その日は普通の夢を見た。
巨大化したフラウに、誤って踏みつぶされる夢だ。
あ、ごめんなさい、と慌てふためくフラウに、つぶされた僕はたいしたことないと連呼していた。
フラウが、僕よりも年上?
そんなことは、あり得ない。
どう見ても彼女は僕の妹ほどの年に見えた。まだ男女を区別するのもためらわれるそんな年ごとの子供だ。
朝起きると、いつものフラウが挨拶をしてきて僕はほっとした。
いつもの訓練をして、いつもの日課をこなして、そんな一日が待っているかのようだった。
現実には塔のいたるところで死んだように眠っている酔っ払いどもがいて、訓練どころではなかったのだが。
「これは、訓練なんて無理だね」
砦全体が機能を停止していた。今なら、たった一人ででも砦を落とすことができるだろう。
僕とフラウ以外に正気な人を探したのだが、ほとんどいなかった。
そのほとんどいない一人が、ライクだった。
彼は昨日僕らが使った装置のそばに立って、何か考え事をしていた。
「アーク。ちょっと彼と話をしてくるから、離れていてくれる?」
フラウはものすごくまじめな顔をしていた。
怖い。なんで、こんな小さな子を怖いと思うのだろう。
でも、僕の本能が目の前にいる存在に逆らえないと告げている。
何を話すのか、とても興味があった。
でも、これは、僕の立ち入る問題ではないだろう。聞くと危険なことになる。
僕は知りたい欲求を隠して、うなずいた。
二人が離れてしまうと、僕の周りは羽目を外し過ぎて、つぶれている人間ばかりになった。寝ているか、酒におぼれているか、わけのわからない行動をとっているか……
出会った中でまともな人間は、炊事場のばあさんと昨日ついてきた子供だった。
「おまえ、生意気だぞ」
僕が食堂で食事をとろうとすると、子供はいちゃもんをつけてきた。
「食事をするのは何が悪い」
僕は、子供に背を向けて食事を始める。
「おまえ、お姉ちゃんとべたべたしていた」
子供はにらむ。
「お姉ちゃん? フラウのことか?」
「昨日、ずーっと彼女と一緒にいただろ」
「僕はフラウの教育係だから、しかたないだろう」
「半端者のくせに、彼女に付きまとうなんてひどいぞ。彼女は、黒い民の女神様なんだぞ」
いきなり、女神様扱いか。そりゃ、フラウはかわいい女の子だけれどさ。女神はないと思う。女神は。あまりの発想の飛び方に突っ込む気も起らない。
「はい、はい、女神様、女神様」
女王様といったほうが正確なのではないかと思いながら、僕は賄いのばあさんに文句を言った。
「ばあちゃん、このうるさいチビ、なんでここにいるんだよ」
「しかたないだろう。親が忙しくしてるんだ」
ばあさんは、いつもと変わらず台所仕事をしている。
「サラ、さぼってないで、皿を洗いな」
子供はふくれっつらをみせながらも、台所の奥に去っていく。
「大変だったみたいだね」
ばあさんが、珍しく優しく声をかけてきた。
「うん。フラウがいて助かった」
「そうか。そうだろうね」
「なぁ、ばあちゃん、あの子、フラウのことを女神サマといっていたけれど……」
「あの子たちにとっては、そうだろうよ。彼女のおかげで、今回は砦のものを黒の砦に埋葬することがなかった。ここに逃げてきた民たちは命拾いをした」
「へぇ、今回は、死者は出なかったんだ」
しゃがれた女の声に僕は振り向く。見たこともない女が僕の後ろに立っていた。よく日に焼けた褐色の肌に煌めく黒い瞳。洗濯女の中にこんな人はいただろうか? 引き締まった体つきが彼女が戦う側の人間であることを物語っている。
「今回は、光衣を使える人間がいたからね」
ばあさんは彼女がいるのが当たり前のように言葉を返す。
「噂は本当だったんだ。追放された妃候補がここに送られてきたって。妃候補の等級なら、あれも使えるかもね」
女は優雅に足を組んで僕の隣に腰を掛けた。
