第5話 訓練

 フラウが来てから、僕の生活はちょっと明るくなった。

 彼女はひ弱だったけれど、一生懸命僕の仕事を手伝ってくれた。

 そんな姿を見て元は胡散臭い目で見ていた連中も、こっそり彼女を支援するようになった。それは僕の雑用が減って楽になるということでもあった。

 今日は彼女を外壁の洗濯女たちのところへ連れて行った。これはフラウの着替えを彼女たちから分けてもらうためでもあった。

「アーク、あの子に仕事を押し付けてはダメよ」

 陰でリリ姐さんが僕に忠告した。

「あの子の体は幼い。わかっているとは思うけど、あんたたちと同じように動くようにはできていない。それに……気丈にはふるまっていてもいろいろと考えてしまうことはあるはずよ。あの子は、ノラ育ちのあんたとは違っていいところの出なんだから」

「わかってるよ、わかってるって」

 なにしろ、僕は世話係という名前の責任をとる役なのだ。フラウの体調を気にかけるのも僕の役目である。

 この前、ヘルドから聞いたの話を思い出す。隊長のあいまいな態度や、彼女とかかわろうとしないライクをみていると、ありえそうな話だ。

 建前上はレベルの高い者は、僕らのようなレベルが低いもののように裁かれることはない。レベルが高いものは悪いことなどしないからレベルが高いのであり、レベルが低いものはレベルが低いから悪いことをするのだ。そう僕らは叩き込まれていた。

 でも、実際には違う。等級が高かろうと低かろうと悪い奴は悪い奴だ。だから、罪を犯すことはある。ただ、刑罰の中身が違うだけだ。僕らが処刑されるところを、追放とか幽閉、僕らが追放されるところ事実上の等級の切り下げを行うといったように。

 それを考えると、その子供まで処罰するなんて、フラウの両親はどんな罪を犯したのだろう。

 ちょっと想像がつかない。

 そういうことに耳ざといヘルドに遠回しに聞いてみたのだが、彼もよくわからないようなことを言っていた。

 フラウ本人に尋ねてみようという気にはなれなかった。彼女はどこかかたい殻の中に閉じこもってしまっている。僕にはとても踏み込めない何かを彼女は抱えてしまっていた。

 何を考えているにせよ、昼間は彼女は必死で僕らの仕事を手伝ってくれた。訓練も頑張って、僕に命じられる雑用にもついてくる。彼女はとてもいろいろなことを知っていたが、同時に僕が驚くほど無知なことがあった。

 いまもこれから彼女に筆記を教える時間だった。

「文字を書いたことがない?」

 読むことはできるからてっきり僕は文字が書けるのだと思っていた。

「ええ」

「でも、書類は、読めるんだよね」

「もちろんよ。ただ、こういうふうに紙をあまり使ったことがないだけよ。それでも、やったことはあるわ。古代文字は書物にあるものが多いから」

 フラウは恥ずかしそうに目を伏せた。

「え、じゃぁ、どうやっていろいろなことを伝えていたんだい?」

「それは、光板があったから。みんな、それで連絡を取り合っていたから」

 いったいフラウのレベルはいくらなのだろう。僕は想像もできなかった。僕の等級では光板はほとんど使い物にならない。かろうじて位置を発信できるのと、緊急時の短い符丁を送るのが関の山なのだ。

 僕は、でも、その質問をするのをやめた。それに触れてほしくないと彼女が思っているのがありありとわかったからだ。

「隊長に頼んで、光板を貸してもらう? それとも、ちょっと書く練習をしてみる? 文字もだけど、手信号は使ったことがある? あれも偵察のときに使うから、覚えておいたほうがいいな」

 ほっとした表情を浮かべて、フラウがうなずいた。

「実務部隊は僕たちが使っている事務用の文字はほとんど使わないんだ」

 僕は説明しながら、石板に文字を書く。

「公用語は学校では習わないの?」

「僕らのような黒い民は学校には通えないよ。資格がないからね」

「でも、アークは、普通に書くことができるのでしょう?」

「僕は初等軍学校に行ったからね」

 正確には入れられた、だ。初等軍学校というところは、向こうの“僕”が思い描く“ショウネンカンベツショ”に近い場所だった。秩序に反する下層民のガキを監視する場所なのだ。

