第8話 のろし

どれだけ歩いただろう。何度も休憩を繰り返し、上へ、上へと昇っていく。

 フラウが魔力切れを起こすこともなく、異形の生物に襲われることもなく、そういう意味でとても順調に僕らは穴を上り続けている。

 途中で何回かの休憩をとったとき、フラウは何か言いたそうだった。だけど、僕はあえてきかないことにした。自分が“まだら”だといった時の彼女の表情をもういちどみるのはつらいことだった。

 隠し事は、隠せるものなら隠しておいたほうがいい。

 だいぶ、地上に近づいてきているようだった。もうフラウは浄化の魔法をかけるのをやめていた。黒髪、黒目のいつものフラウが僕の隣を歩いている。

「しかし、あのお宝は惜しいことをしたかなぁ」

 僕はこぼす。

「まだ、あのお宝が欲しいの?」

 フラウは困った子ねと、息をはく。

「一応、道をたどれるようにあとはつけてきたからいつでも戻れるわ。戻ろうと思えばね。たぶん、魔力痕跡でもたどれるとは思うのだけど、ここは本当に光術が使いにくい場所ね」

 フラウは壁に傷をつけてみせる。

「さすが、フラウだね。抜かりがない」

 僕はほめた。

「たいしたことじゃないわよ。こういう遺跡の発掘の常道でしょ」

「へぇ、前にも遺跡の発掘をしたことがあるの?」

「ええ。私の一族は研究主体の一族だったから、中には発掘担当の人もいて……その人が時々発掘に連れて行ってくれたの。

 気を付けて、濡れて滑りやすくなっているみたい」

 あまり親戚の話はしたくないようだったので、僕はその話題に触れないようにしようと思った。

「お、これは」

 僕は叫びをあげた。冷たい水が流れていく方向に光が見える。外からの光のようだ。

「フラウ、やったね。ついに地上に出たみたいだ」

 岩の隙間から光が差し込んできている。

 僕が小柄なフラウを押し上げて、穴の外を探ってもらう。

「外に出られるわ。アークも上がってきて」

 外は小高い丘の斜面の一角だった。急な斜面なので木がまばらだったのが幸いした。見晴らしがいい。

 僕はいったいどのあたりにいるのか周りを透かし見る。

 見慣れた砦の影を見つけることができてほっとする。最初の野営地からそんなに離れていない場所のようだ。

「フラウ、砦は近い。よかった」

 そう言いかけて、僕は再び目を凝らした。森の一角から煙が立ち上っている。

 のろしだ。

 その意味するところは一つしかない。

「まずい」

 僕はほかに煙が立っていないか見回す。

「なに? どうしたの?」

「のろしだよ。魔獣か、魔人が出たんだ。誰かが助けを求めている」

「偵察隊の人たち?」

「いや、ちがう。あれはこの森の民ののろしだ」

「この森の民って、黒の民のこと? 彼らって敵なんじゃぁ?」

「黒の民にも色々いるんだよ。町に住んでいるものもいれば、こういう辺境でこっそり暮らしている人たちもいる。この近くにいる人たちは協力的な人たち、のはずだから」

 実は僕ものろしの実物を見るのは初めてだった。

 僕がここの砦に来てから、一度もそういう緊急事態はおこったことがない。

「急いで砦に戻ろう。魔人用に武器や光の種を取ってこないと」

 狂暴化した魔獣や魔人には光術や光武器しか効かないとわかっている。

 僕らは荷物を背負いなおすと、斜面を降りて砦に向かう。幸いにもすぐ砦の方向を示す道しるべを見つけた。刻まれた跡をたどっていくとすぐに見覚えのある細い小道に出る。

 怖かった。

 正直に言うと、僕が習ったのは魔人と戦うのには光術と光の武器が必要ということだけだった。僕のような等級レベルが低い者たちに期待されているのはせいぜい魔獣を倒すことくらいで、魔人級の化け物と対峙することは考えられてもいない。そういうものもいるとしか教えられていないのだ。

 いつも、何気なく歩いている道だったが、今日はどこか別の場所に続く道のような気がしていた。この道の向こうから魔人が現れたらどうしよう。いまさら、そんなことが気になってくる。