「急いで、来て損したかな? 魔人は、ああ、もう消滅したんだ。魔人はいない、後片付けも必要ないということになったら、ここに来た意味がないじゃん」
「えっと、君は……」
「あんた、あっち側の民か……|等級《レベル》低そうだけど、あれ、認識票つけてないのか?」
彼女は僕の手首を確認する。そういえば、昨日から外したままだった。僕はポケットの中を探ってようやく身分証をみつけた。
「彼は、新入りだよ。去年、ここに送られてきたばかりだ」
「へぇ、何も知らないおチビちゃんか。どうりで」
彼女はじろじろと僕を見た。
「ねぇ、坊や。なかなかかわいいじゃないの。こんなところにいても、面白くないでしょう。どう、お姉さんと一緒に楽しいところに行かない?」
「ジーナ、その子はライク直属の部下だから、変な誘いをかけるんじゃない」
ばあさまが危険な勧誘を一言で切り捨てる。
「ライクのね、了解」
女は手を広げて笑った。
「え、ばあちゃん、この人は……」
女が意味ありげに笑う。
「見りゃ、わかるだろ。みんなを助けに来た、勇敢な戦士だよ。でも、今回は先を越されてしまったみたいだね。女神さまに」
「ひょっとして、黒……」
「ここではただの通りすがりの黒の民さ。そういうことにしてくれ」
こいつ……
僕は敵と教えられてきた存在を初めてこの目で見た。
初めて見る黒翼の戦士だった。この土地に住む光術をつかわずに、光衣ににた装置を使って戦う光の帝国の敵と教えられていた。光術の使えない等級の低い兵士とは渡り合うことのできない悪魔、もし現れたら逃げろ、とまで言われていたのに。
全然怖くなんかない。目の前にいるのは、ただのきれいなお姉さんだ。ちょっと身体能力が高そうだけれど。
「ひょっとして、一級のお姉さんですか?」
例の子供が目を輝かせて飛んできた。
「うわぁ、本物の一級戦士。すごい」
「ほめてくれてありがとね」
女は鷹揚とほほ笑む。
「その飾り、ひょっとして、あんた、リリの娘? 初めまして、かしらん。なかなか戦士としての素質もありそうね」
女に持ち上げられて、子供は頬を染めた。
「さてと、噂の女神さまにお会いできるかな? おっと、そんなに警戒しなくてもいいよ。ちょっと、噂の姫君を覗き見たいだけなんだから」
女はきびきびと立ち上がると、隊長さんはどこかなぁとつぶやきながら、食堂を出ていった。
「まてまて、いや、まってください」
不審人物がこんなに堂々と砦の中を歩いていいものだろうか。
「なんだ、少年。あたしのことが気になるのかい」
女は洗濯女たちがよくやるしぐさをさらりとして見せた。色っぽい……
健康的な肉体と誘うようなしぐさに僕は思わず唾をのむ。
いやいや、そういう気になり方ではなく……
「アーク、その人どうしたの?」
間の悪いところをフラウに見られてしまった。いや、別にみられても構わないはずだ。こんな小さな子供と何かあるわけではなく……
フラウと一緒にいたライクが眉をひそめた。
「いや、この人は……」
光の帝国が戦っている“黒翼”だというべきだろうか。それともただの避難民だというべきだろうか。
「ひょっとして、女神様?」
女はしかし、僕が言うよりも早くフラウのほうへ身を乗り出した。
「へぇ、こんなに小さいんだ……」
「女神、様?」フラウが首をかしげた。「まさか、そんな、私は聖なるお方とは並ぶべきもなく……」
「いいって、いいって。光の教義なんか持ち出さなくっても」
女は珍しいものを見るときのようにフラウに顔を寄せた。
「へぇ、本当に、こんなに小さくなるんだね。びっくり」
「ジーナ殿」
ライクが、フラウの頭をなでようとする女を非難した。