 等級の高い人たちは僕たちを秩序に従うように教育する素晴らしい場所だと思っていたみたいだけど、中身はとんでもない。

 案の定、元お嬢様のフラウは初等軍学校というとほっと顔をほころばせた。

「アーク、すごくまじめだったのね。等級以上の勉強しようと思うなんて、すごいわ」

 誤解もいいところだ。僕はあいまいな笑いを浮かべて、フラウに記号を教える作業に戻った。

 フラウも学校に行ったのだろう。レベルが高い者たちは、同じようなレベルの者たちだけが通う学校に通う。そこで、僕たちが学ぶことができない光をあやつる技を学ぶという。僕たちはその技を知らない。ただ、町に据え付けれられた大きな画面に映し出された映像でそういうものがあることを知っているだけだ。

 きっと、彼女の通っていた学校は“僕”の通っている学校に近いのだろうな。

 僕は今日こそはちゃんと“夢”を見ようと思った。

 夢の中の“僕”はいつもいつも“学校”がおもしろくないとこぼす。友達と話すのは楽しいけれど、勉強は退屈で面白くない、家にいたほうがいいという。

 それは贅沢というものだよ、“僕”。

 僕はいつもそう思う。

 僕から見ると、“僕”の通う学校は輝きに満ちている。

 たわいもない“ソウジジカン”の会話、“タイイク”でひそかに隣の女の子に心をときめかせ、“ブカツ”で趣味について語り合う。

 “僕”のいるところには“光”を使う人はいないけれど、秩序も何もない等級のない世界だけれど、なぜだろう、どんな映画の中の景色よりも光り輝いている。

 僕は“僕”がいてよかったと思う。僕も夢の中では光っている。現実では光ることのできない5レベルの下層民だけれど。

 フラウはとても真剣な顔で、僕の説明を聞く。

 彼女も、必死なのだ。がここで暮らしていくのは大変だ。なれない作業、慣れない環境。

 大体のものは公用語を話せるとはいえ、中には恐ろしく下品な物言いをするものもいる。

 食堂で、下ネタを連発する隊員をフラウはきょとんとした顔で見ていた。まるで理解できない言葉を聞いているように。意味が分かった後顔を真っ赤にしていた。それすらもからかいの種にする連中がいる。その場は曹長が威嚇して何とかなったけれど、僕も彼女の盾になることができないことが増えてくるだろう。

 夜になって、一緒に三階の見回りをしてから互いの部屋に戻る。

 魔が出るから、こうやって見回りをしているのだというと、彼女はかわいらしく首をかしげた。

「魔なんて本当にいるの?」

「いるさ」僕は即答した。「魔は暗闇に潜んでて、人に取りつくんだよ。それで、取りつかれた人は魔人になるんだ」

「そうなの? 本当に?」

「そういう話だよ。……僕はまだ見たことないけれど」

 彼女の住んでいたところでは光がたくさんあって魔が生まれることはないのだろう。

 小さな明かりを消すと部屋の中は暗くなった。

 窓の外は暗くて、星が瞬いているのが見えた。

 夜はフラウが泣いている気配がする。昼間は気を張っていても、夜一人になるといろいろと考えてしまう。僕も軍学校の時にそうだった。僕の場合は“僕”という逃げ道があったので、さっさとそちらに逃げていたけれど、最初の年は同室のみんなひそかに泣いていたのを僕は知っている。