 だから、道の向こうから、砦の兵であることを表す赤い旗が見えたときには僕はほっとした。敵と間違われないように、大きく手を振って合図をする。

「アーク、おまえ、こんなところで何をやっているんだ」

 クリフ隊長自身のお出ましだった。

 彼は僕の後ろにフラウがいるのに気が付いて、顔をしかめた。

「偵察隊からはぐれてしまったんです。のろしを見て、それで」

「ライクはどうした。あいつは、どこだ?」

「わかりません。たぶん、まだ、野営地にいると思います」

「どの野営地だ」野営地の番号を聞くと、隊長は顔をしかめた。「時間がない。アーク、おまえ、ライクに伝令を頼む。至急砦に戻って防戦の準備をしろと」

「あの、隊長、本当に、本物の魔人が出たんですか?」

 僕はおずおずと尋ねる。

「あいつらが、のろしを上げてきたんだ。それ以外のことは考えられない」

 隊長はさっさと行けと、僕をにらむ。

「え、でも、間違いということはありませんか?」

「ない。ないから、さっさと行け。フラウ……は、いや、いい。アーク、面倒を見てやれ」

「いいのですか。私は……」

 フラウが何か言いかけるのを振り切って隊長は珍しくきちんと装備を持った砦の兵隊たちを急がせる。

 ヘルドが通り抜けざまに片目をつぶって合図をしてきた。

「大丈夫かしら」フラウがぽつりとつぶやく。

「大丈夫だろ。一応そのための練習はしてきたから……まぁ、魔人がどんなものか知らないけどね」

「…………本当に心配だわ」

 僕たちはライクを探しに野営地に戻る。フラウが付いてこられるか気になったが、今回は彼女はちゃんと僕の後ろを走ってくる。

「フラウ、体力は、つらくない?」

 そう僕がきくとフラウはバツが悪そうな顔をした。

「ごめんね、アーク。ちょっと強化の光術をかけているの。ねぇ、髪の色が薄くなってない?」

 いわれてみると、少しフラウの体が光っているような気がする。

「僕の傷を治した時ほどではないから、大丈夫」

「よかった。みんなに知られるのは、その、ちょっと」

「誰にも言わないよ。安心して」

 僕はフラウを励ました。

 僕らが野営地についた時、隊の仲間たちは難しい顔をして野営の準備をしていた。遺跡から帰ってきたばかりなのだろう。走り込んできた僕らを見て、みんな、一様に驚いた顔をする。

「大変だ。魔人が出たとのろしがあがった」

 僕がそう告げると、彼らの顔に浮かんだ驚きはもっと大きくなった。

「隊長が、砦に至急戻ってくれといっている。防戦の支度をしてくれって」

「アーク、お前たち、いや、その話は本当か?」

「はい、森からのろしが上がっているのを見ました。隊長たちは急いで、そちらに向かっているみたいでした」

 ライクの判断は早かった。気を取り直したように、矢継ぎ早に命令を出して、撤収の準備をすすめる。

「アーク、悪いが、もう一度伝令に出てくれないか。これを」

 ライクは僕に彼の使っている光板を渡す。

「これを見れば、隊長の位置がわかる。隊長に、撤退は完了したと。すぐに引くように伝えてくれ」

「あの、僕の等級レベルではこんなものはとても……あ、はい、わかりました」

 ライクの目はフラウを見ていた。フラウに使ってもらえということですね。了解。

「准尉、あとでお話したいことがあります。お時間をいただけますか?」

 フラウがライクに硬い声で尋ねた。ライクは一呼吸おいてから、返事を返した。

「ことが、片付いたらあとで」

 フラウは感情を表さないままうなずく。

「行こう、フラウ」

 ただならぬ雰囲気を感じて僕はさっさとここを離れたほうがいいと判断する。僕はただのお守役なのだ。そう、新兵の面倒を見ているだけの下っ端その一なのだ。上官とフラウの争いになりそうな雰囲気に僕は保身に走った。厄介ごとは御免だ。

