題にしていた。「ああ、なんでも13砦からの使者らしい」

「そりゃ、珍しい。あそこに送り込まれたものはめったなことで解放されないって聞いたぞ」

「それは、出まかせだな。俺、町であそこの砦の奴らと出会ったことがあるぜ。ここよりは、楽な場所らしい。あいつら、好き勝手しているみたいだな。なにしろ、女を囲っても何も言われないんだとよ」

「うらやましいなぁ。俺らの親父は頭が固いからなぁ」

「あの、くそ親父、早く魔人にでもさらわれないかなぁ。頭のゆるい司令官が来てほしいぜ」

 僕はこっそり自分の部屋に戻った。

「あ、アーク、戻ってきてたんだ」

 上気した顔のフラウがちょうど部屋に帰るところだった。

「お風呂を貸してもらったの。アークも?」

 こうして泥やほこりを落としたフラウは本当にかわいらしい女の子だった。ぶかぶかの軍服を着ていても、黒い髪でも、整った顔立ちは人目を引く。

「うん、いい風呂だったよ」

 僕はひそかな動揺をごまかす。水風呂だったことはいうまい。

「あのさ、食事会ってどうすればいいのかな。僕、そんなもの出たことないから」

「ただ、座って、食事をすればいいだけよ。そんなに硬くならなくても大丈夫よ。マナーとか、ここではうるさく言わないと思うから。心配だったら、私のまねをしておくといいわよ」

「そ、そうか」

 こんな小さい子供に年上風を吹かされても、困ってしまう。本当に年上であってもどうしてもそうは思えない。

 ただの食事だ。僕は頭の中で軍学校の食事を思い出した。そうだ。一切口を利かずに黙って食べていればいいのだ。周りと食事の速度を合わせて、早すぎても遅すぎてもいけない。

 しかし、実際の場所に案内されて僕は固まってしまう。

 これは“正式なでぃなー”というものではないか?

 目の前に椅子が3つ並んでいた。きれいな食器がきちんと並べられ、机の中央には花と明かりが飾り付けられている。キラキラと光る大量のナイフとフォークに僕は混乱した。

「ようこそ、いらした。フランカ嬢。席にお座りください」

 主人役のベルトルト隊長が案内をする。

「お招きありがとうございます」

 当たり前のように席に着くフラウの隣の席に僕はおっかなびっくり腰を下ろした。ここで、僕の席はいいのだろうか?

 先ほど風呂を教えてくれた男がすました顔をして給仕を始める。

 目の前の煌めくガラスに美しい色の赤い飲み物が注がれ、どうやらそれで乾杯をするらしい。

 落ち着け、僕。僕は懸命に“僕”の知識を呼び出す。下水をすすって生きてきたような僕と違って、“僕”はそれでもこういう食事の知識はあったはず。こういう時に“僕”が役に立たなくてどうするんだ。

 “僕”はフラウの忠告に従うことにした。徹底的に彼女のまねをするんだ。たしか、“僕”の読んだ何かにそう書いてあったはずだ。“家庭科”でならったかな。

 僕は黙って必死でフラウをまねた。

 乾杯をする。酒を飲む。皿が運ばれてきたら、上品に一口づつ食べる。

 最初は手が震えたが、食べているうちに慣れてきた。

 そう、これは“コース料理”というやつだ。落ち着くにつれて、“僕”の知識も少しずつ思い出してくる。“僕”は親戚の結婚式でこういう料理を食べたことがあった。そう思うと、心の落ち着きが加速していく。“僕”にもこういう食事方式の知識があってよかった。僕は、食事に集中する。