 “ナモシラヌ、トオキシマヨリ、ナガレヨルヤシノミヒトツ……“

 僕は“僕”の音楽の時間に覚えていた歌を口ずさむ。こうして音に出すと、奇妙な旋律だ。

 これは僕の見たことがないウミと木の実の歌だった。

 この前見た“僕”は“うたのてすと”だからいやだといいながら、懸命に歌詞を覚えていた。

 隣の窓が開く気配がして、僕は歌うのをやめる。

「フラウ?」ひそやかな問いかけにこたえる声はない。

「フラウ、ごめん、うるさかったかな」

「……」

「もう寝るよ」

 僕はそっと窓を閉めて寝床に戻る。しばらく耳を澄ませていたが、窓を閉める音は聞こえなかった。

 次の日はを配る日だった。

 僕たちは一応兵士だから、定期的にこうして光の種が配られる。この種を食べると、少しだけだが光量が上がるのだ。

「へへへ。明日は休みだから、サリのところへいくぜ」

「俺は、リリ姐さんだ」

 食堂でみんなが楽しそうにはしゃいでいる。

 フラウは配られた種を目の前に不思議そうだった。

「アーク、どうしてみんな食べないの?」

 小声で聞かれることにも最近慣れてきた。

「食べたって、少しだけ光量が上がるだけだろう。戦闘が行われるわけじゃないし、光量を増やしても意味ないからね。お金の代わりに使うんだよ」

 僕は目の前の種をそっと首にかけた保存容器の中にしまう。

「アークは使わないの?」

「こいつは、貯めてるんだ」ヘルドが割り込んできた。「家族のところに持って帰るといってな。妹の病気を治すのに種がいるとかいって、そうだったよな」

「お前も、貯めてるだろう」

 身を摺り寄せてくるヘルドを手で押した。

「俺は自分のために貯めてるんだ。お前みたいに人のためじゃない」

 フラウは目の前の種を見つめてためらってから、そっと布に包んでポケットに入れる。

「フラウちゃんも、貯める口か」

「保存しておくなら、ばあさんにいうと種の容器をもらえるから」

 僕はそう教える。

「これ、一粒でどのくらいの価値があるの? なにが買えるのかしら」

「姐さんたちのところで使うとまぁ、一晩かな? 新しい装備が欲しければ、うーん、ピンキリだね。取り寄せてもらうとしたら、かなりかかるよ」

「フラウにはまだ装備は必要ないと思うよ。偵察に行くには早すぎるだろ」

 彼女はまだ砦を一周走るので精一杯なのだ。あの体力ではとても砦の外には出られない。

「種ってそんな風に使うのね……ねぇ、みんなは種を使って光士としての訓練はしないの?」

 フラウが変なことを聞いてくる。

「しないよ。しても無駄だからね」

「どうして? 戦うのに必要じゃないの?」

「俺たちのレベルじゃぁ、光士の武器は使えないからね」

「え? でも、一応使える等級だから、兵士になっているのよね?」

「そうなのか? そういう武器を使うと、俺たち等級低いものは気絶するって聞いたぜ。俺は使っているやつ見たことないな」

「あ、僕は、学校で使い方の映像を見たことがあったよ。でも、実際に使ったことはないなぁ。等級が足りないって表示されるよな」

 僕は、手首にまかれている認識票をかざした。何の変哲もない腕輪だが、中に僕の等級レベルや身分がわかる識別情報が埋め込まれている。

「でも、使えないのなら、黒い民がやってきたら、戦えないじゃない?」

「光を使えなくても、戦えるさ」ヘルドが短剣をかざして見せる。「そのために訓練してるだろう」

「本気なの? 黒翼の戦士がでてきたら負けてしまう」

「そんなの、戦わないよ」

「?????」

「攻めてこないよ。こんなところ、攻めてきても仕方がないだろう」

「え? じゃぁ、偵察に行くって? なにを偵察しているの?」

「たぶん、偵察って、フラウが思っている偵察じゃないと思う」

 ポカンとする彼女に僕は説明する。

「僕らのいう偵察はね、うーん、なんといったらいいかな、そう、宝さがしなんだよ」

「宝探し? 子供の遊びの?」

「うん」

 この砦が黒の民との闘いの最前線であったのはずっと昔のことだ。星の一族の優位が長い間続いた結果、今では、銀の一族や黒翼の連中との緩衝地帯でしかなくなっている。こちらも彼らの居場所を探る気はないし、向こうも砦を脅威とみなしていない。

 暗黙のうちに停戦を結んでいるのだ。

 それなら、僕たちはなぜここに派遣されているのか。

 それは旧文明の宝探しだ。

 この辺りは、まだ、光の技術がもたらされる前の遺跡がたくさん残っている。旧遺跡から出る遺物は貴重だった。かの遺跡に住んでいた人たちは光を使う兵器も武器も持っていなかったが、今では技術が消えてしまった謎の機械や装飾品を作っていた。

