第7話 研究室

 くたくたになるまで歩いたから、たぶんもう外は夜になっているに違いなかった。僕らの時計は何かの力でくるってしまったのだろうか、それぞれ別の時間をさしていた。探索に入るとき時間を合わせたにもかかわらず、だ。

 幸いなことに、今のところ野獣も虫も、何よりも怖いといわれている魔人も現れていなかった。生物ならともかく僕らの持つ貧弱な武器では魔人を撃退することはできない。光術を使うフラウなら、あるいは。だが、先ほどの消耗具合からして彼女に魔力を使わせることは危険だと思う。

「先に進めそう?」
 狭い岩の割れ目の頭を突っ込んで先を探っている僕にフラウが不安そうに声をかけてきた。

「う、うん」

 この先、変なものに出くわさないことを祈りながら、僕は無理やり割れ目から肩を抜いた。この先には広い空間が広がっている気配がある。まるで、通路のような……

 僕はそう思って、もう一度、周りを調べる。

 ところどころ崩れているが、垂直の壁が続いていた。これは人の手が作り出した通路だ。

「フラウ。遺跡に戻ったみたいだ」

僕は下から不安げに見上げているフラウのところへ頭を突き出した。
 荷物を引き出して、小柄な彼女が這い上がるのに手を貸す。

 上ってきたフラウは熱心に壁の様子を調べる。

「間違いないわ。ここは、さっきの遺跡と同じ年代の建物だと思う。でも」
 彼女は言葉を切った。
「なんだろう。ここ。ちょっと」

 彼女は、古代語らしい浮彫を手でなぞる。

 そして、すたすたと通路を歩き始めた彼女に僕は慌てる。

「フラウ、気をつけて。また、さっきみたいに落とし穴に落ちたら」

「穴はもうないと思うわ」
フラウはいいきった。

「どうして。そんなことがわかるんだ? 待って」

 フラウはその質問に答えずに早足で歩いていく。何か確信を持っているらしい。そんな彼女はとても子供とは思えない迫力があった。

 でも。
 あ、躓いた。
急ぐあまり、足がもつれたというところか。

「フラウ。気をつけてよ」
 僕は彼女に手を差し伸べる。

「……子供じゃないんだから」
 彼女は、差し出された手を無視するように横を向いて、自力で立ち上がる。

「なにか、変なものがたくさんあるみたい。あれ?」

 僕は気が付いた。これ、棚じゃないかな?

 何かが載っていたらしい棚のようなものが、いくつも並んでいる。倒れたり、つぶれたりしているものの、中にはまだ原形をとどめているものもある。フラウが躓いたのもその棚の残骸の一部だったようだ。

 フラウが、腕をふると明かりがたくさん表れた。
 照らし出された灯りに浮かび上がったのは、いくつも並ぶ台のようなものだった。

 まるで“実験室”みたいだ。棚の墓場の向こうには、“僕”の通っていた“学校”にあった“化学実験室”のような台がいくつも並んでいた。

「すごいわ」フラウが息をのむ。「ここ、古代の呪文部屋かもしれない」

「じゅも、なんだって?」
「呪文部屋。いろいろな呪を研究しているところよ。昔から、こんな感じだったのね。うわぁ。今でも光の使い方を研究する施設がこんな感じなの」

 彼女は、まだ生き残っている棚に残っているものを熱心に観察し始める。

 呪文の研究だなんて、なんて危険な響きなのだろう。僕もおっかなびっくり探索をして回る。術を使ったこともない僕にはなにが危険で、何が安全なのかはわからない。呪文の中には下手に触れると危ないものがあると、軍学校でしつこくきかされた。僕たちのように光術を使えない者たちには魔道具は許可なく触れることは厳禁だった。