「へぇ、心配しているのかい。あたしがあんたたちの大切にしている姫様に何か悪いことでもするんじゃないかって。安心しなよ。この子はあたしたちの仲間も守ってくれた。それこそ、女神様だ。戦場で出会ったのならまだしも、こんなところで手を出したりしないさ」
「私は別に、そんなことを……」
「だから、私は女神ではないです」
フラウとライクが同時に抗議をした。
「女神さまを模してたたえられるのは星の王家の方のみ。私はそんな身分のものではありません。不遜だわ」
「いいって、いいって、細かいことは気にするなって」
女はフラウの髪をガシガシと撫でまわした。
なんてことを。
「お、意外と柔らかくてふわふわしてるんだな」
あんなに無造作にフラウの髪を撫でまわすなんて。フラウ命のラーズ曹長が見たら殴り掛かりそうな光景だった。
「もう、いい加減にしてください。あなたがどなたかは存じませんけれど……私はもう子供じゃないですから」
フラウがいやそうに女の手から離れたので僕はほっとした。
「それで、この人は?」フラウは目でライクに聞く。
「あたしは、ただのこの辺りに住む黒い民だよ」
女は、さらりと名乗りを上げた。
「この砦に避難してきた親戚に会いに来たんだ」
この嘘つきが……その場にいたものはみんなそう思ったに違いない。
「みんな無事でよかったよ」
女は特上の笑みを浮かべる。
「もう帰るから、そんなに睨まないでほしい」
「隊長に会わなくていいのか?」ライクが引き留めた。
「いい。クリフにはまた会う機会があるからね。顔つなぎもできたし、姫君にも会えた。今日は退くわ」
女は堂々と、にこやかな笑みを振りまきながら歩き去る。
「あれ、黒翼ですよね」
女の行方を見送ってから、フラウが低くライクに迫る。
「え?」
「彼女の持っていたのは魔道具。この砦の兵士たちには使えないくらい高価な魔道具でしたよね。見ました?」
「そ、そうだったかな」
ライクは目を泳がせた。
「ライクさんなら知ってますよね。士官としての教育を受けていたのなら。黒の民であれだけの得物を持っているのはごく一部のはず。彼女、黒い民の戦士ですよね。我々、星の帝国とたたかっている当の相手ですよね。秩序を乱す悪魔となに立ち話をしてるんですか?」
「いや、彼女、ただの黒の民だから」
あからさまな嘘をライクはついた。
「ああ、ここにいたか」
そこに隊長が現れた。間の悪いところに現れたものだ。
「隊長、私、この砦の中で見たこともない女の人が見たんですけれど」
装置の修理が、と言いかける隊長の言葉をフラウはさえぎった。
「あの女の人、今まで見たことがない方ですよね」
「誰のことだろう。避難民の誰かかな」
隊長は明後日の方角を探し始めた。
「あの、人です。あそこの背の高い女の人。見えてますよね。隊長のことをよく知っているような口ぶりでしたよ」
「そ、そうか。昔、馴染みだった洗濯女の誰かかな?」
「クリフ隊長。ごまかさないでください。なんで、黒翼が砦の中をうろうろとしているのですか」
「たとえ、彼女が黒翼であったとしても、俺たちに何ができるというんだ? 今のこの砦の状態で、彼らと戦うことなんかできない。むこうがこちらを攻撃してきたのならまだしも、平和的にただ、中を歩いているだけ、だ。問題はないだろう」
あ、開き直った。
「敵と内通することが、問題ない、ですか?」
「内通なんかしていない。情報の交換などしているわけないだろう」
「彼女は私のことを知っていましたよ」フラウはなおも攻め立てる。「アークですら、知らない私の身分のことを、なぜ、敵方が知っているんですか」
「みんながみんな、こいつのような能天気じゃない」隊長はさらりと僕を貶める。「彼らの情報網を侮ってはいけない。姫様のことを知っているものはほかにもたくさんいる。はっきり言おう。この砦の中で姫様のことを知っていたのは俺とライクだけだ。|我《・》|々《・》は漏らしていない」
フラウは唇をかんだ。