 それは、偉大な星の王や貴族が欲しがっているものなのだ。特に貴重な品は裏のルートに乗せれば、正規のルートよりもはるかに高値が付く。かつてここに所属していた兵士の何人かはここで一儲けをして除隊していったという。それは僕ら13砦の守備隊のひそかな夢である。

 つまり、僕たちの仕事は表向きは黒の民や時々現れる魔を退けること。裏では、遺跡を漁って貴重品を回収することなのだ。

 僕だって、最初は辺境の兵士たちがこんなことをしているとは思ってもいなかった。ここに来て初めてその実態を知ったのだ。フラウが不思議に思うのも無理はない。

「フラウも、偵察に行くときのために装備をそろえておいたほうがいいかもね。基本装備は出るけれど、危険な獣がいるからね」

 念のために僕は姉さんたちのところで雨除けとか予備の食料を手に入れることを勧めておいた。

 もっとも、彼女の体力を考えると偵察に行けるようになるのはずいぶん先だと僕は思っていた。それは甘い見通しであるとすぐにわかったのだけれど。

 次の日、僕とフラウに光の種が渡された。

 その意味するところは一つだ。

「え、偵察任務ですか?」

 僕はぽかんと隊長を見下ろした。小男の隊長は苦い顔をして目をそらす。

「僕はともかく、フラウはまだ無理ですよ。隊長」

「おまえ、彼女の保護者だよな。お前が行くのだから、フラウも行く。当たり前のことだ」

 無茶苦茶な理由だ。僕は抗議をした。

「でも、彼女、城壁を一周するくらいの体力しかないんですよ。無理でしょう。なんでしたら、彼女は残して僕だけで……」

 ものすごい目で睨み返された。そんなことも隊長だってわかっているのだ。

「おまえが、彼女を守ってやれ。それが責任というものだ」

 ヘルドに聞いた話が頭をよぎる。

「それって、上からの指示ですか?」

「お前が首を突っ込まなくてもいい。ともかく、無事に、生きて、戻ってこい」

「フラウも一緒にですよね」

「……お前だけでも戻ってこい」

 僕はそれを聞いてすぐに城壁の姐さんたちのところに飛んで行った。

「姐さん、お願いします。フラウの装備を用意してほしいんです」

 僕は、姐さんたちに頭を下げた。

「おや、まぁ、アークじゃない。フラウの装備って、偵察に行くの?」

 ここでは僕は最弱の存在だ。洗濯女という外部の身分でしかない彼女たちだが、実質ここの砦の裏をすべて受け持っている裏の権力者でもある。彼女たちに嫌われると、色々と不都合なことが起こるので、隊長以下男たちはみな彼女たちの顔色を窺っている。僕は顔を拝むこともできない下っ端中の下っ端だった。

「あの子にはまだ早いんじゃないの?」

「あんな小さい子を送るなんて」

 姐さんたちはまるで僕がその判断を下したように僕を責める。僕は謝り続けることしかできない。

「わかったわ。明日の朝には用意をしておく。ばあさまにも話を通しておくわ」

 洗濯女たちをまとめているリリ姐さんがほかの姉さんたちをなだめてくれた。リリ姐さんはみんなに人気のある洗濯女だ。

 髪を淡い色に染めているほかの姐さんたちとは違って、生のままの真っ黒な髪を長くのばしている。抜けるような白い肌と黒光りする髪の差が男たちの目を引き付けてはなさない。ヘルドもリリ姐さんに入れあげていた。

「さぁ、みんな。明日は偵察なのよ。今日はこれから忙しくなるわよ。準備、準備……」

 姐さんが手をたたくと、女たちはしぶしぶ散っていく。

「アーク、明日までにフラウの用意はしておくわ。それで、誰が、払うの?」

 姐さんはこういう時でも肝心なことを忘れてくれない。僕はしぶしぶためておいた種を1粒ほど渡す。

 姐さんはそれを毎度ありといって受け取った。

「アーク、フラウのことを気を付けてあげなさい」

 姐さんは恐ろしくまじめな顔をして、僕にそう告げた。

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