あれのせいで、無料の公演映像や、映画や、本や、次々と公開されていて、ついついそういうものを見てしまう日々です。
いかんなぁとおもいつつ、漫画や映画に浸っているのですが。
その中で、早川書房さんが期間限定で公開した『コロナ時代の僕ら』というエッセイを読んでみました。なんと、今日一日だけの公開です。
このエッセイは4月25日に書籍化されるものらしい。それをすべて公開とはなんて寛大な出版社なのでしょう。とはいえ、無料公開の間にブログにあげられるのか。飛ばし読みもいいところで、全編に目を通してみました。せっかくの休みだから、頑張らないとね。
早川といえば、海外物のSFやFTの老舗出版社です。お世話になってきました。なっています。推理やノンフィクションもたくさん出していて、その手の人にはたまらないラインナップがそろっています。
『コロナの時代の僕ら』もそういう学術書に近いエッセイとなっています。
不勉強で知らなかったのですが、この筆者の方は、素粒子物理学を勉強された作家さん。写真が自画像だとすると、とてもイケメンです。しかも、若い。
イタリア人の彼がイタリアがあれに翻弄されていく中で、2月末から3月頭書いたエッセイを緊急出版、らしいです。
ちょうど、あれのせいで人がバタバタと倒れ始めた頃でしょうか。
最初には真面目にあれの流行るメカニズムみたいなものが解説されていて、さすがは素粒子物理学専攻です。数字とグラフが出ると、眠くなってしまうこちらとは大違いだ。
今も現在進行形で進んでいる事態なので、なかなかコメントしずらい部分がありますけれど、読んだ印象だけ。
これを読んでいて、今、せっせとクリアーしようとしているゲームであるデスストランディングを思い出してしまいました。つながりという点においてです。
あれはどちらかというと正のつながりですけれど(若干負をほのめかす描写もあります。ただいま、ハートマン関連の任務を続行中)、今のこの状態はウィルスというものをかいした、つながりなんだなとふとおもいました。
ウィルスは、善意も悪意もなく、人を疫病という状態でつなげていくのだと感じたのです。
武漢の町が封鎖されて現代にこんなことが起こりうるのだと、他人ごととして感じていたのは数か月前。それがあっという間に身近な場所が封鎖されつつあります。いままで、ゲームや映画の中だけに存在していたアウトブレイクというものが世界に広がっていくのを目の当たりにしているのです。
似たような感覚を東日本大震災の時に感じました。あの時も一瞬別の世界に来たような感覚がありました。あちらのほうが劇的だった分、もっと劇場のような気がした記憶があります。今はひたひたと、気が付けば世界が変わっているような。震災がパニック映画なら、ウィルスはホラー映画ですね。
あの時も、情報が分断されて、デマが飛び交って、人の掛け値なしの善意や友情を感じたり、ものすごく醜い姿を見ることになったり。人と人との絆を予期に着け、悪きにつけ感じました。今はそれが薄まって全世界規模で起こっている感じです。
もういいとか悪いとかそういう問題ではなく、我々は妄想の世界も含めてつながっているということなのでしょうか。それが、つながったり、絶たれたりすることで形になって見えると。いったんこういうことが起こると、境界があいまいになって、だから境目がより見えてくるという不思議な現象が起こるのだなぁと思います。
そういう意味でも、デスストランディング、奥が深いぞ。無数のサムたちが互いに支えあっているように、今の社会もサムたちが動いて社会が成り立っているのだと感じることがしきり。たった一人の行動が疫病を広めたり、多くの人が一人の人を救うために力を尽くしてみたり。正と負が入り混じっていろいろな絆を見せてくれているような。
きれいごとではなく、我々はつながっている。というわけで、今日も頑張ってカイラル通信をつないできます。
パオロさん、こんなことは言ったつもりはないよ、といわれるかもしれませんがごめんなさい。ゲームはお好きですか? きちんと時間をかけて読んでからまた、感想を上げようと思います。
コロナの時代の僕らposted with ヨメレバパオロ・ジョルダーノ/飯田 亮介 早川書房 2020年04月24日 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle7net
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