 隊のみんなの目がなくなってから、フラウに光板を渡す。

 フラウはとても腹を立てているようだった。彼女にしては荒々しく光板を受け取った。引き結んだ口が話など聞きたくもないといっている。

 無言で手をかざすと、光版に光が戻る。

 さすがフラウだ。僕だったらこうはいかない。

 これが“僕”の知る“タブレット端末”だったらどんなに楽か。いつもそんなことをおもっている。

 フラウの目が光を追うように動いて、中にある情報を読み取っていく。

「すごいね、フラウ。そんなに早く使えるんだ」

 僕は関心して彼女の手元を覗き込んだ。

「見て、今私たちがいるのはここ。この灯りがライクたち。そして、こちらが、隊長ね」

 彼女はあっという間に地図を見つけていた。拡大したり縮小させたりしながら、僕に地図を見せる。

「そして……」

 彼女はさくさくと別の画像を開いて顔をしかめた。そのあと、他の何かを調べている。

「この辺りは、たしかに光術が使いにくいみたいね。反応が鈍いし、それに、軌跡も取れてない。それが幸いだったのかもしれないけれど。あ、アーク、あなた、腕輪をはめている?」

 僕は慌てて腕を見た。身分証明代わりの腕輪はなかった。

「あ、忘れてたよ。どこにいったかな?」

 僕はズボンのポケットをさわる。硬い腕輪の感覚にほっとする。

「あ、いいの。そのままでいいから。行きましょう」

 前を見据えているフラウの表情はりりしい。僕は思わず、見惚れてしまう。

「フラウ。魔力切れは起こしていない?僕の魔力を持っていいっていいからね」

 僕は彼女の小さな手を握る。

 フラウはあきれたように僕を見る。

「ね、アーク。それって、わかっていっているわけではないのよね」

「? 何か変なことをいった?」

「ううん、知らないのならいい」

 また光術を使っているのだろうか、彼女の歩みは軽く、僕が付いていくのもつらいほどだった。よくみると彼女の髪の色が薄くなっている。

 いったい彼女の等級レベルはどのくらいなのだろう。光板を“スマホ”のように使いこなし、体力強化の術を当たり前のように使う。どうして今までこの力を隠していたのか不思議なほどだった。さっさと使っていれば訓練で苦しむこともなかったのに。