 フラウとベルトルトは穏やかに話をしていた。どうやら、ここの司令官は先だっての魔人との闘いの様子を聞きたかったらしい。

「大まかな流れはクリフ殿からも報告を受けているのですが、ここは当事者の話も伺いたいと思いましてね。フラウ殿。それとも、女神様とお呼びしましょうか」

「その呼び方はおおげさです。私はただできることをしたまでのことです」

 うん、この肉はうまい。

 僕は肉を細かく切り分けて、ゆっくりと口に運ぶ。

 いつもなら、他の人にとられないように頬張れるだけ頬張るのだが。

 何も話すことがない僕の食事のペースはほかの二人に比べて早い。なるべく時間を稼がなければ。

「それは、そうと、君はアーク君というのだね。家の名前は、なんだ?」

 とっさのことに反応できなかった。小さな肉の塊がのどに詰まって、胸が苦しくなる。

「アークは、ただのアークです。彼は、黒の町の出身です」

 むせる僕の代わりに、フラウが答えてくれた。

「ああ。フラウ殿の従者というから、てっきりレオン家ゆかりのものかと思っておりました。知っている名前のものかと思っていたのだが」

「彼は、私が砦になじめるようにつけていただいた、その、教育係なのです」

「星の妃になろうかという方の教育係か。それはまた。君は砦の兵士なのだろう? クリフの部下にしては若いな。前はどこの部隊にいたのだ?」

 彼はどうしても僕に話をさせたいようだった。

「いえ。僕は軍学校を出たばかりで」

 ベルトルトとその従者に見つめられて、僕は小さくなった。

「その、文官として、派遣されています」

「文官? ライクの下で働いているのか?」

「はい、ライク准尉が直接の上官です」

「そうか、ライクの部下か」ベルトルトは顎をさすった。

「ライク准尉をご存じなのですか?」

 知り合いだったのだろうか。僕は思い切って聞いてみた。

「一度、顔を合わせたことがあるな。有能な士官だと聞いている」

 ベルトルトはにこやかにかえす。

 そこから、彼はまたフラウとの会話に戻ってしまった。僕はほっとして、また細かく刻んだ食べ物と格闘を始める。

 和やかな空気の中で食事会は終わった。僕は空気のような存在であれたことにほっとする。

 フラウは何の苦労もなくあの空気に溶け込んでいた。彼女の住む世界はああいう世界なのだ。いつも身近にいたはずのフラウとの距離を感じてしまう。

「ここのあのベルハルトとかいう人、貴族だったのかな?」

 僕はそっとフラウに尋ねた。

「ええ、たぶんね。それがどうかしたの?」

「いや、ずいぶん懐かしそうにしていたから。君と話をしているとき、彼はとても楽しそうだった。まるで、子供や孫と話しているみたいで」

 きちんとしつらえられた皿や花、次々に出されるコース料理。こちらの僕は想像したこともない料理の数々。辺境には似つかわしくない食卓だった。

 あれは、彼のかつての生活の一部だったのか。“僕”の経験からしてもテレビの中でしかお目にかかったことのない上流階級の生活だ。

「フラウも、楽しかった?」 

 懐かしかっただろうか。おそらくあれは彼女にとっても日常の生活だったはずだ。

「とても興味深かったわ」フラウは何か考えながら返答をする。「また、彼とは話してみたいわ」

「フラウ、ひょっとして、ああいう、オジサマが好みだったりする?」

 ああいういかにも上品な男が好みなのだろうか。僕はちょっと若すぎるな。それに、身なりもいただけない。僕は穴の開きかけた靴を見下ろす。

「え? 好み? ちがうわよ、そういう意味じゃないの。もう、アークったら」

 フラウは、外見に似合わない大人びたしぐさをした。

 次の日、僕らはベルトルトたちに見送られて砦を後にした。別の巡回商人の馬車に乗り換えて、黒の町を目指す。この商人の馬車をここの砦の人たちは頻繁に利用しているらしく、僕らが乗り込んでも別段何も聞かれることはなかった。

 明るい森の中を、馬車がひく荷馬車はかけていく。

「あ、見て。フラウ」

 僕は空を指さした。空の一角に輝く円盤のようなものが浮かんで見える。

「飛空艇だよ。すごいなぁ」

 僕らの砦で飛んでいる飛行艇を見たら、大変な騒ぎになる。敵のものだからだ。この辺りで見かける飛行艇が銀の国のものであるわけはないので、のんびりと観察できた。

 飛空艇はかなりの速度で僕たちがやってきた方向へ流れていく。

「一度、乗ってみたいなぁ。フラウは乗ったことがあるんだよね。どんな感じだった?」

「どんな感じって、あまりそんなに乗り心地のいいものじゃないわよ」

 砦に来た時あまりいい思いをしなかったのだろう。フラウの返事はどこかぶっきらぼうだった。

 でも、僕の興奮は収まらない。

「いいよね。空を飛ぶって。僕は小さい時から、あれに乗ってみたかったんだよ。雲の上をビューと、ね。ただ乗るのではなくて、運転してみたいなぁ。ぐるりと旋回するのはどういう感じなんだろうなぁ。こう、煙で円を書いたり、ぐるりと一回転してみたり」