 だから、この砦でみんなが必死になって高く売れる魔道具を漁っているのを見て驚いた。大丈夫なのか恐る恐る尋ねた僕をラーズ隊長はあざ笑った。

『おまえ、魔力がないからその等級なんだろう。魔力がないのにどうやって魔道具が反応するんだ?』

 それまで危険だからと親切な先達に魔道具を預かってもらっていたヘルドはそれこそ地団太を踏んで悔しがっていた。

 それでも、何度か小さな事故のようなものを経験してから、やはり訳の分からないものは極力触れないほうがいいだろうと僕は判断している。

 おそらく、僕らは“炭鉱のカナリア”のような役目をしているのだ。
 僕らが持っていても影響がないのならおそらくそれは安全、そんなふうに考えられているのではないか。

「フラウ、それ、触っても大丈夫なの?」
 棚からそっと細長い箱のようなものを取り出しているフラウに、僕は警告した。

「大丈夫だと思うの。今でも使われている印が書いてあるから」
 フラウは箱の側面に書かれているマークのようなものを指し示す。
「たぶん、下位の魔石だと思う。加工していない原石なんじゃないかしら」

 箱の中には砕かれた岩のかけらがたくさん入っていた。

「やはり、ここは、古代の呪文部屋だったんだわ」
 フラウの声が興奮で弾んでいる。
「まだ、こんなに原形のまま残っているなんて、信じられない」

 僕の知らない単語を交えて彼女が語ったところによると、ここはかなり貴重な場所のようだ。僕からすれば、ひょっとしたらこの砦をオサラバできるくらいの遺物を手に入れられる可能性のある場所ということだ。

「見て」
 フラウが滑らかに表面が整えられている石をいくつも布の上に並べてみせた。
「これ、全部、魔石よ。まだまだ、粗削りで普通のやり方では魔道具に組み込めないけれど、逆にいうと精製されていないから小さくてもかなりの力を秘めているわ。みて」

 彼女が自分の腕輪にその石をあてるとフラウの灰色の髪が金色に光はじめる。

「みて。私でもこんなに光り輝けるの」

「すごいね。フラウ。まるで、光板の中の王女様みたいだ」
 僕はフラウをほめた。けれど、その言葉を聞いたフラウは顔を曇らせる。

「光って見えるだけよ。しょせんは、まがい物だわ」
 彼女は小さな声でつぶやくと並べた魔石をまた箱の中にしまい始めた。

 彼女が元あった場所に石をしまおうとしているのを見て、僕は慌てた。

「フラウ、どうしてしまうんだよ。持って帰ろうよ。これ、ものすごく価値がある遺産だと思うよ。これだけの量があれば、砦のみんな、全員が兵役を終えられるだけの金に換えられるかもしれないお宝だよ」

「それはダメよ」
 問答無用で切り捨てられて、言葉の強さに僕は体を固くした。

 その僕の反応を見て、フラウは慌てたように語調を柔らかくした。

「あのね、アーク。こんなにたくさん一度に持って帰ったら大変なことになる、と思うの。ここにあるものはとても高価なものなの。お宝の山なんだから、えっと、誰かに騙されて取り上げられるとか、ないの?」

「あ、うーん、そうだね。古参兵とか、隊長とか。確かに、下っ端の僕たちが持って帰ったら……」

 みんなで分けるという大義名分のもと召し上げられる未来を僕はすぐに想像した。立場の弱い僕が泣いているところしか頭に浮かばない。

「でも、少しだけ、小さなかけらくらいいいだろう。それなら、隠しておけるし。そう、フラウが魔力切れを起こした時にも役にたったり、しないかな?」

「確かに、魔石の原石だから、そういう使い方もできるけれど……」
 フラウは何かを考えこみながら、石の表面をなでるように手を滑らせる。

「いいわ。少しなら」
 嬉々として首から下げた光の種が入った袋の中に小さな石を詰め込もうとする僕をフラウは止めた。

「まって、アーク。光の種と魔石を一緒にしないで。光の種は原石に吸収されることがあるのよ。別の袋に入れておいて。ああ、少しだけ持って帰るのはいいけれど、たくさんはダメ」