「それよりも、昨日のあの装置のことだ」
隊長が何事もなかったかのように話を切り替えた。
「あれは、どうもいかれてしまったらしい」
「壊れたってことですか?」ライクが聞き返す。
「ああ、ぜんぜん、何の反応もなくなった。魔石を置いてみても起動すらしない。それで、姫様にちょっと見てもらおうかと思って呼びに来た」
二人の視線がフラウに向かう。
「わかりました。動くか確かめてみればいいのですね」
フラウはしぶしぶ同意した。
「あとで、いろいろききたいことがあります。時間をいただきますよ」
いやそうに隊長の後をついていたフラウだが、昨日の装置の前に来ると真面目に装置を点検し始める。
「確かに、起動しなくなっている」彼女は一連の動作を確認した後で、僕たちに告げた。
「これ以上は、私もどうすることもできないわ。ここには、他に使える装置はないの?」
「みてみるか? これが一番状態のいいものだときいている」
僕たちは倉庫に眠っていた対魔人用の装置を点検した。ガラクタだった。どういう装置かわからない僕ですら、残骸だと確信できるほどの状態だった。
「昔は、これが外壁に何基も備えてあったらしい。あ、質問するなよ。俺も、そう書いてある書類を読んだだけだから」
クリフ隊長が埃の舞う倉庫から半分逃げ出しながら、そういう。
「新しい装置は、ないの? 光衣の一つも置いてないなんて。こんな、年代物ではなくて、最近のものは?」
「この砦で、まともな闘いが行われたのはずいぶん昔の話だ。歴史が知りたかったら、あとで資料を渡す」
「どうしよう」フラウが幼い顔に似合わない険しい表情をしている。
「直せないの?」と、僕。
「無理、無理。私の知識ではどうしようもない」
「まぁ、焦らなくてもいいんじゃないかな? 当分魔人は来ないと思うし」
僕は励まそうとフラウの肩をたたく。
「どうしてそんなに確信を持って言えるのよ」
「だって、僕がこの砦に来て一年、何もなかったからね。この前襲撃があったのは二年前、ということは、あと二年くらいは大丈夫なんじゃない?」
「魔人って周期的に沸くものなの? 違うでしょ」即刻論破された。
「次に来たら、今度こそ、あのおもちゃで戦うことになるのよ。みんな黒の砦送りよ。墓場行きよ」
そんなに、怖い顔をしなくても。いや、当然か。みんなの中には、フラウも僕も入っている。
「新しい武器を頼めばいいんじゃないかな?」
「アーク、お前はバカか。これまで、歴代の砦の指揮官がそれをやってこなかったと思っているのか?」
隊長に頭をはたかれた。
「できるんならやってるんだよ。俺だってなぁ。死にたくはないんだ」
長靴で蹴られるのは痛い。
「でも、物資の支援を頼むのは砦の指揮官の裁量でしょう?」とフラウ。
やはり、彼女は女神さまだ。僕の言いたいことをちゃんと言ってくれた。
「|等級《レベル》が足りないんだと。ここにいるものが使えない兵器を送っても仕方がない。それだよ」
「でも、あなたは100をこえているはずでしょう。なら、普通の武器を頼めるはずなのでは」
「ここは、黒の大地だ。等級の基準が高いんだよ」
100を超える隊長ですら、許可が得られないなんて。基準なんて建前だけ。実質的な拒絶だ。
「私が頼めば使える武器を送ってもらえるかしら」フラウが隊長たちに聞く。
「貴女の名前で頼むというのか。それは、どうかな?」隊長はちらりとライクを見た。「やってみるだけやってみる」
「フラウ、ごめんね」
実務的な話に入った隊長とライクの陰で僕はこっそりフラウに謝った。
「フラウのこと、お嬢様だと思っていたけど、そんなにお嬢様だとは思っていなかったんだ。これからは、姫様って呼んだほうがいい? それとも、あのガキみたいに、女神様とか?」
