ランボーを見てしまった。
ランボーといえばシルベスター・スタローン扮する筋肉ムキムキの男がヒャッハー、汚物は消毒だぜ、という話だと思っていた。というか、そういう感想だった。
何しろ、スタローンといえばラジー賞のお得意様。キングオブラジー賞だ。(最近復権したらしいけれど)
はっきり言って中身のない話だと思っていたのだけれど……
ながら見ながら、ランボー1を見直して、驚いた。意外にしっかりとした作りで、なおかつテーマも備えていた。
これはびっくり。
まず、無双物として完成されている。
最初はいじめられる。とことんひどい目に合う。そこからの逆襲物といえばなろうの定番ものである。
最初はさえないのだ。頭もよくないように見える。でも実は強い。最初から分かっているけど、強い。
大したことないわ、となめてかかっている連中がざまぁな目にあう。
みんなこれが見たい。復讐ものとか、逆襲物の鉄板の展開だ。
適度に残酷、でも怖いものも見たい人の心理にうまく乗っている。
展開も、あげたりおろしたり、ハラハラドキドキさせるコツがわかっている。
ランボー、世界最強はわかっている。
でも、ヘリコプターとか戦車とか数多くの兵士とか犬とか、これはだめかもしれないという要素がてんこ盛りだ。特にボヘミア生活で多数戦闘=逃げるが定着してしまった今の自分にはこれは力を入れて逃げないと、という気分が盛り上がってくる。
ドカン、ドカンと敵側がまとめて吹き飛ばされるのもお約束だ。
この描写が結構えぐい。最近の撮影では規制されるのではないだろうか。体はバラバラになるわ、血しぶきは飛ぶわ……これR指定ついているのだろうか?
それから、テーマ。これは前に見たときにはピンとこなかったところ。あれから、色々なPTSDとか戦争の傷とかの本を読んで、ようやくこれがベトナム戦争帰還兵の物語だったのだと、得心できた。
ベトナム帰還兵の問題、根が深いんだよね。
彼らはものすごくつらい思いをして戦ったにもかかわらず、前の世代の人たちと違って英雄として迎え入れられなかった。それによってずっと傷を抱えて、癒されることのないまま生きていかなければいけない。この辺のゆがみが、実は根底にあるテーマだった。
ジョンという人間が、ランボーというただの兵器になってしまって、生きて戻ってきてもずっと心は戦場にあるままという悲劇。ヒャッハー部分が表に出ていて、ほとんど彼の心情を読み取る場面はないけれど、それでも、1の最後の独白は胸に来るものがある。
言い訳に過ぎないといえば、そうなのだけれど、傷があまりにも生々しくて痛い。
ラジー賞役者といわれるスタローンだけれど、演技はうまいじゃないか、と思ってしまった。きっと殺しシーンと筋肉が認識の邪魔をしているのだと思う。
もっとひょろい人がランボーだったら、戦争の悲劇のほうに話が傾いたかもしれない。(エンターテイメント性は薄れるけれど、それはそれで面白かったかも)
キル数を数え上げられて、やり玉にあげあられることが多いランボーだけれど、一見の価値はある。特に1はたぶん監督は社会への抗議も込めて映画を撮っている気がする。続編はエンターテイメントキル映画へと変わっているような気がする。けれど、根底にある傷は健在だ。
5作目がアメリカで公開されたとは聞いているけれど、日本では公開しないのだろうか。
ついでに見つけたランボー5の予告編(海外版)1と比べてみると、感慨深い。
もう一つ、スタローンのキル集。ネタに。残虐場面注意。紹介しておいて何なのですが、最初で見るのをやめたよ。
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