 少し大きめの袋に握れるだけの石を入れようとしている僕にすかさずくぎを刺す。

「わかったよ。少しだけにしておくよ」

「それからね、これ、大切なことなのだけれど、この場所のことは誰にも話さないで。砦の人にこんな場所があったことをいってはだめよ」

「フラウ、欲張りだな。まさか、これを独り占めする気?」

「そんなんじゃないったら。アーク、これは大切なことなの。過ぎたものに手を出すのは危険なの。おじ様たちが……いえ、とにかく、だめなの。アークは賢い子だから、これを砦のみんなに知られたら、どんなことになるのかわかるでしょ。ここは秘密にしておいて。“秩序”と“光”に誓って、いい?」

「大げさだなぁ。“秩序”と“光”に誓うなんて」
 僕は、それでも、あまりに真剣なフラウの表情に押された。
「いいよ、そんなものに誓わなくても誰にもいわないよ。ここはフラウが見つけたようなものだから、フラウのものだ。君の好きなようにするといいよ」

 たぶん、大金を手に入れても、僕はこの砦を離れることができない。だったら、彼女の好きなようにすればいいと僕は思う。

 しかし、初めて手に入れたお宝だ。僕にだって多少の未練はある。僕はしぶしぶその石の小さなかけらをいくつかより出した。なるべく丸いきれいな形のものをだ。

 フラウはその様子をじっと眺めていて、それから、また石を箱に詰めて元あったところに収めた。

それから、僕らはまた部屋の中を見て回った。

「あ、見て、フラウ。これ、ペンダントみたいだ」

 僕は机の下からのぞいている細い鎖を見つけて引っ張った。

「魔道具かなぁ。うん、そうみたいだ」

 僕はペンダントをかざしてみる。

「この形は、よくこの辺りで出る装飾品だね。他の人たちが見つけたのを見たことがある」

 僕はついている石をこすった。

「リリ姐さんが持っているのに何となく似ているよ、ほら。あ、もう一つ、発見。同じ型のものかな?」

 僕は一つをフラウに渡す。

「これ、フラウが持っておきなよ。一つくらい持って帰ろうよ。記念だよ。記念」

「ちょっと、そんなもの拾って、大丈夫なの? これ」

 慌てて調べ始めるフラウの様子がおかしくて僕は笑う。

「大丈夫だって。この辺りでよく出る遺物だよ。持っておこうよ。この部屋を見つけた記念と、秘密を守る約束の印だ。僕とフラウの絆の証だよ」

 ちょっと気取った言い回しをしてしまった。向こうの“僕”がどこかで仕入れた言い回しの一つだ。鎖をもてあそんでいる彼女の手からそっと取って、フラウの首にかける。

「似合っていると思うよ。うん、うん」

「二つも首飾りはいらないわよ」

 そういえば、彼女はいかにも価値がありそうな首飾りをつけていた。今は外しているが、あれも魔道具だったのだろうか。

「大丈夫だって、リリ姐さんを見てごらんよ。十も二十もつけてるじゃないか」

 その様子を思い出したのか、フラウはくすりと笑う。

「二つつけていても、問題ないよ。ほら」

 促すと、フラウは外していた首飾りをつけた。やはり、前から持っていたほうは魔道具だったのだろう。彼女の灰色の髪が見る見るうちに色を失っていく。あっという間に黒髪のフラウが出来上がりだ。