「私はただのフラウよ。ここではそうなの」そういってから、彼女は僕をにらむ。「いい、このことは誰にもいってはだめよ。隊長さんたちは知っているけれど、他の人たちには漏らさないで。私は誰かに持ち上がられるような人間ではないのよ」
「うん、僕は言わないけれど。でも、みんな、もう気が付いているかもね」
「わたしが、まだらだから? 光を操る資格がないのに、光を使うから?」
フラウの顔が悲しそうにゆがむ。
「それは違うよ。君が、まだらであろうとなかろうと、君はここの英雄なんだ。女神様なんだよ。だって、君は昨日この砦全員の命を救った。君がいなければ、僕らは全員殺されていた」
「それは、でも、そうなら、あなただってそうでしょ。アーク。最後に力を貸してくれたのは、あなたよね。あれは……あれは、してはいけないことだけれど、」
「あれは、君の力だ。僕は、ただの低い|等級《レベル》の兵士だ。等級を越える力を持つ者なんかいないんだよ。そうだよね」
僕とフラウの目が合った。彼女の中の闇と僕の秘密が共鳴する。
「アーク、あれで最後にして」フラウがささやいた。
一時期の熱狂が過ぎ去ると、砦はいつもの静けさを取り戻した。
砦に避難していた黒の民の多くは、自分の村に戻り、僕たちは相変わらず訓練と偵察任務についていた。
ただ違うのは、偵察任務が本当の偵察任務で、遺跡あさりでないことくらいだろうか。
魔人の残した傷跡は大きかった。襲われた黒の村は僕の知るだけで3村。それもかなり大きな村が含まれていた。
僕らはいままで行ったこともない奥地まで行って、事後処理を行った。
黒の民は、僕ら帝国民とは違って黒の砦に遺体を送らない。“僕”のなじんでいる火葬あるいは土葬という埋葬方法をとる。僕らは彼らが望むように大地に遺体を返す作業を手伝った。
「こんな数の魔人が出たのは久しぶりだな」
途中の村で会った、自称ただの避難民ジーナが憂鬱そうにつぶやいた。
「なんで、あなたがここにいるんですか」
フラウは彼女をにらんでいたが、ジーナは全然気にしている様子もない。
「かわいいフラウちゃんが、手伝ってくれているというから、わざわざ遊びに来たのに」
彼女は、またフラウの髪をいじっている。
「きゃぁ、ジーナさま。お姉様の髪をそんなにするなんて。うらやましい」
リリ姐さんの娘のサラはすっかり女の子になっていた。男か女かわからなかった子供が、今や彼女はフラウの召使を気取るフラウ信者の一員だ。フラウの抗議を受けて、女神様、という呼び方はやめたものの、視線が熱い。
「ここの、死者は結局何人なんだ?」
僕はうるさい外野から背を向けて、記録をつけていく。
「行方不明者も多いわね」
わかっているだけで、二桁、ひょっとすると三桁の犠牲者がいるかもしれない。僕らが倒した魔人の数は二人、だが、実はもっと多くの魔人がこの辺りに出たのではないかと推測されていた。僕らの把握していない魔人はジーナたち黒翼の戦士が退治したはずだ。
僕は、光版の指を滑らせる。
だいぶ僕の光版を扱う技術は向上していた。
光版を立ち上げて、呪を描いて、情報を読み取る。一連の作業は“僕”の持っているゲーム機を操るのに似ていた。
本来ならしてはいけないことだが、魔道具を使って無理矢理僕の容量を底上げしているのだ。動かすのにも慣れてきた。
最初、フラウは僕が光板をこっそり使うことには反対していたが、今はしぶしぶと板の使い方や光術の原理を教えてくれている。そうでもしなければ、追いつかないほどの作業量だったのだ。ライク准尉も見て見ぬふりをしてくれている。隊長など、裏では僕の違反行為を奨励していた。
「フラウ、ここから先はどうすればいい?」
まだまだ、地図を作るのは苦手だった。
「まず、こうやって、こう」フラウの細い指が軽やかに光板の上を舞う。
「ああ、アークばかり、ずるいんだ。お姉様に、教えてもらってる」