 僕は遠ざかる銀色の機体を見送った。

 フラウはそんな僕の様子をじっと見ている。あきれているのだろうか。

「ごめんね。ちょっと興奮してしまったよ。砦で見る飛行艇は敵のものが多いから、こんなにじっくりと眺めることができなくて。えっと、どうかしたの?」

 フラウの目が怖い。ちょっと羽目を外してしまったようだ。

「アーク、飛行艇は、飛行艇はそんなものじゃないわよ」フラウは軽く頭をふる。「ぐるりと回ったりするものじゃないから」

「そうなのか? こう、速度を出してビューンと飛ばないのか?」

「飛ばないわよ。むしろ浮かんでいるというのが正しいわね」

 僕はがっかりした。“僕”のやっていた“ゲーム”とはちがうみたいだ。

 黒の町に近づくと、道がしっかりとして車と行きかうことが多くなった。それでも、交通量は“僕”の知る道よりもずいぶん少ない。

 基本的に僕らの移動は歩きだ。

 馬は“僕”の世界のかわいらしい生き物に外見は似ているが、中身はずっと凶暴で扱いが難しいし、車を操るにも光術が使えることが前提となっている。僕らは自分の足で歩くというのが一番の移動手段なのだ。

「馬車を使えるだけありがたいと思わないといけないよね。……何を見てるのかい?」

 僕は熱心に外の様子を見ているフラウにいう。

 フラウは飛行艇には興味のかけらも示さなかったが、町の郊外を食い入るように見ている。

 僕は何がそんなに面白いのかと、思いつつ眺めていたがどこから見ても普通の農家の光景だ。

「このあたりでも食料を生産しているのね」

「そうだよ。町の食料をこの辺りで作っている」

「全部、本土のほうから持ってきていると思っていたわ。ここは黒い大地で、食べ物は作られないと一般に言われているから」

「持ってくるだけでは足りないからね。仕方がない」

 黒の大地が汚されていることは僕らも知っている。そこでできたものを食べるのは不浄なものを取り込むということであまり褒められた行為ではない。僕ら、黒い街の住民はそれでもこの地でできたものを食べていた。清浄な食べ物なんて、食べたこともない。

「ねぇ、黒の道は、どこにあるのかしら?」

「死者の道のことか? あれはあの辺りじゃないかな」僕は高い建造物の向こうをさす。

「ここからは見えないのね」

「うん、だいぶ距離があると思うよ。ほら、あの、きらりと光ったあたりがそうじゃないかな」

 僕は光を反射して光って見える方角をさした。

「あれが、死者の道ね」フラウが感慨深そうにため息をついた。

「あの道の先に黒の砦があるのね」

「だといわれている。僕は行ったことはないけれどね」

 母と別れた時のことを思い出す。同じように遺体袋に入れられたいくつもの体とともに馬車にのせられてあの道の向こうに消えていった。あの先で、魔につかれないように封印されて地に帰るのだという。僕らのような貧乏人は葬列についていく余裕はない。