「灰色の髪のフラウもいいけど、こっちのほうが見慣れてるな」

 僕が感想を述べると、彼女は慌てて髪に手をやった。

「もっと探してみる? まだ、色々落ちているかもしれないな」

 宝探しにもくたびれた僕らは休憩をとる。その間にもフラウはあたりの調査をおこたらない。

「どうも、ここは変なの」

 フラウは僕の入れた飲み物をすすりながらいう。

「どこが変なの?」僕の目からするとただの実験室だ。

「呪文室なのに、むしろ呪文を抑える効果のある素材を使っているようなの」

「それってどこが変?」

「呪文を調べるのに、光術を抑える効果のある部屋にする必要がある?」

「そもそも光術を調べる部屋じゃなかったんじゃないかな。だって昔の人は術を使わなかったんだろう」

 そう、“僕”の住む場所のように。

「じゃぁ、何のために……」フラウは黙り込む。

「うーん、わからないけど、なにかの実験をしていたとか」

「実験? たとえば、どんな?」

「うん、そうだなぁ。昔の人にとって光術は、新しい技術だったんじゃないかな」

 “僕”の世界には光術のような技術はない。そして、ここには“僕”の世界の“電気”は使われていない。どちらも明かりをつけたり、道具を動かしたりする技術だが、全く成り立ちが違う。もし、”電気”を使う人たちが、今の光術を発見したらどうだろう。

「だから、昔の人は魔力を研究して新しいものを生み出そうとしていたんじゃないのかな。その結果、生まれたのが光術で、彼らはそれを危険なものだと考えていたからそれを押さえる部屋を作った。彼らにとって光術は危険なものだったのかもしれないね」

「アーク」フラウが息をのんだ。「それは、あなたの言っていることは」

「なに? 何か変なことを言った?」

「アーク、光をもたらしたのは誰か知っているわね」

「うん。光と秩序をもたらしたのは偉大なる存在だよ。僕らは全能なるお方の与えてくれた秩序のもとに守られて暮らしているんだ」

 僕はすらすらとこの世界の常識を述べる。小さいころから叩き込まれた考え方だ。

「そうよね。そうでしょ。あなたのいっていることは、まるで、銀の国の人や異端者みたい。いえ、その、あなたが追放された者たちといいたいわけじゃないの。でも、その……光を……」

 僕も、過ちに気が付いた。これは、絶対に口にしてはいけないことだった。

「違うよ、フラウ。僕は光を否定してなんかいない。光と秩序は絶対で、偉大なるものが与えてくれた真理だ。ただ、僕は、昔の人は、光を知らなかったとそういいたかったんだ」

「アーク、他の人の前でそんなことを絶対にいわないでね」

 フラウの目の中には恐怖がちらついていた。

「わたしたちは昔から光に包まれていたの。わたしたちの祖先が光を知らなかったなんて。それは、許されない考え方よ。神殿と人の成り立ちを否定する考え方だわ」

「……フラウの前だからこういう話をしているんだよ。他の人の前ではしない。安心して。もうこんな話はしない。この遺跡の話も、呪文室の話をしない。このお宝は、たまたま落ちていたのを見つけたんだ。それでいいよね」

「ええ」

 どうしてだろう。目線を落としたフラウの顔がとても大人びて見える。僕は保護者に怒られているような気がしてならない。

 短い仮眠をとった後僕らはさらに先に進んだ。ともかく、上へ登っていく。不思議なことに空気が循環しているらしく息苦しくなることもない。“エアコン”とか“空気清浄機”とかという単語が頭の中でぐるぐる回っていた。

 ある地点を過ぎたところで、フラウはぴたりと足を止めた。

「あ」

 僕にもこれはわかった。空気が変わったのだ。それまでの安心して呼吸のできる空気ではなく、よどんだ重苦しい長い間動いたことがない空気の塊がたまっている。

 フラウがため息をついた。彼女は前から持っていたほうの首飾りをはずしてから目を閉じて神経を集中させる。

 再び彼女の体が淡い光を放つ。

「そばから離れないで。浄化の魔法をかけているから」

 僕はフラウの手を握る。

「こうしておくと、少しは楽に術が使えるかな?」

「アーク。そんなことしないで、といったわよね」

「保険だよ。保険。ここでは術が使いにくいんだろ」

「ええ。でも、さっきほどではないわ」

 口ではやめてといったが、手は振り払われなかった。

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