サラは口をとがらせる。
「お前は、まず、文字の読み書きが先だろう」
僕は、光板に伸びてきた子供の手を払った。
「そのくらい、サラだってできるもん、お姉様に教えてもらったもん」
驚いたことに、すでにサラは簡単な読み書きを習得していた。今は僕らが普段使っている簡易文字の練習中だ。そのくらいの知識を持つのがこの辺りの村では普通のことらしい。星の帝国に住んでいる黒の民のほとんどが教育を受けられないことを考えれば、おそるべきことだった。追放された民のほうが教育水準が高いだなんておかしいだろうと、“僕”の常識は訴える。
「わたしだって、はんぱの野蛮な奴くらいのことはできるんだ」
野蛮な奴って、僕たちのことだろうか。野蛮人に野蛮といわれてもなぁ。
サラは僕らのことを平気でけなしてくる。フラウにべったりとしているのとは大違いだ。彼女たち、この地に住む黒い民にとってはマダラというのはハンパよりはましな存在らしい。彼らを導いた最初の指導者がマダラだったという話もあるから、抵抗はないのだろう。
「これをやろうといってもなぁ。そもそも、光板はお前には開けないだろう? 認識票もないし」
僕が言うと、サラは勝ち誇ったような笑いをみせた。
「ふふん。これだから。あたしたちにはそんなものを使わなくても、魔力を使える方法があるんだもんね」
「じゃぁ、やってみろよ」
僕があっさりと光板を渡すと、サラは自信満々でその板を受け取って、起動の印を書いた。
何も起こらなかった。
「あ、あれ? おかしいな」
サラは慌てたように何度も印をなぞる。
「あれ、こうすれば、開くはず?」
「ほらな。見てみろよ」僕は光板を取り戻した。
ふと顔を上げると、ジーナが面白そうにそのやり取りを見ている。目が合うと、楽しそうな笑いを浮かべてどこかへ行ってしまった。
黒翼の戦士はどうやって光術を使わずに、似たような力を行使しているのだろう。均整の取れた彼女の後姿を見ながら僕は思う。おそらく魔道具の類を使っているのだろう。あの剣だろうか? 装身具だろうか? 使っているところを見たこともない僕には想像しかできないことだった。
「そろそろ砦に戻りましょう」フラウが声をかけてくる。
「わーい。今日の夕ご飯は何かなぁ」
すっかり砦に住み着いてしまったサラがもろ手を挙げて賛成する。
「もう少し、ちょっと待って?」
僕は慌てて周りの地形を入力する。
「早くしろよ。ぐずだなぁ」サラは口をとがらせて抗議する。「そもそも、なんで、そんなことをするのさ? 地図なんて書くか頭に入れておけばいいじゃないか」
「記録を取っておくために決まってるだろう? 次に魔人が現れるときのために情報を残しておくんだよ」
こういう時でもなければ、この辺りに侵入することができないから、なんておくびにも出さない。言い出しっぺのフラウがそんなことを考えていたのかはわからないけれど、隊長やライクは少なくともそういう意図で僕に光板を使わせている。
「そろそろ、返して」
しびれを切らしたフラウが手を伸ばしてくる。「終了させるから」
この裏技にはフラウの協力が欠かせない。|等級《レベル》の低い僕には、光板を立ち上げることはできても、地図を作るような高度な機能を呼び出すことができないのだ。容量はごまかせるが、資格はごまかせない。僕は残りの情報を入れ込んで、それを幼い外見の少女に渡す。
「アーク、腕輪」
帰り支度を始めた僕にフラウが注意する。
「お、いけない。忘れてた」
僕は識別の腕輪をはめる。これをはめていないと、脱走兵として扱われてしまう。砦から離れているときは光術の使えない土地なのですとごまかすこともできるが、砦中ではそうもいかない。
「ついつい忘れてしまうんだよなぁ」僕はこぼす。
「いっそのこと、ずっと外しておけばいいじゃないか」