「フラウは行ったことがあるの?」

 お金持ちの彼女ならば、葬列の儀に参加できるだろう。どんなところか知っているのかもしれない。そう思って聞いてみたが、フラウは首をふる。

「ないわ」

「そうか。気になるよね。どんなところか」

「ええ。黒の砦、墓所がどんなところか知りたいわ」

 昔から星の民が埋葬されてきた土地だ。“僕”のイメージでは延々と墓石が並ぶ荒れ果てた土地なのだが、実際はどうなのだろう。

「君たち、休暇かい?」僕らが話していると、気さくな御者がそう話しかけてくる。

「いえ、任務なんです」

「ほお、任務で、こんなに小さな子供を使いに出すのか」彼はフラウをみていう。

「まぁ、任務ですから」

 僕とフラウはあいまいに笑ってごまかす。

 御者はフラウに質問されるままに、この辺りのことを教えてくれた。僕も知らない町に外にある農村の話だ。彼もそうだが、多くのものが元兵士とかその家族らしい。

「確かに、この土地はけがれているといわれているけれどなぁ」御者は苦笑した。

「そうかといって、俺たちのような等級の低いものが暮らせるところはこの辺りにしかないからなぁ」

 光術の使えないものが追放される制度は表向きなくなった。でも、実質的な追放は続いている。

 やがて、前方に黒い街の影が見えてきた。黒い石で組まれた第一砦、僕らの呼び方では黒の町、内地では葬送砦と呼ばれているらしい。この黒の大地と内地の唯一の接触点であり、墓場への道の始発点である。

 町が近づくにつれて不快な臭いが漂ってくる。いかにも健康に悪そうな腐った空気の臭いなのだが、僕にはとても懐かしい街の匂いだ。

「どこに行けばいい? 砦の入り口付近でいいか?」

 御者は親切にも既定の場所よりも先に僕らを送ってくれた。幼い外見のフラウに気を使ってくれたようだ。

 砦の入り口、内地の連中からしたら出口、のあたりはそれでもかなり整えられた区域だった。昼間だと襲われることはめったにない兵士が巡回する区域である。

 馬車から降りると、ぬかるんだ泥のいやな感触が長靴を通して伝わってきた。どこからかしみだしてきた汚水が混じっている泥は嫌なにおいがした。

「気を付けて」

 僕はフラウが降りるのに手を貸そうとして、振り払われた。

「だから、わたしはあなたよりも年上なの」

「小さい、低い身長の人に手を貸すのは当たり前だろう」

 僕は言い返す。

「気を付けて、突っ立っていると馬に食われるぞ」

 僕らは不快ぬかるみを避けながら、第一砦の正門を目指した。正門の周りは広場になっていて、その周りを店や屋台が取り囲み、人混みができていた。僕らのような辺境の砦から来た兵士や、第一砦に勤めている兵士が買い物をしたり、食事をしたりしている。

「こっちだ」

 僕は脇にある扉のほうにフラウを案内した。

 砦に入る入り口には長い列ができていた。

「あっちのほうがすいているわよ」

 フラウは閉ざされている大門の反対側にある扉をさす。

「あっちは、内地の人間専用の扉だ」僕はフラウを引き留める。

「僕らのような辺境の砦の兵士はこっちに並ばないと」

 フラウは見るからに不満そうだったが、おとなしく列に並ぶ。

 だいぶ並んでからようやく僕らの番が来た。

「第13砦から来た……」

「許可証は?」

 名乗る前に聞かれた。

「許可証? ですか?」

「そうだ、この砦に入る特別許可証だ」

 そんなものは隊長から預かっていなかった。

「いえ、持っていません。あの、僕らは……」

「許可証がないものは砦に入ることはできない」

 係官はこちらを見ることもせずに、手を振ってあっちに行けと合図をした。

「待ってください。そんなもの、前はいらなかったじゃないですか」

「今はいるんだ。お前のような田舎者を選別するためにな」

「どこで許可証というのはもらえるのですか」怪しい雲行きにフラウが割って入る。

「許可証は、お前の上官である将校が出してくれるだろう。チビ」

 彼はフラウの高い声を聴いて、意地悪な笑みを浮かべる。

「将校であれば、許可証を出せるのですね」フラウが聞き返す。

「そうだ、もらってこい。さっさと列から離れろ。クソガキ」

「ならば、わたしの」フラウが自分の身分証をはずそうとした。

「何の騒ぎだ」

 そこへ声が降ってくる。

 周りに並んでいた男たちが引いた。あからさまに。

 薄い金色の髪に淡い空色の瞳、肌の色も白いその男は“僕”の目で見ても美男子の部類に入る。そして、極めつけにその男は光っていた。

 フラウの発していた柔らかい銀色の光とは違う金色の光だった。いかにも光っています、といわんばかりの派手な光だった。“高級ブランド”とあからさまにわかるものをごてごてと身に着けている勘違い男、そう“僕”だったら感じるだろう。