「ちょっと待って」

 フラウが急に立ち止まる。いろいろと考えていた僕は危うく木の根で躓きそうになった。

「どうしたんだ」

「あれ……」

 僕は気が付かなかったが、フラウのさす先に小さな人影があった。

 フラウよりも小さな子供? まさか。

 薄汚れていてよくわからないが、黒い髪と黒い目の子供のようだ。黒い民の子供だろうか。

 知識としては、この森に黒い民が住んでいるのは知っていた。時々、行商が回ってきていたし、何人かの黒い民が外壁を訪れていたのもみた。

 だけど、子供……。当然だが、この森で生まれて育った人間だ。

 僕は声をかけるのをためらった。だが、フラウは子供のところへ走り寄る。

「まぁ、どうしたの? こんなところで。怪我をしているのかしら」

 危ないと止めるべきだったか。こんなところに住み着いている黒い民なんて、僕らにとっては野獣も同然だ。そういう僕も似たようなものといえばそうなのだけれど。

 子供はおびえたようにこちらを見上げた。

「どうしたの? こんなところで」

「フラウ。その子は森の民だよ。たぶん」

「森の民?」

「この辺りで暮らしている黒い民だよ。普段はあまり見かけることはない。だけど、魔人が出たので逃げてきたんじゃないかな」

「そうなの? あなた、お母さんは? だれか、いないの?」

 子供は答えない。暗い目が僕とフラウをかわるがわる移動している。

「ね、あなた……怪我をしているのね」

 フラウは子供のそばに座り込む。子供はびくりと体を動かして、座ったまま後ろに下がろうとする。

「見せて。アーク、包帯まだ残ってる?」

 僕は荷物を下ろして、残った包帯を取り出した。

「どこが痛いのかしら。足? 腕?」

 フラウは丁寧に子供の具合を見る。そういえば、僕の時も彼女はこういうことに手慣れているようだった。

「前から思ってたんだけど、フラウ、治療師かなにかの家に生まれたの?」

「治療師? どうして?」

「いや、ものすごく、手慣れていると思って」お嬢様にしては、僕は言葉を飲み込んだ。

「それは私が聖……そういう訓練をしてきたから」

「すごいね。フラウは遺跡のことも知ってるし、治療も上手だし」

 僕がほめるとフラウはそうかしら、と首をかしげる。

「そうだよ。僕が小さい時なんか、そんなこと全然知らなかったよ」

「小さい時?」

「うん、フラウくらいの時」

 僕の言葉が分からないというように、フラウは首をかしげた。賢いフラウには珍しいことだった。

「あ、え、それはね……あ、あのね。あの……私は」

「あ、イタ」

 傷に触ったのか、子供が小さな叫び声をあげた。

「あ、ご、ごめんね。痛かった?」フラウは慌てて子供の傷に手を当てる。「ほら、いたくない、いたくない」

 僕の時と同じだった。フラウの体から淡い光が立ち上り、髪の色が灰色っぽくなっていく。

 自分が治癒の力を使ってしまったことに気が付いたフラウは口に手を当てたが、遅かった。

「うわ、痛くない」

 あっけらかんとした子供の声が上がった。

「痛くなくなったよ。痛くない」

 子供の顔に笑顔が戻る。

「お姉ちゃん、すげえ。もう痛くない」

 子供は立ち上がって、ぴょんぴょんはねた。

「ありがと。姉ちゃん」

 灰色になった髪を見ても気にしていない子供の様子にフラウがふうと肩の力を抜くのが分かった。

「な、大丈夫だろ。みんなそんなに気にしてないって」

 僕は小さな声でそう伝える。

「ねぇ、おかあさんや、おとうさんはどこにいるのかな?」

「母ちゃんは壁で働いてるよ。父ちゃんは、いっちゃった」

「一人でここまで来たの?」

 驚くフラウに子供は首をふる。

「みんな、いたけど、ばらばらになったの」

「みんな?」

「うん、姉ちゃんとか兄ちゃんとか」

 兄ちゃんとか姉ちゃんもいるのか。僕は思わず周りを見回した。子供はともかく、黒の民は一応敵なのだ。

「そうなの。お兄ちゃんとお姉ちゃんに会えそう?」

 フラウは、しかしのんきに会話を続けている。

「うーん。たぶんね。お兄ちゃん達ね、隠れ家に行ってる」

 子供は聞き逃せない発言をする。

「それ、近くかな」

「わからない。知らないの」

「そっか。それは困るわね。そうだ。私たちと一緒に来る?」

 連れていくつもりなのか? フラウ?