見送りのつもりか戻ってきたジーナがにやにや笑う。
「あたしたちはいつでも新しい住人は歓迎するよ」
いやいや、僕は光と秩序を守る忠実な帝国の兵士なのだ。ちょっとした逸脱行為はあってもまだそこまでは堕ちていない。
「ここまでわかっていたら、次は助けに行けると思う」
僕の考えを知ってか知らずか、フラウは満足そうに光板をみていた。
「ただ、問題なのは光術用の装備が届かないことと、使える人がいないということなのよね。私、一人だと複数の魔人が現れると対処できない」
「准尉や隊長でも、等級が足らないんだよね。でも、たしかレベル50を越えたら簡易式の光術用の装備があったんじゃなかったかな?」
僕はこの前調べた資料を思い出す。
「あれは内地用ね。黒の大地用には作られていないわ」
「内地だろうが、ここだろうが、装備には変わりないだろう?」
「ここでは光術が効きにくいから、適正等級が高く設定されている。使えないわ」
「近接戦用は無理でも、遠距離なら何とかならないかな」
フラウが見せてくれた内地用の装備の仕様書を僕は思い出す。いくつか頼めないものだろうか? あれがあるだけでも砦の防衛には役に立つだろう。でも、隊長たちにそれを提案するのは気が引ける。そんなこと、隊長たちだって知っていたはずだ。
砦の攻防戦時にみせた隊長の恐ろしくまじめな顔を思い出す。いつもは仕事をさぼるだけさぼっている隊長の本気だった。誰だって犬死したくはない。
砦に戻ると、早速フラウがいつもの催促を隊長にした。
「まだ、装備は届かないのですか?」
「返事の気配すらない」
隊長はだらしなく机の上にあげた足を下ろそうともせず爪切りをしていた。
「要望書は送ったのですよね」
「正規の備品願いと、要望書と、できるだけの手段はとってますけどねぇ。こないものは、こない」
フラウは投げやりな態度に頬を膨らませた。
くるわけがない、そう隊長が考えているのは態度でわかる。僕もそう思うから、何も言えない。そもそも一番の基本となる食べ物とか宝探し用の装備とかも行商人から買っている。基本的なものすら送ってこないのに、高価な装備を送ってくるわけがない。
「申請しても返事すら来ないとすれば、どうすればいいのですか? あれを何とか修理しろとでも?」
フラウは窓の外をさす。外の城壁には壊れたままの装備が布をかけたまま置いてあるはずだ。
「それとも、直接行って頼まなければなりませんか?」
隊長が爪を切る手を止めた。
「それ、それ」
「なにが、それなのですか?」
「だから、最後の手段。貴女が行ってお願いしますというしかない」
フラウも僕も固まる。
「わたしが? どこに?」
「だから、辺境を仕切っている第一砦にいって、姫様自らお願いしたらなんとかなるかもしれない」
「辺境軍の司令部に出向けと? でも、私は、ここに追放されてきたのですよ。そんなこと許されるわけがないではないですか?」
「それなんだが」隊長はようやく足を机から降ろした。
「確かに実質的にはそういうことになる。でも、形式的にはだが、姫様は第一砦にいる司令に次ぐ地位を持っている」
「でも、わたしはマダラで、たぶん司令部の人たちはみんなそのことを知っていて……」
フラウは口ごもった。
「だろうね。でも、あいつらは頭が固い。位の高い者の要請を面と向かって拒否することはしない、と思う。まぁ、そうだといいな、と思っている」幾分自信なさそうに、隊長は付け足す。
「ここと違って、司令部勤めの連中はみんな姫様の物語を知っているだろう。顔も知られてるし、だからマダラということで風当たりも恐ろしく強い。門前払いされる可能性も、ないとはいえない。それでもよければ、直接交渉してみるといい」
「それなら、貴方が行けばいいのではないですか? あなたはこの砦の指揮官ではないですか?」
隊長は小さく首を振った。