 僕らのくたびれた軍服ではなく、袖飾りのついた正規軍服がまぶしい。物理的に。

「は、申し訳ありません。ギデオン卿」

 お偉いお貴族様らしいその光る男はちらりと僕たちのほうを見た。

「なんだ、ドブネズミどもを騒がせるなといっていただろう」

 僕らに高圧的な態度をとっていた男たちが這いつくばるようにして礼をする。

「今日は高位のお客様がいらっしゃる日だ。くれぐれも失礼のないようにといっておいたはずだが」

 なんていやみたらしい男だ。こいつは自分がピカピカしていることをわざと僕らに見せつけている。ここまで、あからさまに“俺様すごい”と主張されると腹も立たない。

「おい、お前ら。何をしている。失礼だろう」

 係官たちが棒立ちしている僕らを乱暴に引っ張った。

「いやいや、いいさ。彼らも初めて私のような貴族を見て驚いているのだろう」

 男は寛容な笑みを浮かべて目を落とした。

「無理もない。私ほど高位の貴族を目の当たりにできる機会は一生巡ってこないかもしれないのだからね」

 そうなのか? フラウ? フラウは硬い表情のまま固まっていた。たぶん、絶対、フラウのほうが地位は高かっただろう。

 僕らの沈黙を都合よく解釈したらしい男は機嫌よく背を向ける。

「ともかく、騒ぎは起こさせるなよ。印象が悪くなるからな」

 男は僕たちに最悪の印象を残して、華麗に立ち去っていく。男の残したキラキラする光が見えなくなってから、僕とフラウは下町のほうへ引き返した。

「……宿に行こうか?」僕はフラウを誘った。

「ラーズ曹長が、おすすめの宿を紹介してくれたんだ。砦の者たちがここに来るときにはそこに泊まっているみたいだよ」

 僕の住んでいた町とは区画が違うが、なんとかたどり着けるだろう。

「ごめんなさいね」フラウが突然謝った。

「あの、貴族がみんな、あの人みたいじゃないから。ああいう人も、いるけれど」

 いやな経験でも思い出したのだろうか、フラウは顔をしかめる。

「わかってるよ。かなり、変わった人だよね」

「あの男は、本物じゃないわ。貴族は、上に立つものは、もっと民のことを考えなければいけないのよ」フラウは自分に言い聞かすようにつぶやく。

「等級が高いものは、その等級に見合った貢献と奉仕が求められるのよ。それが光と秩序の求める高貴なものの試練なのよ」

「ふうん」

 それ以外に返事ができなかった。貢献とか、奉仕とか、僕の中ではろくでもない黒い記憶と結びついている単語だった。こういうことを口にする人間がいたら、避けろ。それが僕の経験則だ。

 そんな忌まわしい言葉を口にするフラウは、それでもいつものフラウだった。

 フラウにはあんな言葉をを口にしてほしくない。

 僕はもやもやする思いを抱えて、それでもラーズ曹長に聞いた宿を探して歩いた。

 だが。

「ねぇ、本当にこっちでいいの?」

「……………この地区だと、曹長はいっていたよ」

 一目で歓楽街とわかる町の入り口で僕らは立ち尽くす。まだ日も暮れていないのに、いかにもな空気が漂ってきて足を踏み入れるのが怖いのだ。

「そ、曹長のおすすめというから、ひょっとしてそういうお店なのかしら?」

「いや、いや、普通に宿だっていってたけれど」

 僕はともかくフラウは誘拐されて売り飛ばされそうな場所だ。

「外套をかぶって、顔を隠していこう」

 制服はごまかしようがないので、僕らは外套を深くかぶって恐る恐る町に入る。

 誰かに絡まれるかもしれないと緊張したが、逆だった。

 僕らが宿を訪ねると、みんな、親切に教えてくれた。

 親切すぎるほどの扱いだった。

「あ、あそこね。それなら、そこの角を曲がって……」

 声をかけるのを間違えたかな、と思った殺気を放ったお兄さんも店の名前を聞くとがらりと態度を変えて道を譲ってくれた。

 なんだろう、避けられているような気がする。

 周りで見ていた人たちもさりげなく僕らに道を開けているような気がするのは、間違いではないと思う。


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