 僕は小さく首を振ってやめるようにフラウに合図をした。でも、彼女は全然気が付いていない。

「お姉ちゃんたちと?」

「そう。ここにひとりでいるの、心細いでしょ」

「うーん」子供は考える。

「お姉ちゃんとなら行く。でも、こっちはいやだ」

 子供はちらりと僕を見た。

 このクソガキ……僕は、こっち扱いだった。

「ごめんねぇ。お姉ちゃんとお兄ちゃんは一緒に行動しないといけないの」

「えー、でも、はんぱと一緒にいたらいけないんだよ」

「はんぱ?」

「うらぎりものだよ。黒いくせに、白いと思っているヤツらのこと」

 こんなところでさげすまれるとは思ってもいなかった。自分よりも下だと思っていたものにこういう扱いをされると、本当に頭にくる。

「フラウ。こいつおいていこう」

 僕はきっぱりという。

「足手まといだよ。こんなチビ」

「ちび、じゃない。一人前の戦士だぞ」

「チビは、チビだろ」

「アーク、ダメよ。小さい子には優しくしないと」

「いやいや、こいつ、小さくても黒の民だから」

「半端のくせに、なまいきだよ」

 チビと僕はにらみ合う。

「アーク、この子はこの国で暮らしているのなら、等しく臣民よ。黒翼じゃない。臣民は保護しないと」

 フラウ……

 それは違うと僕は思う。彼らはこの光をあがめる国の民ではない。

 だが、“僕”の心はフラウに同意していた。彼らもまた人間なのだ。“僕”とフラウはどこか似ている。どちらも、僕と違う“キレイな世界”で暮らしている住人だ。

「わかったよ」僕はしぶしぶ折れた。「連れて行こう。おい、チビ、自分で歩けよ」

「え、いやだ。足が痛くて……」

 クソガキは痛くもない足をかばうふりをする。

「そうなの? なら、私が背負っていこうか?」

 フラウが荷物を下ろしそうになったので僕は慌てた。

「だめだ。おい、ガキ。足が痛いのなら、背負ってやるから来い」

 子供は露骨に嫌だという態度をとった。足は治っているはずなんだよ。

「大丈夫そうだな。ついて来いよ」

「アーク……わたしでもこの子くらい背負えるわ。それに、今は強化しているから」

「だめだよ。絶対ダメ」

 僕は即座に否定した。

「でもね、アーク……」

「とにかく、ダメだ。フラウはまだ小さいんだから、年上の言うことは聞かないといけないんだ」

 なぜ、こんなに意固地になるのか僕にもよくわからない。でも、このチビをフラウが背負うことを考えると、なんだかとても間違っていると思うのだ。

「と、とにかく、チビ、ついてこられなければおいていく」

 僕の剣幕に生意気な子供もそれ以上文句をつけなかった。

「こっちよ」

 フラウが光板を頼りに隊長たちのいる場所へ案内する。

「お姉ちゃん、すげえや。それ、使えるんだ」

 子供が素直にフラウをほめる。

「それを使うには、ものすごい魔力が必要なんだよね」

「あら、あなた、よく知ってるわね」

「まぁね。そこのぼんくらとは違うよ」

 僕がにらみつけたが、子供は僕の視線をかわした。

「こっちだよ。こっち。ここに行くのは、こっちから行くと近道なんだよ」

 忌々しいことに、子供の道案内は正確だった。木の間にちらつく赤い旗を見て僕らは声を上げて合図をする。

「なんだ。お前たち、え? ライクからの伝言?」

 木立の中の少し広くなったところで、隊長たちは何かを調べているようだった。

「わかった。おまえら、戻るぞ」

「いいんですか」

 何のためにここに来たのだろう。ここに住む黒の民を助けるためではなかったのか。

「ああ、協定ははたされている」隊長は、ちらりと藪の向こうを見た。「助けられる奴は助ける、そういう話だ」

 止める間もなかった。子供が、僕らの目から隠されていた藪に突撃するように駆け込んだ。

「姉ちゃん、兄ちゃん……」

 声が響いた。そこに何があるのか、言われなくてもわかる。

「魔人はもう去った後のようだ。今のうちに砦に戻るぞ」

 隊長は泣く子供から目をそらすと、その場から立ち去ろうとする。

「待ってください」フラウがそれを遮った。

「これはどういうことですか。なぜ、彼らの、その、体を置き去りにするのですか?」

「死人を生き返らせることはできない」隊長はぶっきらぼうにいう。

「埋葬の儀は? 死者はきちんと黒の砦に運んで埋葬しなければなりません。放置することは許されていないでしょう」

「ここの連中は砦に運ぶような真似はしない。あいつらは光の民じゃない」

「だからといって放置するなんて。魔人が力を得たらどうするつもりですか?」

「埋葬なんかしている場合じゃないんだよ。お姫様」

 隊長の顔が険しい。

「魔人がこの辺りにいたことは間違いないんだ。いつ、遭遇するかもわからない状態だ。大体の様子はわかったから、砦に引き上げる。さもなければ、こちらがやられるかもしれない。儀式云々はそのあとの話だ。生き残りは、そのチビだけか」

 隊長はちらりと泣いている子供のほうを見た。

「その子を連れて行こう。話を聞かなけりゃならん」

「待って、手荒な真似はしないで」フラウが慌てて子供の腕をつかみにかかる兵たちを制止した。「わたしたちが連れて行くから。いいでしょ」

 私たち? 僕は連れていきたくなどなかった。でも、さすがにここに残していくのも気がひける。フラウのこともあるし。誰かこの状況を何とかしてくれる救世主はいないだろうか。

 僕はその時ようやく青い顔をしたヘルドに気が付いた。

「ヘルド?」

「何も聞かないでくれるか」

 ヘルドは今にも吐きそうな顔をしていた。いや、すでにはいていたのかもしれない。

「やっぱり、俺はだめだ。こんなところにはいられない……」

 彼は小さな声で呟いていた。

「そんなに、ひどいのか?」

 僕は恐る恐る藪の向こう側をみる。

「だめだ。あんな、ひどい……」

 年かさの兵士が僕に首を振って見せた。

「行こう。ヘルド。砦に戻るよ」

 僕らと同じ、この砦に来て日が浅い兵士たちの反応はおおむねヘルドと似たり寄ったりだった。古参の兵士たちも口数が少なく、撤退という隊長の判断を歓迎しているようだった。

「行こう。また後で彼らを埋葬するために戻ろう」

 僕は子供を慰めている、フラウの腕をとった。

 フラウも状況を飲み込んだのか、おとなしく僕に従う。

 子供のすすり泣きが、道中の僕の足を重くさせた。

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