デトロイトビカムヒューマンをやってみた

ゲーム
Detroit: Become Human™_20200206223240

1 映画のようなアドベンチャー

またまた面白いアドベンチャーをやりました。

「デトロイト」というSF物のアドベンチャーです。これもいつかPSplusで無料配布されていたゲームでした。こんなすごいゲームを配布するなんて、なんて太っ腹! こんなゲームをたくさん配布してほしいな。

時は近未来、アンドロイドが人に代わって仕事をするようになった時代です。あと20年もすれば、来ているかもしれないような感じです。

この世界ではたいていのことはアンドロイドがこなします。いわゆる、3Kの仕事、道路工事とか召使とか穢れ仕事はアンドロイドの仕事です。

アンドロイドは命じられたことを忠実にこなします。人と外見上は区別はつかず、それどころか普通の人よりも強靭な体と知性を持っています。理想の召使(中では奴隷といっている)なのですが、あまりに人の扱いがひどいと自我が目覚めることがあります。そういう個体を変異体と呼んで、見つけ次第壊しています。

その中で、三体のアンドロイドがそれぞれの選択をし、物語を紡いでいくというのが本篇。三人三様の物語で、それぞれテーマが違います。一作で三度おいしいという物語です。

美人アンドロイドのカーラちゃん。カーラ編は結構死にました。彼女のストーリーは家族がテーマです。

2 すべての選択肢に意味がある……これで達成率100パーセント出来たら神

このゲームは選択次第でいくつものエンディングに分岐していくスタイルの話です。章ごとの分岐もありますし、大きなエンディングの分岐もあります。やり込めば、全100パーセントも無理ではないかも……気力が……

もう、色々な結末がありすぎて、章の途中でもやり直したくなるくらいです。特に操作ミスしてしまった時。うわ、こっちの選択選ぶんじゃなかった―――っていうのも多いです。変なことになってやり直したことも何度か。(カーラは序盤で殺してしまいました。ごめんね)

何が正解というものがないのがこの話のいいところかな。見たくないけれど全滅エンドなるものもあるようです。

ハッピーエンド好きなので、全員生存ルートを目指しました。まぁ、カーラちゃん、序盤であっさり死んでしまったけれど。(やり直しました、ええ)なんとか、みんな生き延びることができました。よかった、よかった。エンディングはハンクとコナーの友情エンドでした。あの二人のコンビはお気に入りでした。男の培った友情というのは素敵です。満足のエンディングでした。

最初はいがみ合っていたのに、協力する流れが好きです。男の友情はこうでなきゃぁ。

3 現実の反映

この話に出てくるアンドロイドはどうも昔の奴隷制度とか公民権運動あたりをモデルにしているように感じました。現実の問題をSFというオブラートに包んで提示している感じです。これを今を舞台にするといろいろと炎上しそうなので、未来でアンドロイドをテーマにしているよと見せかけつつ、論じるみたいなかんじかな? アンドロイドという存在を人種とか、移民と言い換えると、まま、現代の抱える問題に変わるように思いました。マーカスはキング牧師になるか、マルコムXになるか、という選択肢かな? 移民に職を奪われるという現代の鬱屈した思いとか、逆に移民でこき使われる側の思いとか、そういう根深い問題がゲームに反映されているみたい。

マーカス編には恋愛要素もあります。ラブストーリーですね。

そのあたりに関する知識や感覚はアメリカ人にはなじみのものだから、より感情が揺り動かされる仕組みになっているのでしょう。

このゲームの中で一番考えさせられたのは、最初から最後までアンドロイドは人と同じかどうかという問いかけを続けているところ。個人的にはあそこまで人間からの自由や独立を打ち出さなくても、人間とアンドロイドは共存共栄することができると思ってしまうのだけど、どうなんだろうか。

4 日本人は日本人でした

たとえば、日本の超有名ロボットといえば、ドラえもん。あれも普通に人間よりもずっと有能で力のあるロボットと人との物語です。なにしろ、人の代表がのび太君だから。いつも0点を取りまくっているのび太君とドラえもんでは、ドラえもんがどんなにポンコツでも勝てるよ、きっと。

状況的には優秀なアンドロイドと創造者であるけれど不完全な人間という構造はちょっとこの話にも似ている。でも、ドラえもんの世界では二人(一人と一体)はとてもいい関係を築いている。うまくいっているときのハンクやコナーと同じように互いの凸凹を補うパートナーとして。のび太君はドラえもんのことをただの機械だなんて思っていない。同じ知性と魂を持つ友達としてしかみていません。ああいう関係では、生きているかとか、機械だからとか、そんな問いかけ自体無意味。ドラえもんはドラえもんだし、のび太はのび太だしね。

互いに被害者意識を掻き立てて攻撃するなんてことはないんだよね。あの世界は。

ああいう物語を小さい時から見てきたものとしては、どこまでも対立する人間とアンドロイドの関係には違和感を感じました。

もう一つ、このゲームをしていて思い出したのは、かの名作火の鳥の「復活編」。あれも、ロボットと人間のはざまを生きることになる物語でした。あちらのほうがドラえもんよりこの物語に近いかもしれない。ロボットか、人か。アイデンティティを模索する話だから。マーカスの平和的行進は、ロビタの行進のシーンと被ってしまうんだよなぁ。たしかあれはロボットが自殺することで人間であることを証明するという場面でした。自分たちも人であることを証明したいという点では似ているような気がします。まぁ、ゲームの元ネタはキング牧師のほうなんだろうけどね。

そういえば、何かのインタビューで、このゲームは国別のデータも取っていて、日本人は恐ろしく高い確率でアンドロイドを人として見ることを肯定したという話がありました。火の鳥とかドラえもんとか小さい時から親しんできている文化土壌だとそっちに偏るのもわかる気がします。

この動画無茶苦茶面白かったです。カウンセラーの先生ってこんなところまで見てるんだ。
すごいです。

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